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2010学習心理学講義(-特論)

1 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2010/04/13 16:33 ID:???

院 学習心理学講義(-特論)の連絡、講義録、コメント、質問、対話用。

2 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2010/04/13 16:34 ID:???

2009年度記録 http://cgi.arimoto.com/bbs/test/read.cgi/lecture/1239694836/
2007年度記録 http://cgi.arimoto.com/bbs/test/read.cgi/lecture/1176101510/
2005年度記録 http://cgi.arimoto.com/bbs/test/read.cgi/lecture/1113274990/


3 名前:なかつか:2010/04/13 19:52 ID:WJGqEKoQ

4月20日:布施(デザインドリアリティ1,2章)
27日:大西(デザインドリアリティ10章)
5月11日:渡辺(子どもの学び 教師の学び1,2章)
18日:平井(子どもの学び 教師の学び3章)
25日:臼田(子どもの学び 教師の学び4,6章)
6月 8日:松田(尚)(文化と実践 心の本質的社会性を問う1章)
阿部(文化と実践 心の本質的社会性を問う2章)
15日:新原(文化と実践 心の本質的社会性を問う5章)
22日:中塚(脱学校の社会1,2章)
滑川(脱学校の社会3章)
29日:北村(脱学校の社会6章)
7月 6日:松田(美)(共感1章)
:橋本(共感2章)
13日:竹内(共感3章)
133.34.73.112 , psy18.edhs.ynu.ac.jp ,


4 名前:WAT:2010/04/14 11:08 ID:qoPWgrQI

学習心理学講義レフレクションtopバッター
有元先生の授業に遅れて入った。
あたたかい笑顔が・・・先生の横の席・・・
すみませんから始まる自分・・・。
有元講義掲示板のプリントを手渡され、
何がなんだか分からずに先生の話しを聞いていた。
分かったこと:本を数冊出して、この中で輪読、
デジメはA4 1枚裏表まで徒の指摘、
(この本をすべて買うのが必須か・・・?)
そんなとき、全部のほんの一部をやれば、最先端のことが学べる。
買うのが大変か・・・。(ちょっとホットした・・・)
A4の紙がまわり所属氏名研究テーマ年次を
書いて回すことになって、私から書くことになった。
自分のテーマにあっているか時間がかかるけれど、
どの人もすごく、心理コースの人が中心に会話が進んだ。
学校現場の夜間主は2人これからの日程を決めていた。
  先生の記憶が名前を覚えること、特徴をつかむことに感動した・・・。スゴイ・・・。

210.227.76.23 , gw1.edu.city.yokohama.jp ,


5 名前:有元@かんりしゃ ★:2010/04/15 09:54 ID:???

>>4 渡辺さん、講義録ごくろうさま。
なるほどこれが振り返りですか。
もっとスゴイことを振り返らせたいと、授業者を発奮させる効果大(笑)

6 名前:なかつか:2010/04/21 13:08 ID:UQnALXHo

輪読を担当する日程、章に変更がありましたのでお知らせします

4月27日:大西(デザインド・リアリティ10章)

5月11日:渡辺(子どもの学び 教師の学び1,2章)
佐藤(子どもの学び 教師の学び1,2章)

5月18日:平井(子どもの学び 教師の学び3章)
作井(子どもの学び 教師の学び4章)

5月25日:山下(子どもの学び 教師の学び5章)
臼田(子どもの学び 教師の学び6章)

6月 8日:松田(尚)(文化と実践 心の本質的社会性を問う1章)
阿部(文化と実践 心の本質的社会性を問う2章)

6月15日:新原(文化と実践 心の本質的社会性を問う3章)

6月22日:尾出(脱学校の社会1,2章)
中塚(脱学校の社会1,2章)

6月29日:滑川(脱学校の社会3章)
北村(脱学校の社会6章)

7月 6日:橋本(共感1章)
松田(美)(共感2章)

7月13日:竹内(共感3章)
133.34.73.112 , psy18.edhs.ynu.ac.jp ,


7 名前:布施貴也:2010/04/23 14:28 ID:IlOWVRrU

第2回講義録 2010/4/20
100字要約:今までの心理学は人の行為遂行能力を「こころの中」に探してきた。
学校も、個人の一人ぼっちの能力に注目する。
だがそれらは、私達の社会的動物としてのやり方とは異なった、偏った認知の仕方ではないだろうか。

私達は人工物とセットで行為遂行する。
「記憶」の議論。ゴロを使うのは「生」の記憶?言葉を使う時点で人工物を使っている?
「生」の記憶があるのか。色んなモノに媒介されている。

Callon(2004)は、そもそも、人が何を求め、考え、感じるかは、
「社会・技術的設定(socio-technical configuration)」に依拠すると主張した。
ペットボトルがあるから、鞄に入れる。「水」自体の物理的な性質とは関係ない。

「システムズビュー」「パーソナルビュー」
人間はパーソナルビューを簡単なものにしてきた生きもの
カウンセリングのメタファー
お菓子がほしい→ギャーと叫ぶ→お菓子をもらう
お菓子がほしい→絵を示す、言葉を話す→お菓子をもらう
社会的に望ましいパーソナルビューに変えていく

主体性は、個人内(psychological)ではなく、個人間(social/cultural)に存在する
児童生徒の「本当の主体性」がないことは現場では分かっている?

連絡:来週から教室変更 1-404→1-416
133.34.73.112 , psy18.edhs.ynu.ac.jp ,


8 名前:有元@かんりしゃ ★:2010/05/05 08:16 ID:???

>>7 布施さん、講義録ごくろうさまです。

> 児童生徒の「本当の主体性」がないことは現場では分かっている?

分かっているみたいでしたね。
いや、むしろ分かっていないのか。
つまり「生(ナマ)の主体性」と「作り込まれた(designed)主体性」を
区別する視点を持っていないのではないでしょうか。
「もっと主体的になれ!!」みたいな矛盾した言説があり得る空間。
主体性に貴賤なし?


9 名前:佐藤夕花:2010/05/13 22:18 ID:esGUdq2Q

2010/5/11の授業について
「子どもの学び 教師の学び」
担当:序章、第一章(佐藤)、第二章(渡辺)

◎整理点
・ファミリアをストレンジにしなければいけないのはなぜか。
(ストレンジをファミリアにではなぜダメなのか)
・斎藤先生と子ども中心主義の考え方の違い
(教師はただのお手伝いではなく積極的に関わる)

◎面白かった議論点
@「知的なこと」は本当にいいこと?
A斎藤喜博が目指す教育とは何か。
・考え続けさせる授業(考えすぎるのもよくないのでは)
・目覚めさせる授業(気づきを重視する)

個人的には、毎回臨床心理コースと教育系の考え方の違いがでるのが楽しみです。
教師の積極的介入とはどういうことかを考えながら、これからの授業を進めていきましょう。

219.104.106.3 , eatkyo325003.adsl.ppp.infoweb.ne.jp ,


10 名前:有元@かんりしゃ ★:2010/05/18 17:55 ID:???

>>9 佐藤夕花さん

講義録ごくろうさま。
知的なこと、気づくことへの無批判な礼賛では
なかった点が非常に興味深かったです。

> 個人的には、毎回臨床心理コースと教育系の考え方の違いがでるのが楽しみです。

そして↑これも楽しみですね。
もっとみんなの意見を聞き出すようにします。

11 名前:作井浩美:2010/05/18 22:29 ID:G1j/YSLU

「子どもの学び 教師の学び」
担当:第3章(平井)、第4章(作井)

【講義での論点】
・一般的な知的能力とは存在するのか?
・実際に使えない知識を学校で教える意味はあるのか?
 (クレジットには使えるが)

一般的な知的能力がないとすると、学校教育では何をすればいいのか。
なんだか、この授業に出ていく中で、
学校教育にとって何が大事なのかが分からなくなってきました。
でも授業が進んでいく中で、また新たな発見・進展があっておもしろいです。、
最後にはぼんやりでもいいから何かつかむことができればいいなと思っています。
133.34.73.121 , psy27.edhs.ynu.ac.jp ,


12 名前:wat:2010/05/21 12:09 ID:6lFkhltM

5月11日授業振り返りシート
書き込み送れてすみません。
なかなかいろんな意見が出て本当に為になっているかこれからですけど・・・
2章店というテーマで佐久間先生が行った授業です。
それをまねして、数学で二項対立で授業をやったらあるクラスでは盛り上がり
つがうクラスでは流れがよくなかった。
どんなときに教員の介入は必要なのか?
またいろんな話が聞けたら授業に取り入れて報告したいと思います。
なかなか脳細胞がびびっています。
210.227.76.23 , gw1.edu.city.yokohama.jp ,


13 名前:有元@かんりしゃ ★:2010/05/22 11:18 ID:???

>>12 渡辺さん、振り返り拝読。
二項対立のような「道具」は議論を
活性化するターボですね。いつも使うか?
いつ使うか、いつ使うと効果的かという
実用上の問もありますね。

> なかなか脳細胞がびびっています。

私もびりびりしてます。多用な観点からの
多用な意見を期待。

14 名前:& ◆wJ5PxSz5Wk @かんりしゃ ★:2010/05/22 11:23 ID:???

>>11 作井さん、

> 一般的な知的能力とは存在するのか?
> 実際に使えない知識を学校で教える意味はあるのか?

教育についての基本的だが難しい問だと思います。

> 学校教育にとって何が大事なのかが分からなくなってきました。

教育に関わる研究・仕事をする以上、自分なりの答えを
探す必要がありますよね。問い続けるしかないことでしょう。
答えを出すことが大事なこともあるが、人々の中での
問い続けを絶やさないように工夫することが大事なことも
あると思います。

15 名前:平井拓斗:2010/05/23 16:57 ID:XFhN4lwE

書き込み遅くなってしまい申し訳ありません。

【講義での論点】
・教育が、子どもを対象とし、その内容が文化的なものである限りにおいて、
 その手段は(見かけはともかくとして)本質的には大人からの一方的な教授にならざるを得ない。
・「一般的な知」は存在するのか。「個別的な知識」が知のすべてならば、
 学校で教えている「知」とは何者か。必要なものか。また何を教えるべきか。
・「日常生活」の違い
  進歩主義:(自然に発達する)子どもが、常に囲まれていて、ファミリアで、身近だと感じる世界。
  イーガン:子どもが想像で作り出した、楽しむことのできる、ストレンジな世界。物語。

【考えたこと】
・@)学校の中で学ぶ知識が、社会的に有用であるべきか。
 A)社会的に有用な知識は、学校で学ぶべきであるか。

 一見すると似ているこれらの問いは、その論じる主体が異なるという意味で全く別の問題である。
 この問いについて考えていた際に、次のような新たな疑問が浮かんだ。

 B)学校で教えられる、学校でしか使えない知識は不毛か。

 このB)の問いへの回答は、@)とA)対する議論の両者に寄与すると考えたが、
 私の足りない「知」では悩むだけ悩んで不毛に終わりました。



133.34.73.121 , psy27.edhs.ynu.ac.jp ,


16 名前:平井拓斗:2010/05/23 17:08 ID:XFhN4lwE

【考えたこと2】
・※ここでは便宜的に、講義内で語られていた「個別的な知識を有用なものとして扱い、
  評価する社会」を、すべての属性を持つ「社会」から切り離して論じるため「実用社会」とした。

 ある文献の中で、「教育」のうち「教」は行わず、「育」のみ行うインディアンがいるとあった。
 生き方を教えることはせず、実用的な知識はすべて子どもが大人を見て学ぶ。
 たとえば、まだ火の熱さを知らない子どもに「熱いよ」と教えるのでなく、鈴を鳴らして気を逸らすという。
 狩りの仕方や、住居の立て方も、自分が生きるために「必要だから」、自ずから見て覚えようとする。

 これが成り立つのは、彼らの世界が非常にシンプルな実用社会としてのみ構成されているからである。
 生きるために、必要なことだけを、身近な大人を見ているだけで、学べる世界だ。
 比べて現在の日本は、「教」「育」を行おうとしているのであり、また世界は複雑である。

 だから、前回の議論のように
  C)実用社会における学校という世界の位置づけ
 を論じているだけでは不十分で、さらに
  D)学校における実用社会という世界の位置づけ
 を論じる必要がある。だがこれでもまだ不十分で、つまり
  E)世界は「学校」と「実用社会」のみから構成されているのではない
 ことを了解したうえで、議論はなされなければならない。

 ※インディアンのエピソードはあんまり関係ないですが何かの手がかりになるかと思い載せてみました。

・これを書いている、今まさに使ってる「知」はいつどこで学んで覚えたのだろうか。


【気づいたこと】
もしかしたら僕は議論中に別のことばかり考えているのかもしれません
133.34.73.121 , psy27.edhs.ynu.ac.jp ,


17 名前:平井拓斗:2010/05/23 17:17 ID:XFhN4lwE

連投すいません。加筆訂正。

【考えたこと2】9行目
誤:比べて現在の日本は、「教」「育」を行おうとしているのであり、また世界は複雑である。
正:比べて現在の日本は、「教」「育」を行おうとしているのであり、
  しかもそれは第3者機関である学校に委託されており、また社会は複雑である。
133.34.73.121 , psy27.edhs.ynu.ac.jp ,


18 名前:有元@かんりしゃ ★:2010/05/23 21:50 ID:???

>>15-17 平井拓斗さま、講義録拝読。

こんなに理論派だったのですね。

> もしかしたら僕は議論中に別のことばかり考えているのかもしれません。

是非考えてることを聴かせてもらいたい。
今度から拓斗に訊けタイムを作ります♪
さて、思いついたところに反応します。

@)学校の中で学ぶ知識が、社会的に有用であるべきか。


逆に言うと学校が社会的に無用なことを学ぶ場でいいのか?
こう問われると、そんなの学校じゃないだろう、という
ことになる。無用じゃダメで、有用性がないとダメという
社会通念がある。教育的ないいことしなきゃいけない、
という宿命がある。映画館や漫画喫茶にはない宿命。

教えないネイティブアメリカンの話しはおもしろい。
なんだか文化人類学の遠い国の話みたいだが、
実は学校の外の世界では、我々はたいていこうだ。
例えば仲間内でバンドやってて、誰かが「教え」たり
「評価」しだしたらどうなる?すごく居心地の悪い
ことになるだろう。教えたり、学んだり、なんて
普段は非常に特殊なことだと思う。

教育は近代の発明だった。暮らしの中でじんわりと
染みこむように覚えるその過程にターボを掛けて
速成栽培する。便利な発明なので、いろんなところに
学校が出来てきてしまった。社会の学校化。
そして学校みたいな教え・学びが当たり前になってきた。
むしろネイティブアメリカン流の学習が難しくなったかも。
本屋にあふれるマニュアルの類を見ると、そう思う。

19 名前:wat:2010/05/24 10:50 ID:73IkjDpY

25日の講義 生徒の父親のお通夜が18:00なので間に合わないと思います。
講義にでれなくて残念です。また、脳みそがビビット来る時間が・・・
すみません。
210.227.76.23 , gw1.edu.city.yokohama.jp ,


20 名前:山下:2010/05/27 23:10 ID:???

【授業の論点】
 第5章の宮崎の主張は、対話(対立)をつくるという教師の役割、授業の文脈作りをもっと強調すべきであるということ。
 教え込みの授業に対するアンチテーゼとしての対話の授業も、教師が授業を司るという意味にかわりはない。
 子どもたちが主体的に学び合う授業をどうつくりあげていくかは教師の手腕、特に教材解釈にかかっている…

【感想】
 教材解釈は教師の重要な仕事…あたりまえのことがなされない現代の学校事情の様々な問題がある。
 教師の役割というより、リソースとしての教師が問われている。学習のリソース、学級崩壊のリソース…
 教師は、子どもたち一人ひとりを理解することの困難さを知っている。教材解釈の前に児童理解が必要なのだ。
 “学級担任”という教師の仕事はもとより対話的である(はずなのだが…)。



111.99.26.54 , KD111099026054.ppp-bb.dion.ne.jp ,


21 名前:臼田瑛里:2010/05/31 01:01 ID:Qd+/22Ok

〜授業での論点〜
 教師の学びが子どもの学びの原型になるという意味で、
 教師は「原学習者」であるということについて。
 つまり、教師には、科学者や芸術家などの先人が探求し、創り出した文化を
 もう一度吟味し、改めて発見するという「追求」の部分が求められ、
 この教師の学び方が、そのまま子どもたちの学び方のお手本になる。

 先生は権威なのか?ということについて。
 無法と権威、子どもにとって本当に役立つのは?ということを考えると、
 やはり「子どもたちの学習機会を確保する」ことに。

〜感想〜
 既にわかったつもりになっている知識の意味を
 もう一度吟味し発見していくのが教師の学びなら、
 教師は、学び直しの過程を繰りかえす研究者のような存在だと感じました。

 普段、私たちはわかった気になっていていい部分と、
 もっと追求すべき部分とを無意識的に?選択していると思うんですが、
 そのふるいわけをするのも人によって異なっていて、
 その人自身に委ねられていますよね。当たり前なのかもしれないですが、
 なんだか不思議というか面白いです。

 先生が対話を強く編集しているということと関連して、
 カウンセラーも直面化や明確化によって対話を水路づけることがある点で
 やはり編集しているといえるという話が、個人的に印象深くて、
 その対話の編集は、編集する者の力量やセンスにかなり委ねられている
 のだろうと思いました。
115.162.180.182 , pa2b4b6.kngwnt01.ap.so-net.ne.jp ,


22 名前:有元@かんりしゃ ★:2010/06/05 14:24 ID:???



23 名前:有元@かんりしゃ ★:2010/06/05 14:25 ID:???

>>21 臼田瑛里さん、講義録拝読。

> 教師は、学び直しの過程を繰りかえす研究者のような存在だと感じました。

おもしろい。
自分にとっての技能は出来ればそこまで。
追求するか、その水準で良しとするかも自分次第。
ところが教員は、このことを自分ではなく、学習者に
とって適宜仕組んでやる仕事。
人より多く学び直すことになるでしょう。
自分にとって出来る、とは異なる水準で、「出来る」を
分析する必要がある。たしかに研究しているような
ものですね。

> その対話の編集は、編集する者の力量やセンスにかなり委ねられているのだろうと思いました。

センスや力量が足りない!とおもう授業も多いですよね。
だからといって森羅万象に通じた神しか授業が出来ない
のでは困る。神様しかカウンセリング出来なかったら、
業界は成立しないでしょう。
こうしたことの検討も教育研究のひとつの目的ですね。

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