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2005公開講座 差異と共生「デザインされた現実」

4 名前:とくます:2005/12/19 11:06 ID:b6nK9Z0k

人々の行為や現実は、人工物に媒介されたものであることが、
以下のような人工物を例示することで示されました。
ex.)方位、音階、長さ、温度
それらから、“現実”とは作られたもので、この“現実”を構成するデザインを暴くことで、
新たな“現実”を再デザインすることが可能であることを再認識。
ふぁげしく納得。面白かったです。

○常々思っていることですが、“現実”を現実として見ることが、重要であると同時に、
“現実”を現実のことばで語る難しさ(詭弁ぽさ?)がある。
○また、“誰として”述べるのか、どの視点を研究者として持つかを問いつづけることの重要さ。
この2点が(個人的に)ポイントだと思いました。
222.13.35.51 , P222013035051.ppp.prin.ne.jp ,


5 名前:のりふみ@管理者 ★:2005/12/20 10:29 ID:???

>>4 とくますさん、的を射たまとめとコメントをありがとうございます。
「現実”を現実のことばで語る難しさ」、そう思います。我々は
そういう2次モードの言葉や文法をもっていない様に思う。
知覚が言葉で構成されていることを言葉で語る、これは禅じゃないですか!?
言葉を尽くして言葉のないサトリに行き着くのだと、確か鈴木大拙先生も
おっしゃてました。「誰として」問題、これはもはや学問を超えた
態度表明ですよね。学問を超えてはいるけど、学問するならいつも
設定し続けておくべきことなのでしょう。DNAとか医学とか原子力
いじっている人ならいつも突きつけられている問題なのかもね。
自分の学問の実践で人が生きたり死んだりすると。元1級建築士は思ったかな。

6 名前:書けませんよ。。。:停止

真・スレッドストッパー。。。( ̄ー ̄)ニヤリッ

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