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2011学習心理学講義T
- 44 名前:松田みかり:2011/06/06 14:10 ID:up9IF51I
- 2011年5月31日 講義録
田島信元『文化心理学』9.認知科学と文化心理学
―なぜ認知をサイコロジカル(個人内)ではなくソーシャル(個人間)とみるのか
要約:人間の本性は社会文化的条件のなかに不可分にあるため、
精神について記述をする場合は、誰として・誰のために・何を・何のために観察し記述するのか、
明確にしなければならない。
議論:
・相手と恋人同士になり、恋愛関係になるには言葉での契約が必須であるか?
→現代の日本においては、多くの場合告白(コクる)とそれを受け入れるやりとりがなされて
いるように思われる。しかし、もちろん告白がなくても続いている恋愛関係の例は様々あり、
地域や時代によっても、恋愛の「見え」は大きく異なる。
・教師は、生徒を見るとき、教師の視点からのみではなく、異なる視点(例:そばにいる大人の視点)
からも見ているか?
→教師は、学校における空間・時間を越えて、評価の対象として浮かび上がってくる生徒像以外にも、
広い範囲で生徒を見ている。そばにいる大人の視点よりも広い視野を持って生徒を見ている。
→この、そばにいる大人の視点や、先輩としての視点や、保護者に準ずる者としての視点など、
様々な視点を含んだ「広い視野」こそが、教師の視点なのではないか。
つまり、どんな角度から生徒(対象)を見ることも、「教師の視点から」生徒を見ていることに
他ならないのでは。
議論のポイントの2点目は、私の問いかけ方が悪く、教師の視点がよい・そばにいる大人の視点がわるい
(あるいは逆)という風に、結果的に善し悪しを議論する形になってしまい、残念だった。
ここは、どの視点がよいかを議論するのではなく、ひとつの視点から対象を見ている以上、
他の視点から対象を見ることはできない、ということを具体的な例で確認したかった。
133.34.73.112 , psy18.edhs.ynu.ac.jp ,
66KB
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