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[院]ABBM080 生態学的学習論演習

6 名前:きっしい:2004/04/28 23:37 ID:lnbVYSag

昨日は、急用のため片付けもしないで失礼しました。(要は飲み会)
なかなかおもしろい授業でした。昨日も述べたのですが今一歩言葉が足りなかった
ので補足したいと思います。
学習とはやはり、学習する側が学習することの意味や価値が垣間見えるようなもの
でなければなりません。教師はその事を見せていくことが絶対に必要なのですが、
残念ながら昨日の英語の授業の中にはその部分を見ることが出来ませんでした。
単なる言葉の繰り返しだけでは、その言葉の背景ある文化的な営みが見えてこない
のです。日本人が言い訳をどのように使っているのか、教師がよく使う「言い訳するな」
という言い方は、潔く非を認めて謝ればいいんだといっているように思います。
言い訳はマイナスのイメージがついて回っています。外国はどうなのでしょうか。
なーんていう話が前提として、自由になされていれば、全く別の意識で取り組めたの
ではないでしょうか。言葉の持つ豊かさを示していくのはとても必要なスキルだと思います。
 もう一つ
「実際に教えてください」という有元先生の言葉に本当の先生が戸惑ってしまっていて
バイト先で教えている院生の方がすらすら出来てしまったのはどうしてでしょうか。
もし、私に急に振られてもやはり他の先生と同じように戸惑ってしまうでしょう。
理由はあの場は、教師にとってのエコロジカルな場ではなかったからだと思います。
教師にとっての授業の場は、教えるべきコンテンツがあり、対象である多数の生徒がいて
成り立っています。あのゼミの場は、そのような状況を全くアフォードしていません。
ですからルーティーン化された教え方を持っている院生の方(ごめんなさい名前が
わからなくて)の方がはるかにすぐれた教えの場が出来てしまったのでしょう。でも
あのカプセル化した教え方の方が、もし、効果的であるとすれば教師にとっては脅威です。
法則化運動が市民権を持っている所以でしょう。何かコンピューターに教わっているよ
うな感じがしたのですが・・・・話が収束しませんので この辺でやめておきます。
教師の役を咄嗟に演じられない教師より




61.211.114.25 , east96-p24.eaccess.hi-ho.ne.jp ,


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