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[院]ABBM080 生態学的学習論演習

24 名前:有元@管理者 ★:2004/05/24 08:45 ID:???

>>23

> 現実(リアリティ)が見える場としての実践教育です。それを話すのはやはり現場を踏んでいる方でなければできないものがあるはずです。

素朴教育学だと感じました。やはり教育は「話す」ものだと。

> どうして臨床の知をいっぱい語れる方が、学校という場になると状況的でない基本的な話ばかりになってしまうのでしょうか。

興味があります。「素朴教授法(teaching methidology of plain folks)」のような
概念を提案したいです。いまのわが国では<注入-試験-評価>型が多いと思います。
何かを教える段になるとこうやって教えてしまうことがあるとおもいます。
「話し」て教えてしまいます。

でも<ずっとつきそい>型も用います。自分の子供に教えるとき、ゼミ生を数年掛けて
教えるとき、何度もおなじことをくりかえし、急がず染み込ませませんか。
<未熟だと思い知らせ>型は?5階のO先生の前でギターのアルペジオをしたら、
変な弾き方するねと「笑われ」、こうじゃないのとプロの腕前を示されました。
バンド発表会で得意そうに"Venus"のイントロのB7sus4を披露したら、熟練者が
かるく首を振ってハイポジション(高難度の奏法)でレコードと同じ音を披露。
B7はこうじゃないとダメ、他のはローポジション「でもいいけど」、と。がっくり。
全部教え方だけの話じゃないですね。教えられる側と相手のダイナミズム。
俺は息子の先生ではないし、O先生やギター熟達者も俺の先生ではない。でも学びます。
「話」さない学びもたくさんある。

> 掲示板 メールでは議論はしない方がいいとの事でした。

場が荒れることが多いと言っただけです。
こういう少人数なら荒れるほど議論してくれたほうがありがたい。

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