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2009学習心理学講義(-特論)

1 名前:有元@かんりしゃ ★:2009/04/14 16:40 ID:???

院 学習心理学講義(-特論)の連絡、講義録、コメント、質問、対話用。

2 名前:有元@かんりしゃ ★:2009/04/14 16:42 ID:???

2007年度記録 http://cgi.arimoto.com/bbs/test/read.cgi/lecture/1176101510/
2005年度記録 http://cgi.arimoto.com/bbs/test/read.cgi/lecture/1113274990/

3 名前:有元@かんりしゃ ★:2009/04/14 19:28 ID:???

第1回講義録 2009/04/14晴(有元)
自己紹介、イントロダクション。
なぞなぞ。内側にあるように見えて外側にあるものなんだ?
心理学は個人の皮膚の内側にひとの行動の原理を探してきた。
それはまるで、電球が光るのは電球の内側の作用であるとただ
直観して、発電所や電信柱や公共料金自動引き落としの存在を
忘れていることと同じである。人の内側に行動の原理が見いだせる
ような、私たち人類の社会文化的な工夫について、具体的な
デモンストレーションをもとに説明し、心理学を文化心理学化
することの必要性をつたえた。


4 名前:有元@かんりしゃ ★:2009/04/23 10:45 ID:???

朝倉の「文化心理学」ご注文の2名の方、本が届きましたので、
有元研究室まで取りに来てください。または次回講義にて。

5 名前:郡司:2009/04/23 17:17 ID:q+ip0Zkw

第2回講義録 2009/4/21

有元先生より「状況論」についてのお話。
状況とのインタラクションで人の心は決まってくる。
人間は生まれつきできることは決まっている。その能力を拡張した存在。
個人内のことを考える(psychological)のではなく、個人間(social/cultural)のことを考えよう。
例として「男」と「女」。
男であること、女であることは内側の反映なのか?
男らしく女らしくある、記号を身にまとっているから女になり男になるのではないか。
内側にあるものを如何に外側のものが作っているのかを伝えていきたい。

デザインドリアリティ(0から2章まで)
世界は複雑である。しかし人間はそれを単純にする術を持っている。
自分たちが理解できるものとしてデザインし直し続けている。
ヴィゴツキーの三角形。主体から対象に向かうとき、人工物という媒介を経由する。
私たちは人工物とセットで能力を遂行する(森下:2008)。
人工物と行為者がセットになって現実を変えていく(紅林・有元:2006)。


初回の発表でガクブルでした。
わからないところは無理に理解しようとせず、みんなに投げるのもありだと思いました。
頭の中は状況論一色です。笑

133.34.73.121 , psy27.edhs.ynu.ac.jp ,


6 名前:樋口:2009/04/28 20:00 ID:thLz6yW2

第三回講義録
人間の精神=社会そのもの本質型(シニフィエ)と表現型(シニフィアン)は不可分である。
人間の本質は本質にあるのか?それとも利用可能な道具によって誘導されるのか?
(X、Y章)
正統的周辺参加論
学習=参加
誰かになるという動機づけコスプレとヤオイの構造


210.153.84.8 , proxy1114.docomo.ne.jp ,


7 名前:樋口:2009/04/28 22:18 ID:2jYdfxZE

感想
誰かになるという動機づけは内在的なものだと思っていたが、他者によって誘発
される外在的な要因を考慮する必要性とその実施上の困難さを感じ、視野が広がりました。
また、シニフィアンとシニフィエの関係は恣意的であり、シニフィアンは
他者に対して何かを示しているのではなく、あるシニフィアンは他のシニ
フィアンに対して主体を代理するという視点が見落とされていると感じました。
121.92.139.128 , ntkngw362128.kngw.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp ,


8 名前:有元@かんりしゃ ★:2009/04/29 09:30 ID:???

>>5 郡司さん、報告、講義録ごくろうさま。
主体性を具体性で描き直す、というのが私の考えていることです。

9 名前:有元@かんりしゃ ★:2009/04/29 09:42 ID:???

>>6-7 樋口さん、ごくろうさま。
こうして感想を書いてくれるとやりとりが出来て嬉しいです。

> 誰かになるという動機づけは内在的なものだと思っていたが、

内在、と思えるが、外部の社会文化なくしてはその内部は
成り立ち得ないですね。「内側だと信じ合えるような外部との
インタラクション」が主体だと思っています。
暴走族という実践がなければ暴走族にないたいという動機は
湧き起こりようがなく、それは盆栽でもNC旋盤でも同じこと。

> また、シニフィアンとシニフィエの関係は恣意的であり、シニフィアンは
> 他者に対して何かを示しているのではなく、あるシニフィアンは他のシニ
> フィアンに対して主体を代理するという視点が見落とされていると感じました。

ある表現系が表現者の主体を代理する、と思われているということ?
それなら私が言ったとおりのこと。もうすこし補足してください。

恣意性、というのは理屈ではそうですが、現実社会では違いますね。
謝罪のこころと謝罪表現の連関は恣意的、だから表現を変え得る、
とはいかないわけです。

10 名前:柴田:2009/05/02 14:28 ID:6UuWVcj2

第3回講義録(前半)
『デザインド・リアリティ』→主体性への挑戦
ヴィゴツキー
「人の本質は一人一人の本質に属さない。社会の諸関係の総体である」

V章、W章
ケータイにカメラと通信機能がついていること

「人工物=人間の行為可能性を変える」

プリクラを自己表現や人間関係の構築・管理に利用すること

「火があるかないかで料理の仕方が変わる」
「こころの奥底のさまざまな思いは、特定のふさわしい表現形式
(プロトコル、典礼)を媒介としてしか相手に伝わらない」
自分の気持ちをいかに相手に伝えるか
言葉、表情、態度など(ふさわしい表現形式)を用いるしかない


感想
ベイトソンの『精神の生態学』を読みました。
犬が「私はあなたを噛まない」ということを示すためには
その犬は「あなたを噛まない」ということをするしかない、
という話が印象深かったです。
イメージや感覚だけでコミュニケートしようとしてみると
確かにnotは表せない。
人が誰かとの関係性を示す際にある典礼に沿うしかないということと同じく
犬には言葉という道具がないから、そのようなあやういやり方でしか
自分の気持ちを示せないとすると、やはり言葉はすごい発明だと思わずにはいられません。
上手に使いたいものだと思いました。


133.34.73.110 , psy16.edhs.ynu.ac.jp ,


11 名前:樋口:2009/05/11 23:03 ID:XtOQkSGc

補足
>ある表現系が表現者の主体を代理する、と思われているということ?
それなら私が言ったとおりのこと。もうすこし補足してください。

 いくつかの異なった意味を持ちうる一連の聴覚的連鎖であるシニフィアンは、
自らを代理表象することができず、何らかの対象がそこにあるといった存在を示す記号でもない。
むしろ、対象を消し去るという主体の根源的な行為を代理するものとして機能するということです。
外部構造に規定されるという意味で最終的には、先生のおっしゃったことにつながると思われます。

124.25.11.122 , ntkngw339122.kngw.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp ,


12 名前:近田:2009/05/12 20:41 ID:2bZ7x7q2

第4回講義録
なぜ電卓の使い方ではなく、手計算の仕方を学ぶのか??
個人の能力の向上のためではなく、後世への知識の伝達のため。

長野県伊那小学校の話。
学びの方法
農業実習を通して何を学ぶべきかを学ぶ。
目的が先、必要な知識や技能は後から付いてくる。→トップダウン
学校はボトムアップ(モチベーションのない人たちを地域でくくり集めた団体)
コスプレに夢中になるモチベーションを学習に向けられたら。

感想
まず、理解が浅く、拙い発表になってしまったことをお詫びいたします。
私たちがあたりまえだと思っている概念、秩序。それらがまだ不可視だったころ、
人々はどのような感覚でそれをとらえていたのだろう。
あらゆる概念、秩序が人工物によって可視化され、
知覚できるようになった現代において、いまだ不可視、知覚できないものは
何があるのだろう?
133.34.73.110 , psy16.edhs.ynu.ac.jp ,


13 名前:岩崎:2009/05/13 10:00 ID:VoiIDh9A

第4回講義録
[章
人間は生きやすいように自然環境を改変し、文明にしていった。
→運命のデザイン
100円のビーチサンダルの例。昔の人は裸足で歩いていた。デザインととも
に体の進化(退化)もありうるのかもしれない。

私たち人間はレディメイドな世界でなく、身の丈に合わせてあつらえたオー
ダーメイドな現実を生きている。
「行為’」 すべての人間の行為は人工物とセットになっている。
運命のデザイン → 運命を工夫する人(ホモ・ファーベル)
「生活のあたり前は、私たちの作り上げてきた人工物と一体である」
感想
門外漢な私ではありますが、いつも楽しく授業に参加させていただいていま
す。先生がおっしゃられた「生活に生きていない学習」について同感です。
なぜギャンブルにはまってしまうのか、毎日星占いを見るのか…。
この『ホモ・ファーベル』に教育のヒントがあるのかも知れないと感じまし
た。

219.162.126.204 , p2204-adsau18honb3-acca.tokyo.ocn.ne.jp ,


14 名前:原田:2009/05/14 23:41 ID:FdS4RVLs

第4回講義録「童貞」については、若者以外はあまり価値がなく、どうでも良いことであるが、その世界の人々にとってとても大事
であり、発達課題の1つなのでしょう。何でも自分の価値で判断するのでなく、
相手の世界を尊重しながら理解し合えたらよいなあと考えました。 やはり、
時代の変化と共に、草食系男性も増えていることも知りました。
人が道具を使用することに、より便利になり行為も広がってきたことは
とてもうれしいことですが、それにより失っていくものもあると思います。
ハンバーグシップは日本の食文化を変えてしまった。立食もオーケー、車
でもオーケーとなり、食卓を囲んで、家族とコミュニケーションをとりな
がら楽しいひと時もなくなったしまう。食事の時の礼儀・作法なども消え
てしまう。電車の中で化粧や食べ物を食べてしまう人達はその影響かもし
れない、それはとても許せない行為の1つです。
看護の世界も医療機器の発達でデータを分析をして判断することで結論を
出し対処する。これによって患者を把握しようとする。患者に触れず診断
・薬を出す医者、手を出さない看護もある。患者が苦しいと訴えても、
データー重視し、患者よりもモニターの所に行きデーターで判断してしまう。
患者の苦しさの背後の不安や戸惑いのケアは皆無になってしまった。とても
残念である。もしかしたら、私たちが「科学的根拠を」といいすぎる結果か
もしれないですね。ベットメーキングは不用なのになぜ教えるのか。
災害等で何をなくなった場合、基本的なベットメーキングを知らない
のでは、これからの若い人への伝承のために教えていく必要ありとの
回答でした。まず基本の原理原則を教えることで応用していくと考え、
そのため繰り返し練習することで技術の熟達し、患者の快適なベット
が考えられるか思い教えていました。目からうろこでした。
何のために、それをするのかを伝え納得できるような説明をしていく
ことであると感じました。そのために組織的に皆で支えあいながら成
長していくことが大切です。最近、忙しく、落ち込んでいて、先生の
問いにうまく答えられなくてすいません。
218.140.5.46 , softbank218140005046.bbtec.net ,


15 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2009/05/19 00:51 ID:???

>>10 柴田さん、講義録ごくろうさま。

> 犬には言葉という道具がないから、そのようなあやういやり方でしか
> 自分の気持ちを示せないとすると、やはり言葉はすごい発明だと思わずにはいられません。

人に対しての犬は、人の働きかけに応じるかたちで、一定のパタンを見せますよね。
餌をあげてすぐ食べようとしたら、「あれお座りは?」とか「待てはどうしたの?」
とか言われて、餌を食べる際のプロトコルを実行するわけです。
一方、私は犬に対する犬を実はよくしらない。
人の飼ってる犬に対する人の飼ってる犬、なら分かるけど。
人はなんでも言葉の世界に落とし込むので、人に関わる限り
犬もヒト的になる気がします。

16 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2009/05/19 00:51 ID:???

>>11 樋口さん、応答ありがとう。だが

> いくつかの異なった意味を持ちうる一連の聴覚的連鎖であるシニフィアンは、
> 自らを代理表象することができず、何らかの対象がそこにあるといった存在を示す記号でもない。

↑2行目がよくわかりません…。例えば「イヌ」ならどうなりますか?

> むしろ、対象を消し去るという主体の根源的な行為を代理するものとして機能するということです。

「対象を消し去るという主体の根源的な行為」というのが分かりません。
高校2年生くらいに分かるように書いて頂けるとありがたい!

17 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2009/05/19 00:52 ID:???

>>12 近田さん、ごくろうさま。

> なぜ電卓の使い方ではなく、手計算の仕方を学ぶのか??
> 個人の能力の向上のためではなく、後世への知識の伝達のため。

このことが重要だと思い立ったんですよ。
集団分散記憶としての教育っていうアイディア。
無形文化財というともうヒーロー的な達人の知識技能を指すわけですが、
素人のふつうの記憶を重ねて、文化を留め置いたらおもしろいし、
そういうことをしているのではと思うのです。
「華氏451度」というSFをご存じ?
ネタバレになるので書きませんが、消えゆく人類の遺産を皆で記憶する話。
そういうイメージです。

18 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2009/05/19 00:52 ID:???

>>13 岩崎さん、感想もどうもありがとう。

> 門外漢な私ではありますが、いつも楽しく授業に参加させていただいています。

私の講義に門「内」漢はいないと思いますヨ。ちゃんとした心理学というわけでなし。
どうぞたのしくご参加ください。『ホモ・ファーベル』気になります。
是非次回教えてください。

19 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2009/05/19 00:52 ID:???

>>14 原田さん、ごくろうさま。

> まず基本の原理原則を教えることで応用していくと考え、
> そのため繰り返し練習することで技術の熟達し、患者の快適なベット
> が考えられるか思い教えていました。目からうろこでした。

ははぁ、やはりそういう考えが背後にあるのですね。
学校と同じですね。分数を教えたり、二次関数を教えているうちに
やがて応用的なことに使い出すという発想。
私は応用的な場面に子供(学習者)を放り込むことが一番の教育
だと考えています。

20 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2009/05/19 14:49 ID:???

担当者各位。本日の輪読箇所、みなにお教えください。事前に読んでおく為に。

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