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2009教育の心理学

15 名前:武田 士称:2009/11/18 16:38 ID:VHyBXvl+

◆11月16日 第五回講義録
●配布物
ワークシート04
●本日の目的
道具とセットの主体性
●授業内容
1.(つづき)社会文化的珈琲メイカーズ p.25〜
実験1「オーダーされたドリンク名を10個、順番どおりに答えてください」
正解出来ない→店員は一般人と同じレベル
実験2「カップを見て、オーダーされたドリンク名を10個順番どおりに答えてください」
全員正解する→当たり前→では学校や心理学の現場ではどうして出来ないことをやらせるのか?

2.道具とセットの主体性 p.29〜
心理学は120年から130年前に興った。
物理学の真似をして実験で集めたデータを用いて、物理的、科学的に人間を見ようとした。
その過程で誕生した記憶しにくいデータ
「無意味つづり」(×魚の名前○レニケ、ワム…連想価による)
ただし「ワム」のように「無意味つづり」が意味を持ってしまう場合もある。
こうした誕生した「無意味つづり」より人間の記憶能力のみを見たい。
人間は記憶能力が弱い(記憶術)。
心理学では、その道具と離れた。

「人間は機械的なものではない」
→もっと人間的に心理学→ヴィゴツキー・ソビエト心理学
社会主義の影響を受けて、マルクスの影響を受けて
「主体性を他のものとセットに」
→記憶の場合ならば、実際の場面での記憶能力を見なければならないのではないか

無意味つづり的な学校の教育(記憶しろ、テストにでるよ…)
内からの理想的なものではなく、外からの現実的なもの
学校でやることは人間の苦手なことである。
趣味の動機づけが出来ていることとは違う。
子供の生活と結びつけなければならない。
勉強がゲームのように好きな子供もいれば、嫌になる子供もいる。
学校での勉強が、ゲームのように好きな子どもに合わせるべきではないのではないか
133.34.73.110 , psy16.edhs.ynu.ac.jp ,


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