■掲示板に戻る■ 全部 
1- 
最新50
2006 教育の心理学
- 1 名前:有元典文@管理者 ★:2006/10/01 12:50 ID:???
 
-  後期月曜2限教育の心理学講義録及び対話用 
 
- 2 名前:有元典文@管理者 ★:2006/10/01 12:51 ID:???
 
-  2005年度記録 http://www.psy.edhs.ynu.ac.jp/bbs/test/read.cgi/arimoto/1129502298/ 
 2004年度記録 http://www.psy.edhs.ynu.ac.jp/bbs/test/read.cgi/arimoto/1096356197/ 
 
- 3 名前:鈴木圭:2006/10/03 19:12 ID:7xmAxvAs
 
-  第1回講義録になります。 
  
 学習という行為には、「人は学習する」という前提がなければ成り立たない。 
 人間は生まれたときはタブラ・ラサ(白紙)であり、さまざまな経験を通じて 
 学習していくことができると信じられているからこそ、学習という行為を肯定でき、 
 教育の場が成り立つ。人は学習することによって成長すると信じられている社会は 
 誰でも平等にチャンスが与えられる「夢と希望」にあふれた社会だが、 
 できなかった責任はすべて自分が請け負わなければならないという一面を持つ。 
 みんな一緒にスタートして、同じものを与えられる。それでも差がつくのは、 
 それは本人の努力が足りないからだ。といった具合である。このような状況では 
 子ども達はアイデンティティ不安に陥りやすい。 
  
 第1回の講義はこのような内容でした。失礼します。
133.34.236.62 , pc-p032.ipcf.ynu.ac.jp , 
 
 
- 4 名前:ありもと@管理者 ★:2006/10/04 09:58 ID:???
 
-  >>3 圭くん講義録ありがとう。よくまとまっていますネ。 
 
- 5 名前:井奈智美:2006/10/16 22:53 ID:r9w8QrBE
 
-  第2回講義録です。 
 平成18年10月16日 
  
  
  私たち人間が頭で処理している世界は5つの知覚から得た情報のみで作り上げているものであり、 
 本当にそうであるかはわからない。ハードウエア(身体)に制約がある。 
 例 ヘビは赤外線を認識できるが人間はできない。ヘビと人間のとらえる世界は違うものといえる。 
  
  知覚によって得られる情報は全員同じだが、よくとらえるか悪くとらえるかは文化である。 
 人間は文化的であり学習を行い、悪いものも乗り越えられるようになる。 
 例 納豆は匂いでは食品ではないようだが、慣れると食べられる。 
  
  ワークシート01「インターフェースについて」 
 インターフェースとは、人と世界の間を介しているもの。接触面。 
 私たちは人工物の提供するインターフェース経由で世界を見ている。 
   例 人とタイヤは「ハンドル」というインターフェイスでつなげられる。 
     人と速度は「速度計」というインターフェイスでつなげられ、可視化される。 
  
 課題:ワークシート01 
  
 以上 第2回講義録でした。
59.157.76.107 , PPPa2130.e34.eacc.dti.ne.jp , 
 
 
- 6 名前:ありもと@管理者 ★:2006/10/17 10:33 ID:???
 
-  井奈さん、簡潔にして要を得た講義録ありがとうございます。 
 
- 7 名前:森はるか:2006/10/23 13:46 ID:???
 
-  ワークシート01 
 解答例: 
 1.人工物の例 
 温度計、視力検査、計量容器 
 2.学校におけるインターフェース 
 座席順、名札、男女混合名簿 
  
 ワークシート02 
 [認知的人工物] 
 私たちの行為の全ては先人との分業行動といえる。 
 認知的人工物は人の認知能力を実際に強化する働きをするわけではなく、遂行すべき課題の性質を変化させる役割を果たしている。 
  
 例えば、横浜から名古屋に行くという課題があるときに車や自転車などの認知的人工物があるとないではその課題が変わるということ。 
  
 私たちの生活している世界は人工物によってデザインされている。 
  
 例えば、カレンダーや時計は大昔の人が知り得なかった時間という概念を可視化することで現実そのものをデザインしていると言える。 
  
 このようにして、私たち人間は世界を自分好みに住みやすくデザインしている。 
 人工物によって予測したり、理解したり、調整することが可能になっている。 
 人間は自分達に知覚できるもの以上のものを作り、洗練させている。 
 現在の私たちには初期状態を知ることは極めて難しい。
222.7.56.139 , wbcc6s02.ezweb.ne.jp , 
 
 
- 8 名前:ありもと@管理者 ★:2006/10/24 06:36 ID:???
 
-  >>7 森さん、ああ!携帯からありがとうございます。大変だったでしょう。 
 必要ならうちの研究室のPCをお使い下さい>携帯しかない皆さん 
 
- 9 名前:有元@管理者 ★:2006/10/30 10:08 ID:???
 
-  課題:講義中に配った資料についてみなさんのご意見を聞かせてください。 
 またみなさんの意見を読んで考えてみてください。 
 8行以内。文頭に学籍番号と氏名を。なお実名ですので、プライベートなことは書かないでください。 
 [配点:今回は内容ではなく参加点とします。]以上 
 
- 10 名前:吉野 健夫:2006/10/30 14:13 ID:Z2cl7QN2
 
-  「現実」…当たり前に本質な実在として経験されるものであり、 
 常に安定的であるはずである。 
 社会構成主義…「現実」を社会的、文化的なやりとりによって 
 「達成されたもの」としてみて、人々の実践から独立する安定的なものとは 
 考えないというもの。 
 社会構成主義…人々の生活とは独立に存在していたはずの「現実」の地位を、 
 人々の実践のところまで引き下げる。すなわち社会が現実を作っている、 
 私たち自らが現実を作っているということである。 
 (例)肥満 
 「肥満」のイメージは本当に安定的な現実か?という問いに対し 
 エポケーで臨む。(エポケー:何一つ確実にして決定的な判断を下すことは 
 できないという懐疑論の立場から、判断を下すことを控える態度) 
 →文化や時代、所属集団で異なる。(例・平安時代ではその人の地位の象徴) 
 肥満はテレビやBMI、体脂肪計などの制度的な社会のあり方によって 
 相互反映的に構成されている。現実を測定しているというより、 
 測定することが現実を可視化している、または物象化している。 
 (例)教室	 
 いかにして教室と呼ぶか。教室は絶対的な現実か? 
 例えば学祭中はライブ会場になることもある。「教室」も生徒が集まり、 
 講師が講義を行うという仕組みによって現実が構成されているといえる。 
 しかし、私たちにはこれら2つの例は安定した現実として経験される。 
 作り上げられながらも揺るぎ無い現実そのものであることも事実である。 
 ◎宿題◎ 
 「肥満」に変わる例を挙げ、その現実がいかに達成されているか、構成要素を列挙せよ。 
  
 
133.34.235.143 , pc-j013.ipcf.ynu.ac.jp , 
 
 
48KB
新着レスの表示
掲示板へ戻る 全部 前100 次100 最新50