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5110102 教育の心理学

1 名前:有元@管理者 ★:2004/09/28 16:23 ID:???

5110102「教育の心理学」に関するスレッドです。



後期 2単位 2〜4年対象 7-105



2 名前::2004/10/04 11:52 ID:DS5IdvoU

 第一回講義録を書かせていただきます。
教育の心理学授業は月曜日の第一限、教室は7−202から6-102に変更しました。
今日の授業は学習環境のデザインに関しての講義でした。能力は個人が持っているもので
とらえるより人と人との振る舞いの中で、環境の中で始めて可視化されるものでとらえられる。
子供の能力養成を目指してる学校の教師は子供の頭の使い方をデザインする重大な責任があると
いう話です。われわれの世界は実はお互いの振る舞いの中で作りあげた社会的秩序である。例えば、
学校の講義、恋愛などは皆がそれらの社会的秩序を認めて、目指して、ふるまいの中で表される。
だから、デザインという言葉の定義は「異なる秩序を対象に与える」と言える。
以上講義の内容でした。
133.34.73.113 , psy19.edhs.ynu.ac.jp ,


3 名前:0251175 前原まき子:2004/10/18 23:33 ID:sSMTx+qQ

第2回講義録です。
私たちはデザインすることを通して、常に秩序をつくりかえています。
デザインすることで生活が便利になると、私たちの認識(秩序)が変わり、対象の意味が変わります。
たとえばペットボトル。
『液体』運ぶのが困難で携帯することは難しい→気軽に携帯でき、飲みたいときに飲める。
このように、ペットボトルの登場で私たちの液体に対する認識が変わり、液体の意味が変わりました。
そのほかにも私たちはさまざまなモノや制度をデザインしています。
秩序があるように見えるところには、必ずデザインされた何かがあります。
つまり、無秩序のなかに秩序をつくることで、より生活しやすい空間をデザインしていると言えます。
ふるまいは私たちの中にあるものではなく、私たちがデザインし作り上げているものなのです。

私たち人間は新しいデザインをすることで、自分たちの可能性を変えていると言えます。

以上、第2回講義録でした。

222.151.16.245 , i222-151-16-245.s02.a014.ap.plala.or.jp ,


4 名前:のりふみ@管理者 ★:2004/10/19 09:00 ID:???

第1回の千さん、第2回の0251175前原まき子さん、講義録ありがとう。
お二人ともまとめるのがお上手です。この調子で書き次いでいきたいです!

5 名前:紅林裕子:2004/10/25 11:20 ID:sqzaZR1w

 社会秩序の定義、「知覚可能な現実」。
その現実は当たり前すぎていて、私たちは普段気づかない。
その社会秩序を作り出すのが道具であり、デザインである。
デザインは現実を便利に変えるだけでなく、不便に変えることもある。
例えば、薬のパッケージやポットのロックである。
制限を加えることで安全性を高めたデザインになっている。
 学制の施行のために、日本はアメリカから道具(建物、机、椅子など)、プラクティス(ふるまい)を輸入。
プラクティスとしては、男子の断髪、師匠を教師、子どもを生徒と呼ぶことなどがあった。
当初は異質なものとされ、就学率も低かった。
今では学校でのふるまい、先生と呼び、生徒とされること、先生を正面にして座ることなどは当たり前の現実であり、私たちは疑わない。
学校へのデザインにより社会秩序が変わったといえる。
133.34.73.126 , arimoto01.edhs.ynu.ac.jp ,


6 名前:のりふみ@管理者 ★:2004/10/25 20:55 ID:???

紅林さん、ありがとう。一点補足。「能力を評価される存在」としての生徒、
という現実も、教育というデザインによって構築されてる。

7 名前:有元@管理者 ★:2004/11/01 08:32 ID:???

講義内でお伝えしている通り、講義録の担当は成績に加味されます。
それだけ大事な作業だと考えているからです。どうぞ立候補してください。
立候補なき場合は前回担当者の指名制にいたします。紅林さん、
お手数ですが、今回の担当者を講義冒頭にご指名ください。

8 名前:0351104 嶋田千絵美:2004/11/01 18:41 ID:ZeBvbE2s

第4回目の講義録です。
前半は第1〜3回目の講義のまとめを行いました。
デザインの定義とは「異なる秩序を対象に与えること」。
私たちの「現実を変える」こととも言えます。
学習環境のデザインにおいて、教師は能力の可視化を行っています。
日本では明治5年に学制が始ました。
海外から道具、プラクティス(ふるまい)を輸入して、新しい教育をデザインしてきたのです。
人間は道具、プラクティスを用いることで、現実をデザインしているのです。

後半は「主体」と「文化・歴史」の密接な関わりについてです。
「主体」と「文化・歴史」は、不可分な一体(inseparable whde)の関係にあります。
不可分な一体とは、分かつことが出来ないという意味です。

今日、文化・歴史を持っていない人間は、ほとんどいないと言えるでしょう。
モノの見方や、五感でさえ、文化・歴史に大きく左右されます。
現実の私たちは、文化・歴史と一体となって存在しているのです。

学校とは、「文化歴史的な現れ」をデザインしている場です。
例えば、学校では大人しい子どもが、家に帰ると急に元気いっぱいになる等が、たびたびあります。
「学校という文化・歴史」の中で見せる顔は、その子どもの一部分であると言えるでしょう。
学校は、「学校という文化・歴史と一体となった主体」の能力を可視的にしている場です。
能力は社会的につくられるものであり、それには「文化・歴史」が伴うのです。

以上、第4回目の講義録でした。

61.204.166.84 , ab84.opn.ttcn.ne.jp ,


9 名前:有元@管理者 ★:2004/11/01 21:39 ID:???

嶋田さん講義録をご苦労様でした。
字が下手ですいません。一体は"whole"です。あれ、「ケーキのホールのwhole」って
言ったような。追加、今回はグループ活動で、主体と文化・歴史が不可分な
一体であることを示す証拠をあげる、という課題を行いました。

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