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2007 教育の心理学
- 1 名前:有元典文@管理者 ★:2007/10/01 06:42 ID:???
 
-  後期月曜2限教育の心理学講義録及び対話用 
 
- 2 名前:有元典文@管理者 ★:2007/10/01 06:43 ID:???
 
-  2005年度記録 http://www.psy.edhs.ynu.ac.jp/bbs/test/read.cgi/arimoto/1159674622/ 
 2005年度記録 http://www.psy.edhs.ynu.ac.jp/bbs/test/read.cgi/arimoto/1129502298/ 
 2004年度記録 http://www.psy.edhs.ynu.ac.jp/bbs/test/read.cgi/arimoto/1096356197/ 
 
- 3 名前:有元典文@管理者 ★:2007/10/02 12:21 ID:???
 
-  10月1日第1回 
 ●教室変更 8-107室 
 ●配布物2枚[昨年度試験問題、雑誌原稿コピー] 
 学習環境のデザインという概念について学び、学習者を誰にするか、 
 というアイデンティティのデザインについて自覚的になれることが目的と 
 お話ししました。なお出席は取りません。宿題は次回までに雑誌原稿コピー 
 を読んでくること。 
 ○海外出張のため11月12日、19日(月)休講です。ご迷惑お掛けします。 
 
- 4 名前:上園 佳奈:2007/10/15 13:38 ID:J2ovA52E
 
-  第1回講義録です。 
  
 ●配布物 ワークシート 
  
 ●学習とはなにか 
  問い直してゆくために、あえて現実を斜にかまえて、 
   当たり前でない見方をしてとらえてゆく。 
  また、それが学問でもある 
  
 ●ワークシートを使って 
  犬の本姓はどこにあるのか、ということを考え、 
  そこから導き出されるのは、ではなぜ人間は人間らしいのか、という問い。 
  人間は「タブラ・ラサ(ホワイト・ペーパー)」であり、 
  教育や文化の影響を受け、人間となってゆく 
  
 ●ワークシートから 
  「本能」とは「説明原理」であるとし、 
  その先にあるメカニズムをそれ以上追求しようとしないことであるとベトソンは言う。 
  人の個性や本性は遺伝など先天的なものであるとするもの、 
  環境や社会などの影響による後天的なものであるとするもの、 
  固体には生得的中央処理機構があるとするものなどの説があるが、 
  この3説に共通するのは、その個体の個体らしさは、その個体の中(内)にある、 
  としていることである。 
  
 ●ワークシートを使って 
  犬が階段を降りる姿はどのように作られているか、を考える。 
  そこから導き出されるものとして、この階段を降りる、 
  という行為は犬の内側にその行為のもとになるものがあるわけではなく、 
  犬の外にもとがある、 
  したがって、犬らしさを犬の中(内)に求めることができない、ということである。 
  
 ●デモンストレーションとして 
  では、私たちのこの授業を受ける姿勢・態度はどのようにして作られていったのか。 
  「授業」という人工物、すなわち、外的要因によるものである、と考えられる。 
  
 以上のような内容でした。 
 乱文で失礼しました。
133.34.236.35 , pc-p005.ipcf.ynu.ac.jp , 
 
 
- 5 名前:有元典文@管理者 ★:2007/10/17 09:43 ID:???
 
-  >>4 上園さん、まとめ有り難うございます。 
 ベイトソン、ですね。 
 つい外的要因の方を強調してしまったみたいですが、 
 実際にはうちとそとの相互作用だと言いたいです。 
 詳しくは次回。 
 
- 6 名前:西澤 奈都美:2007/10/22 14:29 ID:jkbmjdsg
 
-  〜第2回講義録〜 
  
 ・配布物 ワークシート02 
  
 ・内容  個体の生き物らしさはその生き物の中にある。 
      犬の犬らしい動きは、筋肉や体つきといったものだけによって決定 
      しているのか? 
      (例) リードをつけているときとつけていないときの犬の動きの違い 
         →リードあり…制約があり、動ける範囲も限られる。 
          リードなし…自由に行ったり来たりできる。 
          (飼い主から離れて行ってしまうようなことはない) 
  
      犬が、リードもなくしつけもされていない(野生に近い)状態で 
      あれば、私たちの持つ「犬」というイメージと異なる。。。 
  
      つまり、犬の外にあるものも重要になってくるということである。 
  
 ・作業1 犬を犬らしくしている社会的・文化的要因 
      →しつけ、えさ(ドッグフード)、繁殖(去勢)等 
  
 ・(ワークシート)犬の本質は社会文化と不可分に「混淆(入り混じる)」。 
  
 ・作業2 女性が女性らしく、男性が男性らしく見える社会的・文化的要因 
      →ファッション、化粧をするかしないか、日常の振舞い方等 
       (記号で男女を分ける意味あるから、分けている) 
  
      ファッションなどの記号は本質ではなく、身にまとうものである。 
      自分の本質らしさを身にまとって、それを本質だと思っている。 
  
 ・まとめ 犬の犬らしさ、人間の人間らしさには社会文化的要因が関わる。 
      内的要因と外的要因の相互作用によって決定するものなのである。                      
133.34.235.139 , pc-j009.ipcf.ynu.ac.jp , 
 
 
- 7 名前:有元典文@管理者 ★:2007/10/25 07:43 ID:???
 
-  >>6 西澤さん、講義録ありがとう。 
  
 例えば女らしさは社会文化的に成立していると思うのです。 
 髪型や服装や頬杖の付き方や言葉遣いで。 
 だからといって簡単にそれを停止は出来ない。 
 みながよってたかって維持しようとしている秩序だから。 
 多くの人の日々の実践によって維持されあたかも本質かのごとく 
 扱われているものを改変するのは大変難しいと思います。 
 例えばフェミニズムの議論に対する私の考え方でした。 
 
- 8 名前:有元@管理者 ★:2007/10/29 09:03 ID:???
 
-  第4回講義参考資料: 
 平成18年度学校保健統計調査 http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/001/h18.htm 
 
- 9 名前:有元@管理者 ★:2007/10/29 09:32 ID:???
 
-  平成18年簡易生命表 http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/life06/01.html 
 
- 10 名前:新原将義:2007/10/29 12:58 ID:JZjhmse2
 
-  第三回講義録 
  
 [配布物] 
 ワークシート03 
  
 [内容] 
 ・犬とは、内なる犬の 
 本性の反映と見えるような、 
 犬を含む外部の諸要素の 
 ダイナミクスである。 
  
 ・文化とは、列挙する 
 ことなど到底不可能な 
 ほど膨大な実践、 
 人工物、意味や価値の 
 コレクションである。 
  
 ・人間とはその内なる 
 メカニズムの反映として 
 知覚されるような、 
 人を含む外側の 
 具体的諸要素の 
 ダイナミクスだと 
 定義したい。
210.153.84.35 , proxy2105.docomo.ne.jp , 
 
 
- 11 名前:有元@管理者 ★:2007/10/30 23:24 ID:???
 
-  >>10 新原さん、ありがとうございます。 
 内なるメカニズムの反映に見える、ということを味わってもらいたいです。 
 ところで11月3日(土)15:40-16:10 常盤祭でライブしますので宣伝(^_^) 
 
- 12 名前:村瀬達哉:2007/11/05 17:54 ID:YTs4jXaU
 
-  第4回講義録 
  
 配布物:ワークシート04 
  
 ・高次精神機能の文化性 
  前回までの授業で、人間や犬などはそのものを含む外部の諸要素とのダイナミクスであると定義した。 
  同じように、精神活動もまた社会文化と不可分であるということを「恋愛」をテーマにして考えた。 
  源氏物語の中の世界の「恋愛」と、あるいは50年前の日本の「恋愛」と今のそれを比較したとき、 
  それは同じものであるとは言えないだろう。 
  アイヌの人たちが小刀を送って求愛するのと、バレンタインデーにチョコレートを贈って求愛するのは 
  同じ意味を持つ行為であると言えるのだろうか? 
  
  ※精神は万国共通であるという考え方もあるが、それでも細かな部分は文化によって異なる。 
   例えば「色」の名前は文化によってその数の多少が見て取れる。(虹の色など) 
   名前をつけて区別するということは、世界の認識の仕方を変えるということに等しい。 
  
 ・媒介 
  人間は思っただけで意思が伝わる訳ではないので、 
  前に述べたように小刀やチョコレートのような「人工物」を介して意思を伝える。 
  言葉やメールのような物質でないものも、人間を外の世界とつなぐという意味で同じである。 
  この人工物を「媒介」と言う。 
  
  例えば「暦」という概念がない世界では、今日が何日かということは認識できない。 
  よって、記念日のようなものは消滅して歴史的な記録もできなくなってしまうし、 
  長期的な計画を立てることもできなくなってしまう。 
  「時間」というものを人間が認識するためには、秒、時間のような概念を媒介にしなければならないのである。 
  
  ※「媒介」は、ロシア-ソビエト心理学に端を発する考えの基礎となる概念である。 
   ヴィゴツキーは、主体(S)が対象(O)を認識するときに(S -> O)、 
   媒介(M)を介している(S -> M -> O)と唱えた。 
  
 12、19日は休講になります。ワークシートの途中からです。 
 第1回に配られた論文を読み、「児童・生徒」とは誰かを考えておいてください。 
  
  
 作業中に、「恋愛の概念を知らない人」の例として「宇宙人の人類学者」と先生が言っていたのを聞いて 
 オリバー・サックスの「火星の人類学者」という本を思い出しました。
219.43.254.33 , softbank219043254033.bbtec.net , 
 
 
- 13 名前:有元@管理者 ★:2007/11/06 15:18 ID:???
 
-  >>12 村瀬さん、緻密な講義録ありがとうございます。 
 火星の人類学者、おもしろそうですね。 
 早速注文してみました。 
 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/415050251X/httwwwasaneto-22/ref=nosim 
 こういう情報はたいへん有り難いです。 
 
- 14 名前:有元@管理者 ★:2007/11/18 15:27 ID:???
 
-  >>12-13 『火星の人類学者』、読了。これは科学読み物としてベスト5に 
 入りますね。最終章の最後の2行に目頭が熱くなりました。すばらしい。 
 
- 15 名前:並木勇樹:2007/11/26 21:38 ID:RHLdoSNA
 
-  第5回講義録 
  
 〔配布物〕 
 ワークシート05 
  
 〔内容〕 
 ○社会的現象としてのリアリティ 
 「小刀」「チョコレート」などの、求愛に具体的な姿を与える技術的ツール(媒介)と、 
 「恋愛感情」そのものは、不可分なものであるといえ、その間には奇妙な再帰性の関係がある。 
  
 好きだと伝えたい気持ち(媒介手段を用いる)と、好きだという気持ちは区別可能か。 
 Leontiveの「活動の対象(目的(=果たすべき内容))は、活動の真の動機である」という言葉からもわかるように、 
 私たちの精神と、人工物を用いた文化的、歴史的活動とは、 
 切り離すことのできない再規制の往還運動の中に成立していると考えられる。 
  
 人は欲求・欲望を自分の内部から発するものだと捉えがちだが、 
 Marxのいうように、「歴史的に作られた欲求が、自然の欲求に取って代わる」のである。 
 時代によって媒介が変われば、恋愛感情の感じ方も変わっていくだろう。 
 そしてこの媒介は文化的な実践の中でリアルに人の精神を構成する。 
 自然欲も、文化的な規定を受けるのである。 
  
 私たちの「恋愛感情」は、 
 「恋愛感情」を媒介するテクノロジーによってデザインされたものであるともいえる。 
 「恋愛感情」はたしかな心的現象として人の中に見て取ることができるが、 
 それは具体的な人工物の布置、相互行為のあり方を前提とした社会的現象である。 
  
 ○まとめとして 
 人が欲求・本能と捉えるものでさえも、 
 人々が社会的実践の中で交渉的(独創的でない)に築いたリアリティである。 
 こうして歴史的に、また日々の実践を通して、 
 私たち人間の本性はデザインされて維持されているといえる。 
 人間と文化はセットとして見なければならず、その間に人間の本性はあるといえる。
202.225.164.66 , FLH1Ahd066.kng.mesh.ad.jp , 
 
 
- 16 名前:有元@管理者 ★:2007/12/03 08:32 ID:???
 
-  >>15 並木さん、講義録ごくろうさまです。 
 まとめがよくまとまっています。 
 失礼して一部訂正。 
 「再規制」→「再帰性」 
 「自然欲」→「自然的欲求」または「一次欲求」 
 
- 17 名前:吉川麻美:2007/12/06 03:27 ID:zD0qv6qQ
 
-  第6回講義録 
  
 《配布物》 
 ワークシート06 
  
 《内容》 
 ○認知心理学の歴史 
  
 1950〜 行動主義の時代 
 行動主義の時代には、心理学は物理学の一部として 
 人間の心を科学的に捉えようとし、physics-envyとも揶揄された。 
 ここでは、生物の行動は単純に、S−R(刺激―反応)のセットであるとされていた。 
  
 1970〜 認知科学的研究の始まり 
 認知科学的なアプローチでは、コンピュータをメタファーとし、 
 人間の脳を“入力⇒情報処理(記憶)⇒出力というプロセスとして捉えた。 
 特に、情報処理(information processing)の部分をコンピュータでモデル化するという点で、 
 主体の「内部」に着目する画期的なものであった。 
 しかし、科学的な側面を残しているため、社会や文化、環境といったものは、 
 人間の「内部」の知性のシステムに影響を与える「外部」のものとして扱われていた。 
  
  
 ○状況的認知研究 
  
 行動主義や認知科学的研究に対し、知性の社会文化的な成り立ちに注目する流れも見られた。 
 こうした社会文化的側面に着目した認知研究は、 
 人間の知性を単なる情報処理システムとしてではなく、 
 状況に埋め込まれた(sitated)性格を持つものとしてとらえようとするものである。 
 ・比較文化的認知研究:ソビエト心理学の流れを受ける 
 ・生態学的妥当性を考慮したもの 
 ・社会学、文化人類学における認知研究 
 ・日常的認知研究:計算、分類、記憶など 
 ex)Street Math:商売における計算はできるが、学校で学習する筆算などはできない 
  ⇒学校での学習の意味がゆらぐ結果に 
  
 これらは「状況的認知研究」と称され、人間の精神を皮膚の内側だけでなく、 
 外部にあるものとセットで見ようとした点で、それまでの心理学とは一線を画していた。 
 人間の認知的な活動を、状況(situation)から眺めることは、 
 観察単位を人間単独から、人間が文化歴史的に構築してきた 
 あらゆる認知的資源を含む大きな単位へと変容させた。 
 
121.105.41.126 , KD121105041126.ppp-bb.dion.ne.jp , 
 
 
- 18 名前:吉川麻美:2007/12/06 03:30 ID:zD0qv6qQ
 
-  講義録の書き込みが遅くなり、申し訳ありませんでした。
121.105.41.126 , KD121105041126.ppp-bb.dion.ne.jp , 
 
 
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