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2011学習心理学講義T

1 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2011/04/13 12:46 ID:???

火曜6限、院 学習心理学講義Tの連絡、講義録、コメント、質問、対話用。

2 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2011/04/13 12:48 ID:???

2010年度記録 http://cgi.arimoto.com/bbs/test/read.cgi/lecture/1271143982
2009年度記録 http://cgi.arimoto.com/bbs/test/read.cgi/lecture/1239694836/
2007年度記録 http://cgi.arimoto.com/bbs/test/read.cgi/lecture/1176101510/
2005年度記録 http://cgi.arimoto.com/bbs/test/read.cgi/lecture/1113274990/

3 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2011/04/13 12:51 ID:???

2011年04月12日(火)講義録
タブラ・ラサ(白紙)・遺棄児
学習-教育→人間らしさ
個体の身体のみは可能性にすぎない
人間らしさ=個体+社会文化
人間らしさの再生産
教授学習を種として必要としてる
人々の実践そのものが教科書

輪読資料
デザインド・リアリティ 有元・岡部 2008 北樹出版
状況に埋め込まれた学習 レイブ&ウェンガー 1993 産業図書
文化心理学 田島信元(編) 2008 朝倉書店
文化と実践 石黒・亀田(編) 2010 新曜社
日常生活の認知行動 ジーン・レイヴ 1995 新曜社
子供の心はつくられる ヴィゴツキー 2000 新読書社

4 名前:植松夕佳:2011/04/20 07:53 ID:6zcWzptg

2011年04月19日(火)講義録
私達の世界の見えは、人工物によってデザインされている
→具体的なモノ、概念、言葉など
プリクラは、具体的なモノが人間の心を形作っている良い例
人工物があるから人の心が作られる

プリクラ以外に可視化された人間関係
・年賀状
・名刺(あげたくない人にはあげない、いらないものは取っておかない)
・サミットの並び
133.34.73.121 , psy27.edhs.ynu.ac.jp ,


5 名前:布施貴也:2011/04/20 17:09 ID:6zcWzptg

2011年4月19日(火)講義録
状況的認知論では、人の行為遂行能力を<人と人工物のセット>としてとらえる。
一見膨大な量の記憶も、コーヒーショップのカップや
野球のスコアブックを使う事で可能になる。
このように、日々我々は「ヒト」としてのハードウェアの能力を超えた
行為を、当たり前のように行っている。
人は、人工物を参照することで、他の動物には見えない新しい世界を見始めた。
では、真に「人間的な」な能力とは?微分積分が教科書なしでできる事?
足し算や引き算等、身につけてほしい能力もある。
しかし学校では多くの場合、「顕微鏡を使わずに微生物を見ろ」
といった事をしてしまっているのではないだろうか。
133.34.73.121 , psy27.edhs.ynu.ac.jp ,


6 名前:嶋野礼子:2011/04/20 19:26 ID:tIq8DBkQ

質問ほか

昨日は布施さん植松さんの内容の濃い発表に圧倒されました。
帰宅してからの疑問です。
・P33「一方で学校では」で始まる2文の理解ができていなかったのですが
 布施さんの「人工物を用いない〜」を聞けました。
 これは4行目「道具・チームへの依存の高さ」の「道具」でしょうか。
 すると「チーム」に対応するのはグループワークで能力を測る
といったことでしょうか。
・プリクラは「関係維持のテクノロジー」「こころの複雑さを成立させる
構成要素」である反面、
(携帯カメラも含めて)ことばが乏しくなっていく気がします。
植松さんの亀のお話から出た手振り身振りの会話のような、
どう伝えるか表現しようかと考える必要が少なくなります。
「こころの複雑さ」とことばのバランスはとれるでしょうか。
可視化された人間関係・・戸籍謄本類
記憶の工夫・・目印になるお店などで覚える道順
       初対面の人の名前で有名人知人を連想する
授業中に発言できるように頑張ります。。。

116.65.24.56 , 116-65-24-56.rev.home.ne.jp ,


7 名前:近田英樹:2011/04/22 18:54 ID:dXL8MLIQ

感想

布施さん
私たちの周りで、人工物ではないものとはなんでしょう?
文字や言葉はもちろんのこと、たとえば
「彼女を思うと胸がドキドキする。
この状態を恋(LOVE)と名付けよう」
という風に概念ですら人工物といえます。
(つまり共通のルールを設けて
意味や状態を共有しようとしているわけですから)

定義の問題もありますが、人工物を用いない、
ネイキッドな状態が「人間的」だとして、
その能力を計る必要性はなんでしょう?
また、そのような状態を作ることが可能なのでしょうか?


植松さん
「人工物が主体性を変調させる」
携帯カメラの例のように新しいもの、ことの出現が
新たな概念を形成し欲求を作り上げる。ということですよね。

これを突き詰めると
「私たちは自己の欲求に従って能動的に動いているつもりが、
実は自己の外にある人工物によって概念が形成、欲求が喚起され、
受動的に動いている。つまり、自己の外の人工物によって
欲求、行動がデザインされている」ということでしょうか。

この講義は一昨年にも受講したのですが、
当時は教室にプロジェクターがなく、
誰もパソコンを用いて発表することはありませんでした。
今回の布施さんの発表は、教室の人工物によってデザインされた発表であり、
発表のための工夫もまた、それによってデザインされたものである。
と考えられるのかもしれません。

初回から非常に興味深く、面白い講義でした。

133.34.73.130 , okabe01.edhs.ynu.ac.jp ,


8 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2011/04/26 12:05 ID:???

>>4 植松さん、>>5 布施さん、講義録ごくろうさま。
どちらの報告も「人間らしさ」が人間の外の具体的なモノ・コトで
生成・維持されているということでした。人間らしさが人間の外に
あること、個人の内奥にあるハズの精神が個人の外の社会的な
もので成立していることが、この考え方の面白いところです。
みなさんにもそのように考えてもらいたいです。

9 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2011/04/26 12:06 ID:???

>>6 嶋野さん

ご質問ありがとう。

> P33「一方で学校では」で始まる2文の理解ができて
> いなかったのですが布施さんの「人工物を用いない〜」を聞けました。

なんか文章が変ですが、結局理解できたと言うことですかね?
おっしゃるとおり「人工物」と「道具」は同義です。
また「チーム」は学校で例えればおっしゃるとおり「グループワーク」に
近いと思います。ただし「グループワークで能力を測る」というと、
それは能力測定の文脈になるので、「負荷を分散する」という
テーマとはズレると思います。

> 「こころの複雑さ」とことばのバランスはとれるでしょうか。

難しい良い質問ですね。どうお考えですか。
逆に問えば、複雑なことばで伝えられる心は豊かでしょうか。

> 授業中に発言できるように頑張ります

是非。みなさんも。研究とはつまり対話ですから。

10 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2011/04/26 12:08 ID:???

>>7 近田さん

> 定義の問題もありますが、人工物を用いない、
> ネイキッドな状態が「人間的」だとして、
> その能力を計る必要性はなんでしょう?

この点では私はネイキッドな状態は「人間的」ではない
可能性があるということを話しました。布施さんの解釈は
別かも知れません。

> 「自己の外の人工物によって欲求、行動がデザイン
> されている」ということでしょうか。

私はそういう側面に興味があります。
人間性の深みが実は具体的なモノでデザインされているなんて
面白いと思うのです。

11 名前:諏訪淳哉:2011/04/27 13:06 ID:ywHYDCDw

2011年4月26日(火)講義録

現実はデザインされている、普遍的な世界はない(環世界)
知覚・人工物・学習の観点から、デザインド・リアリティをみる

実践の動機は社会の中に埋め込まれている
では主体性はどこにあるのか?

授業後の友人との議論
・本能は主体性か?
・社会、文化は常に新しいものを生み出している。
これは社会によって作られた主体性の産物であるが、社会の成員は人間
である。だからこそ主体性を作り出している社会を構成しているのは
人間であり、これこそが二次的な?主体性なのでは...?
133.34.73.121 , psy27.edhs.ynu.ac.jp ,


12 名前:坂利明:2011/04/27 21:39 ID:CqM9zI66

2011年4月26日(火)講義録 その2

徒弟制の事例から正統的周辺参加の概念の理解に迫る。

非公式な徒弟制と公式な徒弟制
形態の違いはあるものの,実践共同体における参加のプロセスには類似性がある。
学習の重要な資源に容易にアクセスできたり,反対にアクセスを困難にさせてしまうケースもある。
共同体におけるメンバー間の「語り」の重要性

議論
学校の中でも徒弟的な学習の場面はあるのか。
 理科の実験の組み立て方
 部活動,ワークショップ,体験学習
学校教育における「仕上げ」とは何か。
118.1.86.132 , p3132-ipbf811hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp ,


13 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2011/05/04 08:39 ID:???

>>11 諏訪さん講義録ごくろうさま

> 実践の動機は社会の中に埋め込まれている
> では主体性はどこにあるのか?

「主体性」という語義・語感からは離れた<集合的なもの>
として想定しているわけです。講義中のみなさんの発言では
やっぱり個人の主体性は大事、育てて行かなくては、と
いった理解が少なくなかったと思います。結局はそう見える。
世界に働きかけるのは個人だという風に行為者自身も思うし、
周りの人もそう解釈する。しかしそう見える背景には
人間の社会の集合的な営みがあると考えています。
例えば、よいレジュメつくってよい報告したい、という動機は
まったく個人のものですが、極めて社会的でしょう。

> 本能は主体性か?

「本能」って科学的な概念なのかな?女の子は人形が好き、
犬は散歩が好き、みたいなことは本能のように語られるけど
思い切り社会的ですよね(犬の例→野生の犬だったら?)。

>社会、文化は常に新しいものを生み出している。
これは社会によって作られた主体性の産物であるが、社会の成員は人間
である。だからこそ主体性を作り出している社会を構成しているのは
人間であり、これこそが二次的な?主体性なのでは...?

そういう無限ループになっていると思います。


14 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2011/05/04 08:45 ID:???

>>12 坂さん、おつかれさまです。

> 学校の中でも徒弟的な学習の場面はあるのか。

その後の議論では例として部活動やワークショップがあげられましたが、
普段の授業も徒弟的だと思います。学校でのふるまい方
(手を挙げる、ノート取る、問われたら答える等)も、
周りを見ながら親方(先生)の導きによって徐々に身についていくから。

> 学校教育における「仕上げ」とは何か。

私は仕上げ無き実践が学校だと思います。
試合無き千本ノックみたいな感じ。
海に出ない船上実習みたいな感じ。
または仕上げ無き実践が仕上げであるような場所。
学校を文化と繋ぎたいと思います。

15 名前:嶋野礼子:2011/05/08 19:38 ID:00YHJQsU

有元先生

前回は朝から体調が悪くて欠席いたしました。
(この場をお借りしての報告で申し訳ありません)

質問にお返事頂いた内容についてです。

>>>>>
「こころの複雑さ」とことばのバランスはとれるでしょうか。

難しい良い質問ですね。どうお考えですか。
逆に問えば、複雑なことばで伝えられる心は豊かでしょうか。
>>>>>

日本語教育の授業の中で、
「ことば」とは何かを一言で表せば?という問いに
「思考の抜型」と答えた人がいて深く印象に残っています。

ことばの瞬発力が無い私は、深い思考をする訳ではなくても
伝えたいと思ったことが自分の気持ちや思考を表すことばになって
その場で出てこないことに少なからずストレスを感じます。

複雑なこころを持つ女子高生が仮に悩みを抱えたとすると、
それを表現する様々な”抜型”を持たなければ
複雑なこころはマッチングしない抜型を通過できず
伝わらずに苦しむのかなとそんな気がしました。

そして、
「こころの豊かさ」はシンプルなことばでも伝わると思います。
でも「こころ複雑さ」の中身については、
(伝えたいとした場合だけかもしれませんが)
やはり思考の抜型としての様々なことばが必要な気がします。





116.65.24.56 , 116-65-24-56.rev.home.ne.jp ,


16 名前:近田英樹:2011/05/10 02:44 ID:sS61UUEk

感想

主体性の話は毎回聞いていて面白いですね。

今まで自分が見聞きした話や今回の講義での議論から考えると、

@主体性は人の中にある。

A主体性は人の外(社会)にあり、自分たちの思考・行動は
社会のあらゆる人工物によって形作られている。

B社会のあらゆる人工物によって主体性は形成される(以下、二次主体性)が、
その中から取捨選択するのは自分の主体性(以下、一次主体性)である。
つまり、一次主体性と二次主体性が共存しており、
一次主体性は自分の主体性に他ならない。

C一次主体性と二次主体性は共存しているが、一次主体性の判断基準は、
社会のあらゆる人工物によって形成されたものの集合体であり、
厳密には一次主体性も人工物によって形成されたものである。


多少自分の言葉に変えましたが、これが一般的な意見でしょうか。
これらを総合して、私はこのように考えました。

人は生まれながらにその個人特有の、いわば主体性の核となるような性質
(以下、主体性核)を持っている。その後社会生活を営む中で、
あらゆる二次主体性に触れ、一次主体性は形成されていく。
しかし、主体性核が変化することはなく、一次主体性の中にも
主体性核は存在し続け、判断基準はこの主体性核と一次主体性の集合体
によって形成される。つまり、主体性とは、個人、社会の双方に混在し、
経験と進歩によって変化し続けるものである。

結局輻輳説みたいな話なんですが、いかがでしょうか?
133.34.73.130 , okabe01.edhs.ynu.ac.jp ,


17 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2011/05/11 12:14 ID:???

>>15 嶋野さん

「思考の抜き型」とは面白いですね。
抜き型ってこれですか?
→ http://www.nikko-factory.co.jp/shop/img/bnk46.jpg

私の主体性の話しはまさにこれです。
こうした抜き型は職人のプラン(意図)に強く作用するでしょう。
職人の意図を作るのは、<職人+抜き型>ということになります。
職人だけでも、抜き型だけでも、何も出来ず、両方が
合わさったところに主体性が「立ち現れる」と考えるのです。

> やはり思考の抜型としての様々なことばが必要な気がします。

思考の抜き型のことをヴィゴツキーは心理的ツールと呼びます。
道具箱に何が入っているかで、何をしたくなるか、人の主体性は
作られます。「ありがとう」という言葉のない世界が仮にあったら
感謝という情動が湧かないかも知れないでしょう。

18 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2011/05/11 16:06 ID:???

>>16 近田さま、感想をありがとう

これまででた意見が@〜Cに非常に良くまとまっていますね。
みなさんも是非この@〜Cを検討してみてください。
近田説の「主体性核」は「一次主体性」とどうちがうんでしょう。
「主体性核」をここでは行為者の行為に影響する身体的、
社会的諸要素とでも定義しましょう。背が高い、足が速い、
歌がうまい、手先が器用、家にグランドピアノがある、両親が
グルメである、日本人である、韓国人である…etc、こうした
諸要素はその行為者の意図やプランに強く影響する運命的な
要素と言えます。しかしだからといって、その人の行為を完全に
統御するものでもないです。「可能性」といって良いでしょう。
可能性としての「主体性核」または原主体性のような概念を
設定するのは良いと思います。
しかし「一次主体性」「二次主体性」というのは分けることが
出来ないと思います。人間である以上、人工物との共生が
前提となっているからです。誰か「異性を好きになる」ことを
「恋愛」や「結婚制度」等の男女間の社会的ルールという
人工物から独立に捉えることは出来ないと思います。
人工物に満ちた世界に人は生まれてくるということでしょう。
ただし:行為の認識の際は主体性を道具にします。
人の行為を、「あいつは何かの人工物に操作された操り人形だ」、
と認識することは稀でしょう。行為の背景には意図または主体性が
ある、と人は認識すると思います。

19 名前:須田拡成:2011/05/15 13:58 ID:VT4xQ7Ug

2011年5月10日 講義録
Situated leaning - Legitimate Peripheral Participation
状況に埋め込まれた学習―正統的周辺参加   ―序文―

1)要旨
人間の理解とコミュニケーションは状況に埋め込まれている。
学習を命題的知識の獲得と定義せず、特定のタイプの社会的共同参加と定義する。

人は正統的周辺参加(Legitimate Peripheral Participation LPP)という、
緩やかな条件のもとで実際に仕事の過程に従事することによって業務を遂行する技能を獲得していく。
本書は現象学的、相互作用的、実践中心的なアプローチが重要性を増す社会科学の発展に寄与するであろう。

 緩やかな条件のもと 実際に仕事の過程に従事する 業務を遂行する技能を獲得(p7 l 11)
=周辺参加      =正統的            =学習

2)議論
QUESTION  状況に埋め込まれている学習とは → outcomeがある学習

QUESTION   我々のまわりに、正統的周辺参加型の学習は、どのようなものがありますか

       数学、理科、社会等の具体的科目に関して議論

3)感想
 難解な本でした。序文を理解するにあたり、全体を読み込んだのですが、
皮肉にもその序文に助けられるといういままでにない読書経験ができました。
現在研究中の英語教育と重なる部分も多く、ちょっと驚きました。
特に第10段落の「実際の業務から切り離された訓練プログラムでは、
学習状況を処理する能力がその技能を遂行する能力とは別なものになってしまう。」は、
いつも心に刻んで英語の授業を行いたいと思いました。
 発表中、助けていただきありがとうございました。発言いただいた皆さんに感謝申し上げます。

4)付記 欠席された方もいらっしゃると思いますので
   発表の際の、「輪読資料」と「序文の14段落のまとめ」のあるyahooブリーフケースのURLを貼り付けてみます。
   うまくいくかな。
   http://briefcase.yahoo.co.jp/bc/yokohamaizumigaasuke/lst?&.dir=/501d&.src=bc&.view=l 
27.83.45.68 , KD027083045068.ppp-bb.dion.ne.jp ,


20 名前:山本美和:2011/05/15 20:01 ID:???

2011年5月10日 講義録
「子どもの心はつくられる」 ヴィゴツキー著
 第4話 情動ー子どもの情動はどのようにつくられるか

<要約>
子どもの情動過程は、子どもの行動発達段階と一致する。(ビューラーの学説より)  
110.134.245.113 , 110-134-245-113.rev.home.ne.jp ,


21 名前:山本美和:2011/05/15 20:29 ID:d/P+FA7Y

枠の広げ方が分からなくて・・・上の続きです。
●議論・・・第4話は、「情動とは何か」「情動についての学説の発展」が大部分を占めていたため、
「子どもの情動活動の形成」について意見交換をしていただきました。
内容としては、虐待を受けている子どもの例や、幼い時に両親と適切な関係ができていない子の例が上げていただきました。
先生からは、情動は人とそれ以外の物がセットになっていて一人ではできないところから、
「状況に埋め込まれている」といえるのではとのお話があり、興味深かったです。
●感想・・・ヴィゴツキーが講義した物を速記し、更に翻訳した本で、同じようなことが
何回か出てくるので分かりにくい所がありました。また、話の見出しの結論が最後に書かれていないところも分かりにくかったです。
これから、何回かこの本についての講義があるので、少しずつ慣れ、また理解も深まるのではと思っています。
110.134.245.113 , 110-134-245-113.rev.home.ne.jp ,


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