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2009教育の心理学

34 名前:有元典文:2010/02/01 07:54 ID:???

>>35 小林さん、講義録ごくろうさま

> ユクスキュルの環世界という考えはなかなか面白いものだと思いました。
例えば、何の変哲もないスーパーの駐車場でも車やバイクが好きな人に
とっては駐車場が車の展覧会に見えている違いありません。そう思うと、
人間という動物はほかの動物と比べて、個々によっていろいろな世界を
持っていて多様性のある面白い種族だなと思います。

駐車場が展覧会とはおもしろい発想ですね。自動車好きの環世界。
さらにでっかく、文明化された人類に共有された環世界というのはどうでしょう。
それをこそ学校教育は与えようとしているはずです。
学校で学んだツールをもって世界を眺めることで、世界から有用な意味や価値を引き出せたら
すばらしいと思いませんか。シートベルトをしない運転が危険なものだと、小学校で学ぶ
物理の初歩から分かるはずだし分かってほしい。算数の理解があれば、ギャンブルで
破産しない道を選べるはずだし、そういうために教えているはず。経験から学ぶのは
もちろん大事だが、先人の経験の結晶である学問から学ぶのも大事。それこそ人間らしさなのだから。
133.34.73.112 , psy18.edhs.ynu.ac.jp ,


35 名前:有元典文:2010/02/01 13:35 ID:???

イントロのパワポ、および11枚のレジュメを以下にpdf形式で置きました。ご活用ください。
http://cid-8dfb1c2ab91aa860.skydrive.live.com/browse.aspx/EduPsy2009
133.34.73.112 , psy18.edhs.ynu.ac.jp ,


36 名前:新原将義:2010/02/01 21:34 ID:Mxa18mns

2月1日第11回講義録

○配布物・・・レジュメI、J

○文化に相対的な現実
魚のダシの旨みやディストーション音の快の知覚は後天的
ナチュラリゼーションは、自然を過大視し、人のデザイン力を過小に見積もっている

○学習ツアー
獲得形質は遺伝しない→人間の最大の制約
今の我々の環世界は遺伝せず、放っておけば消えていく
教育とは、我々の世代の環世界を伝える、「人間」の再生産

○ヒーローと悪漢
我々の何気ない日常が、現実をつくり、また変えていく
何かを学ぶということは、「そこの人」になるかどうか
メンバーになれば、先輩から多大なことを自然に学んで「そこの人」になっていく
→学校とは「誰」になる場??
実践に参加するような形態の授業があってもいいのでは

○こころのありか
人は自分で自分の行動を決めているのではなく、
「何かに従って」行動しているに過ぎない
しかし「自分の意思で」行動していると思っている
行為の衝動は必然性に起因する→「世界コントロール」説
逆に、人間は「主体性の塊」であるという大前提にたっているのが心理学
人の主体性は、人が周りの世界に作りこんだもの=「デザインされた現実」とのセットなのでは
外にあるものに自分をコントロールさせ、自由意思を減らすことで負担を軽減しているのでは
我々の日々そのものがスキャホールドされている
一人ぼっちの主体性の力ではなく、
何かとセットで発揮される能力を教えたほうがいいのでは?

○感想
自分の意思がどこにあるのかについて考えさせられた。
ここにいる私という意思が、ただの必然性の結果でしかないのだとしたら、
私とは一体何者なのだろうか。
人は、何かに従って生きているということが分かっていたとしても、
自分の意思で今ここにいると主張しなければ、不安でやっていけないのかもしれない。
しかし現実をデザインすることが自分の主体性なのだとしたら、
その不安は解消するように思う。
現実をデザインすることで、ここに存在する自分。
世界と不可分な自分。
そういったものを教えることは、ひとりぼっちの能力を教えることよりも、
はるかにロマンチックなことのように思えます。

123.220.71.134 , p2134-ipbf1808hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp ,


37 名前:書けませんよ。。。:停止

真・スレッドストッパー。。。( ̄ー ̄)ニヤリッ

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