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[院]ABBM080 生態学的学習論演習

1 名前:有元典文@管理者 ★:2004/04/13 11:55 ID:???

ABBM080「生態学的学習論演習」に関するスレッドです。

前期 2単位 1〜2年対象 1-405

2 名前:有元典文@管理者 ★:2004/04/13 20:55 ID:???

20040413 イントロダクション[配布物 講義掲示板URL]:履修目標=学習が社会的にデザインされている・デザイン可能であることの理解
最後に成果物(発表論文集等)を残して継承していきたい。

次週20日:授業方法相談、グループ分け[準備: 各自のフィールドで矛盾点、問題点3つ挙げる]


3 名前:有元典文@管理者 ★:2004/04/20 20:36 ID:???

20040420 (個別に発問するスタイルで、権力関係を可視的にした。途中で気づきまた指摘を受ける。改善したい。豊かな人の知恵の交わりとしての対話の場にしたいです。乞うグッドデザイン)
柳さん、芦沢さん、それぞれのフィールドでの学習上の問題点をうかがった。

次週27日: 意見交換の場をデザインしてください。その後、本日の続き。

4 名前:有元典文@管理者 ★:2004/04/27 20:22 ID:???

20040427 前回担当者がその回の司会2名+書記1名を決めてスタート。講義録は今回から書記に任せます。では村井さんよろしく!

5 名前:ムライ:2004/04/27 21:33 ID:pGtry3k2

20040427(暴風雨) 本日の講義
柳さんが持ってきてくださった「日本語教育」のビデオを視聴。
各自どのような感想をもったか?(意見交換)
 ⇒先生が怖い・実際に役立つのか・これは活きた場か・
  外国語の文法を知る上で重要・より文化に根ざした方が…etc.
「教える」って何?(教育観は様々)
 ⇒実際に教えてもらおう!(身体観察・九九・知覚・スタバ)

次回:続けてビデオを観察。ミクロに止めてみてみよう。 書記 村井


133.34.73.108 , psy14.edhs.ynu.ac.jp ,


6 名前:きっしい:2004/04/28 23:37 ID:lnbVYSag

昨日は、急用のため片付けもしないで失礼しました。(要は飲み会)
なかなかおもしろい授業でした。昨日も述べたのですが今一歩言葉が足りなかった
ので補足したいと思います。
学習とはやはり、学習する側が学習することの意味や価値が垣間見えるようなもの
でなければなりません。教師はその事を見せていくことが絶対に必要なのですが、
残念ながら昨日の英語の授業の中にはその部分を見ることが出来ませんでした。
単なる言葉の繰り返しだけでは、その言葉の背景ある文化的な営みが見えてこない
のです。日本人が言い訳をどのように使っているのか、教師がよく使う「言い訳するな」
という言い方は、潔く非を認めて謝ればいいんだといっているように思います。
言い訳はマイナスのイメージがついて回っています。外国はどうなのでしょうか。
なーんていう話が前提として、自由になされていれば、全く別の意識で取り組めたの
ではないでしょうか。言葉の持つ豊かさを示していくのはとても必要なスキルだと思います。
 もう一つ
「実際に教えてください」という有元先生の言葉に本当の先生が戸惑ってしまっていて
バイト先で教えている院生の方がすらすら出来てしまったのはどうしてでしょうか。
もし、私に急に振られてもやはり他の先生と同じように戸惑ってしまうでしょう。
理由はあの場は、教師にとってのエコロジカルな場ではなかったからだと思います。
教師にとっての授業の場は、教えるべきコンテンツがあり、対象である多数の生徒がいて
成り立っています。あのゼミの場は、そのような状況を全くアフォードしていません。
ですからルーティーン化された教え方を持っている院生の方(ごめんなさい名前が
わからなくて)の方がはるかにすぐれた教えの場が出来てしまったのでしょう。でも
あのカプセル化した教え方の方が、もし、効果的であるとすれば教師にとっては脅威です。
法則化運動が市民権を持っている所以でしょう。何かコンピューターに教わっているよ
うな感じがしたのですが・・・・話が収束しませんので この辺でやめておきます。
教師の役を咄嗟に演じられない教師より




61.211.114.25 , east96-p24.eaccess.hi-ho.ne.jp ,


7 名前:有元典文@管理者 ★:2004/04/29 09:41 ID:???

>>6
>本当の先生が戸惑ってしまっていて

授業後確認しましたが、田仲三枝は普段からロールプレイをやりつけている為です。
そういうスイッチを修行で身に付けたのです。私は小さいときから人前のお遊戯が
恥ずかしくてしょうがなかった。今はどこでも何のスイッチでも入るようになりたい
と思って、心がけています。明日見知らぬ町で授業しろといわれたら喜んで出来る
ように、今レクのリーダーになれといわれればすぐ出来るように、よい議論を
盛り上げる裏方になれといわれればすぐ出来るように。

見ず知らずの雑踏を相手にすぐ「学校」が作れなくては、教員は技能職とは言えない。
たんなる仲間内での親分じゃないですか。自分が親分に過ぎないことを分かっている
ので、田中三枝に嫉妬しました。こんどスイッチの入れ方を教えて>綾、千晴


8 名前:やなぎ:2004/04/29 13:36 ID:???

ビデオの授業内容についていろいろ批判がでましたが、あのような単調な練習は
日本語教育業界でも今では一時代前の教え方とされていますので、その点だけ心に
お留め置き下さい。通常は文型パターン練習をしたあと、例えば翌日以降の授業で
遅刻者に実際に言い訳をさせるとか、授業の中でだったら生徒のバックグラウンドに
則した質問をするなどして、実際の現場での使用場面を提供することになっています。
ビデオに登場した先生もきっとそうなさっていると思いますよ。
しかし語学教師も所詮雇われの身、期間内に教えなければならない項目というのが
予めありますので、学校経営者にでもならない限り小さな自由度の中で最善を尽くす
しかないようです。あのビデオを見て、教室で教えるって難しいことだなぁと改めて
思いました。その昔、台湾で、生徒たちと現地の鍋料理を囲んで「これは何ですか?」
「ブタのアシです。」「これは?」「サカナの…メ」「じゃこれは?」「それは、
えーっととと、トリの…」「コ、ココロ」「トリのココロです! (つまり鶏ハツですね)」
などとやって盛り上がったものですが、それは遊び半分で教えても許されていた頃の話。
今ならクビかも。
61.27.161.27 , 61-27-161-27.home.ne.jp ,


9 名前:有元典文@管理者 ★:2004/04/30 13:50 ID:???

>>8
> 今では一時代前の教え方とされていますので

たぶんそれはみな了解していたと思います。
ぜひ現実的な「使用場面を提供」している授業も見てみたいですね。
実は見たことあるけど、私には本質的に同一でした(-_-;)。

「一時代前」がまた激しく持て囃されている※最中に、ただ「一時代前」と
切り捨てることは出来ないですね。教育という営みの本質が、露骨なのか
見えにくいかの違いしかないように思います。

※「学力低下」議論に後押しされた、「100ます計算」「漢字書き取り」等の基礎リテラシー教育復権を指す


10 名前:きっしい:2004/04/30 22:31 ID:l5GJ7vOc

>>8
>その昔、台湾で、生徒たちと現地の鍋料理を囲んで「これは何ですか?」
「ブタのアシです。」「これは?」「サカナの…メ」「じゃこれは?」「それは、
えーっととと、トリの…」「コ、ココロ」「トリのココロです! (つまり鶏ハツですね)」
などとやって盛り上がったものですが、それは遊び半分で教えても許されていた頃の話。
今ならクビかも。
こういうのって私はとても好きです。学習って道具を使いながら
友達とわいわいやる活動によって、いろんな事がわかってくるのだと思います。その前提にあるのは遊び心
だと思います。子どもにとっては学びと学びの境界線なんて誰もひけません。自分が心底没頭できるものが
あることってとても大切な事なのではないでしょうか。尤も鳥ハツがハーツから来る事に没頭するわけでは
ないでしょうが。・・・今朝ニュースを見ていたらロボットコンテストの事を伝えていました。
ロボットにサッカーボールを蹴らせる事だったと思います。将来的には災害救助に活躍できるというための
技術開発なのだそうですが、実際に開発している人えたたちの表情は、そのような意味のある活動を超越して
遊び心にあふれているように私には見えました。

61.211.113.212 , east95-p211.eaccess.hi-ho.ne.jp ,


11 名前:山口いずみ:2004/05/11 20:01 ID:Q+3GHa9I

2004/5/11
本日の講義:日本語学習のビデオを止めて、「教えるということ」について
ディスカッションをしました。
いろいろな方法で「確認」をしていましたが、何の為の確認なのか?必要があるのか?
というところで、多くの意見が出ました。
でも、ビデオの教師の確認は1つの「記号」にしか過ぎないということが、見えてきました。
また、「教える」という意味についてもディスカッションしましたが、何をもって教えたというのでしょうか?
少しだけ視聴した「ベッドメイキング」のビデオでも教えるということについて、いろんな見方が出てきました。

来週も、職業教育の「教える」ということから、活発なディスカッションが出来ることを願って、今日の締めとします。
書記:山口いずみ
133.34.73.113 , psy19.edhs.ynu.ac.jp ,


12 名前:有元典文@管理者 ★:2004/05/14 13:44 ID:???

参考資料
日本看護協会「組織で取り組む医療事故防止」
http://www.nurse.or.jp/jna/riskmanagement/

「ヒューマンファクター事始」
http://www5f.biglobe.ne.jp/~kotohaji/

後者が非常に分かりやすいです。前者のリスクマネジメントは現実的で
ないと感じました。役に立たないと思います。例えば「インシデントレポート・
事故報告書を看護管理者に提出します。」 または報告を婦長に上げるように
言っています。事故発生のメカニズムを記述するための調査の原則は責任追及の
取調べにしないこと。大丈夫かなぁ、日本看護協会(と、挑発してみます)。
反応待つ。是非上記サイト読み比べてみてください。

13 名前:有元典文@管理者 ★:2004/05/14 13:51 ID:???

>>12 あ、精読してみると、日本看護協会の言うところのリスクマネジメントとは
ヒューマンファクターエラーを制御することではなく、マスコミ、訴訟等の社会的
リスクを管理するものでした。いや、いやみでなく。興味深いです。

14 名前:やなぎ:2004/05/17 08:42 ID:???

事故防止は、関わる人がエラーの発生をどう理解し受け手にどう伝授するかに
かかっているようですね。
ミャンマーに住んでいた時に、アメリカ国防省発行の海外在住時の身の守り方
マニュアル(翻訳版)が日本大使館から回ってきました。日常生活に潜む危険が
とてもよくわかる具体的な内容でしたので、さっそく取り入れたのを思い出します。それに対し
G務省の海外危険情報はどちらかというと前者(看護協会のサイト)のトーンに
近い気がしました。
61.27.161.27 , 61-27-161-27.home.ne.jp ,


15 名前:たきざわ:2004/05/18 13:52 ID:2rvdEpIo

G務省・・・(笑)。やっぱり事例が多いとわかりやすいですね。具体的だと日常生活に取り入れやすい。
でも,自分がマニュアルを作ったら日本看護協会のような形式になてしまいそう。現場の人としては使いにくいでしょうねぇ。
133.34.73.234 , insei01.edhs.ynu.ac.jp ,


16 名前:芦澤:2004/05/19 10:32 ID:???

2.佐藤さんの来校の待ち時間を使って、「ヒューマンエラー対策」実態について。
  森下さんの「貸し会議室受けつけ業務」アルバイト体験から、
  2年間ミスがなかったと聞き感動しています。
  Wチェックシステムにしてもおきるものは起きる。
  それでもなかったとしたら、やはり優秀な学生だから
  かな、それとも「 らしくないねえ」の一言の重みなのかな。
 ‘内なるケイタイ’が形成されたのかな??。
  詳しくは森下さんに聞いてください。
  このテーマ、だれもが入りやすく深みのあるテーマですね。
  継続してほしいです。みなさん、いかがですか。

前回仕事の都合で欠席し、山口さんに二俣川で偶然出会い、
「掲示板読んでね」と刺激をうけて今回出席です。
参加しないと面白みがつかめないなあ。
欠席は損!!! BEST BUYです。
それでは、今回の書記は芦澤でした。
次回も佐藤さんの提供のVTRを楽しみにしましょう。

221.242.148.242 , gw.niccon.co.jp ,


17 名前:有元典文@管理者 ★:2004/05/19 11:02 ID:???

>>16 追加:看護教育場面ビデオを分析的に視聴。有元が「時間+イベント+感想」のフィールドメモをとることを伝える。観察点の例:伝達される手順数(18/5分)、テクニカルターム数、分量数量の伝達法、手続きの理由説明に注目(背後に「教育メソッド」?)
説明しないことが示すベテランにとっての自明性。心理科WEBの4年掲示板、有元ゼミのスレッドにオブザーバ中村まりがより詳細に後半の講義録をつけています。参照。

18 名前:有元典文@管理者 ★:2004/05/19 11:13 ID:???

書記が別のスレッドに書き込んでいました。>>16の前にこちらを。転載し、間違った書き込みを削除します。
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名前:芦澤:2004/05/19 10:31 ID:???

5月19日講義録
 今回は三枝千晴さんと田仲綾さんの名コンビの司会で、ソフトムードでスタート。
1.題材は看護士養成用「ベッドメイキング」の授業風景のVTRです。
  (佐藤和子さん提供)
  観察記録をとりながら、観察の視点・観察内容も異なって充実した意見噴出
  (?)です。
  参加者全員:予習を前提とした授業展開だ。
        (わたくしなどは‘上シーツ’が聞き取れなかったけれど・・)
  院生   :盛り上がりがなくちょっと退屈だったなあ。
       ステージと観客のようで、対話があったほうがいいのでは。
  学校教員 :デモンストレーションがなくてもいいのでは。
       すぐに実習してからでもいいのでは。
        目的によって一方的な指導でもよい。対話がなくてもよい。
        理由説明のない箇所があって、不明だった。
        マニュアル的に覚えさせるようだ。
  企業人  :効率性を重視するなら、ピンクの中央線のあるシーツなど
        ツール開発をしてもよいのでは。
  有元先生 :観察法として、専門用語や理由説明のない箇所を収集して
        分析してもおもしろそうだ。
        意外と原始的・素朴な指導技法だ。見る側(生徒)に
       ‘内なるケイタイ’があるような授業
        展開になるかどうかが重要だ。
       (とちょっとまとめる方向になったかな。)

  若い先生なのでビデオに耐えられる容姿・声なので許せるなあ。
  教条的なのがあまり伝わらないのはなぜなんだろう。
  1時間の授業デザインであろうとも、やはりアウトプットとしての
  看護士像や基本コンセプトがないと単に徒労に終始してしまいそうだ、
  「教える」ことの基本に戻るなあとウトウトしながら2時間の帰路でした。
  それにしても、自分のデザイン場面のVTR、提供できな
  いなあ。他人のはおもしろいけれど。佐藤さんのプロフェッションに感服です。


19 名前:有元典文@管理者 ★:2004/05/19 11:19 ID:???

>>18
> 自分のデザイン場面のVTR、提供できないなあ。

拝見したい。まじです。モザイクと音声変調を施し、教育目的で講義内のみ使用と一筆書きます。みなさんもご覧になりたいはず。ご一考ください!

20 名前:トクマスカツユキ:2004/05/19 13:36 ID:kyjrM8Ig

>>18
>目的によって一方的な指導でもよい。対話がなくてもよい。
昨日のVTRを観ながら思ったことですが、
私が所有しているNCAAカレッジバスケットボールの
ゾーンディフェンスの教授ビデオみたいだと。
そのビデオも延々とゲームの中のディフェンスのシーンを流します。
解説、説明一切なし。延々と。
私はそれを見て理想的なディフェンスだと勉強になった。
でも、おそらく皆さんが見ても一ミクロンも理解できないはず。

素人が見て理解できないのは、実践者向けの教授デザインだからのはず。
昨日の看護教育場面ビデオも同じ。
なので、教え方云々の問題としてよりも、見せ方の問題かと。
なので、対話がなくても劇場型でも意図したデザインであれば、
よいのかなと思いました。
133.34.73.141 , gkr05.edhs.ynu.ac.jp ,


21 名前:有元@管理者 ★:2004/05/22 10:01 ID:???

>>20 「意図していないデザイン」が問題である理由を押しえてください。
#これは評価のための教育的質問ではないです(^_^.)。俺が知りたい。

22 名前:きっしい その1:2004/05/23 23:19 ID:mtzeWhF6

>>20書き込みが盛んになっているので、おもしろくなって一言
 確かにあの場面は、将来的な方向性の決まっている看護士さんが見ているのと、
我々素人が見ているのではその見えは全然違うものになるのでしょう。あの場面だ
けを切り取って批判的に見るのは問題だったかもしれません。私は高校の教師です
ので、どうしてもあの授業場面を高校生という視点で見ていてしまったようです。
それは、将来的な職業が簡単には予測不可能になっている状態としての高校生です。
こういう生徒に対する教育として私が心がけている事は、その教育内容が真に意味
のあるもとのとして受け止めてもらえるかという事、いわゆる(Authenticity)
正当性の問題です。おそらく看護学校では、この正当性の問題はあまり考慮されな
いのではないのでしょう。その技術実践自体が意味のあることとして自明視されて
いるからです。であるならば将来の方向性が決まっている看護士の卵たちにとって
は、ベテラン教師の技さえ見せておけば(劇場型)、学生は自然にその文脈から学
習内容が身につくものとなっていくことになっているはずです。しかし、看護教育
の場でも昨年度卒業された神原さん(看護学校の先生)のいわれるように、実技教
育の場においてさえも、学生達の学びがあまりにも不十分(看護技術修得レベルの
低下)になっている現実が報告されていました。(もちろんこれは、生活体験の不
足や、医療技術の高度化、現場体験時間の減少があるとのことですが)従来型の看
護教育では対応できない問題を含んでいるように思います。
61.211.114.36 , east96-p35.eaccess.hi-ho.ne.jp ,


23 名前:きっしいその2:2004/05/23 23:21 ID:mtzeWhF6

私はやはり、実践技術教育の場においても(教育という場においては)学習すること
の意味がわかるような話は必要であろうと思っています。要するに現実(リアリティ)
が見える場としての実践教育です。それを話すのはやはり現場を踏んでいる方でなけ
ればできないものがあるはずです。今回のビデオの中であの担当の先生は臨床の場か
らこられた方と伺ったように思います。どうして臨床の知をいっぱい語れる方が、学
校という場になると状況的でない基本的な話ばかりになってしまうのでしょうか。
もっともっとエピソードもちりばめられたはずなのに。学校いう場はやはり一般的な
知識を切り売りすることを要求する所になってしまうのでしょうか。
・・・なんていろんな事を考えて話が収束しません。掲示板ということでご容赦を

臨床の知については
中村雄二郎1992「臨床の知とは何か」岩波新書(赤版)がとても参考になります。
私は今はまっています。是非ご一読を

CAUTION! 文章が長くなると分割しないと掲載できません。元に戻ろうとすると
すべて消えてしまいました。最初にメモ帳で下書きしてから、コピーした方がいい
との有元先生からのアドバイスをいただきました。長く書こうと思う人はご注意を
尤も、掲示板 メールでは議論はしない方がいいとの事でした。
61.211.114.36 , east96-p35.eaccess.hi-ho.ne.jp ,


24 名前:有元@管理者 ★:2004/05/24 08:45 ID:???

>>23

> 現実(リアリティ)が見える場としての実践教育です。それを話すのはやはり現場を踏んでいる方でなければできないものがあるはずです。

素朴教育学だと感じました。やはり教育は「話す」ものだと。

> どうして臨床の知をいっぱい語れる方が、学校という場になると状況的でない基本的な話ばかりになってしまうのでしょうか。

興味があります。「素朴教授法(teaching methidology of plain folks)」のような
概念を提案したいです。いまのわが国では<注入-試験-評価>型が多いと思います。
何かを教える段になるとこうやって教えてしまうことがあるとおもいます。
「話し」て教えてしまいます。

でも<ずっとつきそい>型も用います。自分の子供に教えるとき、ゼミ生を数年掛けて
教えるとき、何度もおなじことをくりかえし、急がず染み込ませませんか。
<未熟だと思い知らせ>型は?5階のO先生の前でギターのアルペジオをしたら、
変な弾き方するねと「笑われ」、こうじゃないのとプロの腕前を示されました。
バンド発表会で得意そうに"Venus"のイントロのB7sus4を披露したら、熟練者が
かるく首を振ってハイポジション(高難度の奏法)でレコードと同じ音を披露。
B7はこうじゃないとダメ、他のはローポジション「でもいいけど」、と。がっくり。
全部教え方だけの話じゃないですね。教えられる側と相手のダイナミズム。
俺は息子の先生ではないし、O先生やギター熟達者も俺の先生ではない。でも学びます。
「話」さない学びもたくさんある。

> 掲示板 メールでは議論はしない方がいいとの事でした。

場が荒れることが多いと言っただけです。
こういう少人数なら荒れるほど議論してくれたほうがありがたい。

25 名前:トクマス:2004/05/24 15:33 ID:Oz4cxZIE

>>21 「意図したデザイン」は、教える側と教えられる側に「なんのための授業」か
ということについてコンセンサスが取られている、ということを言いたかったのかも…。
「無意図」がいけないのではなく、そのように見える、教えられる側が
そう思う、のがいけないのかも…。
「何のために勉強すんのか、わかんねー」という中高生は多いはず。
そういうことを私は言いたかった(はず、と思います)。
答えになってないですか?
133.34.73.141 , gkr05.edhs.ynu.ac.jp ,


26 名前:たかはら:2004/05/26 07:56 ID:3Iq3tz9Q

2004年5月25日 本日の議事録(司会:徳舛・森下)

○掲示板でのやり取りから…
・学ぶ側が知識、目的意識を持っているならば学習は成立する?
  →教える際に工夫が必要なくなるのではという危惧

○↑との関連から…
・教える側の人は教えられる側から尊敬されることが重要である?
・良い選手が良いコーチであるとは限らない。
・尊敬されるという意味では、教育内容の実践者ではない学校の教師は不利?
 (→しかし、二流の選手が監督業で成功し尊敬されることもある。例:トルシエ)

○有元先生のコメントにおいて…
・皆が「素朴教授法」をもっているのでは?(>>24参照)
・いざ、皆「教える」となるとつまらなくなる。
  →「教える」ことにについては学校の影響下にある。
・言葉で伝える「素朴教授法」。では言葉で伝えられないものは…?(例:価値観、暗黙知)
・教科書は教えることを構造化したものだが、最近では構造化されていないFAQのようなものも多く見られる。

○今後の授業方向について
・講義としてではなく、プロジェクトを目指す?
 (様々な学習場面をデザインしていくプロジェクト…)

こんな感じでいかかでしょうか?
徹夜明けで書いているので内容に不安があります。。。
不足しているところはどんどん補足をお願いします♪

133.34.73.234 , insei01.edhs.ynu.ac.jp ,


27 名前:たき:2004/06/10 23:58 ID:6EQYwkrE

2004年6月8日 議事録(司会:大森・村井 書記:瀧澤)

○講義の流れ
1.前回のまとめ⇒2.ビデオ@「看護教育の一場面(ベッドメイキング)」を見る
⇒3.ビデオについて議論⇒4.ビデオ分析A「心理検査のインストラクター」を見る
⇒5.ビデオについて議論

○ビデオ@についての疑問・意見
・デモをするだけでいいのだろうか?
・どうせ始めにデモするなら、初回の講義はビデオを見せてもいいのでは?
 → 人がデモするのとビデオではモチベーションが違うと思う
 → 熟練の技であるだけでも実践者は見る価値があると思う
・テキストと実践の違いが示されていてよかった。
 → 前回までの看護ビデオに比べたらすごくいいと思う
・「学生にやらせてみる→できない→では教えましょう」という流れの授業もありえる。
・伝えたい内容と伝えている内容は異なるのではないか?

○ビデオ分析Aについての意見
・インストラクターは水平方向を見ようとするが、2年生(教えられる側)は
 インストラクター側を見ようとしない。
・講義の目的がわからない
 → レポートの形式の学習、心理検査の理解、自己理解
 → そうだとすると、実践的な目的とは異なるという問題がある
133.34.73.97 , psy03.edhs.ynu.ac.jp ,


28 名前:きっしいその1:2004/06/12 21:37 ID:GH46tLos

今回の佐藤さんのビデオの内容はとても興味深いものでした。
講義の時も少し話したのですが、自分でまとめておくために、書き込んでおきます。
私がとてもよいなと思ったのは、この授業用のテキストが非常にうまく活用されてい
るという点でした。生徒が学習活動において、非常に重要なリソースとしているテキ
ストの内容をどのように読みとるのかということを、実践的な動きの中で見せていた
からです。シーンの中に何度か見られたのですが、テキストを読む→自分の言葉で言
い換える→身体感覚として表現するというようなものです。
「(テキストを読みながら)・・「うーんこんなのよくわかんない。」「やった方がいいわ」
「(説明するよりも)こういうポジションをとると、こうならざるを得ないのよ」・・・
メモがちょっと不十分だったために、細かな部分はやや曖昧だが、大体こんな感じだったと思います。
学生は、解説書の中に書かれたテキストだけでは、やはり十分には理解できないでしょう。
それを実際の身体感覚として説明がなされていたのは、まさに臨床の知だったように思います。
 しかし、実際学校という場ではほとんど教科書的なもの(説明文書)が使われています。
(徒弟的学習の場には奥義的なものは、テキスト化されることはほとんどないようですね)
この学校的な場には必ず存在するテキストを全く無視して、身体表現だけで説明する学習は
学校という場では、やはり成り立たないのでしょうか。でも、時としてこのテキストの説明は、
上記のように、教える側にとってはじゃま(この言葉に拘泥しすぎるとうまく伝えられない
)にさえなっているようにも思えました。テキストも教える際の一つのリソースとして、
両者のバランスをうまく取りながらなされていたのが今回の授業だったように思います。
そういう意味から言えば前回のベッドメーキングはマニュアル的、テキスト的だったのかも
しれません。学校という場では、学習のための様々なリソースの使い方を教えなければいけ
ません。それを十分に可視化していた実践だったのではないでしょうか。
61.211.113.113 , east95-p112.eaccess.hi-ho.ne.jp ,


29 名前:有元@管理者 ★:2004/06/13 07:53 ID:???

>>28 デモとテクストがセットになって、お互いの意味を構成しあう
という指摘は大事ですね。テクストの「テクスト化」。
例:ギターに関するテクスト(入門書、雑誌、etc…)の意味は、
私の技術の変化と呼応して変化し続けてる。読み飛ばしていた箇所が
非常に重要な示唆であったことに気づき、驚く。解読し損ねていたのはない。
解読すべきテクストですらなかったということ。テクストは万人に同じように
テクストではない。実践がそこに在らざれば、テクストは見えども見えず。
まず教科書を「教科書化」しなくちゃならない。

例えば、教科書の記述がこうした「実践可変性」をもつことを、
子供/初学者/ルーキー/は知っているか?
熟練者は入門書を振り返ってどう感じるか?
実践のコミュニティ内で、テクストをめぐるやり取りがあるといい。
テクストの参加者デザイン。広い意味では、家永教科書訴訟や諸外国の
圧力なんかも、コミュニティによるテクストの問い直しの例か?

教える人のためではない、実践者のための「学習心理学」を創案しなくちゃね。

30 名前:きっしい その1:2004/06/16 00:05 ID:Cu9RTcLg

6月15日 講義録
司会 柳さん 千さん 記録 岸本です
オーディエンスがそろう前に。
有元先生:大学での一般教養科目として、非常勤講師体験談
「群集の中での説法気分」を味わう。その実態を知りたいという要望が強く、
明日の講義が録画されます。次回期待・・・
◎有元先生の授業ビデオの視聴(15分間)
授業内容は学部生対象の状況論的心理学
用語解説「認知的人工物」(学生には、試験にでると通告済み)
ビデオを見て出された意見
・これまでのビデオと違って、学生とのやり取りが多かった。
・手を挙げて発言を促すなど、いかにも教えているという授業的なパフォーマンス
が目についた。
・発言に対して、教師的な評価を与えている。
・発言を促すような質問をあえて与えている。小学校的な授業のような感じ
・発言者は特定の10人くらいで、あとの学生は沈黙している。積極的な授業の
参加者は多くない。
・IREシークエンス(質問ー応答ー評価という一連の会話:Mehan1985)が目立
った。(この会話が生徒と教師との間で協同的に実行される事により、「授業」
という場のデザインがなされている。又、教師=知識授けるもの、生徒=知識を
受けるものという関係が作り出されている:まさに学校的会話の典型
日常的な会話ではとっても失礼な関係になってしまう。徒弟的な学びはこの学校
的シークエンスを起こさないようにすること。答えが見えない問題に対して、教
師が一緒になって支援していく活動が必要になる。:ちょっと補足しておきました。
参考 加藤・鈴木:認知的道具のデザイン 金子書房)
・その場がゲームであると学生がわかっていたから、発言するというように感じ
ていた。
有元T:時間や、回数をカウントした人はいなかったのかな
・同じような質問が何回か繰り返されていた。(全部で5回やった)
・以前の英語のビデオと共通性があったが、それに比べると和やかな雰囲気があった。
61.211.114.39 , east96-p38.eaccess.hi-ho.ne.jp ,


31 名前:きっしいその2:2004/06/16 00:07 ID:Cu9RTcLg

有元T:日常的な場でも、学生との関係性は作ってきている(耕してきている)。
挙手してやれば、学校ゲームだということがわかるデザイン。このことに一つだけ
でも授業の形が変 わってくるのだということを経験してもらいたい。

書記感想:学校的な場を再現するためには、どういうパフォーマンスをやればそれ
が可能なのかがよくわかるデザイン。学校文化にどっぷりとつかっていると、その
奇異さにはほとんど気付く事がない。しかし、この誘い出しシークエンス(教師と
生徒)の間では、学習者の持っている知識と生徒の知識が一致することは行われて
いても、生徒間は言うまでもなく、インタラクションによる知の創造ということは
やはり起こっていかないであろう。一見賑やかに子ども達が元気よく挙手をしてい
て、活発な議論がなされているような小学校において、授業のあり方を考えてみる
事が必要であろう。それをよく可視化させてもらえる実践でした。

お詫び:前半はまじめに取っていたのですが、自分がしゃべり出すと、
記録を疎かにしてしまいました。発言が漏れていた方ごめんなさい(-_-;)


次回は、授業崩壊のビデオ特集です。一つは岸本所有。もう一つは、
大学の授業が加わるかどうか。楽しみです。

61.211.114.39 , east96-p38.eaccess.hi-ho.ne.jp ,


32 名前:もりしたさとる:2004/06/22 20:08 ID:Mev95Ti+

6月22日 議事録(司会:佐藤・中村 書記:森下)

岸本さんの話
「県立某高校の授業」のビデオを見ますた。
内容は、音楽の授業でした。生徒達は、すばらしく個性的な行動(無限音を鳴らす地獄、
携帯いじり地獄、遅刻して堂々としている地獄等など)を取り続けました。
教師の指導に対して、全く従いませんでした。

〜それに対する感想〜
・自分がどんなに世間知らずのエリートだったか初めて知った。
あんな授業をみたのは始めて。
・やる気のない人になにかをさせる難しさを感じた。
・すごくかなしくなった。
・ビデオの授業は、もともと楽しくなかった。
・生徒のもっと好きなことをやらせたら、授業が成立するのでは・・・
・このビデオを見ると、もともと授業っていうものが、生徒たちの善意(我慢)
によって成り立っていることに気づかされる。
・あそこで、まじめに授業を受けると逆にすごく浮く。あの状態は、もはや
教室とは呼べない。

書記感想:今回の授業と世間で言われる授業の違いが面白かった。それは、
生徒に同一のリソース(資源・教材)がない。そして、一度に全体に対して
教示できる机の配置ではない。このデザインを変えてあげれば、一般的な
授業スタイルに近づくと思った。まあ、それが、本当にいい授業デザイン
なのかはこれからの課題ですが・・・。ほんとにこのビデオは刺激的だなあ(笑)

次回は、有元先生の学習院での授業のビデオ分析です。

133.34.73.234 , insei01.edhs.ynu.ac.jp ,


33 名前:きっしい:2004/06/23 23:21 ID:M8zwNPYY

昨日は、ビデオを見ていただいて貴重な意見をありがとうございました。
「あんなのは授業じゃない」「教師の対応は問題」だという感想を持たれた方も
多かったと思います。確かに事実としては、そのとおりなのですが、あの場面を
見ていた教師にとってはあまり問題性の指摘はできませんでした。というのも、
あの場が多くの教師にとっては現実の場だからです。音楽という具体的な活動を
していなければいけないという困難性を多くの教師が知っていたからです。私の
ような座学中心の授業では、少なくとも大人しく座っていてくれれば、聞いてい
ようが、聞いていまいが何となく授業に見えてしまいます。
ところが、音楽の時間は楽器なり、歌という道具を活用していなければ、授業的
光景にならないという困難さを誰しも知っているからです。(ひたすら音楽を聞
かせっぱなし、音楽ビデオをひたすら見せていたという教師の話も聞こえてきて
います)そうは言っても、楽器が全員になかったり、男子だけを相手にした時、
女生徒をほっておいた事など問題点も多々あったことも事実です。そういう問題
点を他人に指摘してもらう事によって、何とかしようという気持ちを持てた事が、
この先生にはとても大きな意味があったと思っています。この現実に対して、心理
学という理論は何を提供してくれるのでしょうか。皆さんも是非考えて見て下さい。
ちなみに、今、この学校は恐らくこういう光景はなくなっていると思います。今年
の4月から他校との統合によって、新しい総合学科高校としてスタートしました。
それによって変わったことは、偏差値が上昇した事です。最も下から、中の下ぐら
いになったと思います。
意欲的な生徒が入ってきたという嬉しそうな教師の話も聞こえてきます。でも、
これによって別の学校が一番下になってしまっています。来年からは、神奈川県は
学区を廃止して、全県1学区になります。
61.211.114.33 , east96-p32.eaccess.hi-ho.ne.jp ,


34 名前:有元@管理者 ★:2004/06/24 07:41 ID:???

ちょっと迂回した例を挙げます。
デフォルト状態のメカニズムを自覚することを書きます。

自販機の商品を取り出し口に搬送する原動力は重力です。
当たり前なので「搬送する原動力」とは思いがたいかもしれないが、
それは重力の小さい場所、たとえば宇宙ステーション等に行けば分かる。
「搬送する原動力」なしには、現行の自販機は使えない。搬送用の
ベルトコンベアが必要です。

エンジンオイルがバルブやカムシャフトを潤滑して下にあるオイルパン(溜皿)に
戻ってくる原動力も重力ですが、レース用の車では強い遠心力という別の力が
掛かるので、問題です。現代の車はオイルポンプ※で強制的に回しています。
たぶん宇宙でも同じ。

いままでうまく作用していたことが、じつはデフォルトの環境要因のおかげだった
ということです。ベル・ランカスター方式の画期的な集団講義の形式を
成り立たせていたデフォルトの環境要因は、何でしょう。
教師への尊敬の念、目上への服従心、伝達される知識の有用性、若者の忍耐力…。
いま全部ない!デフォルトの力が働かなくなったのだから、現行のシステムを
維持するには別の工夫がいるのです。またはシステムを新しいデフォルトの要因に
合わせて、組み替える。ここらへんはエンジニアリングです。

どうですか?

※詳しい方教えて。20年前レースに出るにはオイルポンプの取り付けが
義務付けられてました(JAFのレギュレーション)。いまはデフォルト?

35 名前:佐藤:2004/06/30 06:06 ID:wycczTnY

本日の授業概要   2004年 6月29日
○岸本氏より提供題材 前回のビデオに関連してフライデーの記事より「不採用高校リスト」偏差値45以下は・・・・の記事
記事内容についてのコメント各種
・某社の見解としては、偏差値=仕事とみている。
偏差値が低い(頭が悪い)=悪いことをする=万引きが多いとなる。
偏差値が高い=良いとする考え
・精神病者と犯罪を結びつけた例もあるが、
精神病者の犯罪者数と精神病以外の人の犯罪者数は比べることはできない
(母集団の違い)また、1940年代(米)黒人の例もあったが、
結果として知能が低いということのみ可視化されたのみ
・現実的には、某高校の万引き率は高い。
また、周辺の喫茶店は入店禁止やアルバイトお断りなど差別されている。
・偏差値の低い或いは、学歴の低い人を結婚相手に選ぶか?
自分の会社だったら採用するか?
○岸本氏提供ビデオ第2「物理(仕事量)の授業」を視聴
・前回とは違い授業に参加している。授業になっている。(ほっとした)
・今回の教師は、授業の準備として 道具を作成してきており
同時に身近なことに結びつけ、話術も上手であり、緊張していず、
テンポもよい、これらが結果的に学生を夢中にさせている。
(授業の結果を予測して進行もしている)
・同一の材料であればどの教師でもできるとは限らない。
授業力、適性が問われるか?
・拒否している学生が2名――何のためにいる、教師の対応に丸無視の態度(カウンセ
                                リングしたい)
                 教師もさりげなく対応していく????
  学習、教育となるもの(ならしているもの)
授業の構成や内容、環境、学習者の準備状況や受け入れ
           教師の質(人間)・・・・・・・

61.214.163.80 , p080-dnb03yokoni.kanagawa.ocn.ne.jp ,


36 名前:のりふみ@管理者 ★:2004/07/06 19:47 ID:???

あー、誰にも書記を頼まなかった!

20040706 ひたすら議論。「女は産む性」問題。ものわかれっぽい。
有元は、無理を承知で人類の理想を追求するのだとぶち上げた。
それが人権だと。この議論の本スレッドはこちら。
http://www.psy.edhs.ynu.ac.jp/bbs/test/read.cgi/graduate/1086012829/52-
参加者求む。


37 名前:せりがの:2004/07/07 23:10 ID:XIIt1y+M

はーい、書記やります。
   7月6日
1.大学院研究会での岡部先生の発表について
 デザインについての発表そのものがデザインされていた。
 デモンストレーション的な色合いが強く、講演というかたちにとどまらない新しい形態。
 深津先生の講演との相違点。


218.110.220.4 , p6edc04.ykhmac00.ap.so-net.ne.jp ,


44KB
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