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2005 学習心理学講義(-特論)

42 名前::2005/05/18 22:16 ID:OJielFmc

千です。わがままな論調も書き込みを認めてぐたさる先生がすきです。
先生がすきなので好きな人の理解を得られるのを目標としてる千です。
先生の話のようにー理解は対話の中に。
杉万先生の文章の感想を書いて見ます。
最初の何回目は頭が整理されてそういうことかという気持ちでした。だが、
まだ問題発生です。
本では自然科学は論理実証主義をメタ理論として発展して
来たと言います。万人によって妥当な事実を求めて発展してきたと言います。
研究方法では一次モードと二次モードの交替の中で行っているのは自然科学も
人文科学も似ているが、根本的な区別は自然科学はある事実に接近していると
するが、人文科学は新たな実践に入れるるとすると言います。
だが、自然科学の発展は実践無視?なぜ、だんだん研究と伴って万人によって
妥当な事実に接近しようとするの?と考えました。それはまさに実践のためなのでは。
空を飛ぶ鳥を神様の力で飛べると解釈する時、それに伴って可能になっている世界が
広がるし、それを空気の流動で産生される上昇力で飛べると解釈する時に、人類が
実践可能な世界はまだ違います。自然科学がこれでもっと事実に接近したねって言う
後ろにはまさにそれで新たな実践可能な世界があるからのではと思いました。
自然科学も人文科学もある意味で構成されているとみても、そんなに、研究の意志を
失うとかということはないのではと思いました。新しい解釈を求めて、それはそこで
もっと素晴らしい実践可能な世界が待っていると信じるのは両方ともなのでは。
本では自然科学者は研究者と研究対象を線を引いて影響しないようにして研究すると
言いますが、つねにその影響を念頭において研究するのでは。
相手の速度を測りたいのにつねに観察者の速度を念頭にすることと、
相手を研究したいのにつねに観察者を念頭におくのは研究思想の立場では通じるのでは
と思います。
222.158.252.247 , fntkngw007007.kngw.fnt.ftth2.ppp.infoweb.ne.jp ,


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