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2010学習心理学講義(-特論)
- 15 名前:平井拓斗:2010/05/23 16:57 ID:XFhN4lwE
- 書き込み遅くなってしまい申し訳ありません。
【講義での論点】
・教育が、子どもを対象とし、その内容が文化的なものである限りにおいて、
その手段は(見かけはともかくとして)本質的には大人からの一方的な教授にならざるを得ない。
・「一般的な知」は存在するのか。「個別的な知識」が知のすべてならば、
学校で教えている「知」とは何者か。必要なものか。また何を教えるべきか。
・「日常生活」の違い
進歩主義:(自然に発達する)子どもが、常に囲まれていて、ファミリアで、身近だと感じる世界。
イーガン:子どもが想像で作り出した、楽しむことのできる、ストレンジな世界。物語。
【考えたこと】
・@)学校の中で学ぶ知識が、社会的に有用であるべきか。
A)社会的に有用な知識は、学校で学ぶべきであるか。
一見すると似ているこれらの問いは、その論じる主体が異なるという意味で全く別の問題である。
この問いについて考えていた際に、次のような新たな疑問が浮かんだ。
B)学校で教えられる、学校でしか使えない知識は不毛か。
このB)の問いへの回答は、@)とA)対する議論の両者に寄与すると考えたが、
私の足りない「知」では悩むだけ悩んで不毛に終わりました。
133.34.73.121 , psy27.edhs.ynu.ac.jp ,
- 16 名前:平井拓斗:2010/05/23 17:08 ID:XFhN4lwE
- 【考えたこと2】
・※ここでは便宜的に、講義内で語られていた「個別的な知識を有用なものとして扱い、
評価する社会」を、すべての属性を持つ「社会」から切り離して論じるため「実用社会」とした。
ある文献の中で、「教育」のうち「教」は行わず、「育」のみ行うインディアンがいるとあった。
生き方を教えることはせず、実用的な知識はすべて子どもが大人を見て学ぶ。
たとえば、まだ火の熱さを知らない子どもに「熱いよ」と教えるのでなく、鈴を鳴らして気を逸らすという。
狩りの仕方や、住居の立て方も、自分が生きるために「必要だから」、自ずから見て覚えようとする。
これが成り立つのは、彼らの世界が非常にシンプルな実用社会としてのみ構成されているからである。
生きるために、必要なことだけを、身近な大人を見ているだけで、学べる世界だ。
比べて現在の日本は、「教」「育」を行おうとしているのであり、また世界は複雑である。
だから、前回の議論のように
C)実用社会における学校という世界の位置づけ
を論じているだけでは不十分で、さらに
D)学校における実用社会という世界の位置づけ
を論じる必要がある。だがこれでもまだ不十分で、つまり
E)世界は「学校」と「実用社会」のみから構成されているのではない
ことを了解したうえで、議論はなされなければならない。
※インディアンのエピソードはあんまり関係ないですが何かの手がかりになるかと思い載せてみました。
・これを書いている、今まさに使ってる「知」はいつどこで学んで覚えたのだろうか。
【気づいたこと】
もしかしたら僕は議論中に別のことばかり考えているのかもしれません
133.34.73.121 , psy27.edhs.ynu.ac.jp ,
- 17 名前:平井拓斗:2010/05/23 17:17 ID:XFhN4lwE
- 連投すいません。加筆訂正。
【考えたこと2】9行目
誤:比べて現在の日本は、「教」「育」を行おうとしているのであり、また世界は複雑である。
正:比べて現在の日本は、「教」「育」を行おうとしているのであり、
しかもそれは第3者機関である学校に委託されており、また社会は複雑である。
133.34.73.121 , psy27.edhs.ynu.ac.jp ,
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