■掲示板に戻る■ 全部
1-
最新50
2008 学習動機づけ論
- 19 名前:阿部聡子:2008/12/11 00:57 ID:uTFusr/I
- 第9回講義録 2008/12/10(曇)
資料:ワークシートNo.8
●パーソナルビュー
・アフォーダンスが(擬人化された)物から見た性質を表すのに対し、
パーソナルビューはユーザの視点から見た道具の使いやすさの見えを指す。
⇒タスクの難しさは、タスクの内容ではなくその道具によって変化する。
(Ex)コミュニケーションをとることは、電子メールという道具を用いれば
易しいタスクであるが、手書きの手紙であればその難しさが増すため、
タスクの意味も重くなる。
☆「水の性質」のワーク
・水は液体であるが、ペットボトルなどの容器(媒介)に入れることによって
持ち運べる性質(可搬性・portability)を持つようになる。
●媒介
・媒介とは、私たちが世界を直接に経験しているではなく、文化的・歴史的
に準備されてきた人工物を介在させて経験しているという考え方である。
(Ex)暦によって時間の流れを可視化(対象化)する
☆暦のワーク:カレンダーという概念そのものが存在しなかったら…
・スケジューリングという概念がなくなる
・四季のない地域はより時間を意識しにくいのでは?
・人の付き合いも身近な範囲になるのではないか
●making-sense
・人がなにを求め、考え、感じるかは「社会・技術的設定」に依拠する。
(Ex)10センチ間隔と思う2点を描く
⇒多くの人が共通した概念を持っているのは単位を用いて「長さ」に
新しい知覚を与えたからである。
221.241.187.201 , 221x241x187x201.ap221.ftth.ucom.ne.jp ,
- 20 名前:河村悠貴:2008/12/17 15:15 ID:xu+rImgc
- 第10回講義録 2008/12/17(雨)
資料:ワークシートNo.9
・機能システム(functional system)
「能力」とは、個人の中だけにあるのではなく、行為者と人工物(道具など)の沿う相互作用で成り立っている。
ex, 翻訳(翻訳者×辞書) コミュニケーション能力(人間×言語)
・ハイブリッドな集合体
以上の視点から、行為者×「道具」=能力と位置づけられる「道具」は、ハイブリッド(異種混交)な集合体といえる。
人工物とはその時点までの人間が使ってきたものや、文化の結晶である。
・人工物をハイブリッドな集合体として見ると…
⇒・活動の対象に影響
・行為者が誰であるかや、可能性、目的、課題に影響
・主体と客体は交じり合って不可分
伝言ゲームのワーク
絵やカメラを使わないで、与えられたイメージを言葉だけでペアに伝える。
コミュニケーションを媒介とする人工物を使わないと、どう感じるか。
133.34.235.36 , pc-k006.ipcf.ynu.ac.jp ,
- 21 名前:有元典文@管理者 ★:2009/01/14 08:44 ID:???
- >>20 河村さん、講義録拝読(遅くなってすみません)
手元にどんな道具が利用可能か、avairableか、ということで、ずいぶん
意図や欲求が変わると思います。このことが人間の人間らしさだと
思うのです。つまり、何を意図し、何を欲求するかを、自分たちで
デザインしていると言うことです。風邪を引いたと感じると、熱を
計ろうとするでしょう?なぜか考えてみてください。その欲求の背景には
かなり広々として人間の実践と知恵と人工物があります。
- 22 名前:有元典文@管理者 ★:2009/01/14 10:05 ID:???
- >>19 あべさん、講義録ありがとう。遅くなってスミマセン。
> 多くの人が共通した概念を持っているのは単位を用いて「長さ」に新しい知覚を与えたからである。
この見える見えないということが素朴な事態ではなくて、社会的で文化的で歴史的だ、
ということを強調したいです。>>21のコメントと関連します。
- 23 名前:重冨 恵理:2009/01/19 22:35 ID:WPE53zYA
- 第11回講義録
2009年1月14日(たぶん晴れ)
(授業で大事だったこと)心の観察について
・「心」の定義は難しいが、「心の作用」は可視。
→「心」そのものはわからないが、「心が有ることを想定した行為」(土下座とか)はみることができる。
この場合の「こころ」の有無とは、科学的な有無ではなく、
社会的(関係的)な有無を指す。
・観察のしかたと、どんな「心」をみるかということとは相関関係にある。
→例えば初頭効果(primary effect)は、
そのような効果をみるために設定された、
記銘材料がリストとして呈示される特殊な実験下で生じるものである。
(感想)
何を測定しようとして、実際に何を測定したのか、
ということはとても重要なことだと思いました。
卒論でも、それは常に意識しておかなくてはならないことだと思いました。
「心」という、あるかわからないようなものを扱う学問は客観的な実証をするのが難しい。
そのため様々な工夫が行われているが、
客観視するための試みが、
逆に現実世界との解離を生じさせてしまっていたりするので、
なかなか難しいなぁと思いました。
日常との橋渡しが必要だと思いました。
遅くなりましたすみません。
222.5.63.228 , wb22proxy07.ezweb.ne.jp ,
- 24 名前:有元典文@管理者 ★:2009/01/21 10:00 ID:???
- >>23 重富さん、深く理解したうえでの感想をありがとう。
> 日常との橋渡しが必要だと思いました。
そうなんだけど、「心理」学という観念自体に特殊なパワーが宿っていて、
なにか心についての一定の真実の理解をもっていると勘違いされてる気がします。
阪神大震災以降だと思うけど、大規模な災害や犯罪のたびに、ニュースで
心の専門家の支援が必要、というコメントを聞くようになりました。
自分のこころなのに、専門家がどうにか出来るという構図が一般化してきたわけです。
心理学はうまいことやったという印象。
- 25 名前:書けませんよ。。。:停止
- 真・スレッドストッパー。。。( ̄ー ̄)ニヤリッ
13KB
新着レスの表示
掲示板へ戻る 全部 前100 次100 最新50