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2011学習心理学講義T

1 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2011/04/13 12:46 ID:???

火曜6限、院 学習心理学講義Tの連絡、講義録、コメント、質問、対話用。

22 名前:近田英樹:2011/05/17 03:40 ID:mizsi2A2

有元先生

お返事ありがとうございます。

「主体性核」は人間の気質のようなものを想定しました。
たとえば「生まれつきの頑固者」や「稀代の女好き」のようなイメージです。
ここからは多分に持論が混じってしまうのですが、
人間は全くの「タブラ・ラサ」ではないのではないか、
という前提のもとの意見です。

一次主体性は「学習の結果」です。たとえば一見しただけでは
どこに持ち手がついているかわからない
芸術性の高いマグカップがあったとします。
どこが持ち手なのか説明されるまでは、
おそらく持ち手を持つことはないでしょう。
しかし、「ここが持ち手だ」と説明されれば、
ほとんどの人は次からは迷わずその持ち手といわれる部分を
持つようになるのではないでしょうか。
つまり持ち手の位置を「学習」した結果行動が変化したのです。

ですが、「主体性核」の場合は違います。
たとえば「頑固」な主体性核の場合。持ち手の位置を学習しても
「こんなわけのわからないものが持ち手であるものか」といって
持ち手を持たずに使い続けることがあるかもしれません。
つまり主体性核は「変化しないのです」。

では、「頑固」な主体性核を持つ人は持ち手を使うことはないのでしょうか?
そんなことはなく、たとえば
「熱伝導性が非常に優れているせいで持ち手を使わないと
あったかい飲み物が飲めない」とか、
「鋭利な突起物が多すぎて持ち手を使わないと痛くて持てない」
などの理由から「持ち手を使わない不便さ」を学習し、
最終的に持ち手を使うようになるのです。

続く…
133.34.73.130 , okabe01.edhs.ynu.ac.jp ,


23 名前:近田英樹:2011/05/17 03:41 ID:mizsi2A2

続き

これは、先ほどの一次主体性の状態とよく似ていますが、
内部で起こっていることは微妙に違います。
「頑固」な主体性核と「学習」した一次主体性がぶつかり合い、
結果的に一次主体性を優先したということです。
つまり主体性核が「折れた」状態です。
しかし、この結果、「頑固」な主体性核は
なくなってしまったわけではありません。
あくまでも、このケースは一次主体性を優先しただけなのです。
これ以外のケースでは、また同じようなぶつかり合いが起こり、
場合によっては主体性核が勝つ場合もあるかも知れません。

このように、「主体性核」は一次主体性と交わることはなく、
そのままの状態で常に人間の内部に存在しているのです。
そしてあらゆる場面で一次主体性とぶつかり合い、
その結果が「行動」、あるいは「思考」として表出するのです。

だいぶ壮大な話になってしまったうえ、根拠がないのですが、
以上が「主体性核」と「一次主体性」の違いです。

一次主体性と二次主体性の分断については、おっしゃるように難しいですね。
つまり、「結婚」というルールなくして
「結婚したい」という動機は生まれ得ないということですよね。

この論を考える際、人工物=物、という意識で考えていたので、
制度や感情など不可視の事柄については考えが甘かったです。
もうしばらく考察の必要ありですね。
133.34.73.130 , okabe01.edhs.ynu.ac.jp ,


24 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2011/05/17 12:51 ID:???

>>19 須田さん、講義録拝読。

段落毎にまとめつつ読む方法は、切羽詰まったときの
最後の手段として重要ですね。

> 特に第10段落の「実際の業務から切り離された訓練プログラムでは、
学習状況を処理する能力がその技能を遂行する能力とは別なものに
なってしまう。」は、 いつも心に刻んで英語の授業を行いたいと思いました。

教授者ってこのことに無自覚、無頓着なことが多いと思いませんか。
実践の要素を総計したら実践に至ると思っていることが多い。
ノックとキャッチボールとランニングをみっちりやったら野球がうまくなるか?
なるわけがないのは誰でも分かるのに、人は教える立場になると
そのことを忘れる。実践の中で(=状況に埋め込まれて)
ノックとキャッチボールとランニングをみっちりやったら野球がうまくなる
かも知れない。要素だけみっちりやってもそっから実践は生まれないでしょう。
それは要素の練習に堕してしまい「その技能を遂行する能力とは別なもの」
に変質するのです。買い物実践のない百ます計算、歴史を巡る対話なき
年号暗記、文を味わうこともなく形式段落に印をつけること、などなど。

URLの段落毎のまとめが役立ちます。ありがとう。
時間があれば、じっくり検討したい重要なことばかりです。
みなさんお目通しあれ。

25 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2011/05/17 12:54 ID:???

>>20-21 山本美和さん、講義録ごくろうさまです。

枠は広がらないのです。でも下まで無限に続いています。
一度メモ帳等に書いて、それからペーストすると良いですよ。

さて情動というのは、事実や知識に触れて、人のこころに起こるもの。
事実や知識は価値中立ですが、人のこころにわき起こる情動は
人間的なものです。人間的なものとしての情動は、機械的な
作業の中ではそれほどはわき起こらないでしょう(そうでもないかな、
でも労働の疎外ということもあります)。仲間と、社会的に
意義を感じられることに、現実に手を動かし頭を働かせて参加する、
そういう状況への埋め込まれの際に情動は働くのではないでしょうか。
そんな風に感じます。5章と併せて読むと分かりやすいですね。

26 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2011/05/17 12:58 ID:???

>>22 近田さま、果敢に理論構築に挑戦するさまは素敵です。
新しい構成概念(主体性核)を作ると言うことは、それがないと
説明できない場合や、それを用いることでよりよく説明できる事象が
ある場合に意味があると思います。
「人間の気質のようなもの」を想定しているのならば、「気質」で
良いのでは?気質論というのは心理学でも歴史がながく、それこそ
ギリシア哲学からクレッチマーに至るまでの蓄積があります。
さて「「こんなわけのわからないものが持ち手であるものか」といって
持ち手を持たずに使い続け」ることは、「変わらない」のではなくて
「変えないように意思の力で努力してる」ように読めます。
私は頑なにオートマチック車に乗りませんが、それは趣味や
アイデンティティの反映であって、自己の内なる不変性の影響とは
言えないように思います。ただし:そういう運命的な要素が
あることは分かります。筋肉の付き方や身長、視力などは、もうどうにも
ならないので、結果としてその人の核を構成しているように見えるでしょう。
気質もそうですね。かっとなりやすいとか、気が長いとか。
でも人間は気質の乗り物じゃない。気質を逆に操縦すると思います。
運命を操縦するから人間なのであって、運命の乗り物になったら
動物みたいなものです(動物派の人に怒られますがw)。
人間というのはそういうものだと思います。
したがって主体性核または気質は、あるけどそれが何?という感じ。
臨床的、教育技術的に利用されているのかどうかは、分からないです。
続きを期待。

27 名前:齊川諒太:2011/05/18 11:56 ID:N1AtOdcw

2011年5月17日講義録
デザインド・リアリティ7章

●要約
私たちは、文化的対象を共有したなかで日常を送ることで、文化的対象を
実体化させ、維持・形成している。
文化的対象とは、実体化されるデザインのもとで可視化された活動の対象。
社会、文化によって形づけられたもの
Ex)肥満、クラ交易、童貞

●議論
・文化的対象ではないものはあるのか?
 →源氏物語やハリウッド映画に共感できるのでは。
・童貞と処女の違いは?
 →生物学的なものが背景にあるなかで、さらに文化の影響を受けている。
  童貞=手術をしたことのない医者、殺したことのない兵隊
・他と比較することは重要か?
 →多様化していく現代の社会では、個性を尊重している。
  その場に応じたことができる(日本人らしさ)
    ⇒日本人というアイデンティティ?処世術?
     ある意味、強制力がある。文化による無意識的なもの?




133.34.73.121 , psy27.edhs.ynu.ac.jp ,


28 名前:宮崎香子:2011/05/19 23:50 ID:IPy+MNjg

2011年5月17日講義録
子どもの心はつくられる ヴィゴツキーの心理学講義 第六話

●要約
意志の発達過程は他律論と自律論という二つの方向性で考えられてきた。
歴史的には自律論が肯定的に捉えられてきたが、
意志は状況や環境といった外的要因によって形成されるのではないだろうか。

●議論
・子どもの意志はどのようなところで感じられるか。
Ex)授業参観の子どもたちの積極性
→子どもたちの意志を環境から作ることが大切。
・現在の学校は子どもたちにとってどのような環境か。
効率や成果を重視?締め付け?
→人の集団なのだからこそ創造的な環境を目指すべきである。

180.0.44.163 , p15163-ipngn1601hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp ,


29 名前:須田拡成:2011/05/21 22:16 ID:6ifHCZA6

講義録へのコメントありがとうございます。
>実践の要素を総計したら実践に至ると思っていることが多い。
なるほどそのとおりだと思いました。
文法の大切だと思う要素も、
それらの要素だけを総計して授業すると、英語の授業は違った方向に流れていきます。
文法や日本語訳を、主に日本語を使って行う英語の授業は、
まさに、教室で黒板を使って水泳の仕方を教える=畳の上の水練です。
この講義を受けて考えていることのひとつに、
タスク中心の英語授業を行なうにあたって、
そのタスクをデザインする際に、ちゃんと状況に組み込まれたものを作ると言うことです。
お題目のような古色蒼然とした、手あかの付いた例文ではなく、
vividな、否。authenticな、うーんちょっと違う。naturalな、そうじゃなくて。
いい英単語が見つかりました。
何と言ってもこの単語 siutuatedな、状況を学習者に設定し、タスクを与えたいと思いました。(ひとりつっこみ)
学習心理学講義Tは
毎回、今まで深く考えたこともない問いが
様々な切り口で展開され、楽しみです。
錆びた頭を総動員していろいろ考えてます。



様々な切り口で展開され、楽しみです。
錆びた頭を総動員していろいろ考えてます。


27.83.45.68 , KD027083045068.ppp-bb.dion.ne.jp ,


30 名前:小川 基:2011/05/24 21:15 ID:OdtJzHMo

2011年5月17日講義録
文化心理学第6章 文化的認知論 ーブルーナー派のアプローチー

要約:
世界を知覚し、理解し、語るという心的過程が、人間の「生」を意味付ける。そしてその心的過程は
文化の影響を受けて形作られる。その意味で、「人の心は文化によってつくられる」とブルーナーは主張した。

議論:
・文化により人の心がつくられるだけではなく、人の心によって文化がつくられるという側面もあるのではないか。
→文化との相互作用の中で、新しい文化を人が生み出していく。
→現在の文化に疑問を持ち、新しいものを生み出そうとする情熱をもつ人によってなされる。
・新しい文化をつくりだす能力は、どこで育てられるのか。
→学校教育にはそれを担うのは難しいのではないか。日常生活の中で育まれるものなのかもしれない。
133.34.73.121 , psy27.edhs.ynu.ac.jp ,


31 名前:高橋知也:2011/05/24 21:56 ID:OdtJzHMo

2011年5月24日講義録
日常生活の認知行動第2章 実験室実験の歴史と学習の転移

要約:学習に関する実験室実験では、学習の転移を十分に説明できなかった。
これは学習の転移という概念がそれまで考えられてきたものと異なるものであることを示唆する。

それまで語られていた「学校教育の、日常生活への転移」
→リードらをはじめとする実験室実験では支持されなかった。

これは、学校教育が学習の転移に必ずしもつながらないことを示していると言える。
→転移という概念に深刻な誤りが含まれることを示唆。

<まとめ>
学習の転移
×学校教育で得た知識をそのまま他の物事に当てはめて活用する。
〇学校教育を通じて学んだ「問題解決の手がかり」を、社会において応用的に適用しようとする姿勢の表れ。
133.34.73.121 , psy27.edhs.ynu.ac.jp ,


32 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2011/05/26 08:21 ID:???

>>27 齊川さん講義録ごくろうさま。

人間は身の回りの世界の意味や価値を、自分たちで造って維持している
という話しでした。童貞という価値が意味を持つコミュニティもあれば、
持たないコミュニティもある。世界はみなに平等ではなく、意味や価値の
種類や濃淡が違うと思うのです。男や女、子供や大人、医者や大工や
先生や魚屋、そういう幾種類もの世界観が一緒になっているのが、
世界の豊かさでしょう。同時に民族や国家間の紛争の元でもあるわけです。


33 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2011/05/26 08:22 ID:???

>>28 宮崎さん、おつかれさま。

>意志は状況や環境といった外的要因によって形成されるのではないだろうか。
↑このことはヴィゴツキーの大きなテーマのひとつですね。かれは精神を社会の
写し(a copy of social)と考えていました。

>→人の集団なのだからこそ創造的な環境を目指すべきである。

最後にいったこと。学習環境のデザインによって、いろんな子供の主体性が
教室で構築されると思うのです。一人で記憶するだけ、とか、仲間と協働
するとか、自分の生活に活かすとか、社会のために考える、とかとか。
せっかく仕事でもなく趣味でもなく、ただ学習(成長)の為だけに組織された
集団なのだから、無駄にしちゃだめだ。先生と教育研究者は、せっかくの
この組織を有効活用するべきです。


34 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2011/05/26 08:23 ID:???

>>29 須田さん、こういうご意見もらえることは授業者としてやりがいです。

>何と言ってもこの単語 siutuatedな、状況を学習者に設定し、
>タスクを与えたいと思いました。

科学用語で in situ という言葉がありますね。インシチュとかインサイチュと
読みますが、本来の場所で、という意味で使っています。
英語の本来の場所は文献や会議、相談、主張といった人間の対話です。
ことばは本来、人の間にある。学校で教えている知識技能の本来の場所、
in situ なセッティングで学習させる、というのは大事なことだと思います。

35 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2011/05/26 08:37 ID:???

>>30 小川さん、講義録多謝

講義中に皆さんと議論し話したことに付け加えて再掲しておきます。
教育は文化の再生産だけでなく、新たに生み出す人間を育てなくては
ならない。いま教えていることを疑問に思い、将来再デザインする動機を
育てる。これは教育だけでなりたつことではない。
文化をつくるヒーローだけでなく文化のユーザーを育てることも大事。
ユーザーによって文化は選ばれる(携帯のTV電話機能、原発等)。
よりよく選択するユーザーが多くいる社会は、結果としてよいヒーローを
活躍させるのではないでしょうか。


36 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2011/05/26 08:38 ID:???

>>31 高橋さん、ごくろうさま。

>学校教育が学習の転移に必ずしもつながらないことを示していると言える。

↑くりかえしますが、このことは学校にとって大問題です。
なぜなら学習転移は学校のレゾンデートルであり、その最大のメカニズム
だからです。領域Aでみにつけた知識技能が、別の領域Bにおいて
利用可能であること、もしこのことが成立しないのなら、学校は全て
無効と言うことになります。
ところが心理学実験では転移は限定的だったり無効だったりということが
示されています。どうする学校!?
学校は領域AじゃなくてそもそもBだと思ってれば良い、というのがひとつの
答えだと思います。わかりますかね、判じ物みたいですが。
頭の固い先生は自分たちが本来Bにも住んでいることを忘れちゃうんですよね。

37 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2011/05/31 12:46 ID:???

2011/05/31(火)はヴィゴツキーの3章「思考」と文化心理学の9章、小生の執筆章です。
読んできて激しく議論しましょう。

38 名前:長嶋宏子:2011/06/01 08:08 ID:???

2011年5月31日 講義録
子どもの心はつくられる ヴィゴツキーの心理学講義 第三話

●要約
 思考と言語の発達について、その過程は互いに一致しない。
 子どもにおけることばの意味は発達し、発達段階で支配的な思考様式に
 左右される。このような思考様式は、外部の現実(社会・文化)との
 依存関係によって形成される。

●議論
 1.ことばの意味が発達する具体例とはどんなことがあるか。
   →子どもの一語の言葉、例えば「犬、犬!」は「犬がほえている」
    という一塊の文章を表している。そこから、様々なコミュニケーション
    を通して名詞の「犬」や動詞の「ほえる」という単語を獲得し、他の
    場面にも応用できるようになっていく。また、社会・文化とのかかわり
    を通して、一つの語句の意味自体が増えていく。
 2.思考力とは?
    学習したことがらを使って考えられること。また、様々なことがらに
    関係づける力。答えがないものに向かって自ら考えられる力。
 3.思考力をつけるような授業とは?
    感想ではなく意見を言えるような取り組み。
    現実に放り込む授業(模擬裁判、ディベートなど)
    きっかけは教師でも、子ども自身で一生懸命に考えだしてしまう授業

202.178.91.148 , kcc-202-178-91-148.kamakuranet.ne.jp ,


39 名前:嶋野礼子:2011/06/03 08:43 ID:fvun0UHQ

@5月31日授業での疑問点について

ヴィゴツキーの第三話 (普及版P81)
『また古くからわかっていることなのですが、言語の意味論的(意味的)な
側面の獲得に置いて、子どもは逆の道をたどるのです。』

この意味について発言した際、うまく説明できませんでしたが
(というより途中から何を言いたかったのかわからなくなってしまいました)
ここで補足させてください。

ミルクを例に出したのは英語を母語とする子供が頭にあったからです。
『応用認知言語学』という本の中に書かれている内容を拾いますと、

Ball.(ボールを投げて。)
Milk.(ミルクをちょうだい。)
Mom.(ママが来た。)
最初はこうして一語文で本来の文全体の意図を伝えようとしますが、
 Throw ball. と二語文で言えるようになった時には、
throwという投げる動作とballという投げる物に切り分けて考えています。


同じ意図を込めた一文でも、「言語の外面的な側面の獲得」では
単語・語句・文章へと進み構造が複雑になります。
その一方で意味は単語で切り分けられていく、
つまり「意味的側面」では意味が分配されていく、
ということではないでしょうか。
これは普及版P85後半の『本質は次のような点にあります。』
に続く文章で説明されている内容と同じように思えますが、
この理解でよさそうでしょうか?






116.65.24.56 , 116-65-24-56.rev.home.ne.jp ,


40 名前:嶋野礼子:2011/06/03 08:53 ID:fvun0UHQ

A感想

先生方が生徒達の全体像を捉えようとされていて、
またご自分をさらけ出して対峙していらっしゃるお話を伺ったあと、
自分が小・中学生の頃の先生方はどうだったか、
また親世代はと時代の変化を思いました。
社会の変化が先生方の熱い心をつくり出しているのでしょうか。

逆に熱い心が失われるのではないかというケースに思い当りました。
6年ほど前から近所の介護施設のデイケアで時々お手伝いをしています。
今日は何をしてみんなの笑いをとろうかといつも考えている主任と
率いるスタッフ達がとても元気で明るくて、
お手伝いしているつもりがいつも逆に元気を貰って帰ります。
20年30年と続けている先輩ボランティアと同じく、
私も自分がお世話になるまで続けたいと思っているところです。
でも当然のことですが、
数人で居酒屋さんのテーブルを囲めば楽しい話ばかりではなく、
モンスターファミリーとでも呼ぶべき家族の台頭、
我慢の限界を超えて「いいかげんにしろ!」と
受話器を叩きつけてしまってから
施設長に謝りに行った話を聞いたりします。
“何かしてもらって当たり前”の世代が利用者さんとして
通ってくる時代になりつつあることに不安を持つことも理解できます。
お風呂上りの髪を乾かしただけで、両手を合わせて“ありがとう”と
こちらが幸せな気持ちになるような笑顔を見せてもらえる、
そんな今の状況がどう変わっていくのか…
またそれがスタッフやボランティアをどう変えるのか。
5月24日にも話題となった(文化)社会と人の心について考えたことでした。



116.65.24.56 , 116-65-24-56.rev.home.ne.jp ,


41 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2011/06/06 09:22 ID:???

>>38 長嶋宏子さん、講義録ごくろうさま。

もうこの講義の繰り返しのテーマとなりますが、
思考と、外部の現実(社会・文化)との依存関係
というのがポイントですね。

>きっかけは教師でも、子ども自身で一生懸命に考えだしてしまう授業

きっかけは外発でも内発的に動機づけられる様を課題・授業の
リアリティと呼んで大事にしたいです。

42 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2011/06/06 09:37 ID:???

>>39 嶋野礼子さん

> 一方で意味は単語で切り分けられていく、
> つまり「意味的側面」では意味が分配されていく、

その理解で良いように思いますが、「思考と言語の両過程は
一致していない」ことと、言語は「心理装置」であることを
確認してください。
#みなさんと同じ版を買わないと、話しが通じなくて困ります(泣)
#急いで買わなくちゃ。同じ本なので著者の思考はひとつですが、
#「意味は単語で切り分けられていく」ので議論しにくい!

43 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2011/06/06 10:18 ID:???

>>40 嶋野礼子さん、感想をありがとう

> 先生方が生徒達の全体像を捉えようとされていて、
> またご自分をさらけ出して対峙していらっしゃる

「教師は児童生徒の全体像、幅広い人格の全て、背景情報、
そうしたものを普通の大人以上に把握をしている。」
このこと自体がとても興味深かったです。
これは他の職業でも同じかも知れませんね。
自分は対象の全てを知っているし、知るように努力している、
と全ての実践家は思うのでは無いでしょうか。
しかしそれはある条件下では事実でも、その条件外では間違いです。
我が家にいる愛犬は「我が家にいる」条件において、いまある性格や習慣
、学習能力、コミュニケーション能力示している。
しかし私には愛犬が、野生に帰った時の姿は想像も付かない。
これが「星座」「観察問題」として私が書いたことです。
このことを児童生徒に当てはめて頂きたい。

さて、最後の逸話について。
文化は生きものだし、それもサンマの群れのようなものです。
我々一匹一匹の不断の努力である方角を向いている。
そういうわけで教育は重要です。
無礼者には怒鳴ってよいと思います。ただし全く腹を立てずに。
腹を立てて怒鳴るのは素人でも出来ます。
それにそれは自分の為にしてしまうことです。

> お風呂上りの髪を乾かしただけで、両手を合わせて“ありがとう”と
> こちらが幸せな気持ちになるような笑顔を見せてもらえる、

よく分かりますが、違和感があります。
さまざまな理由で感謝を表せない人はいくらでもいますから。

44 名前:松田みかり:2011/06/06 14:10 ID:up9IF51I

2011年5月31日 講義録
田島信元『文化心理学』9.認知科学と文化心理学
―なぜ認知をサイコロジカル(個人内)ではなくソーシャル(個人間)とみるのか

要約:人間の本性は社会文化的条件のなかに不可分にあるため、
精神について記述をする場合は、誰として・誰のために・何を・何のために観察し記述するのか、
明確にしなければならない。

議論:
・相手と恋人同士になり、恋愛関係になるには言葉での契約が必須であるか?
 →現代の日本においては、多くの場合告白(コクる)とそれを受け入れるやりとりがなされて
  いるように思われる。しかし、もちろん告白がなくても続いている恋愛関係の例は様々あり、
  地域や時代によっても、恋愛の「見え」は大きく異なる。
・教師は、生徒を見るとき、教師の視点からのみではなく、異なる視点(例:そばにいる大人の視点)
 からも見ているか?
 →教師は、学校における空間・時間を越えて、評価の対象として浮かび上がってくる生徒像以外にも、
  広い範囲で生徒を見ている。そばにいる大人の視点よりも広い視野を持って生徒を見ている。
 →この、そばにいる大人の視点や、先輩としての視点や、保護者に準ずる者としての視点など、
  様々な視点を含んだ「広い視野」こそが、教師の視点なのではないか。
  つまり、どんな角度から生徒(対象)を見ることも、「教師の視点から」生徒を見ていることに
  他ならないのでは。

議論のポイントの2点目は、私の問いかけ方が悪く、教師の視点がよい・そばにいる大人の視点がわるい
(あるいは逆)という風に、結果的に善し悪しを議論する形になってしまい、残念だった。
ここは、どの視点がよいかを議論するのではなく、ひとつの視点から対象を見ている以上、
他の視点から対象を見ることはできない、ということを具体的な例で確認したかった。
133.34.73.112 , psy18.edhs.ynu.ac.jp ,


45 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2011/06/16 12:08 ID:???

>>44 松田みかりさん、講義録ごくろうさまです。

> どの視点がよいかを議論するのではなく、ひとつの視点から対象を
> 見ている以上、 他の視点から対象を見ることはできない、ということを
> 具体的な例で確認したかった。

だれでも自分の見る現実世界の確からしさに自信があるもの。
それを斜に構えたり揺るがしたり再構築するのが学問の役目です。
現職組は自分の実践家としての世界の見えを、理論によって
違える訓練をしてください。これまでの実践家のまなざしを強化
するだけなら学問は不要です。ストレート組は現場の対象理解を
理論に組み込んでください。それにはこの多国籍な講義は最高の
機会です。

46 名前:遠藤ひとみ:2011/06/20 22:19 ID:6zcWzptg

学習心理学 6月14日 講義録
ヴィゴツキー『子どもの心はつくられる ヴィゴツキーの心理学講義』
第5章 想像―子どもの想像はどのように発達するか

【要約】想像と現実的思考が統一体として働くことによって課題解決が行われる。
想像にとって重要なのは、意識が現実を離れて直接的な現実認識とは違う、
相対的に一定の自律的な活動となる意識傾向なのだ。

【議論】授業の中の想像力
・知識は想像力によって初めて道具となる
・理科:目に見えない物質や過程を想像する
・自動車教習:危険を想定する
・あらゆる場面を想定する⇔ルーチンワーク
133.34.73.121 , psy27.edhs.ynu.ac.jp ,


47 名前:茂野桃子:2011/06/21 08:17 ID:wFI7TVjg

6月14日 講義録
ヴィゴツキー『子どもの心はつくられる ヴィゴツキーの心理学講義』
第2話 記憶―子どもの記憶はどのように発達するか

要約:記憶の発達は、単一の発達要因や説明原理に頼るのではなく、
   記憶と他の諸機関との関係全体の構成の変化のことである。
   発達の過程で、媒介を通して記憶を行うシステムを新たに獲得する。

議論:小学校の外国語活動
   ・中学校の英語とは目的が異なる
   ・慣れ親しむ、コミュニケーションの手段として英語を用いる
    →日本語を使わず、英語で状況をつくる
   ・記憶の発達段階を考慮すると、活動を中心とした授業が効果的である


133.34.73.121 , psy27.edhs.ynu.ac.jp ,


48 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2011/06/22 11:08 ID:???

>>46 遠藤ひとみさん、講義録ごくろうさま。

「授業の中の想像力」という観点はとても重要でした。

> ・知識は想像力によって初めて道具となる

貯め込むための<トークン>ではなく、実際つかう<ツール>として
知識を身につけるなら、使用シーンの想像力は不可欠ですね。
っていう↑この知識がみなさんの学校外の生活のどこに活きるか
ぜひ想像してください。

49 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2011/06/22 11:08 ID:???

>>47 茂野桃子さん、講義録ありがとう。

記憶は人間的活動の一部です。
生活の一部分ですね。
つい暗記的なことを思いますが、それは学校や資格試験、手元に
ペンが無いときの電話番号、逃げるひき逃げ犯のナンバーのような
限定的な活動でしか使わない記憶です。
学校が卒後の生活の準備なら、まんべんなくいろんな頭の使い方を
経験させたいです。

50 名前:奥谷弘樹:2011/06/24 14:00 ID:OdtJzHMo

6月21日 講義録
デザインド・リアリティ 半径300メートルの文化心理学 第Y章
要約:我々の中に湧き上がる欲望や衝動は個人の中だけのものではなく、社会や文化に帰属している。
   これは一見特異な実践に見えるヤオイ文化においても当てはまる。
   彼女らは自分達が参加する文化の日常を実践しているに過ぎず、
   その実践の構造はその他の実践と何ら変わりのないものである。

議論:ヤオイを愛好することは教育上「アリ」か?
   ・ヤオイ作品をそのまま用いることはもちろん問題であるが、
   「ヤオイ読み」という実践については一考する価値がある。
   ・例えば音楽の鑑賞など、想像力を働かせる単元においてはヤオイ読みの実践が活きてくるのではないか。
133.34.73.121 , psy27.edhs.ynu.ac.jp ,


51 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2011/06/28 16:13 ID:???

>>50 奥谷弘樹さま、講義録おつかれです。

> 議論:ヤオイを愛好することは教育上「アリ」か?

むしろヤオイに悪いかな、と思い至りました。
音楽の院の授業でフィンランドのシベリウス音楽院での
音楽教育専攻の授業ビデオを見たのですが、音楽の
先生の卵達が譜面を見ながら真面目にツェッペリンを
演奏してるのです。これはロックに申し訳ないじゃないですか。
アングラでアンチソーシャルで趣味的でプライベートなものを
教育の場という白日の下にさらすのはイケナイのでは
ないかと半ば真面目に思った次第です。

知識技能に想像力を!自分事としての応用可能な
学習、という点は重要でした。

52 名前:嶋野礼子:2011/06/28 17:15 ID:ilGH0DTA

有元先生

このところ関節痛が悪化したので詳しく検査することになっております。
月曜日に東京と横浜を回ると火曜日の午後にはダウンしてしまい、
今日こそはと思ったのですが途中で引き返してきました。
続けて申し訳ありません。
取り急ぎ欠席のご連絡をさせて頂きます。




116.65.24.56 , 116-65-24-56.rev.home.ne.jp ,


53 名前:竹下和宏:2011/07/04 13:43 ID:4uSGkJ1I

6月28日講義録
デザインド・リアリティ第X章
要約:文化は歴史的な蓄積によって形成されるものである。
また、集団における主体性は全体の主体性であり、その共通認識が集団の方向性であり文化となる。

議論:学校における学びの意義とは。
・生徒はさほど意義について考えていないようである。当たり前のこととして受け入れている。
・自分の将来の可能性を伸ばすための引き出しを作っている。
・その場では意義を感じづらいが、後になって、やっていてよかったと思うものである。
120.74.91.5 , p784a5b05.tkyea106.ap.so-net.ne.jp ,


54 名前:松尾健一:2011/07/05 15:41 ID:8XDCoN+s

6月21日講義録
レイブ&ウェンガー『状況に埋め込まれた学習』第1章

要約:知識や実践の修得には,新参者が共同体の社会文化的実践の
十全的参加(full participation)へと移行していくことが必要である。
「正統的周辺参加」は学習を共同体への参加と捉え,
学習を必須の構成要素とする社会的実践へのかかわりを
記述する手段を提供している。

状況に埋め込まれているという性質
・知識や学習が関係的であること
・意味が交渉(negotiation)でつくられること
・学習活動が,そこに関与した人々にとって関心を持たれた
(のめり込んだ,ディレンマに動かされた)ものであること

正統的周辺参加は社会実践的視点に立ち,
特殊と抽象の両方から具体へ上向する
→正統的周辺参加の理論化は,共同体における学習の営みにおける
具体的な関係を探究する試みの一つである

議論:学校における正統的周辺参加とは?
・少年サッカー:やりたい人が集まる
 →動機づけられている
・学校:同じ地域に住む同年代の人の寄せ集め
 →動機づけられているとは限らない
・教師は,共同体に参加するのと同時に,
 その共同体に参加する人々の動機づけも含めて
 デザインしていかなければならない。
・正統的周辺参加しているということは学ぶ上で幸せなことである。

133.34.76.128 , sciedu1-11.edhs.ynu.ac.jp ,


55 名前:有元典文:2011/07/12 08:46 ID:???

>>53 竹下和宏さま、講義録拝読。

「生徒はさほど意義について考えていないようである。
当たり前のこととして受け入れている。」ということの意味は
よく考える必要があります。当たり前のこと、ほど検討すべき。
そして
「自分の将来の可能性を伸ばすための引き出し」がどれほど
卒後の人生の中で利用されているかの議論が不可欠だと思います。
ここでは、一生開けられない引き出しの存在意義について、
ちゃんと考えてみたい。
さて、教育物語のハッピーエンドはこれです→「その場では
意義を感じづらいが、後になって、やっていてよかったと思うものである。」
サッドエンドは、勉強がつまらない、分からない、出来ない劣等感や
疎外感のまま学校からおさらばすることでしょう。
これは教育物語ではサッドケースですが、人生ではそうした
プライドがバネになることもあるでしょう。
正直いって、考える度に教育をどう捉えるかは難しくなる印象です。
223.134.113.96 , p867160.tokynt01.ap.so-net.ne.jp ,


56 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2011/07/12 08:52 ID:???

>>54 松尾健一さま、講義録ごくろうさま。

初発の動機づけという観点から少年サッカーと学校を比べました。
学校にはそもそも「学校に通うこと」以外の動機は期待できない。
つまり公教育の教員は、動機なく、且つ、近所に住んでると言うだけの
理由で集められたメンバー相手に、動機をつけ勉強されなければ
ならない。いわば逆説的に学校は学習には一番不利な場所です。
したがって→「教師は,共同体に参加するのと同時に,
その共同体に参加する人々の動機づけも含めて
デザインしていかなければならない。 」ということになるでしょう。

57 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2011/07/17 20:01 ID:???

宣伝です。
ついに出ます!私が1章書いています。
あの手強かったヴィゴツキーがすっきり分かる入門書。
定価2520円が著者割り2016円(本当)、なんといまならもう1冊(嘘)。
欲しい方は私におっしゃってください。

「社会と文化の心理学ーヴィゴツキーに学ぶ」(世界思想社)
発達の最近接領域、高次精神機能、人工物、生活的/科学的概念、媒介、
内言などの重要概念を軸に、人・モノ・ことばが織りなす社会に由来する
心の営みを描き出す http://t.co/lj27XcR

58 名前:平野大二郎:2011/07/20 00:37 ID:JI3XO6IU

7月19日講義録
要約
ワーチは、ヴィゴツキーが考えた文化ー歴史的アプローチを足がかりに、
比較文化的にとらえなおし、拡張・発展させていくとともに、
ヴィゴツキーの思想をどのように理解したらよいか、
著作の中でその原点に即して示している。

   道具
  /  \
 主体−−対象

図 主体と対象との間を媒介する道具

一番大切な概念
人間とは、「媒介−手段−を用いて−行為する−行為者
(agent-acting-with-mediational-means)」(Wertsch,1998)
であるということ。

ヴィゴツキーの媒介概念をワーチは技術的道具に拡張
(例)棒高跳びのバー
http://www.tdk.co.jp/techmag/athletic/200707u/index.htm
→ カーボンのバーができたから、人類は6m以上跳べるようになった。
道具箱のアナロジー
道具箱にたくさんの道具がある。
どの道具を使うかは、行為の目的と動機に沿って選択されている。
時として、本来の意味や目的を考えずに使っていることも多い。
(文化的道具の二面性)(例)qwertyキーボード

人間精神の社会発生的起源と相互作用、対話
ワーチは、バフチンとヴィゴツキーをつなぐ仕事をした。

議論:
個人の発話行為から教室談話を活性化させるための「道具」には、
どんなものが考えられるだろうか?
→黒板、発表のためのメモ、プレゼンのスライド、、、
→「対象」が大切なのに、「道具」が目的になってしまいがち。
  ・一昔前の情報教育。コンピューターリテラシーと言いつつ、パソコン操作を教えていた。
  ・英語で「何を」話すかが大切なのに、「文法」ばかりを教わっていた。
→どうすれば「道具」が活性化されるのか、という視点が重要。
114.134.229.101 , c114.134.229.101.c3-net.ne.jp ,


59 名前:平野大二郎:2011/07/20 00:51 ID:JI3XO6IU

「どうすれば「道具」が活性化されるのか、という視点」には、はっとさせられました。
そもそも、自分が大学院に来た根本の所を突かれたからです。

授業でも話しましたが、私は、教員になってから「情報・視聴覚」を中心に実践を重ねてきました。
だから、ついつい、「道具」を目的にしがちだったのです。
そのことに気付かされたのは、5年ほど前の算数の校内授業研でした。
デジカメを使って子どもの考え(具体物の操作)をプロジェクタで拡大提示して、みんなで考えていく授業でした。
「どんなシステムを使えば、この授業ができるのか?」というところに視点があったのですが、
授業として大切なのは「このシステムを使えば、どんないい授業ができるのか?」だったはず。
いい授業のためには、「だれが」「どんな考え方を持っているのか」それを「どうつなげていくと」
「どんな課題解決になるのか」といったところが大切なのに、そこまでたどり着いていなかったのです。

大学院に通っている間に、一つでも答えを見つけて帰りたいと思います。
半年間、ありがとうございました。
(大学の半期って、あっという間ですね。そう感じるのは、年を重ねたからでしょうか。
 ちょっと、焦ってます っっ)
114.134.229.101 , c114.134.229.101.c3-net.ne.jp ,


60 名前:樋口麻美:2011/07/20 14:08 ID:ot3SP7X+

7月5日 講義録
要約
人間は自分たちが生きやすいように環境をデザインしている。
私たちの住む現実は「デザインされた現実」である。
私たちはそれを近くし,それに伴って行動も変化していく。
そして,「デザインされた現実」は,常に再デザインされている。

デザインする=秩序を変化させること
       異なる意味や価値を与えること
 →ふるまいや,アフォーダンス,こころ,現実の変化が伴う

☆人間に生の現実はなく,すべての人間の行為は人工物とセットになった
「行為’(デザインにより変化した行為)」だといえる。

《授業環境はデザインできるか?》
授業=参加できる子とできない子が発生する
  →最大多数の最大幸福のジレンマ
   最少少数の最大不幸が発生する
しかし,
授業者はどのデザインが参加者の利益や不利益を想定することは不可能
  →参加者にデザインする役割を与えると,複雑になっていく
  ●一人一人のインタラクションの複雑さをどう手なずけるか。

議論:目的をもって子どもたちが授業に参加できるような授業を
   デザインしていくうえで,どのような視点や手立てをとるべきか。
  →学校は目的や動機を持っていない集団で参加している。
   最初から共通のものを持って参加するのは不可能なのでは??
   参加した後に目的をはめていくことならできるのかもしれない。

講義録,遅くなってすみません。

この講義では,私にはない視点からの議論がたくさん出て,
毎回,授業後に考え事タイムを設けていました。
教師になった時に,教室=「学びの場」としてデザインできるよう
授業で見つけた色々な視点をもとに,考えてきたいと思います。
(考え込んだら,話に行くかもしれません。
 その時は,また議論していただけると幸いです^^)
半年間,ありがとうございました。

133.34.76.128 , sciedu1-11.edhs.ynu.ac.jp ,


61 名前:梶原弘子:2011/07/21 14:12 ID:Wy+SA1gw

デザインド・リアリティ 第U章
要約:世界の意味や価値を維持し、自分たちの自律性を形成しているものは、
さまざまな道具やルール、制度、行為者たちが混ざり合った
「ハイブリッドな集合体」の効果で表れる。
人が何を求め、考え、感じるかは社会技術的環境に依拠しているのである。

事例:同規模の焼き肉屋で性能の異なるオーダーコールを使うと、
実践の中に埋め込まれて、店員の行為が変わる。
それは、利用可能な人工物で店員の「パーソナル・ビュー」が異なり、
内なる「意図」や「計画」、「欲望」は変わってくるから。
その道具の設計者や設置者の意図を超えることもある。

仕事を続けながら、大学院で学ぼうと考えたのも、
愛車で駆けつけることができる社会技術的環境も一因。
また、この世に眼鏡がなかったら、
学ぶ意欲は、自分の年齢にとっくに負けてしまっていたかもしれません。

議論:文化心理学の視点から宮沢賢治「春と修羅」序の表すもの


210.227.76.23 , gw1.edu.city.yokohama.jp ,


62 名前:早川和彦:2011/07/29 05:45 ID:WQs5G3Ws

学習心理学講義、毎回興味深く拝聴させていただきました。

初回のガイダンスを仕事の関係で欠席してしまい、
報告者になれなかったことが残念です。

さて、学校(教室)における学習は部活動やリトルリーグと
違って、近所にたまたま住んでいる子どもをランダムに
編成した「クラス」であり、学習の動機・意義・リアリティの
ない空間であること、したがって徒弟制度のように状況に
埋め込まれた学習空間ではない学校は、世の中で
“一番教えにくい場所”であること。
であるからこそ、学校教員は教える工夫が必要であること。

このような意識が共有できた講義だったのかな、と
理解しております。
またこのことは現職教員にとっては「教える工夫」に
ついて常に真摯に研鑽を積まなければならないことを
銘記させたと思います。

一方、常々考えていることは生徒たち(そして我々も)は
学校の中だけで学習(勉強)しているわけではない、と
いうことです。
学校以外にも、それこそ状況に埋め込まれた学習空間は
無限にあると言ってよいでしょう。

そう考えると、我々現職教員も「そんなに気張らなくても
よいのかな」と講義の後半あたりから思ってきた次第です。
(だからといって、教授方法の工夫に手を抜いてよいと
言いたいわけではありません)

また、有元先生が最後におっしゃっていた、「現職教員は
独りよがりな教師万能主義(教員は生徒のことを何でも
知っていると思うことor何でも知ろうとすること)は
さけること」という言葉も、厳しい言葉とは裏腹に、
私には肩の荷が下りる思いで聴いておりました。
(そんなに気張らないでよい、といわれている気がしました)

最後になりましたが、報告者のみなさま、毎回さまざまな
趣向を凝らしての発表、勉強になりました。
そしてなりより、有元先生のファシリテートの技術、
脱帽いたしました。
125.206.24.1 , i125-206-24-1.s30.a048.ap.plala.or.jp ,


63 名前:須田拡成:2011/07/30 20:49 ID:pf1eAcfc

 早川さんの書き込みに勇気づけられて、私も一言書き込みます。
大変勉強になりました。あの場を共有できた皆さんに一言お礼を言いたかった。
「皆さん!ありがとうございました。m(_ _)m 」
いい歳になって、本気で議論することがずいぶん減っている中で、
お恥ずかしい話、数十年ぶりに激情が走りました。言い換えれば、
私の中にもまだ何か残ってるんだということを再確認できた瞬間でも
ありました。
 若い発表者の皆さんの設問の、一つ一つが新鮮でした。
深く考えさせられました。ありがとうございました。
 有元先生の人柄もあるのでしょうが、あの空間は独特です。
火曜日が楽しみだったしワクワクしました。
 後期も楽しみです。






27.83.45.68 , KD027083045068.ppp-bb.dion.ne.jp ,


64 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2011/08/04 07:59 ID:???

>>58-59 平野大二郎さま

人間とはagent-acting-with-mediational-meansであるということを
一番気付く(べき)立場にいるのが教員やコーチだと思います。
mediational-meansによって遂行能力が変わることを間近でみるの
ですから。でも、えてして"-acting-with-mediational-means"の
部分が見えず、これはこの子自身のagency(行為主体性)なんだ、
と見てしまう。
そうするとmediational-means、この場合は教材、教具、教授法、
学級運営、つまり教育環境のデザインの見直しを忘れてしまう。

だから、既におわかりの通り、以下の問はピントがずれている。

> 個人の発話行為から教室談話を活性化させるための「道具」には、
どんなものが考えられるだろうか?

むしろ、

>→どうすれば「道具」が活性化されるのか、という視点が重要。

というわけです!

>いい授業のためには、「だれが」「どんな考え方を持っているのか」
それを「どうつなげていくと」 「どんな課題解決になるのか」といったところが大切

まさにそうですね。子供が最高に知的にふるまえるように準備するのが
我々の仕事です。カーボンバーとその使い方をデザインしてやるわけです。

65 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2011/08/04 07:59 ID:???

>>60 樋口麻美さま、講義録ごくろうさま。

>→学校は目的や動機を持っていない集団

このあきらめ、または初期条件の認識から始めるべきでしょうね。

「毎回,授業後に考え事タイムを設けていました。 」って素晴らしい。
とても感激しました。受講者に「考え事タイム」をもってもらえる授業が
できたら、授業者として感無量ですよね。いつでも部屋を訪ねてください。
メイルでも結構です。議論をつづけましょう。

66 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2011/08/04 08:00 ID:???

>>61 梶原弘子さん、おつかれさまです。

>仕事を続けながら、大学院で学ぼうと考えたのも、
>愛車で駆けつけることができる社会技術的環境も一因。
>また、この世に眼鏡がなかったら、
>学ぶ意欲は、自分の年齢にとっくに負けてしまっていたかもしれません。

↑詩のようですね。学習動機詩だ。
学習動機に年齢はまったく関係ないです。
行うは易し、学ぶは楽し。だらだらと生きて日々を繰り返すのは
簡単ですが、タイクツである。
学習するというのは、つまり自分を変えようということです。
そういう時は年齢に関係なく来る。つまらない小さなことでも、
自分を変えたいという局面は素晴らしい。すごく人間的。
講義冒頭にも言ったけれど、学習は人間らしらの基本だと思うのです。


67 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2011/08/04 08:01 ID:???

>>62 早川和彦さま、おつかれさまです。

感想をありがとうございます。他の方も感想、コメントがあれば
おねがいします。

>“一番教えにくい場所”であるからこそ、
>学校教員は教える工夫が必要であること。

↑このことが少しでも伝われば良いです。
この「工夫」というのも2種類あるとおもうのです。
一つは外発的な工夫。これは労働と同じです。
奴隷を鞭でおどかして働かせたり、労働者を賃金で労役に向かわせる
やり方。もし学校が労働と同じなら、そんなことばっかりになる。
成績はこの場合賃金です。うわー、つまらない。どちらにとっても。
もうひとつの工夫は内発的動機づけ。これは工夫なのかな?
スポーツ選手もサラリーマンも、意義のあることだと思えば、
奴隷が鞭でおどかされてもいやがるような苦役に立ち向かう。
現実的な役割をもって意義のある文化的実践を行う時、
行為者の中には強い動機がわくわけです。
これは学習者に対する工夫ではない。
みんなで何かに取り組もうとする社会的文化的動機づけですね。

そんなこと教室でできないかも知れませんね。
でも、そうあればいいな!と皆思うと思うのです。
そのことがウィルスのように、皆さんの中に潜んで皆さんの先生魂を
うずうずさせられれば、講義の目的は果たせたと思います。

68 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2011/08/04 08:01 ID:???

>> 63 須田拡成さん、ごくろうさまです。

>あの場を共有できた皆さんに一言お礼を言いたかった。

↑これまた授業者として感激です。
そんな講義はなかなかできない。
教室の仲間に感謝したくなるような濃密な時間を作れたら、
先生としてサイコーじゃないですか。
ほんとは皆さんをもっとこてんぱんに論破してやり込めたかったの
ですが、主役は皆さんなので必至に我慢しました(笑)
一生懸命しゃべんないように我慢する授業も、きっといい授業
なのでしょう!
たいへん楽しかったです。
これでオサラバもさみしいので、これが私と皆さんの対話の
始まりだと考えて下さい。研究会、学会、論文、そして研究室で
続きをお話ししましょう。

69 名前:高尾愛佳:2011/08/30 19:35 ID:pJffqG5c

大変遅くなりまして申し訳ございません。
7月5日、デザインド・リアリティ第3章のまとめを書き込みます。

・技術は私たちの行為の可能性を変える。
またそれによって技術も進化を方向づけられる。
現実は道具によって媒介され、
私たちのこころのあり方もまた変調していく。

・カメラ付きケータイやメモ、かけ算九九、元素記号
に例が見られるように、欲求は道具とセットになって現れてくる。
(誰にどう伝えたいか、どのように数えるか、など)

・技術を生み出すときは、すでにあるものをとりあえずくっつけてみる。
新しい技術が誕生するたびに、私らしさを表す手段は変化してきたが、
その中で生き残る技術は、人々の欲求をつかんでいる。
技術が引き起こす欲求は、その技術がなくなったとき、どうなるのだろうか。

・子どもたちに教えるとき、導入部分では本物を用いて迫力や壮大さなどを
伝える必要があり、道具を用いるのはその後の展開にするべきである。

以上です。
半年間、濃い授業に参加できて感謝しております!
ありがとうございました。
126.144.102.139 , pw126144102139.104.tik.panda-world.ne.jp ,


70 名前:村井淳子:2011/08/31 14:13 ID:i3yALEpw

書き込みが大変遅くなってしまい、申し訳ありません。
輪読担当部分のまとめを書き込ませていただきます。

7月12日『デザインド・リアリティ』第]章
【要約】
人間は世界を自分の好みに合わせてあつらえてきた。
世界を秩序立て、単純にし、対象化し、熟考しなくても、
衝動のまま行動できるように工夫してきた。
現在安定している世界の文化も、常に崩壊の可能性を秘めている。
私たちにはこの世界を維持し、そして再デザインする仕事を任されている。


・人工物の系譜は、私たちの記憶の様式に影響しているだけでなく、
 私たちの主体性そのものを形づくっている。
・活動の動機はどこか皮膚の外にあるのに、自らの内なるものだと誤認している。
・欲望は、私たちの内なるものでも、人工物でもなく、それらの集合体の効果である。

「スキャフォールディング(足場掛け)」by.ブルーナーら
⇒学習者単独ではできない課題を、親や先生、仲間など、
 より能力のある他者が援助し、実行可能にする工夫のこと。
 学習が進むにつれ、徐々に足場は取り外され、
 最後には自己制御された自律的な主体が姿を現す。

・独力であるということが極めて社会文化的である、
 ということには他者の集合的な工夫と努力が貢献しているということ。

【議論】
●学ぶことを目的としていない集団である学校の子ども達に、
 どのように学習の動機づけを行えるか?

【感想】
この講義での様々な議論を通して、
学校教育を行うことの難しさを改めて実感しました。
私は将来、小学校教諭になることを目指していますが、
学校には家庭や塾では経験できない、集団を通した学びがあると思います。
教師や仲間と学び合う中で、子どもたち一人ひとりが個人の能力を最大限に伸ばす
ことのできるような学びの場を提供できるような教師になりたいなと思います。

以前までの自分にはなかった新たな視点が持てるようになり、
とても面白かったです。
有元先生、受講生の皆さま、半年間ありがとうございました。
機会があれば納得会にも参加してみたいと思っています。
これからもよろしくお願いいたします。
133.34.76.128 , sciedu1-11.edhs.ynu.ac.jp ,


71 名前:書けませんよ。。。:停止

真・スレッドストッパー。。。( ̄ー ̄)ニヤリッ

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