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2008 教育の心理学
- 23 名前:伊林 賢一:2008/12/15 13:47 ID:2dN3ePh+
- 第8回講義録 2008/12/15 晴
○配布物
ワークシート07
「デザインド・リアリティ」T章(教科書 p.25〜)
●社会文化的珈琲メイカーズ(つづき)
某珈琲店従業員に対し以下の様な実験を行った
準備:カップにメモをとらせ、10の注文を行う
実験1:オーダーされたドリンク名を十個、順番通りに答える(カップなし)。
実験2:カップを見て、オーダーされたドリンク名を十個順番に答える。
【結果】
実験1:リストの最初と最後はある程度正解するが、中間は全く不正解(系列位置効果)
実験2:全て正解
→カップに記入することで、曖昧な短期記憶を外在化させた
→実際の商売では100%の正解が求められるため当然のことである
☆学校教育で考えると……
・暗算→筆算、電卓の使用といった確実な工夫を停止
・漢字の書き取り→辞書、ワープロといった確実な工夫を停止
学校教育では確実に答えるための工夫を敢て停止し、
わざわざ間違えさせていると考えられる。
→一体何を試しているのか?
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- 24 名前:伊林賢一@続き:2008/12/15 13:48 ID:2dN3ePh+
- ●道具とセットの主体性
☆ヴィゴツキーの考え
人の行為遂行能力は内的なものではなく、社会的なもの。
→主体と対象との間には社会的な媒介が存在する。
例)
人→横浜から新宿への所要時間
↑
媒介:電車などの交通機関の情報
人は対象を直接“見て”いるようで、
その実社会的な媒介を通して“見て”いる。
→精神の構成と発生と機能は社会の写し
例えば幾種類もの犬を見て、その全てを「犬」と
カテゴライズできるのも、社会から得たものである。
生まれつき個人の中に「犬」を分類する尺度はない。
人は社会の諸関係を一パーソナリティーとして引き写している
☆元になったマルクスの考え
人間の本質は個人に内在する抽象物ではなく、
社会の諸関係の総体である。
●WORK1:「媒介」の身近な具体例を挙げる
次回持ち越し
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- 25 名前:伊林賢一:2008/12/15 13:57 ID:2dN3ePh+
- ●感想
☆学校教育
学校教育は工夫の停止によって何を試みているのか。
恐らく其処に実のある答えはないと思います。
様々に考えを巡らせましたが、私には
「テストで差をつける」
という答えしか出てきませんでした。
これは妙な話で、テストは本来何らかの目的があり、そこに向けての達成度を測るものです。
しかし学校の学習はテストの点数を取ることが目的にすり変わっています。
学校教育で転移に結び付かない学習が多いのも、このためではないでしょうか。
テストは数値によって差をつるため、
誰もが正確な答えを導けるような工夫をしていたのではテストを行う意味がなくなってしまいます。
それ故、工夫を停止するのではないでしょうか。
かつて落ちこぼれ問題が騒がれましたが、
学校のテストが意図的に生み出したものという見方もできるのではないでしょうか。
ちなみに雀の丸焼きは頭からとろけ出す脳髄が美味しいそうです。
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