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2006 教育の心理学

1 名前:有元典文@管理者 ★:2006/10/01 12:50 ID:???

後期月曜2限教育の心理学講義録及び対話用

2 名前:有元典文@管理者 ★:2006/10/01 12:51 ID:???

2005年度記録 http://www.psy.edhs.ynu.ac.jp/bbs/test/read.cgi/arimoto/1129502298/
2004年度記録 http://www.psy.edhs.ynu.ac.jp/bbs/test/read.cgi/arimoto/1096356197/

3 名前:鈴木圭:2006/10/03 19:12 ID:7xmAxvAs

第1回講義録になります。

学習という行為には、「人は学習する」という前提がなければ成り立たない。
人間は生まれたときはタブラ・ラサ(白紙)であり、さまざまな経験を通じて
学習していくことができると信じられているからこそ、学習という行為を肯定でき、
教育の場が成り立つ。人は学習することによって成長すると信じられている社会は
誰でも平等にチャンスが与えられる「夢と希望」にあふれた社会だが、
できなかった責任はすべて自分が請け負わなければならないという一面を持つ。
みんな一緒にスタートして、同じものを与えられる。それでも差がつくのは、
それは本人の努力が足りないからだ。といった具合である。このような状況では
子ども達はアイデンティティ不安に陥りやすい。

第1回の講義はこのような内容でした。失礼します。
133.34.236.62 , pc-p032.ipcf.ynu.ac.jp ,


4 名前:ありもと@管理者 ★:2006/10/04 09:58 ID:???

>>3 圭くん講義録ありがとう。よくまとまっていますネ。

5 名前:井奈智美:2006/10/16 22:53 ID:r9w8QrBE

第2回講義録です。
平成18年10月16日


 私たち人間が頭で処理している世界は5つの知覚から得た情報のみで作り上げているものであり、
本当にそうであるかはわからない。ハードウエア(身体)に制約がある。
例 ヘビは赤外線を認識できるが人間はできない。ヘビと人間のとらえる世界は違うものといえる。

 知覚によって得られる情報は全員同じだが、よくとらえるか悪くとらえるかは文化である。
人間は文化的であり学習を行い、悪いものも乗り越えられるようになる。
例 納豆は匂いでは食品ではないようだが、慣れると食べられる。

 ワークシート01「インターフェースについて」
インターフェースとは、人と世界の間を介しているもの。接触面。
私たちは人工物の提供するインターフェース経由で世界を見ている。
  例 人とタイヤは「ハンドル」というインターフェイスでつなげられる。
    人と速度は「速度計」というインターフェイスでつなげられ、可視化される。

課題:ワークシート01

以上 第2回講義録でした。
59.157.76.107 , PPPa2130.e34.eacc.dti.ne.jp ,


6 名前:ありもと@管理者 ★:2006/10/17 10:33 ID:???

井奈さん、簡潔にして要を得た講義録ありがとうございます。

7 名前:森はるか:2006/10/23 13:46 ID:???

ワークシート01
解答例:
1.人工物の例
温度計、視力検査、計量容器
2.学校におけるインターフェース
座席順、名札、男女混合名簿

ワークシート02
[認知的人工物]
私たちの行為の全ては先人との分業行動といえる。
認知的人工物は人の認知能力を実際に強化する働きをするわけではなく、遂行すべき課題の性質を変化させる役割を果たしている。

例えば、横浜から名古屋に行くという課題があるときに車や自転車などの認知的人工物があるとないではその課題が変わるということ。

私たちの生活している世界は人工物によってデザインされている。

例えば、カレンダーや時計は大昔の人が知り得なかった時間という概念を可視化することで現実そのものをデザインしていると言える。

このようにして、私たち人間は世界を自分好みに住みやすくデザインしている。
人工物によって予測したり、理解したり、調整することが可能になっている。
人間は自分達に知覚できるもの以上のものを作り、洗練させている。
現在の私たちには初期状態を知ることは極めて難しい。
222.7.56.139 , wbcc6s02.ezweb.ne.jp ,


8 名前:ありもと@管理者 ★:2006/10/24 06:36 ID:???

>>7 森さん、ああ!携帯からありがとうございます。大変だったでしょう。
必要ならうちの研究室のPCをお使い下さい>携帯しかない皆さん

9 名前:有元@管理者 ★:2006/10/30 10:08 ID:???

課題:講義中に配った資料についてみなさんのご意見を聞かせてください。
またみなさんの意見を読んで考えてみてください。
8行以内。文頭に学籍番号と氏名を。なお実名ですので、プライベートなことは書かないでください。
[配点:今回は内容ではなく参加点とします。]以上

10 名前:吉野 健夫:2006/10/30 14:13 ID:Z2cl7QN2

「現実」…当たり前に本質な実在として経験されるものであり、
常に安定的であるはずである。
社会構成主義…「現実」を社会的、文化的なやりとりによって
「達成されたもの」としてみて、人々の実践から独立する安定的なものとは
考えないというもの。
社会構成主義…人々の生活とは独立に存在していたはずの「現実」の地位を、
人々の実践のところまで引き下げる。すなわち社会が現実を作っている、
私たち自らが現実を作っているということである。
(例)肥満
「肥満」のイメージは本当に安定的な現実か?という問いに対し
エポケーで臨む。(エポケー:何一つ確実にして決定的な判断を下すことは
できないという懐疑論の立場から、判断を下すことを控える態度)
→文化や時代、所属集団で異なる。(例・平安時代ではその人の地位の象徴)
肥満はテレビやBMI、体脂肪計などの制度的な社会のあり方によって
相互反映的に構成されている。現実を測定しているというより、
測定することが現実を可視化している、または物象化している。
(例)教室
いかにして教室と呼ぶか。教室は絶対的な現実か?
例えば学祭中はライブ会場になることもある。「教室」も生徒が集まり、
講師が講義を行うという仕組みによって現実が構成されているといえる。
しかし、私たちにはこれら2つの例は安定した現実として経験される。
作り上げられながらも揺るぎ無い現実そのものであることも事実である。
◎宿題◎
「肥満」に変わる例を挙げ、その現実がいかに達成されているか、構成要素を列挙せよ。


133.34.235.143 , pc-j013.ipcf.ynu.ac.jp ,


11 名前:吉野 健夫:2006/10/30 14:42 ID:Z2cl7QN2

0551208 吉野健夫
いじめの自殺の記事について
ここでは被害者、加害者、第3者に問題があると思います。
被害者…なぜもっと多くの人に相談せずに問題を抱え込んでしまったのか。
社会で生きている以上、多少のトラブルはあるはず。
死ぬこと以外の選択肢はなかったのか。
死ぬことで何が達成されると思ったのか。
加害者…事態がどう発展するかが予想できなかったのか。
力のないものをいじめて自分の弱いところを隠すのが本当に楽しいのか。
いじめを止めない傍観者は自分も仲間にされたくないと
思っている単なる卑怯者ではないか。
第3者…実際にはいじめの定義は難しいとはいえ、
明らかないじめに対しなぜフォローすることを怠ったのか。
またその後もなぜいじめの事実を認めず、会見も二転三転しているのか。
子どもの様子などから判断することはできなかったのか。

133.34.235.143 , pc-j013.ipcf.ynu.ac.jp ,


12 名前:矢部 優子:2006/10/30 17:20 ID:DKaAuDi+

【自殺という行為について】0551187 矢部優子
中学校で命に関する作文書きを以下のような内容を書いたことを覚えています。
「自殺は自らを殺すという字を書く。いじめという行為は許されない。
しかし、終わらないいじめはないし、解決する可能性、助けてくれる大切な人が必ずいる。
自らを殺すということは、何よりも悲しく、自分と大切な家族への最大の裏切りだと思う。」
現在では、いじめについて以前以上に、許されない、解決すべき問題と捉えていますが、
自殺は何の解決にもならず、自分を大切に思ってくれる人の心に残す傷の大きさは、
いじめを受けてしまった人にこそわかるものではないのかと思います。
自殺という行為自体に対しては、上記の通りですが、いじめはあってはならないし、
あるべき教育者の対応についても学んでいきたいと思います。
218.110.239.73 , p6eef49.ykhmac00.ap.so-net.ne.jp ,


13 名前:アリモト@管理者 ★:2006/10/31 06:23 ID:???

>>10 吉野さん講義録有り難うございます。鈴木さんから質問されて、
その場で天啓を受けた(!?)「現実」の社会構成主義的定義をメモしておきます。
「知覚可能な意味と価値」いーなぁ。Tシャツに書きたいです。

課題であるみなさんのご意見引き続きお待ちしてます(〜11/5 23:59マデ)。
また自殺が続いてますね。こんどはオトナだ。報道しない方がいいかも!
後追い誘発を防ぐために…。

14 名前:谷崎智子:2006/10/31 15:19 ID:6XotZtHw

0551110 谷崎智子
『自殺について』
いじめられていた子が最終的に苦しみから逃れるために
自殺という手段を選んだことに対して本当に悔やまれる。
他に選択の余地はないのか。
家族や友達等の周囲の人々は支えとなることが出来ないのだろうか。
いじめの苦しみの深さは本人にしか分からないかもしれないが、
誰かに相談をし少しでも苦しみを和らげて、自殺を思い止まってほしい。
決して「あの子が死ぬなら私も」のような考えはやめてほしい。
死んだら悲しむ人がきっといるはずだ。
残された人々の気持ちも考えよう。
生徒が亡くなった後に学校側をいくら訴えても、その子は戻ってこないが
今後同じことが繰り返されないよう原因を追求し
その子の死が無駄にならないよう努めることが大切だ。
教師の責任は大きいと改めて感じた。
210.136.161.74 , proxy360.docomo.ne.jp ,


15 名前:増山恵:2006/10/31 15:24 ID:eiAxdzJ2

「自殺について」0551165 増山恵
児童や生徒の自殺についての記事を読むたびに、
もっと教師や学校側が迅速に対応できなかったのかと感じます。
いじめにあって、自殺まで考えるようになった児童や生徒らは、
声に出せなくても何らかのサインを、
教師や周りの大人に示していたのではないかと思います。
「教師」とは立場上、児童や生徒の命を守ることが最優先であると、私は考えます。
自殺しか選択肢がなくなってしまう前に、少しでも早い段階でその子の異変に気づいて
あげられるような教育現場を作っていくことが大切ではないかと思いました。
133.34.235.53 , pc-k023.ipcf.ynu.ac.jp ,


16 名前:東谷洵:2006/11/01 00:45 ID:AhPbZM4Y

0551144 東谷洵
いじめられた子どもはものすごく悔しかっただろうし、怖かったでしょう。
そして今の自分の状態がどうすれば良くなるのかずっと考えたと思います。
ただ、それを死ぬという行為で終われるんだと思ってしまったことをとてもさびしく思います。
しかも自分の力だけでは反撃出来ないとわかった上で自殺を復讐に使うなんて尚更です。
当事者の教師や親はどんな気持ちかは想像もつきませんし、まだ経験も無い自分では
なんとも言えませんが、とにかく子どもの事をしっかり見ていてほしかったなと思いました。
それが無かったからこそ、この子どもはこういう手に出るしかないと思ってしまったのではないでしょうか?
子どもをこういう状況に追いやったのはいじめという環境のせいだけではないのかなと思います。
211.18.33.20 , K033020.ppp.dion.ne.jp ,


17 名前:水口一徹:2006/11/01 17:05 ID:3gGprVdY

0551171 水口一徹 「自殺について」
この子どもたちにとっては、いじめから逃れる手段が「自殺」しかなかったんだと思う。
他に逃れる術を知らなかった。知っていてもできなかった。だから、彼らは責められるべきではない。
「命が大切」なんて、死ぬほど苦しんでる人間には言えっこない。
いじめは絶対に無くならない。「いじめを無くす」なんて絶対できない。人間はそういう生き物だから。
いま大事なのは、「無くす」努力じゃなくて「守る」努力。
被害者を守ることのできない者に、いじめを無くすことなんてできるはずが無い。
133.34.235.141 , pc-j011.ipcf.ynu.ac.jp ,


18 名前:松枝園恵:2006/11/02 00:35 ID:Slb4rXF6

0551167 松枝園恵
私も16の方と似た感想を持ちました。
自殺という選択肢を選んだ背景には、リセット願望、自己主張、苦しみを表す最大の方法、
といった様々な思いがあると思います。
また、その上「復讐」を込めたのは、生きている時にはできなかったことを意味しています。
なぜできなかったのか、それは独りだったからではないでしょうか。
誰かが(彼らの気持ちに入りやすいのはいじめが起こったコミュニティ内の人だと思う)、彼らの気持ち
に近づき、無くしてはいけないものがある、見守っている人がいることを伝えるのが大切だと思います。
社会の問題点ばかりが指摘されていますが、私は一人一人の人間性が気になります。
222.13.35.50 , P222013035050.ppp.prin.ne.jp ,


19 名前:ありもと@管理者 ★:2006/11/02 05:03 ID:???

皆さんの書き込みに触発されて私も書きたくなりました!
あえて、誰もかかない不道徳でめちゃくちゃなことを書いてみます。
興味があれば議論してやってください。
@いじめられる側に問題はないのか?
「被害者批判」というのはアリエナイと思われると思いますが、
場合によってはよく行われる。深夜徘徊常習不良少女が性犯罪に
会った場合、渡航禁止命令が出ていた国にボランティアに行って
誘拐された場合、台風見物で高波に呑まれた場合…etc。
A自殺の理由は複合的ではないのか?
物事に単純な原因と結果があるなんて子供じみたこと、子供でも
思いません。その「犯人」のなかに無くなった方の心の弱さは
入らないの?親は、無関心な地域のひとは、その日の朝のニュースは、
満員電車の無表情な大人達は、その子の生育歴は、DNAは…etc

20 名前:宮川慶太:2006/11/03 22:52 ID:M9ALAazk

0551318宮川慶太
自殺に至るまで
のいじめは相当
だと考えられる
。それに気づか
ない教師はかなり
の鈍感さんな
んだろう。いじ
めに気づかな
いことなんて
ないと思う。
ただしらんぷりを
してるんだと思
う。いじめに反
抗できない生徒
もいるわけで
、いじめが無く
なるとは考え
にくいが、そ
んな生徒にも楽
しく生活がおく
れるようにする
ことは教師の
すべきことだ。

218.222.1.156 , wacc2s4.ezweb.ne.jp ,


21 名前:齊藤南海子:2006/11/04 01:26 ID:dbc76LPc

0551075 齊藤南海子
私はいじめが原因でこの記事のように自殺していった子どもたちが、
死ぬことによって復讐を遂げるのではなく、生きて、その上で復讐できなかったのかと悔やまれます。
これは有本先生の@の問題に通じるところもあると思うのですが、どうせやるなら生きて戦えなかったのでしょうか。
それができるのであれば端からいじめられてないよと言う人がいるかもしれませんが、
それは裏を返せばいじめの原因はいじめられる方にもあるということですよね。
もちろん「いじめ」の問題はいじめられている側というより、
いじめている側や周囲の人たちによるところが大きいと考えられますが、その問題が起ったときに、
追い詰められた状態とはいえ、選べる選択肢が自ら命を絶つという手段しかないというのは非常に悲しいことだと思います。
日頃から、そんな両側へのフォローを教師や周りの大人たちが行っていけたら、
このような悲しい事件を減らすことができるのではないかと思いました。
125.55.243.72 , KD125055243072.ppp-bb.dion.ne.jp ,


22 名前:納富佳奈子:2006/11/04 21:05 ID:u+Y8hNPU

0251313 納富佳奈子
いじめを苦に自殺する、という記事を見るたびに
他にいくらでも方法はあるはずなのにと思ってしまう。
でもいじめを受けている本人にとっては
解放される唯一の手段としか思ってしまうのだろう。
自分の命を犠牲にしてまでの復讐なんて
あまり意味のあるものには思えないし、
自分を愛してくれている人たちを悲しませるだけである。
でも、実際いじめがなくなることはないと思う。
人は過ちを犯すものだけど、そこから学んでいくものである。
そういう状況になったとき、どれだけ私たちが
気づいてあげられるのかが大切なのでは・・・?
もっと子供が助けを求めやすい環境も必要だと思う。
219.101.220.66 , lo66.061.geragera.co.jp ,


23 名前:大井貴志:2006/11/04 23:32 ID:lX2KRXQs

0551032 大井貴志
まず言えることは、自殺は子ども、大人関係なくいかなる状況でも
絶対してはいけない事だということ。
自殺は「復讐」以前に「逃げ」だと思います。
しかし、それは理想論で実際に自殺する人は後を絶たず
出てきているのが現状です。
それを考えると、自殺を防ぐための第三者が必要になってくると思います。
自殺を考える人は、自殺しようと思う前に、誰かには助けを求めて
危険信号を送ると思います。
その危険信号に気付き、その人に手を差し伸べられるような家族、
先生、地域の人々や友達などの存在が重要だと思います。

219.205.190.191 , softbank219205190191.bbtec.net ,


24 名前:門田将:2006/11/05 16:40 ID:ZubUUmjs

0451210 門田将
僕はいじめや、その他のつらいことがなぜ“死”につながるのかがわかりません。
本人にとっては本当につらいのでしょう、でもそれがなぜ死につながるのか?
それほど視野が狭くなってしまうのでしょうか?
なんか、最近のマスコミ見てると、自殺が自殺を呼んでるような気がして、特にお昼のワイドショーなんかはむかつきます。
219.205.194.35 , softbank219205194035.bbtec.net ,


25 名前:伊藤祐:2006/11/05 17:19 ID:6DDYQ0bg

0551015 伊藤祐
マスコミ等では学校側(教師側)ばかりたたかれているが、
問題は教師ばかりでなく、親、自殺した本人、さらに言えば門田さんが意見したように、
自殺が自殺を呼んでいるというように、マスコミにも問題があるように思う。


138.243.195.38 , gk010.leo-net.jp ,


26 名前:山下侑子:2006/11/05 19:09 ID:1kJoEuWU

0551194 山下侑子
いじめられる側は本当に「死」以外の選択をできなかったのでしょうか。
いじめた側ももちろん悪いことをしたと思わなければならないけれど、数ある選択肢の中で
最終的に「死」を選んだのはその子自身なのだから自殺の原因はいじめのみではないと思います。
他の選択肢に気づかなかったのでしょうか。
追い詰められるまでに誰にも相談できなかったのでしょうか。
何も相談されずに自殺された親や教師、友人の気持ちを少しも考えたりはしなかったのでしょうか。
いじめが完全になくなる事はないと思います。しかし、いじめられる側がSOSを出せるようになれば、
出しやすい環境を作ることができれば自殺は減ると思います。
203.136.250.247 , FLA1Acf247.kng.mesh.ad.jp ,


27 名前:池谷梓:2006/11/05 21:28 ID:fHfpZgIA

0551011 池谷梓
このような復習としての自殺はいじめていた生徒たちには大きなダメージを与
えられるでしょう。自殺した本人はそれを望んでこのような一番してはいけな
い行動をとってしまったのです。死の恐怖すら上回ってしまうほどの苦しみや
恨みがあったのでしょう。しかし、それよりも大きな悲しみを家族や友達に与
えてしまったのです。手紙で「愛し育ててくれた家族」「仲良くしてくれた友
達」と書いているのです。本当に一人だったのでしょうか。この暖かい気持ち
を思い出して、もう一度生きる喜びを見つけていって欲しかったです。
219.44.156.166 , softbank219044156166.bbtec.net ,


28 名前:飯島彩人:2006/11/05 21:56 ID:6DDYQ0bg

0551009 飯島彩人
いじめによって自ら自分の命を絶っていった子たちのことを思うと本当に残念でありません。
どうして助けられなかったのか。どうして気づいてあげられなかったのか。
それは、いじめられている子が発するサインをうまくキャッチできなかったのが原因であるように思えます。
確かに、学校生活は集団生活であり様々な子ども同士が共に生活するのですから、それなりに衝突もあるでしょう。
子ども同士では解決できないような人間関係の問題も生じることもあると思います。
そこで必要になるのが教師なり、親なりの周りの大人の存在です。
いじめという問題に発展する前に周りの大人がその衝突なり亀裂に気づき、間に入ってあげることが大切であると思います。
いじめは当事者だけの問題ではなく彼らを取り巻く人間の問題でもあるという認識をもつことが重要であると思います。
138.243.195.38 , gk010.leo-net.jp ,


29 名前:鈴木寿子:2006/11/05 22:00 ID:ylWqfUz6

0451311 鈴木寿子
中学生の頃「生きる意味って何だろう?」と考えたことがあります。
今は「自分を必要としてる人のために生きてる」って答えを見つけたけど当時はわかりませんでした。
もしそんな時にいじめにあったら、「もう、いい、死んじゃお」ってなるかもしれません。
自殺した彼らは生きる意味を知らなかったのでは?と思いました。
210.153.84.215 , proxy135.docomo.ne.jp ,


30 名前:山本恭子:2006/11/05 22:17 ID:zKiuACs6

0451215 山本恭子
復讐としての自殺ならば、自分の死んだ後のことを考えるのだろう。
自分をいじめていた人たちがきっと困るだろうとか。
自分がどんだけ苦しんだかやっとわかってもらえるとか。
でもそのときに、自分を大切に思ってくれる人のことを考える気持ちが弱い気がする。
自分の死後どうなるか、想像が偏ってしまっているように思う。
自分を大切にしてくれている人やまわりにいる人たちとの関係を強くして
その人たちの思いをしっかり考えられるようになって欲しいと思った。



218.141.165.96 , softbank218141165096.bbtec.net ,


31 名前:藤田考紀:2006/11/05 23:16 ID:yTtN83pY

0551156 藤田考紀
復讐としての自殺、すなわちいじめに参加した生徒に対して、自殺をして仕返しをしたところで、
死んでしまっては何も得ることはない。自殺をした生徒は私たちの想像を絶する苦しみを感じてき
たと思う。復讐の感情が生まれることも理解することはできる。しかし、仕返しのしかたは他にも
あるのではないだろうか。または、力になることができる教師や周囲の人々の手助けを求めるなど
、何らかの方法をとることにより、いじめに参加した生徒の心が改善されるかもしれない。そうす
れば仕返しの感情を消失させることができたのではないだろうか。そう考えたら、学校現場で唯一
、子どもの協力者となり得る教師の子どもへの関わり方は非常に重要なことだと思う。
219.161.31.132 , p9132-adsao01yokonib2-acca.kanagawa.ocn.ne.jp ,


32 名前:藤田考紀:2006/11/05 23:19 ID:yTtN83pY

0551156 藤田考紀
復讐としての自殺、すなわちいじめに参加した生徒に対して、自殺をして仕返しをしたところで、
死んでしまっては何も得ることはない。自殺をした生徒は私たちの想像を絶する苦しみを感じてき
たと思う。復讐の感情が生まれることも理解することはできる。しかし、仕返しのしかたは他にも
あるのではないだろうか。または、力になることができる教師や周囲の人々の手助けを求めるなど
、何らかの方法をとることにより、いじめに参加した生徒の心が改善されるかもしれない。そうす
れば仕返しの感情を消失させることができたかもしれない。そう考えたら、学校現場で唯一
、子どもの協力者となり得る教師の子どもへの関わり方は非常に重要なことだと思う。
219.161.31.132 , p9132-adsao01yokonib2-acca.kanagawa.ocn.ne.jp ,


33 名前:Asalkhanova Alina:2006/11/05 23:26 ID:???

0551901 Asalkhanova Alina
この子供は自分のことが愛さなかったと思った。
いじめられている子供は相談や自分のいじめについてあまり話せないと思う。
親は何も出来なかったら、先生も殆ど何も出来ないでしょうね。
人生の大切さにいろんなことを学校で習っているが、死についてあまり習ってない
と思った。この子供はかわいそうだったとか思わないが、この扉をでたら、
戻れないということを教えたい。
210.231.17.20 , EATcf-70p20.ppp15.odn.ne.jp ,


34 名前:井奈智美:2006/11/06 00:24 ID:CZtaaDtE

いじめられる側は、他の人に助けて欲しい。この状況からどうにかして抜け出したい。
でも他の人は助けてあげられなかった。一時的におさまってもいじめは簡単にとまるものではない。
苦痛はずっと続く。
自殺をしておおごとにすることでしか、いじめる側に苦痛を与える方法が思いつかない。
いじめを受けた傷は今後も癒えることは見込めない。
いじめる側に苦痛を残して自分が楽になる方法は自殺しかない。

私の年齢になれば、自殺は大きな悲しみ・迷惑・事件を生み、親に残される苦労もわかってくるから死にたくても止める。
中学生の年齢では、周りの迷惑<自分の感情 思いを制御できない。

59.157.74.165 , PPPa1682.e34.eacc.dti.ne.jp ,


35 名前:森ふみ:2006/11/06 00:31 ID:mfkZF5W+

0451205 森ふみ

最近のいじめ
はいじめられ
る側が自殺を
してやっと終
わるというよ
うな結果が当たり前

になってきて
いる気がしま
す。殺人と変
わりないのに。
私は、死んで
しまって、
自分が楽に
なる以外に
何が解決す
るのか分か
りません。
いじめてい
た人達は自
分が殺して
しまったと
いうことを
一生背負っ
て生きて行
くことにな
ってしまい
ます。人間
の命の重み
をもっと他
のことを通
して学んで
行ける教育
になって欲し
いと思います。


222.7.56.54 , wbcc4s07.ezweb.ne.jp ,


36 名前:垣内洋介:2006/11/06 01:51 ID:???

0551040 垣内洋介
24の方の意見に関連して。私も「自殺が自殺を呼んでいる」気がします。
ある自殺関連の事件が報道されたとき、その事件が「自殺の物差し」になっている、と言うと言いすぎでしょうか。
自殺した子どもの苦しみを自分の苦しみと重ねたり、比較したりして次の自殺は生まれるのではないか、と思うことがあります。
「この子の苦しみは私の苦しみと同じだ」とか「私はこの子より苦しい思いをしているよ…」とか思いながら、
「なら私も…」となる気がするのです。
自殺が苦痛から逃れる選択肢になっている現実。
自殺が生む多くの悲しみや社会的影響、死について学ぶ機会を子どもに与える必要が、教育にもマスコミにもあるような気がします。
222.15.95.111 , ZS095111.ppp.dion.ne.jp ,


37 名前:安永明生:2006/11/06 01:58 ID:1+OxbMEE

0551183 安永明生
<復讐として自殺>はいじめられていた時のつらさや憎しみからおきてしまうものなのであろう。
ただ復讐であれ何であれ死んでからおこなってもそこに意味ないような気がする。たとえそういった
復讐をするために遺書を書いたとしても実名で書かれた本人達は苦しむであろうが、自身が死んで
しまっては、いじめがなくなった後の生活をおくることもできない。
また周りの教師や家族、話せる友達なども話しやすいような環境をつくることが
大切であると思った。
211.129.149.22 , p28022-adsau04yokonib2-acca.kanagawa.ocn.ne.jp ,


38 名前:片桐脩平:2006/11/06 05:42 ID:K8rF7Xok

0551043 片桐脩平
復讐のための自殺で遺書を残したのだとしたらそれは最後に自己を表現したかったのだと解釈したい。
いじめ自体自己を表現することがうまくできなかったために受けはじめてしまった例もあるだろう。
それに実際にうけてしまうと自己を表現することなんてできるはずもないだろう。
遺書というのは人の死という強く印象にのこるもののあとからくるので遺書も印象にのこる。
(復讐だとかの)内容がどうこうというよりは、
遺書そのものが自殺者にとっては自己を表現する機会ともとれるのではないだろうかと思った。
210.136.161.130 , proxy202.docomo.ne.jp ,


39 名前:仲間優美:2006/11/06 06:14 ID:MoJH5RcU

0551121 仲間優美
私はいじめに対して、『誰が悪い・悪くない』という考え方は持っていません。
発生する現状に対しても、人間が集団で生活している以上、避けられないものではないかと感じています。
『異質を排除する』という行動は、太古から人類皆行ってきたことです。
倫理的・道徳的な考え方を持ち出して、いくら説教した所で、いじめがなくなることはないと思います。
自殺する子どもにとっては、その時に所属している集団が自分にとって全世界であり、
適応出来ない事実は、『生命維持』という最大の本能をも否定するまでに至るのでしょう。
子どもに限らず、今自分が所属している集団が世界のほんの一部に過ぎないことを自覚すれば、
皆もう少し穏やかに生きられるのではないかと思うのですが…。
125.2.103.134 , ntkngw275134.kngw.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp ,


40 名前:今野淳平:2006/11/06 06:49 ID:cIqQ7cl2

いじめを容認するわけではないが、いじめられる側にも問題はあると思う。
もっと誰かに伝えることはできなかったのだろうか。
言葉や行動をもって人に伝えられない人間が、自分の存在の消失をもってメッセージを送るというのは、虫がいいのではないか。
他に選択肢が無い、というほど追い詰められる状況を私が理解していないのだとは思う。
しかし生きることを諦めて自殺、というのも随分短絡的ではないだろうか。

218.222.1.141 , wacc1s5.ezweb.ne.jp ,


41 名前:丸野寿子:2006/11/06 07:18 ID:cLuzAuGU

0451197 丸野寿子
いじめに耐えられる忍耐力、いじめを切り抜けるためのコミュニケーション能力のようなものを持って欲しい。
自殺という道を歩むのは本当に「弱い」ことの証明だと思う。
自殺することで自分は何も考えずに済み、楽になるだろうが残される人は?
かと言っていじめをする方に否はないのかというとそうではないだろうが。
耐えられる人・新しい道をみつけられる人を育てることの大切さを感じた。
122.16.32.18 , p1018-ipbf513hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp ,


42 名前:ありもと@管理者 ★:2006/11/06 09:43 ID:???

みなさん課題お疲れ様でした。29名の方から受け付けました。
これでこの課題は締め切ります。
真剣な意見をありがとうございます。是非とも他の
受講生の意見に目を通してみてください。

大人は、特に教育のたずさわるものは、<命の大切さ>についてじっくり
考えておく必要があります。年若いものに向けての態度を決めておくべき。
<命の大切さ>は、「なぜ大切なのか?」の根拠があるような言説ではないです。
何故死んではいけないか、何故殺してはいけないか、それは単純で論理的な
答があるような問いではない。だからこそ、揺るぎなくそれが悪いことで
あると態度表明する必要があると思います。じゃなきゃそれは揺らぎます。
私は<命の大切さ>の意味や価値が揺らいでいるような世界には暮らしたくない。

マスコミの取り上げ方に言及されてる方もいましたね。
もっといけないこと扱いすればいいのにと思います。
あまりに同情的で、視聴者は自殺とその同情的な受け止められ方を日々
学習している状態になっている。恐るべきコトです。

補足:ネットで調べてみて驚きました。10代の自殺は全体の自殺の中では
非常に少ない。一番多いのは中高年のおっさんです。
子供の自殺は可哀想さではトップですが、しかし残されたものへの経済的、社会的負担
を考えたら、中高年のおっさんの自殺の方が与える影響は多いでしょう。
□自殺予防対策のための自殺死亡統計 http://www.niph.go.jp/wadai/boushi/statistics/frame_no0.html


43 名前:0551168 松田尚之:2006/11/06 10:05 ID:GQtvSJ+A

「自殺」という選択肢が余りにも身近なものとなり過ぎていると感じた。
子供の耳に「自殺」という言葉が違和感なく響くほど日々「自殺」はテレビ等のメディアで取り上げられる。
しかし、自殺した子供はまだ物心ついて10年かそこらの人間である。
それが、生き死にを自分で決めるなどおこがましいというか、生意気ではないか。
これから先、まだまだいじめ以上に辛いことも待ち構えているかもしれない。
また、同様にいじめをこえていくほど素晴らしい楽しみや心の支えを得るかもしれない。
それにも関わらず、刹那的な思考が許されるような空気、環境があることが問題ではないだろうか。
子供にとって理解者が必要であることも勿論わかる。
が、それと同時にまだまだ君は未熟だよとたしなめ、導いてくれる絶対的大人が必要ではないか。
222.7.57.116 , wbcc10s09.ezweb.ne.jp ,


44 名前:055139 小野澤彩織:2006/11/06 10:31 ID:???

いじめを原因に自殺する人の大半は、復讐としての自殺だと思う。
自らの死をもって一矢報いたいと考えるのは普通。いじめが嫌なだけなら転校すればいい。
いじめた者への復讐心がなければ、自殺はしないだろう。
211.8.159.203 , wtl7sgtn01.jp-t.ne.jp ,


45 名前:名無しさん@有元掲示板:2006/11/06 12:32 ID:63ot57G6

「いじめ」や「いじめによる自殺」がメディア等により世間的に
ありふれてしまった今、いじめられる側も様々な最後の自己表現の仕方を
するようになってきていると思う。
人によって自殺の理由は「復習としての自殺」であったり、
「これ以上いじめが起こらないように示しとしての自殺」であったりするのだろうが
メディアも遺書も学校も、「命の重さ」についてはあまりにも言及していない。
「いのち」がなければ何もないのに、今の時代は「プライド」や「自己表現」
の方が重要視されているような気がする。それがとても不道徳で悲しいことに思えます。
133.34.235.144 , pc-j014.ipcf.ynu.ac.jp ,


46 名前:花田香織:2006/11/06 12:34 ID:63ot57G6

0554075 花田香織

すみません、45の訂正です。
「いじめ」や「いじめによる自殺」がメディア等により世間的に
ありふれてしまった今、いじめられる側も様々な最後の自己表現の仕方を
するようになってきていると思う。
人によって自殺の理由は「復習としての自殺」であったり、
「これ以上いじめが起こらないように示しとしての自殺」であったりするのだろうが
メディアも遺書も学校も、「命の重さ」についてはあまりにも言及していない。
「いのち」がなければ何もないのに、今の時代は「プライド」や「自己表現」
の方が重要視されているような気がする。それがとても不道徳で悲しいことに思えます。
133.34.235.144 , pc-j014.ipcf.ynu.ac.jp ,


47 名前:鈴木圭:2006/11/06 12:41 ID:fnHPExa+

私はなぜ生きているのだろ
うか。この問いに、私は未だ
答えられない。ただ、答えを
見い出せずに止まっている状
態でしかない。もし、私がこ
の少年と知り合いだったらど
うしていただろう。彼らを止
められる自信は、無い。
私の意見は以上です。いず
れわかる時が来るのでしょう
か…
218.222.1.153 , wacc2s1.ezweb.ne.jp ,


48 名前:伊藤亜矢子:2006/11/06 12:52 ID:LXVRLMF2

人殺しはしてはいけないという人としてのル−ルがあります。しかしこの「人殺し」とは
「他者」だけなのだろうか?「自分」は入らないのだろうか?と感じました。もちろん
法律的には入らないのかもしれない。けれど私は入ると思います。「自殺をしたら
周りの人が悲しむ」という考えも確かにそうだとは思うけれど、私は自分の子どもに
なぜ自殺はいけないのか問われたら、「自殺も人殺しだから。してはいけないものはだめ。
理屈ではない。」と答えると思います。もちろんいじめなどは担任の先生や親、友達が
親身になって守ってくれることが一番であると思う。だけど必ずしもそう恵まれた環境に
子供達全員がいれるわけではない。私達が社会でこれから生きていくうえでも、誰も守ってくれない
つらい生活があるかもしれない。私はまず自分の中に命に対してのゆずれない価値をもとうと思います。
133.34.236.63 , pc-p033.ipcf.ynu.ac.jp ,


49 名前:水口一徹:2006/11/06 16:03 ID:BSqBTfOY

第4回講義録 11/6(月) 第2校時

前回課題 ワークシート03 「社会的に構成された現実とその構成要素」
 解答例)学力、おしゃれ、信頼性、アイデンティティー、ブランド、におい、
     お金、仕事、ジーンズ、児童生徒 etc
 ここで挙げた「現実」の例は、いずれも当たり前に見えているものではなく、
社会の工夫によって維持されているものである。

本講義 ワークシート04 「社会構成主義2」
・社会構成主義は教育を捉えなおす契機・・・「能力」という現実への疑い
教育とは能力を測定しそれを伸ばす営みであるが、社会構成主義にふりかえると、テストなどの
デバイスで能力を測定することが、学校における「能力」の可視化、物象化を引き起こしている。
・「学力」という現実・・・「学習環境のデザイン」によって社会的に構成
(例:学校において児童が見せる対照的な側面)
 教室では落ちこぼれの子どもが、料理クラブでは上手く振る舞える。
→教室が個人の学力的「能力」を浮き立たせ、料理クラブでは個人の学力的「能力」に
 スポットライトが当たらないことを示している。
(cf:「学習環境のデザイン」は物理的なものだけでなく、社会構造的なものを含む。)
・どんな現実を教育において構成するのかという問題・・・教育の「現実工学」
1次の学習環境のデザイン・・・教育実践の組み立て(どんな授業にするか)
2次の学習環境のデザイン・・・教育実践を社会構成主義的に相対化する作業
               (どんな意味を持たせるか)

課題:ワークシート04下部
「個人の能力」を可視的にする授業デザインの列挙と、その実地理由の説明。


133.34.235.34 , pc-k004.ipcf.ynu.ac.jp ,


50 名前:ありもと@管理者 ★:2006/11/06 16:31 ID:???

>>49 水口さん、講義録ありがとうございます。

>>47 「生きてることの意味」について。特にないのだと思います。
だからこそ、かえって、強く揺るぎない「生きる意味」の物語が重要です。
だから私は生きる、という物語がなければ、生きる意味はすぐ
ぐらぐらに壊れてしまう。使命がある、野望がある、業績をあげたい、
恋人の為に、子供を喰わすため、楽しみのため、仕事のため、
そういう物語。人生には物語がなにより大事。よい物語を
子供に語れる大人になりたいです。よい物語を子供に信じさせる
そういう大人になりたいです。

51 名前:ありもと@管理者 ★:2006/11/06 16:34 ID:???

初回ですので、特別サービスで >>48 の方まで課題受け付けました。
今後は厳しく締め切ります!

52 名前:ありもと@管理者 ★:2006/11/12 07:08 ID:???

直前で申し訳ありませんが、11月13日(月)急用のため休講にします。
課題は次週に持ち込みです。

53 名前:藤田考紀:2006/11/21 09:12 ID:YFXqXCjA

第5回講義録 11/20(月) 第2校時
前回の課題:「個人の能力」を可視的にする授業デザイン例
 身体測定、ディベート、グループワーク、前にでての発表、講義後のレポートなど。
学習の転移・・前に学習したことがその後の学習に影響を及ぼすこと。
 <正の転移>前の学習が後の学習を促進するとき。
 <負の転移>前の学習が後の学習を妨害するとき。
 <両側性転移>片側の手や足で練習した効果が反対側のそれらに転移すること。
例:ペン字を習うと筆の使い方が上手くなる・・<正の転移>
  バトミントンで覚えたスナップの使い方がテニスでうまくいかない・・<負の転移>
転移の測定・・前学習を行う実験群と行わない統制群を設定し、
  その後の学習における両者の得点を比較する方法が一般的。
 実験群の得点が統制群の得点を越える・・<正の転移>
 その逆の場合・・<負の転移>
転移に影響する条件:@二つの学習間において、学習材料、方法、態度などが類似
           あるいは共通していること(ソーンダイクの同一要素説)
          A一つの場面での経験が一般的法則として
           他の場面に適用されること(ジャッド Judd,C.H.の一般化説)
          B一つの場面で発見されたり理解された力動的な関係の
           一つの型を他の場面に適用すること(ゲシュタルト学派)
しかし、転移には、学習者の構えや能力、前の学習の練習量や学習間の時間間隔などの
要因も関係しており、上述した@ABといった説で転移のすべてを説明するのは困難で
あるとされている。学校教育では「転移」が大前提であるが、二つの学習間において類
似や共通であるかどうかを見極めるのは難しく、教育を応用することの難しさがわかる。
◎同型問題(論理的構造は同一であるが、カバーストーリーが異なる問題)
1.放射線問題→別々の場所から同時に低い強度の放射線をあてる。
2.要塞問題→少数の人間単位で違う道から一度に攻める。

220.104.200.68 , p5068-adsau04yokonib2-acca.kanagawa.ocn.ne.jp ,


54 名前:ありもと@管理者 ★:2006/11/21 09:16 ID:???

>>53 藤田さん、早速ありがとう。加えて、教育を、使用方法が詳細で、
使用目的の記載のない取扱説明書に喩えてみました。

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