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2007 学習心理学講義(-特論)

8 名前:分野(M1) 赤澤夏嘉:2007/04/25 13:05 ID:3wL2cPLE

<2007/04/24のレジュメ>
ウィリアム・F・ハンクスの序文 (p5〜20)
・著者は、“『状況に埋め込まれた学習』は、
  人間の理解とコミュニケーションが状況に
  埋め込まれている。
  という性質を研究する人間科学の成果の増加に、
  貢献の一つとしている”(p6.l16)と述べている。
   学習を特定のタイプの社会的共同参加という
  状況の中におき、どのような社会的関わり合いが
  学習の生起に適切な文脈を提供するかを問う考え方
  であるから(p7.l4)…と。
学習=LPPという緩やかな条件の中で生じる過程。(p7.l11)
  =社会的世界でのあり方。
(学習者の学習の文脈+文脈が生成される社会的世界)
    (p19.l15)
  =一実践ないしいくつかの実践の集合体。(p21.l2)


<講義録>
序文を読み、著者の所属していると思われる
シカゴ大学を調べてみる過程で、この本が
「実践的なアプローチ」という教育に通ずるもの
を感じた。
シカゴ大学はデューイが務めていたので、
この状況的学習理論の考えにいたるには、
「learning by doing」も影響を与えているの
ではないかと考えた。
1章に読み進めると、そのような文章もあった。
そこで、私の所属する総合学科高校の目玉とも
いえる総合的な学習の時間について紹介した。

序文では、LPPや状況に埋め込まれた学習を読む
うえで、従来の学習理論の大きく2つの視点を
転換する必要性があること(p10〜)と、
この理論がどんなことに貢献していくかと
いう点を捉えられればいいと感じた。
序文の著者は、色々な表現をかえ、
LPPについて説明しようとしているが、
一番分かりやすいのは、
p19辺りの説明ではないだろうか。



61.204.208.227 , 61.204.208.227.customerlink.pwd.ne.jp ,


9 名前:分野(M1) 赤澤夏嘉:2007/04/25 13:11 ID:3wL2cPLE

序文その2
<質疑応答のときの有元先生からの補足>
この序文は、学習って、経験によって考え方や
理解が変わることだけど、学ぶことでこの
集団組織自体変わってしまうこともあったら、
それをどう説明するか?
→学習を個人レベルで捉えるのではなく、
社会や文化、集団レベルで捉えているのが、
LLPであると述べている。

Q:この理論からすると、学習は、
複数人いなければ本当に成立しないのか?
A:集団への不参加、無関与では学べないと
いうことになる。
また、無人島で一人きりだったとしても、
人工物や人の作った文明と関わっている中で
生じる変化は、決して孤独な個人だけの生じる
学習ではない。

Q:知識のポータブルとは?
A:誰かの知識を丸ごと転写することは、
不可能。他者の技術を見て盗む、
身に付けた知識を他で活用や応用ができる
ことをさす。

<講義を終えて>
所属校で捉えているコミュニケーションに
必要な3つの要素の「間」のつく言葉を考えて
もらうワークも実施した。
正解は「時間」、「空間」、「仲間」でしたが、
私も他にコミュニケーションに大切な
間のつく言葉は本当にないのかと疑問を持ったときに、
思いついた「人間」という言葉をあげてくれた
人が多くいた。
以前に、
“「人」は人と人の間で文化や様々な
ことを学んで「人間」になる”という
言葉を聞いたことがあり、耳に残っていたからだ。

それなら、学習の成果が人間になることなのか…。
人間でないとコミュニケーションに参加できないのか…。
まだまだ答えがはっきりしない。
レジュメの図で、人間のところにあえて「間」
という漢字を入れず、また3要素とは別にして
位置づけたのには、そんな苦悩があったからだ。

この本の輪読を進めていく中で、
少しでも答えに近づければいいなぁ…と思う。

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