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2006 教育の心理学

10 名前:吉野 健夫:2006/10/30 14:13 ID:Z2cl7QN2

「現実」…当たり前に本質な実在として経験されるものであり、
常に安定的であるはずである。
社会構成主義…「現実」を社会的、文化的なやりとりによって
「達成されたもの」としてみて、人々の実践から独立する安定的なものとは
考えないというもの。
社会構成主義…人々の生活とは独立に存在していたはずの「現実」の地位を、
人々の実践のところまで引き下げる。すなわち社会が現実を作っている、
私たち自らが現実を作っているということである。
(例)肥満
「肥満」のイメージは本当に安定的な現実か?という問いに対し
エポケーで臨む。(エポケー:何一つ確実にして決定的な判断を下すことは
できないという懐疑論の立場から、判断を下すことを控える態度)
→文化や時代、所属集団で異なる。(例・平安時代ではその人の地位の象徴)
肥満はテレビやBMI、体脂肪計などの制度的な社会のあり方によって
相互反映的に構成されている。現実を測定しているというより、
測定することが現実を可視化している、または物象化している。
(例)教室
いかにして教室と呼ぶか。教室は絶対的な現実か?
例えば学祭中はライブ会場になることもある。「教室」も生徒が集まり、
講師が講義を行うという仕組みによって現実が構成されているといえる。
しかし、私たちにはこれら2つの例は安定した現実として経験される。
作り上げられながらも揺るぎ無い現実そのものであることも事実である。
◎宿題◎
「肥満」に変わる例を挙げ、その現実がいかに達成されているか、構成要素を列挙せよ。


133.34.235.143 , pc-j013.ipcf.ynu.ac.jp ,


48KB
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