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2011学習心理学講義T

1 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2011/04/13 12:46 ID:???

火曜6限、院 学習心理学講義Tの連絡、講義録、コメント、質問、対話用。

58 名前:平野大二郎:2011/07/20 00:37 ID:JI3XO6IU

7月19日講義録
要約
ワーチは、ヴィゴツキーが考えた文化ー歴史的アプローチを足がかりに、
比較文化的にとらえなおし、拡張・発展させていくとともに、
ヴィゴツキーの思想をどのように理解したらよいか、
著作の中でその原点に即して示している。

   道具
  /  \
 主体−−対象

図 主体と対象との間を媒介する道具

一番大切な概念
人間とは、「媒介−手段−を用いて−行為する−行為者
(agent-acting-with-mediational-means)」(Wertsch,1998)
であるということ。

ヴィゴツキーの媒介概念をワーチは技術的道具に拡張
(例)棒高跳びのバー
http://www.tdk.co.jp/techmag/athletic/200707u/index.htm
→ カーボンのバーができたから、人類は6m以上跳べるようになった。
道具箱のアナロジー
道具箱にたくさんの道具がある。
どの道具を使うかは、行為の目的と動機に沿って選択されている。
時として、本来の意味や目的を考えずに使っていることも多い。
(文化的道具の二面性)(例)qwertyキーボード

人間精神の社会発生的起源と相互作用、対話
ワーチは、バフチンとヴィゴツキーをつなぐ仕事をした。

議論:
個人の発話行為から教室談話を活性化させるための「道具」には、
どんなものが考えられるだろうか?
→黒板、発表のためのメモ、プレゼンのスライド、、、
→「対象」が大切なのに、「道具」が目的になってしまいがち。
  ・一昔前の情報教育。コンピューターリテラシーと言いつつ、パソコン操作を教えていた。
  ・英語で「何を」話すかが大切なのに、「文法」ばかりを教わっていた。
→どうすれば「道具」が活性化されるのか、という視点が重要。
114.134.229.101 , c114.134.229.101.c3-net.ne.jp ,


59 名前:平野大二郎:2011/07/20 00:51 ID:JI3XO6IU

「どうすれば「道具」が活性化されるのか、という視点」には、はっとさせられました。
そもそも、自分が大学院に来た根本の所を突かれたからです。

授業でも話しましたが、私は、教員になってから「情報・視聴覚」を中心に実践を重ねてきました。
だから、ついつい、「道具」を目的にしがちだったのです。
そのことに気付かされたのは、5年ほど前の算数の校内授業研でした。
デジカメを使って子どもの考え(具体物の操作)をプロジェクタで拡大提示して、みんなで考えていく授業でした。
「どんなシステムを使えば、この授業ができるのか?」というところに視点があったのですが、
授業として大切なのは「このシステムを使えば、どんないい授業ができるのか?」だったはず。
いい授業のためには、「だれが」「どんな考え方を持っているのか」それを「どうつなげていくと」
「どんな課題解決になるのか」といったところが大切なのに、そこまでたどり着いていなかったのです。

大学院に通っている間に、一つでも答えを見つけて帰りたいと思います。
半年間、ありがとうございました。
(大学の半期って、あっという間ですね。そう感じるのは、年を重ねたからでしょうか。
 ちょっと、焦ってます っっ)
114.134.229.101 , c114.134.229.101.c3-net.ne.jp ,


60 名前:樋口麻美:2011/07/20 14:08 ID:ot3SP7X+

7月5日 講義録
要約
人間は自分たちが生きやすいように環境をデザインしている。
私たちの住む現実は「デザインされた現実」である。
私たちはそれを近くし,それに伴って行動も変化していく。
そして,「デザインされた現実」は,常に再デザインされている。

デザインする=秩序を変化させること
       異なる意味や価値を与えること
 →ふるまいや,アフォーダンス,こころ,現実の変化が伴う

☆人間に生の現実はなく,すべての人間の行為は人工物とセットになった
「行為’(デザインにより変化した行為)」だといえる。

《授業環境はデザインできるか?》
授業=参加できる子とできない子が発生する
  →最大多数の最大幸福のジレンマ
   最少少数の最大不幸が発生する
しかし,
授業者はどのデザインが参加者の利益や不利益を想定することは不可能
  →参加者にデザインする役割を与えると,複雑になっていく
  ●一人一人のインタラクションの複雑さをどう手なずけるか。

議論:目的をもって子どもたちが授業に参加できるような授業を
   デザインしていくうえで,どのような視点や手立てをとるべきか。
  →学校は目的や動機を持っていない集団で参加している。
   最初から共通のものを持って参加するのは不可能なのでは??
   参加した後に目的をはめていくことならできるのかもしれない。

講義録,遅くなってすみません。

この講義では,私にはない視点からの議論がたくさん出て,
毎回,授業後に考え事タイムを設けていました。
教師になった時に,教室=「学びの場」としてデザインできるよう
授業で見つけた色々な視点をもとに,考えてきたいと思います。
(考え込んだら,話に行くかもしれません。
 その時は,また議論していただけると幸いです^^)
半年間,ありがとうございました。

133.34.76.128 , sciedu1-11.edhs.ynu.ac.jp ,


61 名前:梶原弘子:2011/07/21 14:12 ID:Wy+SA1gw

デザインド・リアリティ 第U章
要約:世界の意味や価値を維持し、自分たちの自律性を形成しているものは、
さまざまな道具やルール、制度、行為者たちが混ざり合った
「ハイブリッドな集合体」の効果で表れる。
人が何を求め、考え、感じるかは社会技術的環境に依拠しているのである。

事例:同規模の焼き肉屋で性能の異なるオーダーコールを使うと、
実践の中に埋め込まれて、店員の行為が変わる。
それは、利用可能な人工物で店員の「パーソナル・ビュー」が異なり、
内なる「意図」や「計画」、「欲望」は変わってくるから。
その道具の設計者や設置者の意図を超えることもある。

仕事を続けながら、大学院で学ぼうと考えたのも、
愛車で駆けつけることができる社会技術的環境も一因。
また、この世に眼鏡がなかったら、
学ぶ意欲は、自分の年齢にとっくに負けてしまっていたかもしれません。

議論:文化心理学の視点から宮沢賢治「春と修羅」序の表すもの


210.227.76.23 , gw1.edu.city.yokohama.jp ,


62 名前:早川和彦:2011/07/29 05:45 ID:WQs5G3Ws

学習心理学講義、毎回興味深く拝聴させていただきました。

初回のガイダンスを仕事の関係で欠席してしまい、
報告者になれなかったことが残念です。

さて、学校(教室)における学習は部活動やリトルリーグと
違って、近所にたまたま住んでいる子どもをランダムに
編成した「クラス」であり、学習の動機・意義・リアリティの
ない空間であること、したがって徒弟制度のように状況に
埋め込まれた学習空間ではない学校は、世の中で
“一番教えにくい場所”であること。
であるからこそ、学校教員は教える工夫が必要であること。

このような意識が共有できた講義だったのかな、と
理解しております。
またこのことは現職教員にとっては「教える工夫」に
ついて常に真摯に研鑽を積まなければならないことを
銘記させたと思います。

一方、常々考えていることは生徒たち(そして我々も)は
学校の中だけで学習(勉強)しているわけではない、と
いうことです。
学校以外にも、それこそ状況に埋め込まれた学習空間は
無限にあると言ってよいでしょう。

そう考えると、我々現職教員も「そんなに気張らなくても
よいのかな」と講義の後半あたりから思ってきた次第です。
(だからといって、教授方法の工夫に手を抜いてよいと
言いたいわけではありません)

また、有元先生が最後におっしゃっていた、「現職教員は
独りよがりな教師万能主義(教員は生徒のことを何でも
知っていると思うことor何でも知ろうとすること)は
さけること」という言葉も、厳しい言葉とは裏腹に、
私には肩の荷が下りる思いで聴いておりました。
(そんなに気張らないでよい、といわれている気がしました)

最後になりましたが、報告者のみなさま、毎回さまざまな
趣向を凝らしての発表、勉強になりました。
そしてなりより、有元先生のファシリテートの技術、
脱帽いたしました。
125.206.24.1 , i125-206-24-1.s30.a048.ap.plala.or.jp ,


63 名前:須田拡成:2011/07/30 20:49 ID:pf1eAcfc

 早川さんの書き込みに勇気づけられて、私も一言書き込みます。
大変勉強になりました。あの場を共有できた皆さんに一言お礼を言いたかった。
「皆さん!ありがとうございました。m(_ _)m 」
いい歳になって、本気で議論することがずいぶん減っている中で、
お恥ずかしい話、数十年ぶりに激情が走りました。言い換えれば、
私の中にもまだ何か残ってるんだということを再確認できた瞬間でも
ありました。
 若い発表者の皆さんの設問の、一つ一つが新鮮でした。
深く考えさせられました。ありがとうございました。
 有元先生の人柄もあるのでしょうが、あの空間は独特です。
火曜日が楽しみだったしワクワクしました。
 後期も楽しみです。






27.83.45.68 , KD027083045068.ppp-bb.dion.ne.jp ,


64 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2011/08/04 07:59 ID:???

>>58-59 平野大二郎さま

人間とはagent-acting-with-mediational-meansであるということを
一番気付く(べき)立場にいるのが教員やコーチだと思います。
mediational-meansによって遂行能力が変わることを間近でみるの
ですから。でも、えてして"-acting-with-mediational-means"の
部分が見えず、これはこの子自身のagency(行為主体性)なんだ、
と見てしまう。
そうするとmediational-means、この場合は教材、教具、教授法、
学級運営、つまり教育環境のデザインの見直しを忘れてしまう。

だから、既におわかりの通り、以下の問はピントがずれている。

> 個人の発話行為から教室談話を活性化させるための「道具」には、
どんなものが考えられるだろうか?

むしろ、

>→どうすれば「道具」が活性化されるのか、という視点が重要。

というわけです!

>いい授業のためには、「だれが」「どんな考え方を持っているのか」
それを「どうつなげていくと」 「どんな課題解決になるのか」といったところが大切

まさにそうですね。子供が最高に知的にふるまえるように準備するのが
我々の仕事です。カーボンバーとその使い方をデザインしてやるわけです。

65 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2011/08/04 07:59 ID:???

>>60 樋口麻美さま、講義録ごくろうさま。

>→学校は目的や動機を持っていない集団

このあきらめ、または初期条件の認識から始めるべきでしょうね。

「毎回,授業後に考え事タイムを設けていました。 」って素晴らしい。
とても感激しました。受講者に「考え事タイム」をもってもらえる授業が
できたら、授業者として感無量ですよね。いつでも部屋を訪ねてください。
メイルでも結構です。議論をつづけましょう。

66 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2011/08/04 08:00 ID:???

>>61 梶原弘子さん、おつかれさまです。

>仕事を続けながら、大学院で学ぼうと考えたのも、
>愛車で駆けつけることができる社会技術的環境も一因。
>また、この世に眼鏡がなかったら、
>学ぶ意欲は、自分の年齢にとっくに負けてしまっていたかもしれません。

↑詩のようですね。学習動機詩だ。
学習動機に年齢はまったく関係ないです。
行うは易し、学ぶは楽し。だらだらと生きて日々を繰り返すのは
簡単ですが、タイクツである。
学習するというのは、つまり自分を変えようということです。
そういう時は年齢に関係なく来る。つまらない小さなことでも、
自分を変えたいという局面は素晴らしい。すごく人間的。
講義冒頭にも言ったけれど、学習は人間らしらの基本だと思うのです。


67 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2011/08/04 08:01 ID:???

>>62 早川和彦さま、おつかれさまです。

感想をありがとうございます。他の方も感想、コメントがあれば
おねがいします。

>“一番教えにくい場所”であるからこそ、
>学校教員は教える工夫が必要であること。

↑このことが少しでも伝われば良いです。
この「工夫」というのも2種類あるとおもうのです。
一つは外発的な工夫。これは労働と同じです。
奴隷を鞭でおどかして働かせたり、労働者を賃金で労役に向かわせる
やり方。もし学校が労働と同じなら、そんなことばっかりになる。
成績はこの場合賃金です。うわー、つまらない。どちらにとっても。
もうひとつの工夫は内発的動機づけ。これは工夫なのかな?
スポーツ選手もサラリーマンも、意義のあることだと思えば、
奴隷が鞭でおどかされてもいやがるような苦役に立ち向かう。
現実的な役割をもって意義のある文化的実践を行う時、
行為者の中には強い動機がわくわけです。
これは学習者に対する工夫ではない。
みんなで何かに取り組もうとする社会的文化的動機づけですね。

そんなこと教室でできないかも知れませんね。
でも、そうあればいいな!と皆思うと思うのです。
そのことがウィルスのように、皆さんの中に潜んで皆さんの先生魂を
うずうずさせられれば、講義の目的は果たせたと思います。

68 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2011/08/04 08:01 ID:???

>> 63 須田拡成さん、ごくろうさまです。

>あの場を共有できた皆さんに一言お礼を言いたかった。

↑これまた授業者として感激です。
そんな講義はなかなかできない。
教室の仲間に感謝したくなるような濃密な時間を作れたら、
先生としてサイコーじゃないですか。
ほんとは皆さんをもっとこてんぱんに論破してやり込めたかったの
ですが、主役は皆さんなので必至に我慢しました(笑)
一生懸命しゃべんないように我慢する授業も、きっといい授業
なのでしょう!
たいへん楽しかったです。
これでオサラバもさみしいので、これが私と皆さんの対話の
始まりだと考えて下さい。研究会、学会、論文、そして研究室で
続きをお話ししましょう。

69 名前:高尾愛佳:2011/08/30 19:35 ID:pJffqG5c

大変遅くなりまして申し訳ございません。
7月5日、デザインド・リアリティ第3章のまとめを書き込みます。

・技術は私たちの行為の可能性を変える。
またそれによって技術も進化を方向づけられる。
現実は道具によって媒介され、
私たちのこころのあり方もまた変調していく。

・カメラ付きケータイやメモ、かけ算九九、元素記号
に例が見られるように、欲求は道具とセットになって現れてくる。
(誰にどう伝えたいか、どのように数えるか、など)

・技術を生み出すときは、すでにあるものをとりあえずくっつけてみる。
新しい技術が誕生するたびに、私らしさを表す手段は変化してきたが、
その中で生き残る技術は、人々の欲求をつかんでいる。
技術が引き起こす欲求は、その技術がなくなったとき、どうなるのだろうか。

・子どもたちに教えるとき、導入部分では本物を用いて迫力や壮大さなどを
伝える必要があり、道具を用いるのはその後の展開にするべきである。

以上です。
半年間、濃い授業に参加できて感謝しております!
ありがとうございました。
126.144.102.139 , pw126144102139.104.tik.panda-world.ne.jp ,


70 名前:村井淳子:2011/08/31 14:13 ID:i3yALEpw

書き込みが大変遅くなってしまい、申し訳ありません。
輪読担当部分のまとめを書き込ませていただきます。

7月12日『デザインド・リアリティ』第]章
【要約】
人間は世界を自分の好みに合わせてあつらえてきた。
世界を秩序立て、単純にし、対象化し、熟考しなくても、
衝動のまま行動できるように工夫してきた。
現在安定している世界の文化も、常に崩壊の可能性を秘めている。
私たちにはこの世界を維持し、そして再デザインする仕事を任されている。


・人工物の系譜は、私たちの記憶の様式に影響しているだけでなく、
 私たちの主体性そのものを形づくっている。
・活動の動機はどこか皮膚の外にあるのに、自らの内なるものだと誤認している。
・欲望は、私たちの内なるものでも、人工物でもなく、それらの集合体の効果である。

「スキャフォールディング(足場掛け)」by.ブルーナーら
⇒学習者単独ではできない課題を、親や先生、仲間など、
 より能力のある他者が援助し、実行可能にする工夫のこと。
 学習が進むにつれ、徐々に足場は取り外され、
 最後には自己制御された自律的な主体が姿を現す。

・独力であるということが極めて社会文化的である、
 ということには他者の集合的な工夫と努力が貢献しているということ。

【議論】
●学ぶことを目的としていない集団である学校の子ども達に、
 どのように学習の動機づけを行えるか?

【感想】
この講義での様々な議論を通して、
学校教育を行うことの難しさを改めて実感しました。
私は将来、小学校教諭になることを目指していますが、
学校には家庭や塾では経験できない、集団を通した学びがあると思います。
教師や仲間と学び合う中で、子どもたち一人ひとりが個人の能力を最大限に伸ばす
ことのできるような学びの場を提供できるような教師になりたいなと思います。

以前までの自分にはなかった新たな視点が持てるようになり、
とても面白かったです。
有元先生、受講生の皆さま、半年間ありがとうございました。
機会があれば納得会にも参加してみたいと思っています。
これからもよろしくお願いいたします。
133.34.76.128 , sciedu1-11.edhs.ynu.ac.jp ,


71 名前:書けませんよ。。。:停止

真・スレッドストッパー。。。( ̄ー ̄)ニヤリッ

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