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2007 学校教育総合研究

38 名前:M1 林:2007/06/28 17:34 ID:eNwmCnz6

テーマ『教師による「学習権均等」の可能性』

■報告の概要
 教育を受ける権利は法的には平等だけれども、
 実際はそうではなくて権利を権利として享受していない人々も存在する。
 家庭の社会的・経済的・文化的差異に関係なく教育を受けることが
 できるように教師のこれまでの実践を検討し参考にしたい。

■いただいた意見
・学校に行けば家庭は関係ないのではないか。
・たとえば女性の大学教員が少ないということは女性の能力が低いからだろうか。
 個人の問題に見えるようで実は政治的・社会的な問題だということもある。
・「教育を受ける権利」の自分なりの定義は?
・条文にある「能力」に経済能力も含まれるのでないか。
・不平等を意識して実践したらそれこそが不平等となるのではないか。

■補足@
・教育を受ける権利を具体的な権利で表現することを求められましたが、
 これは一種のプログラム規定と言われているので具体的に何が要求できるかは
 難しいです。
 プログラム規定説とは、法律で定められていても実質的には国の努力目標や政策方針を
 規定しているにすぎないというものです。段階的にその時代の状況に合わせて
 認められる範囲は変わります。(だからこそ今は昔みたいに設備や教育内容を保障すれば
 それでいいとは言えないと思うのですが。。)
続く…☆

133.34.235.141 , pc-j011.ipcf.ynu.ac.jp ,


39 名前:M1 林:2007/06/28 17:36 ID:eNwmCnz6

■補足A
・学習権宣言は1985年に第4回ユネスコ国際成人教育会議において
 なされました。少し調べてみたのですが、この学習権に対応するのが
 日本で言えば教育基本法等にあたるのかと思います。
 学習権の方が宣言を読んでみるとより包括的な内容だと思いますが。
 成人教育会議ですし。

■感想
 機会均等を目指したい!どんな家庭環境にある子どもであっても
 将来の可能性は平等にあるべき!と思っていましたが(いますが)、
 やっぱり自分でも理想的で甘いなぁと感じました。
 学校が社会システムに組み込まれているのは事実だし、
 子どもや子どもの教育に与える家庭の影響力は間違いなく大きいし、
 しかも私の価値観でキャーキャー言ってもそれって正しいのだろうかと
 悩み始めました。でもどういうアプローチにするかはわかりませんが、
 社会の問題として教育を考えていきたいと思います。
 あまり意識はなかったのですが、「ハイ」って言いすぎですみませんでした。。

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