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2005 教育の心理学

1 名前:有元典文@管理者 ★:2005/10/17 07:38 ID:???

5110102「教育の心理学」に関するスレッドです。昨年度記録はこちら http://www.psy.edhs.ynu.ac.jp/bbs/test/read.cgi/arimoto/1096356197/l50

17 名前:ありもと@管理者 ★:2005/12/07 12:07 ID:???

>>16 和田さん、まとめがお上手ですね。ごくろうさまです。

18 名前:ありもと@管理者 ★:2005/12/07 15:41 ID:???

試験は2月13日(月)に定刻同教室で行います。詳細は講義で。

19 名前:重田智之:2005/12/14 17:45 ID:???

12月12日の講義録です。遅くなりました。
【使用教材】
・『正統的周辺参加』のプリント
・ワークシート

【授業内容】
『正統的周辺参加』という学習理論がどんなものであるかを、ワークシートを用いて
具体例を挙げながら理解しました。

人は共同体に参加することで、様々なものを身につけていく。
例えば、『日本人』という共同体に参加することで、当然のように日本語を
話せるようになったり、『男』という共同体に参加することで、いわゆる
『男らしいかっこう』などをするようになる。
経験によってできなかったことができるようになることを『学習』と呼ぶのであれば、
上の例の様に共同体に参加することで何かを身につけていくことも『学習』と呼ぶことができる。
また、この学習理論の優れている点は、
  ・共同体に参加するほぼ全ての人が習得することができる。
  ・共同体に参加することに特別な苦労を必要としない。
という部分で、そのことから理想的な学習方法の1つと考えることができる。
しかし、『共同体への参加』が義務付けられるため、この学習理論を実践するのは
非常に難しい。

以上

疑問なんですが、『学校に通う』ということは正統的周辺参加に含まれるのでしょうか?
学校という共同体に参加することで、例えば進学校に通う生徒の大半が大学に進学することを
当然のことと考える様になると思うし、そう思うこと事態に特別な苦労は必要ないので、
正統的周辺参加と呼んでも問題ないと思ったのですが。



218.229.61.158 , tetkyo034158.tkyo.te.ftth2.ppp.infoweb.ne.jp ,


20 名前:ありもと@管理者 ★:2005/12/15 15:54 ID:???

>>19 重田さんありがとう。

学校は実践の共同体です。特有の人工物と実践がある。
そこに参加することは正統的周辺参加と似ていると思います。
「似ている」であって、イコールと言い切りがたいのは、「正統的」で「周辺的」と
言えるかという疑問があるからです。

21 名前:奥原洋人:2005/12/20 05:47 ID:sY7ZLRBU

12月19日の講義録です。

【使用した教材】
『正統的周辺参加』のプリント
ワークシート07 実践の文化のスケッチ(宿題)

【授業内容】
前回の続きで、『正統的周辺参加』という学習理論が学校における学習に
有効であるかを検討した。『正統的周辺参加』の意味としては、
『正統的』とは後継ぎによってある共同体を再生産するという意味を持ち、
『周辺的』とはある共同体の中心に迫るように参加、実践してゆくという意味である。
この双方の鍵は実践共同体としての学習が成り立つ上で必要不可欠であり、
このつながりがあって初めて実践共同体としての学習が成り立つ。
しかし学校は実践を行う共同体として、『正統的周辺参加』に似てはいるものの、
そこで行われる実践は社会的実践とは異なる(リハーサルと本番の差異)為に、
実践共同体としての学習は弱いものとなってしまう。
また、『正統的周辺参加』のような参加としての学習は、その共同体の実践を
構成しているものの全体像=『スケッチ』を描くことが出来るが、学校での
学習では、このようなスケッチを描くことが難しく(例:分数の通分)、
描けてもそれは『学校化された人々の共同体』のスケッチに過ぎない。
このように、『正統的周辺参加』から学校の学習を構想することは難しいこと
ではあるが、挑戦しがいのあることでもある。
210.20.154.230 , 210-20-154-230.rev.home.ne.jp ,


22 名前:のりふみ@管理者 ★:2005/12/20 10:11 ID:???

>>21 奥原さんありがとう。
学校のどこに問題があるのか、日常性を生きているみなさんの視点で
考えてみて、教えてもらいたい。[宿題]ワークシート7 〜1/16
良いお年をお迎え下さい。

23 名前:熊川 浩之:2006/01/17 01:54 ID:72TGiQ4E

1月16日の講義録です。

前回まで触れてきた正統的周辺参加について少し触れたあと、宿題となっていたワークシート7の各問いへの
答えをみんなで発表しました。日常生活では「じゃんけん」「暗記」は割と使う機会が多いのに対し、「通分」に
ついては具体的な使用例が少ない、ということになりました。またそこで、なぜ「通分」を学ぶのか、ということ
について「数学的なことを学ぶのに必要」だから学ぶのであり無理に日常と結びつけることもないのでは、
ということでした。

・文化的距離…学んだことが生活に活かせるか。すぐ活かせるようならばその距離は0となる。
・転移(transfer)…どこかで学んだことを他で活かす。例:スケート選手が競輪選手。
学校は一般的なことを教える場なので転移を望んでいる。ただそううまくは転移はしないらしく、同型問題に答えられない
(つまり転移できない、マッピングさせなければわからない)ことを意味する「領域固有性」という言葉もある。
次に、学校が目指すべきものは、ということでキーワードは「全体性の一部」「文化的実践」「社会的意義」ということが
挙げられました。「全体性の一部」については、例えばテニスの壁打ちがいい例で、試合という全体があるから壁打ちという
一部が成り立ち、モチベーションをもって取り組めるということ。「文化的実践」については、わかりやすい実践が存在する
ことで、学習する意味が分かりやすくモチベーションを高めやすいということ。「社会的意義」については、社会的意義または
社会的要請があれば人は行動するということ。
つまり、以上のようなことが学校には欠けており、正統的周辺参加を行うには学校は不利である。よって、学校が目指すべきものは
今教えていることは全体性の中の何なのか、ということをはっきりさせ、学んだことを日常で使えるようにしてやる、
つまり文化的距離を埋めてやることができるものである。
219.52.76.113 , softbank219052076113.bbtec.net ,


24 名前:ありもと@管理者 ★:2006/01/23 10:16 ID:???

>>23 熊川さん、ごくろうさまです。
この講義で、学校が学びには不利で、学びに必要ないくつかの基本的な
条件を欠いていることを再確認できました。

25 名前:ありもと@管理者 ★:2006/01/27 20:25 ID:???

30日休講です。

26 名前:書けませんよ。。。:停止

真・スレッドストッパー。。。( ̄ー ̄)ニヤリッ

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