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2011学習心理学講義T

1 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2011/04/13 12:46 ID:???

火曜6限、院 学習心理学講義Tの連絡、講義録、コメント、質問、対話用。

67 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2011/08/04 08:01 ID:???

>>62 早川和彦さま、おつかれさまです。

感想をありがとうございます。他の方も感想、コメントがあれば
おねがいします。

>“一番教えにくい場所”であるからこそ、
>学校教員は教える工夫が必要であること。

↑このことが少しでも伝われば良いです。
この「工夫」というのも2種類あるとおもうのです。
一つは外発的な工夫。これは労働と同じです。
奴隷を鞭でおどかして働かせたり、労働者を賃金で労役に向かわせる
やり方。もし学校が労働と同じなら、そんなことばっかりになる。
成績はこの場合賃金です。うわー、つまらない。どちらにとっても。
もうひとつの工夫は内発的動機づけ。これは工夫なのかな?
スポーツ選手もサラリーマンも、意義のあることだと思えば、
奴隷が鞭でおどかされてもいやがるような苦役に立ち向かう。
現実的な役割をもって意義のある文化的実践を行う時、
行為者の中には強い動機がわくわけです。
これは学習者に対する工夫ではない。
みんなで何かに取り組もうとする社会的文化的動機づけですね。

そんなこと教室でできないかも知れませんね。
でも、そうあればいいな!と皆思うと思うのです。
そのことがウィルスのように、皆さんの中に潜んで皆さんの先生魂を
うずうずさせられれば、講義の目的は果たせたと思います。

68 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2011/08/04 08:01 ID:???

>> 63 須田拡成さん、ごくろうさまです。

>あの場を共有できた皆さんに一言お礼を言いたかった。

↑これまた授業者として感激です。
そんな講義はなかなかできない。
教室の仲間に感謝したくなるような濃密な時間を作れたら、
先生としてサイコーじゃないですか。
ほんとは皆さんをもっとこてんぱんに論破してやり込めたかったの
ですが、主役は皆さんなので必至に我慢しました(笑)
一生懸命しゃべんないように我慢する授業も、きっといい授業
なのでしょう!
たいへん楽しかったです。
これでオサラバもさみしいので、これが私と皆さんの対話の
始まりだと考えて下さい。研究会、学会、論文、そして研究室で
続きをお話ししましょう。

69 名前:高尾愛佳:2011/08/30 19:35 ID:pJffqG5c

大変遅くなりまして申し訳ございません。
7月5日、デザインド・リアリティ第3章のまとめを書き込みます。

・技術は私たちの行為の可能性を変える。
またそれによって技術も進化を方向づけられる。
現実は道具によって媒介され、
私たちのこころのあり方もまた変調していく。

・カメラ付きケータイやメモ、かけ算九九、元素記号
に例が見られるように、欲求は道具とセットになって現れてくる。
(誰にどう伝えたいか、どのように数えるか、など)

・技術を生み出すときは、すでにあるものをとりあえずくっつけてみる。
新しい技術が誕生するたびに、私らしさを表す手段は変化してきたが、
その中で生き残る技術は、人々の欲求をつかんでいる。
技術が引き起こす欲求は、その技術がなくなったとき、どうなるのだろうか。

・子どもたちに教えるとき、導入部分では本物を用いて迫力や壮大さなどを
伝える必要があり、道具を用いるのはその後の展開にするべきである。

以上です。
半年間、濃い授業に参加できて感謝しております!
ありがとうございました。
126.144.102.139 , pw126144102139.104.tik.panda-world.ne.jp ,


70 名前:村井淳子:2011/08/31 14:13 ID:i3yALEpw

書き込みが大変遅くなってしまい、申し訳ありません。
輪読担当部分のまとめを書き込ませていただきます。

7月12日『デザインド・リアリティ』第]章
【要約】
人間は世界を自分の好みに合わせてあつらえてきた。
世界を秩序立て、単純にし、対象化し、熟考しなくても、
衝動のまま行動できるように工夫してきた。
現在安定している世界の文化も、常に崩壊の可能性を秘めている。
私たちにはこの世界を維持し、そして再デザインする仕事を任されている。


・人工物の系譜は、私たちの記憶の様式に影響しているだけでなく、
 私たちの主体性そのものを形づくっている。
・活動の動機はどこか皮膚の外にあるのに、自らの内なるものだと誤認している。
・欲望は、私たちの内なるものでも、人工物でもなく、それらの集合体の効果である。

「スキャフォールディング(足場掛け)」by.ブルーナーら
⇒学習者単独ではできない課題を、親や先生、仲間など、
 より能力のある他者が援助し、実行可能にする工夫のこと。
 学習が進むにつれ、徐々に足場は取り外され、
 最後には自己制御された自律的な主体が姿を現す。

・独力であるということが極めて社会文化的である、
 ということには他者の集合的な工夫と努力が貢献しているということ。

【議論】
●学ぶことを目的としていない集団である学校の子ども達に、
 どのように学習の動機づけを行えるか?

【感想】
この講義での様々な議論を通して、
学校教育を行うことの難しさを改めて実感しました。
私は将来、小学校教諭になることを目指していますが、
学校には家庭や塾では経験できない、集団を通した学びがあると思います。
教師や仲間と学び合う中で、子どもたち一人ひとりが個人の能力を最大限に伸ばす
ことのできるような学びの場を提供できるような教師になりたいなと思います。

以前までの自分にはなかった新たな視点が持てるようになり、
とても面白かったです。
有元先生、受講生の皆さま、半年間ありがとうございました。
機会があれば納得会にも参加してみたいと思っています。
これからもよろしくお願いいたします。
133.34.76.128 , sciedu1-11.edhs.ynu.ac.jp ,


71 名前:書けませんよ。。。:停止

真・スレッドストッパー。。。( ̄ー ̄)ニヤリッ

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