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2009学習心理学講義(-特論)
- 36 名前:朴 星亞:2009/06/24 23:37 ID:ZxVybJ1Q
- 2009/06/23 分散認知
第3章「パーソン・プラス:思考と学習における分散的見解」
D.N.パーキンス著/日下部典子訳
思考と学習はどのように起きるのか
人プラス周辺を一つのシステムとして扱い,
周辺も思考の一部をみなし、
人と同様に周辺の中に残され,
アクセスできる状況にあるのもを学習結果とみなす。
認知の行為者としての人間とは何か
厳密な意味での人とは,
だれも有する核としてではなく,
相互作用と組み合わせとして,
共通部分だけではなく,
係り合いの総和として,
純粋で永続的な中核ではなく,
参加しているもの全ての合計ないしは群れとして,
考えるのが適切である。
議論)今の学校の教育はパーソン・プラス(person-plus)を
パーソン・ソロ(person - solo)にしようとする運動をし続けている。
そこで,パーソン・ソロとパーソン・プラスの意味や
学校の教育においてそれらの必要性,問題点などについて議論をした。
感想)今の学校教育はパーソン・ソロに比重を置いていることに対して,
第3章では,パーソン・プラスの教育の重要性を示していました。
個人的には,教育の中で生きる力を身につけるためには,
パーソン・ソロとパーソン・プラスの相互学習と,
それを学習者自身が意識することが必要だと思いました。
それに,生きる上で人プラス人(human plus or people plus)で
「共助」できればいいなと思いました。
220.144.70.42 , FL1-220-144-70-42.kng.mesh.ad.jp ,
- 37 名前:& ◆xX14F2N4nU :2009/06/30 00:59 ID:Fh5ck9Gk
- 遅くなってすみません。
その2
第4章
「個人の認知なくして,分散認知はあるのか」
―ダイナミックな相互作用の観点から―
前章の途中からこちらに移行する形で議論となりました。
具体的には,以下の2点について議論となりました。
ただし,ここでは,
パーソン・ソロ≒個人の認知
パーソン・プラス≒分散認知
と考えます。
@パーソンソロは必要ないのではないか。
・個人の認知と分散認知は相互作用的に存在する。
それらは,相互に影響しあい,お互いに定義しあい,
その過程で個人内に認知的痕跡を残していく。
Cf)らせん状の発達の概念(本書p159)
・高次の知識などは,個人の認知のみで発達していく。
Aもしパーソン・ソロが必要ならば,教育において
どのよう形で必要とされるのか。
・個人の認知と分散認知の相互作用のなかで互いに発達
していく。
・分散認知は教育のすべてではない。分散認知をすべてとし
てしまうと,人間の技能の発達が停止する。
(例)計算機をずっと使っていると,暗算や数学的思考が
できなくなり,日常生活に支障をきたす。
59.171.135.82 , 59-171-135-82.rev.home.ne.jp ,
42KB
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