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[院]生態学的学習論演習
- 45 名前:おおしま:2006/07/28 18:49 ID:XsTkC6s6
 
-  レポート 学習への動機を可視化する道具づくり 
  学習実験の内容であった「ペン回し」は、学習への動機を調達するのが 
 難しい題材であるように思う。「指を使って回す」ということは、ペンの 
 一般的な用途と異なる。ペンの「書く」という一般的用途は、製作者の意 
 図、これまで過去にペンを使ってきた人々の行為、ペンにまつわる現代的 
 な社会通念によって支えられている。しかし、「指を使って回す」という 
 用途は、こうした社会的な後ろ支えがない。したがって、別途、ペンを回 
 してきた人々の行為や「ペン回しは善い」という社会通念が用意されてい 
 るかどうかが、学習者にとっては重要になってくる。 
  さて、現在、学校現場では「通知表」が、学習への動機を可視化する道 
 具としての機能を期待されている。子どもの動機が高まることを教師の目 
 標にするために「関心・意欲・態度」という項目を教師が評価することに 
 なっている。しかしながら、実際は、動機とは無関係な点数稼ぎ(挙手・ 
 ノート)と膨大な学習点検という現実をつくりだしてしまっているだけで、 
 「通知表」を見ても学習への動機を知ることはできない。 
  その点で、1992年から独自の「通知表」づくりを行った三浦市立A小学 
 校の事例は興味深い。A小学校の「通知表」では、「興味・関心」の項目 
 を子ども自身がつけるのである。この事例をヒントに、なぜ興味があるの 
 かを語ってもらう「通知表」をつくってもよいかもしれない。教師・保護 
 者が、子どもの動機を形成している(非人間物も含めた)社会的関係を見 
 直すための道具づくりとして、この実践は示唆的である。 
 
211.121.68.203 , HDOfa-03p1-203.ppp11.odn.ad.jp , 
 
 
- 46 名前:まえはら:2006/07/31 19:36 ID:8/ftb0Po
 
-  (課題) 
  はじめにペン回し学習実験を分析すると,わりと早い段階でそれぞ 
 れの学習者が1回目の「できた」を経験していることに気づく。なぜ, 
 このような現象が起きたのだろうか。教育者の発言に注目してみると, 
 始めのうちは,ペンの握り方,力の入れ方,指の動かし方など『コツ』 
 のすべてを伝えようとしていたことがうかがえる。このことから,学 
 習者が早い段階で「できた」を経験できた理由の1つは,伝えられた 
 『コツ』をうまく再現できたことにあると考えられる。ただし,この 
 場面で教育者が伝えた『コツ』のなかには「このへん」や「こういう 
 感じ」など曖昧で感覚的にしか伝わらないものが多かった。そのため, 
 『コツ』は完全な形で学習者に伝わっておらず,何度も完璧にできる 
 ほどの上達はなされなかったと言える。 
  以上をふまえて,より良い学習環境について考えると,学習者にと 
 って初めてのことを,できるようになるという目的で教える場合は, 
 『コツ』を明確に伝えることが習得への近道であると言える。 
  ただし,『コツ』は,教育者の経験にもとづいた知恵と工夫である 
 ため,教育者にとってはすでに当たり前のことになっていることも考 
 えられる。このように考えると,まずは教育者自身が伝えるべきこと 
 を把握し,明確化しておくことが,より良い学習環境の基礎となるも 
 のであると言える。 
 
133.34.73.110 , psy16.edhs.ynu.ac.jp , 
 
 
- 47 名前:ひろごん:2006/08/01 13:48 ID:8obYwb6A
 
-  ★☆★期末レポート―――石井 裕美★☆★ 
  
  モノがデザインされて完成するまでには、研究や失敗等で多くの時間を費やす。 
 人間も何かを習得するには人やモノと関わりながら経験と時間が必要である。しかも 
 学習には完成がなく、習得した技は別の課題への土台となる。 
  より良い学習環境に必要なのは、教授者と学習者の目標が一致することだ。達人でも 
 教える意思の無い(秘伝・学習者がライバル等)人が教授すると習得は難しい。但し、 
 学習者は達人の技を見ることで学習できる。一方、どんなに良い教授者であっても学ぶ 
 意思のない学習者への教授は難しい。しかし、その場にいる限り自然と耳や目から情報が 
 入り、何らかの学習者へのプラスとなる。極端だが、一致した目的を持つ傍観者が、得た 
 知識と適切な道具を用いれば教授者になることも可能だ。(テニススクールに勤務して 
 いた3年間、テニス技術はないが会社独自の教授法を熟知した私が、技術のある補助者を 
 使いながらインストラクターをしていた。) 
  ペン回しでは教授者と学習者の目標が一致していた。1人目の場合、教授者にペン回し 
 の教授経験がなかったことがマイナスだった。途中からの教授補助者は有効であった。 
 2人目の場合は、教授者に教授経験が生じて教授法に工夫が生じた。学習者も直接教授 
 されてはいないが、1人目の教授を見ていたためにコツを掴むのが早かった。当然3人目 
 は、洗練された教授で習得も早かった。 
  このようにより良い学習環境を得るためには同じ目標を双方が持ち、双方の見る・ 
 聞く・失敗する経験をもとに教授者が、状況に応じた柔軟な教授法をデザインすることが 
 大事である。 
 
218.225.61.246 , em246.ade.point.ne.jp , 
 
 
- 48 名前:紅林裕子:2006/08/01 15:19 ID:o0+vMxjM
 
-   ペンまわしの学習では、「できた」「できない」がその状況によって決定されていた。 
 ペン回しの成功は、ペンが回転して手に戻るという一連の作業がスムーズに行えたときに 
 みえたようであった。それは、特にやり始めた頃によくみられ、周りから「おぉ!」など 
 の声もあがっていた。しかし、次の段階では1回だけの成功では「できた」という感じが 
 受け取れなくなっていた。歓声も最初と比べると少なく、本人もそれほどのリアクション 
 はない。この段階では、数回の連続した成功が「できた」ことになっていたと考えられる。 
 学習者が自分で課題クリアの設定を次の段階へと進めたと考えられる。また、「できるよ 
 うになるまで」という声かけによる課題設定により、「できる」という段階が新たに作ら 
 れたともとれる。 
  これより、教授側の課題設定(課題クリアの設定)により、学習者の達成感、モチベー 
 ションが大いに変化することがわかる。学習者の達成感やモチベーションが持続しないと、 
 学習はうまくいかない。その点を考えると、適切な課題設定が必要である。ペン回し学習は 
 やり方を教わると、あとは学習者の練習が基本となる。つまり、学習のゴールを完璧にでき 
 るまでとすると、達成するべき目標が遠い存在であることがわかる。すると、学習者の意欲は 
 持続し難くなるのではないだろうか。よって、適切な達成課題を用いた学習環境が大切である 
 と考える。これはヴィゴツキーの発達の最近接領域に代表される。教授者が学習者に適切な 
 足場を提供することがより良い学習環境につながると考える。
133.34.73.109 , psy15.edhs.ynu.ac.jp , 
 
 
- 49 名前:おいで:2006/08/02 01:56 ID:NfZnp3LU
 
-    ビデオから、@「できる」というゴールに到る道があること(例:「さっきのが近い(ゴール 
 に到る道に)」、「どこがだめなんだろう」→ゴールへの道と比較して)、Aその道はステップ 
 に分割できること(「こうやって、こうやったら、こうなる」という説明)、Bその道はどの 
 人にも共通であること(共通の教え方)、を信じているのが見えた。 
   一方で、@’必ずできるだろうと素朴に信じているわけでなく(「できるようにしてくだ 
 さい」→「え?!」)、A’実際には説明の通りにやっているわけではなく(指導者の「ちょう 
 どよさそうなところ」という感覚、いかにできているかを指導者が第三者に指摘される部 
 分)、B’個々人の違いに気付いている(「指の長さが違う」)ことも見えた。 
  さらに、Cゴールはその場で作られていたこと(学習者の反応に先立つ指導者からのコメ 
 ント「そうそう」「いいですよ」)、Dできなくても「見えれば(ゴールが、道筋が)」指導できる 
 こと(第三者によるコメント、「今のは違う」)、E指導者と学習者の対話が説明を精緻化し 
 ていく様子も見えた。 
  これらが、「学習」の見えを構成していた。 
  「できるため」の説明作りだが、説明が詳細ならばできるというわけではない。また説明 
 はどのようにも可能であり、説明を通してゴールを構築しているとも言える。よって、あ 
 る説明がいかなるゴールを学習させているかということに、教える側は自覚的であるべき 
 だろう。例えば器楽演奏の技術習得において、指導者と学習者の対話によって、ゴールを 
 明らかにするような学習環境のデザインが考えられる。 
 
220.102.242.32 , FLA1Add032.kng.mesh.ad.jp , 
 
 
- 50 名前:はやし:2006/08/02 03:36 ID:???
 
-  課題 
  ペン回しの学習実験において、学習者は全員「ペン回しが出来るようになる。」という課題達成のために学習を行った。 
   その活動に対し、参加者が各々指導や賞賛をしている。 
  学習における指導が最も効果を発揮するのに重要なのは、「(目標達成の為の)学習への意識」である。 
  学習をもっとも効果的にするための学習環境デザインとは、学習者が上記のような意識を持てるよう整えられた空間であり、 
   又指導後も学習者が課題を達成する為に、個人で学習出来る意識を持たせられる空間であると私は考えている。 
  今回のペン回しでは学習者だけでなく、その場の参加者も課題達成のための協力をしていた。 
   それは学習者のペン回しを観察し、他の学習者へのアドバイスであったり、学習者同士の練習であったり、 
   実験を録画することにより、自分自身の学習を振り返ることができる道具(DVD)の作成であったりする。 
  上記の実験から学校の授業に照らして考えてみると、学習者(生徒)と教授者(教師)は大抵 
   一対一ではないし、学習者の意識もバラバラである。その中で教師は授業をより効果的にするために 
   教室(学習環境)をデザインしなければならない。 
  そのためには、教師は授業の短期・中期・長期的目標を明確化し、 
   その目標を達成するための道具や演出を準備しなければならない。 
   更に生徒をその目標に導く過程で教師だけでなく、生徒からの評価(ランク付けの意味ではない)や 
   生徒同士の教えあい(対話)を行える機会を設ける必要がある。そして、そのような対話が出来る教師・生徒間の 
   人間関係構築する必要があるのではないかと私は考えている。 
  
  
219.177.99.59 , softbank219177099059.bbtec.net , 
 
 
- 51 名前:名無しさん@有元掲示板:2006/08/02 03:56 ID:paPrQ7y6
 
-  「ペン回し」の学習は、旧式な教授方法である「鍛錬」や、徒弟制度に見られる「伝承」に共 
 通する。教科書も教授方法も確立されていない、この種の反復練習による苦行のごとき鍛錬に立 
 ち向かうには、高度な学習意欲の維持が必要であり、それの調達には、学習者個人にとって、 
 その学習の成果が重要で、興味の対象であり続けることである。 
  学習者にとって、成果の重要性を推し量る術は、獲得したスキルが、どの様な社会の、どの様 
 な人たちに、どの様に認知され、どの位の評価を得るかであり、スキルを獲得しての参加、認知 
 されたい社会が学習者にとって、魅力的と定義され、その行為を通して、学習者の求める社会へ 
 の参加が可視化されることである。この場合の参加者にとっての魅力的な社会とは、鉛筆に「回 
 せ」とアフォードされる特殊な集団であり、一般的に見て、役に立たない事への学習に参加する 
 変わった価値観と、無意味なことへの意欲と、その行為達成に必要な、時間やエネルギーの浪費 
 を可能にする「鉛筆回し」達人集団の属する、年代、思考、状況、価値観を持つ社会的グループ 
 である。 
  大部分の人が「学習に値しないこと」と定義する行為の中にも、学習者本人が、達成後の社会 
 的評価に価値があると認めたとき、学習者は強力な学習への動機付けを持ち、スキル獲得へ猛然 
 と邁進するのである。学習者の学習動機は、教授者や他の人が定義する、価値あるものの中に存 
 在するのではなく、学習者本人とそれを取り巻く状況の中にある。 
 より良い学習環境とは、学習者の多種、多様な学習の動機付けを可能にする情報と状況を与え 
 ることである。 
 
219.17.44.25 , softbank219017044025.bbtec.net , 
 
 
- 52 名前:會津:2006/08/02 03:58 ID:paPrQ7y6
 
-  名無しさんは會津でした。 
 失礼致しました。
219.17.44.25 , softbank219017044025.bbtec.net , 
 
 
- 53 名前:有元@管理者 ★:2006/08/02 14:30 ID:???
 
-  お疲れ様でした!これで全員の課題を受け取りました。 
 みなさんのレポートはそれぞれ特長があって面白いので、 
 ぜひおたがい良く読んでみてください。 
  
 >>45 おおしまさん 
 > 「善い」という社会通念が用意されているかどうかが、学習者にとっては重要になってくる。 
  
 通信簿のスコアの高さを善さとする社会通念が成立するまで、 
 このシステムをこつこつ使ってきた人間の努力がスゴイと思いました。 
  
 >>46 まえはらさん 
 <1回目の「できた」>って良いことばですね。 
 ビギナーズラックなのか、良くその1回目の「できた」のせいで、 
 出来る気になって、楽しくなって、学習にハマることがあるような気がします。 
  
 >>47 石井さん 
 > 同じ目標を双方が持ち、双方の見る・聞く・失敗する経験をもとに 
  
 成功したり、失敗したり、達人がいたり、ビギナーがいたり、 
 そういう混成軍であることがそもそも学習環境だと思います。 
 社会生活がそもそも学習環境だということです。 
  
 >>48 紅林さん 
 <「できる」という段階>が社会的に変化、再設定されることは面白い! 
 重要なコトだと思います。 
  
 >>49 おいでさん 
 > いかなるゴールを学習させているかということ 
  
 このことは実は自覚的になるのが難しいですね。 
 学校的な学習は、このこと(ゴールの多義性)が、制度的に単純可されていると 
 いま、気付きました。 
  
 >>50 はやしさん 
 >生徒同士の教えあい(対話)を行える機会を設ける必要 
  
 おおむね普段の生活はそうなっていると思うのです。 
 でも学校はそう組織されてないように見えます。 
 学校は、学習するには一番向いていない場所じゃないかと思います。 
  
 >>51 會津さん 
 みんながやっていることは@自分もやるべき、&A自分にも出来るはず、 
 なものとして初学者やこどもの目に映るわけですね。 
 中学の先輩がみんな族で走ってれば、自分もやるべきだし、自分にも 
 出来るはずと認識するでしょう。この2点は学習において基本的だと思います。 
 学習とは、社会文化が前提になっていることをよく示すと思います。 
  
 以上 
 
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