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2007 学習心理学講義(-特論)
- 43 名前:学校教育学 M2 大島:2007/06/25 08:07 ID:4FA3r566
- 遅くなって申し訳ございません。
6月19日講義録
第4章 実践共同体における正統的周辺参加
アクセスの問題――透明性と隔離性 (P83-89)
○テクノロジーの不可視性への道筋――実践と理解の相互関係による学習過程
・テクノロジーの不可視性とは、直接対象に向かうようになると、媒介して
いるテクノロジーが見えなくなるということ。
たとえばロックバンドのギタリストが演奏によって感情を表現するまでに
いたるとき、おそらくギターのテクノロジーは見えなくなっている。
・不可視的にテクノロジーが利用できるようになるためには、テクノロジー
の意義が見える必要がある。
・(不可視的なテクノロジーの利用を可能にする)テクノロジーの意義は、
文化的実践に参加することによってしか見えてこない。
たとえば「こう弾けばロックっぽくなる」というテクノロジーの意義は、
ロックという文化に参加をしていなければ「見えない」。
○アクセスの隔離性
・肉屋の徒弟は「善き実践」にアクセスできないという意味で周辺的ではな
い。
・学校では社会的世界に参加しない。
以上の議論をふまえると、新参者が十全的参加へ開かれるための条件として
は、
・実践に参加しながらテクノロジーの意義が見える
・あくまで目的は、文化的実践への十全的参加でありテクノロジーの理解では
ない
・「善き実践」にアクセスできる
といったポイントが挙げられると思います。
学校は社会的世界から隔離されてしまうということですが、授業中に紹介した
「麦チョコの数を平等に分ける」ところから始まる「平均」の授業は、「お父
さんの1年間ビール代」や「トイレットペーパーの使用量」などを調べるまで
にいたります。
学校における文化的実践も、テクノロジーが必要になる文脈を用意することで
その意義を可視化できれば、社会的世界に開かれるのかもしれません。
テクノロジーの意義が見えなければ、学校に閉じた単なるゲームとして消費さ
れてしまうでしょう。
220.212.106.75 , HDOfa-05p3-75.ppp11.odn.ad.jp ,
66KB
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