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2007 教育の心理学
- 1 名前:有元典文@管理者 ★:2007/10/01 06:42 ID:???
 
-  後期月曜2限教育の心理学講義録及び対話用 
 
- 18 名前:吉川麻美:2007/12/06 03:30 ID:zD0qv6qQ
 
-  講義録の書き込みが遅くなり、申し訳ありませんでした。
121.105.41.126 , KD121105041126.ppp-bb.dion.ne.jp , 
 
 
- 19 名前:溝口功一:2007/12/14 21:32 ID:gdrIOvFg
 
-  第7回講義録 
  
 《配付物》 
  ワークシート07 
 《内容》 
 ○心理学における人間の観測問題(The Problem of Observation) 
  
  人間の精神の記述は、個人の内側の記述と個人を含んだ外側の記述が併存し 
 ている。 
 【例】内側としての計算能力と外側としての筆算のルール 
  それではどのような分析の単位を採用すれば、人間を描く上での正しい記述 
 ができるのか? 
  
  これまで心理学は客観的実証を求めてきた。そのため、哲学的とも言える単 
 位の変更は問題にされてこなかった。 
  そのような中で、誰の何のための記述なのかという観測上の問題を分析の単位 
 の変更は露わにした。 
 【例@】事故が起こった場合、保険会社、警察、被・加害者が事故(現実)に対 
 し異なった記述を行う。 
 【例A】香川県の祖母と孫二人の行方不明事件において、マスコミは犯人が父 
 親であるかのように解釈できる報道を行った。 
 【例B】日・中・韓共同の歴史教科書を作る上で、共通の客観的な歴史認識を 
 持つことは難しい。さらに、事実が客観的だとしても、どの事実を取り上げる 
 かという問題がある。 
  
  また、教育現場においても、子どもをどのような様式でとらえているのかに 
 ついてもっと考えるべきではないだろうか。 
 
61.211.61.27 , pd33d1b.ykhmac00.ap.so-net.ne.jp , 
 
 
- 20 名前:有元@管理者 ★:2007/12/17 07:33 ID:???
 
-  >>17 吉川さん、丁寧にまとめていただいて、私のまとめより上手です(^_^) 
  
 >>19 溝口さん、ありがとうございます。 
  
 > 教育現場においても、子どもをどのような様式でとらえているのかに 
 ついてもっと考えるべき 
  
 お二人の講義録から、どうやら皆さん話についてきていただいていることが 
 分かって嬉しいです。 
  
 誰かを/何かを「ある様式」でみるということは、 
 自分が「誰」であるかと言うことと関連すると思うのです。 
 子供を誰としてとらえるかは(何が可視化し、何を対象化するか)は 
 とりもなおさず、自分が何かの人工物を媒介して子供を眺める 
 「誰か」になっているということだと思うのです。 
 教員のまなざしの相対化をしてみたいです。 
 
- 21 名前:細野 奈津美:2007/12/17 23:22 ID:gZ9S7IEA
 
-  第8回講義録 
  
 <配布物>ワークシート08 
 <内容> 
 ○学習の観察 
  人は普段の生活で空気を意識することはない。しかし、実験や道具を使う(視 
 点を変える)ことによって、その存在を意識するようになる。 
  同様に、授業の場面でも、慣れ親しんだ空間(ファミリア)において他者の目 
 (ストレンジ)が必要になってくる。 
  
 [大学の大教室での講義] 
 (例)「なぜ、学生がやる気がないように見えてしまうのか?」 
   例えば、出席表を先に配ることによって、出席表を出してしまえば変えれる 
  という<授業デザイン>が出来上がってしまっていることにより、変える学生 
  が増え、やる気がないように見えてしまう。 
   一方で、ワークシートを配り、個々に課題を与えるような授業にすると、学 
  生にとって集中せざるを得ない空間をデザインすることができる。 
    ⇒学生そのものではなく、周りの要因(デザイン)がそうさせている。 
   また、スウェーデンでは日本とは異なり、教室内でグループ学習をさせる。 
  これもまた、授業デザインの一つであると言えよう。 
  
 [フィールドノートを取る] 
   自分の授業を他者の目で見るために必要な作業である。授業開始からの時間 
  とキーとなる行動を書き込んでいく。 
 (例)「『ペン回し』を教える場面を観察する」 
   教え方には様々な方法があるが、この場面では観察学習ではなく、原理の説 
  明の後、課題を与えるという方法を取っていた。また、課題達成のポイントは 
  社会的にできたと見えるポイントではなく、安定して同じ作業を繰り返すこと 
  ができるようになった地点であると言える。 
   以上のように、フィールドノートという方法では他者の目を持つことができ 
  り、様々なことが見えてくる。 
  
 ○まとめ 
  客観的に自分の授業を観察することにより、自分がどのような授業形態を行い、 
 どのような行動を取っているかなど、意識しないと見えてこないものがが見える 
 ようになり、今後の自分の授業デザインをよりよくしていくことができるだろう。
123.220.221.63 , p4063-ipbf2209hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp , 
 
 
- 22 名前:有元@管理者 ★:2007/12/23 09:09 ID:???
 
-  >>21 細野さん、丁寧な講義録をありがとうございます。 
 あたりまえ(ファミリア)なことを違った目で(ストレンジ)見るというのが 
 科学だと思うのです。空気のように当たり前な学校の日常を、 
 ちがった観点から眺める訓練をしてもらいたいです。 
 
- 23 名前:有元@管理者 ★:2008/01/07 10:08 ID:???
 
-  今年もよろしくお願いします。 
 試験の教室が変更になりました。 
 2/4 2限 教育8-102 
 です。 
 
- 24 名前:西沢 春奈:2008/01/08 14:39 ID:lLqt2qHI
 
-  第9回講義録 
  
 《配布物》 
  ワークシート09 
 《内容》 
  ○心理学における人間の観測問題 
   私達にとって世界は、ただの場所や空間ではなく、意味や価値をもって立ち現れる。 
  なぜならば、世界に意味や価値を与えるために先人によって用いられてきた人工物を媒介して、 
  世界を対象化しているからである。 
  
   callonは、人間と人工物と社会がセットになって成り立つハイブリットな全体性をとらえている。 
  それは、ある対象を見ることが、同時にその対象を見ることができる自分が何者であるかを決定するという、 
  双方向で不可分な関係にあることを意味している。 
   【例】 
  『鋤の刃によって成り立っている世界』 
   農夫にとっての世界は、鋤という人工物の有無で大きく変わる。 
   なぜなら、鋤の有無によって、農夫の行為の規模や計画性や知識や技能、目的、課題などは変わり、 
   それによって、行為者が誰であるかも定める。 
  
  これは、道具を利用する社会に生きている全ての人にあてはまることである。 
  
   ⇒主体と客体(行為者と行為の対象)混じり合って不可分である。 
  
   そのようなことは学校という場においても成り立つことである。 
  人間の精神は外界とセットで成り立つため、その人だけでその人は決まらない。 
  「個人」や「個人の変化」を内面から取り出すためには、社会的工夫が必要である。 
  そのような外に出すための社会的な工夫がなければ、見えて来ないものである。 
  どうやったら子供の心の中で起こっていることを外に出せるのかを考えると同時に、 
  学校のさまざまな視点によって子供の能力がつくられているかもしれないということを 
  双方向で捉えていく必要がある。 
   なぜ子供の行動はそうなるのか、外界との関わりを客観的に見れる先生を目指したい。
133.34.172.84 , 133.34.172.84 , 
 
 
- 25 名前:有元@管理者 ★:2008/01/09 10:01 ID:???
 
-  >>24 西沢さんごくろうさまです。 
 まとめかたがお上手ですね。わたしもよく分かりました! 
 
- 26 名前:有元@管理者 ★:2008/01/09 10:06 ID:???
 
-  講義後に質問を受けました。前半と後半のつながりが分かりにくいと。 
 整理すると以下のようなことです。また分かりやすい説明を考えます。 
  
 主客が混淆してるのが現実→客体は主体の観察実践に依存する(また逆も) 
 
- 27 名前:金田依理:2008/01/23 10:49 ID:uV/XyVow
 
-  第10回講義録 
 <<配布物>> 
 ワークシート10 
  
 <<内容>> 
 ○心理学における人間の観測問題 
 心理学における「観測問題」は、 
 心理学が自然科学ではなく人間科学である場合に重要な問題となる。 
 人間科学においては、観測とその記述が「現実」をかえてしまうからだ。 
 観測者によってその分析単位の範囲は異なり、 
 したがって異なった意味と価値として現実は記述される。 
  
 【例】 
 同じ事象であっても 
 救急隊は「心配停止」、医者は「外傷性ショックによる死亡」、 
 目撃者は「ビルからの落下」、マスコミは「借金苦による飛び降り自殺」 
 とそれぞれ記述する。 
  
 ⇒私達それぞれ異なる“現実” 
  
 生きて社会文化の中で活動する人間を記述する限り、 
 私たちは無邪気に自然科学の非人称的な語り口を採用し続けることは出来ない。 
 誰からみた何のための記述であるか、ということは、 
 記述の実践においてまず宣言する必要がある。 
 こうしたことは、心理学における「星座」の描かれ方をしることであり、 
 そのプロセスを丁寧に見直すことである。 
  
  
 ○能力の社会的達成例 
 ColeとTraupman(1961)によって報告された、 
 アーチーと呼ばれる「おちこぼれ(LD)」の子どもについての事例から、 
 アーチーの有能さや無能さは環境によって決まるということがわかる。 
 授業では「問題児」であるアーチーだが、クラブでは、「社会的資源」、 
 ここでは他の子どもをうまく使い、 
 自分にもパートナーにもうまく作業を組織化している。 
 この違いは活動の目的にある。 
 教室は、「だれがよく知っているか」という問をめぐって組織化されていて、 
 つまり、お互い助け合うことはルール違反である。 
 それに対し、料理クラブは、いっしょに何かをつくることが主な目的であり、 
 助け合うことは問題にならない。 
 つまり、いくらでも環境や課題を変えることができるのだ。 
 よって、アーチの有能さや無能さは 
 以上の様な社会的な状況を背景にしたものであるといえる。
219.98.152.77 , p62984d.ykhmac00.ap.so-net.ne.jp , 
 
 
- 28 名前:有元@管理者 ★:2008/01/24 16:40 ID:???
 
-  >>27 金田さん、おつかれさまです。 
 まとめにご自分の意見も書いてもらうとさらにうれしいです。 
  
 ワークシート最後の問題のような応用編を試験問題に出すつもりです。 
 
- 29 名前:有元@管理者 ★:2008/01/28 06:18 ID:???
 
-  教育の心理学ワークシート一式 
 http://www.arimoto.com/doc/EduPsy2007/01.pdf 
 http://www.arimoto.com/doc/EduPsy2007/02.pdf 
 http://www.arimoto.com/doc/EduPsy2007/03.pdf 
 http://www.arimoto.com/doc/EduPsy2007/04.pdf 
 http://www.arimoto.com/doc/EduPsy2007/05.pdf 
 http://www.arimoto.com/doc/EduPsy2007/06.pdf 
 http://www.arimoto.com/doc/EduPsy2007/07.pdf 
 http://www.arimoto.com/doc/EduPsy2007/08.pdf 
 http://www.arimoto.com/doc/EduPsy2007/09.pdf 
 http://www.arimoto.com/doc/EduPsy2007/10.pdf 
 http://www.arimoto.com/doc/EduPsy2007/11.pdf 
 
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