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2009教育の心理学

1 名前:有元@かんりしゃ ★:2009/10/16 19:01 ID:???

後期月曜2限教育の心理学講義録及び対話用

35 名前:有元典文:2010/02/01 13:35 ID:???

イントロのパワポ、および11枚のレジュメを以下にpdf形式で置きました。ご活用ください。
http://cid-8dfb1c2ab91aa860.skydrive.live.com/browse.aspx/EduPsy2009
133.34.73.112 , psy18.edhs.ynu.ac.jp ,


36 名前:新原将義:2010/02/01 21:34 ID:Mxa18mns

2月1日第11回講義録

○配布物・・・レジュメI、J

○文化に相対的な現実
魚のダシの旨みやディストーション音の快の知覚は後天的
ナチュラリゼーションは、自然を過大視し、人のデザイン力を過小に見積もっている

○学習ツアー
獲得形質は遺伝しない→人間の最大の制約
今の我々の環世界は遺伝せず、放っておけば消えていく
教育とは、我々の世代の環世界を伝える、「人間」の再生産

○ヒーローと悪漢
我々の何気ない日常が、現実をつくり、また変えていく
何かを学ぶということは、「そこの人」になるかどうか
メンバーになれば、先輩から多大なことを自然に学んで「そこの人」になっていく
→学校とは「誰」になる場??
実践に参加するような形態の授業があってもいいのでは

○こころのありか
人は自分で自分の行動を決めているのではなく、
「何かに従って」行動しているに過ぎない
しかし「自分の意思で」行動していると思っている
行為の衝動は必然性に起因する→「世界コントロール」説
逆に、人間は「主体性の塊」であるという大前提にたっているのが心理学
人の主体性は、人が周りの世界に作りこんだもの=「デザインされた現実」とのセットなのでは
外にあるものに自分をコントロールさせ、自由意思を減らすことで負担を軽減しているのでは
我々の日々そのものがスキャホールドされている
一人ぼっちの主体性の力ではなく、
何かとセットで発揮される能力を教えたほうがいいのでは?

○感想
自分の意思がどこにあるのかについて考えさせられた。
ここにいる私という意思が、ただの必然性の結果でしかないのだとしたら、
私とは一体何者なのだろうか。
人は、何かに従って生きているということが分かっていたとしても、
自分の意思で今ここにいると主張しなければ、不安でやっていけないのかもしれない。
しかし現実をデザインすることが自分の主体性なのだとしたら、
その不安は解消するように思う。
現実をデザインすることで、ここに存在する自分。
世界と不可分な自分。
そういったものを教えることは、ひとりぼっちの能力を教えることよりも、
はるかにロマンチックなことのように思えます。

123.220.71.134 , p2134-ipbf1808hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp ,


37 名前:書けませんよ。。。:停止

真・スレッドストッパー。。。( ̄ー ̄)ニヤリッ

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