■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50

2009学習心理学講義(-特論)

40 名前:大江:2009/07/12 23:14 ID:v5vai6EI

分散認知 第5章 生きた知識:思考のための文化的資源の社会的分散を担当しました。


精神活動は頭の中の現象というよりも、人々やその活動や場面に、広がっている(stretched over)現象である。
つまり、精神活動がどのようにして "外に向かって" 姿を現しているかということである。

5章には2つの事例研究が示されています。家族の中に生きた知識と教室の中に生きた知識です。
家族の研究では、社会的ネットワークが家族と彼らの社会環境を相互に結びつけ、資源を共有したり交換することをうながすものである。
教室の研究では、人が知識を得る方法や理由が、社会的な取り決めの力によって強力に左右されることが示されている。





124.85.179.27 , p7027-ipbf307hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp ,


41 名前:大江:2009/07/12 23:55 ID:v5vai6EI

続きです。
教室の事例の中に、教師の目標は生徒の環境の中の資源を活用する方法や思考のために利用できる
文化的知識を意識して使える方法を教えることである。とありました。

講義中に出てきたファシリテーションについて、以前読んだ本に次のように書かれていました。
少し長いですが、今回の事例の教師の役割と関係あるのでしょうか?
  ファシリテーターは教えない。「先生」ではないし、上に立って命令する「指導者」でもない。
  その代りにファシリテーターは、支援し、促進する。場を作り、つなぎ、取り持つ。
  そそのかし、引き出し、待つ。共に在り、問いかけ、まとめる。
  そこに関わる一人ひとりが自分自身で考え、学び、気づき、創造すること、促したり容易にする。
  個人やグループ全体が、お互いに安心してのびのびと探究できる場を作り、自ら活性化するのを助ける。
  ファシリテーターは、「支援者」であり、新しい誕生を助ける「助産師」の役割を担うのだ。
私は、学校(教室)は、共有された活動をしながら、さまざまな知識を得て、人間関係を築くところであるので、
教師の「指導者」としての役割と同じくらい「ファシリテーター」としての役割は必要だと感じました。
以上      大江

124.85.179.27 , p7027-ipbf307hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp ,


42KB
新着レスの表示

掲示板へ戻る 全部 前100 次100 最新50