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[院]生態学的学習論演習
- 48 名前:紅林裕子:2006/08/01 15:19 ID:o0+vMxjM
 
-   ペンまわしの学習では、「できた」「できない」がその状況によって決定されていた。 
 ペン回しの成功は、ペンが回転して手に戻るという一連の作業がスムーズに行えたときに 
 みえたようであった。それは、特にやり始めた頃によくみられ、周りから「おぉ!」など 
 の声もあがっていた。しかし、次の段階では1回だけの成功では「できた」という感じが 
 受け取れなくなっていた。歓声も最初と比べると少なく、本人もそれほどのリアクション 
 はない。この段階では、数回の連続した成功が「できた」ことになっていたと考えられる。 
 学習者が自分で課題クリアの設定を次の段階へと進めたと考えられる。また、「できるよ 
 うになるまで」という声かけによる課題設定により、「できる」という段階が新たに作ら 
 れたともとれる。 
  これより、教授側の課題設定(課題クリアの設定)により、学習者の達成感、モチベー 
 ションが大いに変化することがわかる。学習者の達成感やモチベーションが持続しないと、 
 学習はうまくいかない。その点を考えると、適切な課題設定が必要である。ペン回し学習は 
 やり方を教わると、あとは学習者の練習が基本となる。つまり、学習のゴールを完璧にでき 
 るまでとすると、達成するべき目標が遠い存在であることがわかる。すると、学習者の意欲は 
 持続し難くなるのではないだろうか。よって、適切な達成課題を用いた学習環境が大切である 
 と考える。これはヴィゴツキーの発達の最近接領域に代表される。教授者が学習者に適切な 
 足場を提供することがより良い学習環境につながると考える。
133.34.73.109 , psy15.edhs.ynu.ac.jp , 
 
 
- 49 名前:おいで:2006/08/02 01:56 ID:NfZnp3LU
 
-    ビデオから、@「できる」というゴールに到る道があること(例:「さっきのが近い(ゴール 
 に到る道に)」、「どこがだめなんだろう」→ゴールへの道と比較して)、Aその道はステップ 
 に分割できること(「こうやって、こうやったら、こうなる」という説明)、Bその道はどの 
 人にも共通であること(共通の教え方)、を信じているのが見えた。 
   一方で、@’必ずできるだろうと素朴に信じているわけでなく(「できるようにしてくだ 
 さい」→「え?!」)、A’実際には説明の通りにやっているわけではなく(指導者の「ちょう 
 どよさそうなところ」という感覚、いかにできているかを指導者が第三者に指摘される部 
 分)、B’個々人の違いに気付いている(「指の長さが違う」)ことも見えた。 
  さらに、Cゴールはその場で作られていたこと(学習者の反応に先立つ指導者からのコメ 
 ント「そうそう」「いいですよ」)、Dできなくても「見えれば(ゴールが、道筋が)」指導できる 
 こと(第三者によるコメント、「今のは違う」)、E指導者と学習者の対話が説明を精緻化し 
 ていく様子も見えた。 
  これらが、「学習」の見えを構成していた。 
  「できるため」の説明作りだが、説明が詳細ならばできるというわけではない。また説明 
 はどのようにも可能であり、説明を通してゴールを構築しているとも言える。よって、あ 
 る説明がいかなるゴールを学習させているかということに、教える側は自覚的であるべき 
 だろう。例えば器楽演奏の技術習得において、指導者と学習者の対話によって、ゴールを 
 明らかにするような学習環境のデザインが考えられる。 
 
220.102.242.32 , FLA1Add032.kng.mesh.ad.jp , 
 
 
- 50 名前:はやし:2006/08/02 03:36 ID:???
 
-  課題 
  ペン回しの学習実験において、学習者は全員「ペン回しが出来るようになる。」という課題達成のために学習を行った。 
   その活動に対し、参加者が各々指導や賞賛をしている。 
  学習における指導が最も効果を発揮するのに重要なのは、「(目標達成の為の)学習への意識」である。 
  学習をもっとも効果的にするための学習環境デザインとは、学習者が上記のような意識を持てるよう整えられた空間であり、 
   又指導後も学習者が課題を達成する為に、個人で学習出来る意識を持たせられる空間であると私は考えている。 
  今回のペン回しでは学習者だけでなく、その場の参加者も課題達成のための協力をしていた。 
   それは学習者のペン回しを観察し、他の学習者へのアドバイスであったり、学習者同士の練習であったり、 
   実験を録画することにより、自分自身の学習を振り返ることができる道具(DVD)の作成であったりする。 
  上記の実験から学校の授業に照らして考えてみると、学習者(生徒)と教授者(教師)は大抵 
   一対一ではないし、学習者の意識もバラバラである。その中で教師は授業をより効果的にするために 
   教室(学習環境)をデザインしなければならない。 
  そのためには、教師は授業の短期・中期・長期的目標を明確化し、 
   その目標を達成するための道具や演出を準備しなければならない。 
   更に生徒をその目標に導く過程で教師だけでなく、生徒からの評価(ランク付けの意味ではない)や 
   生徒同士の教えあい(対話)を行える機会を設ける必要がある。そして、そのような対話が出来る教師・生徒間の 
   人間関係構築する必要があるのではないかと私は考えている。 
  
  
219.177.99.59 , softbank219177099059.bbtec.net , 
 
 
- 51 名前:名無しさん@有元掲示板:2006/08/02 03:56 ID:paPrQ7y6
 
-  「ペン回し」の学習は、旧式な教授方法である「鍛錬」や、徒弟制度に見られる「伝承」に共 
 通する。教科書も教授方法も確立されていない、この種の反復練習による苦行のごとき鍛錬に立 
 ち向かうには、高度な学習意欲の維持が必要であり、それの調達には、学習者個人にとって、 
 その学習の成果が重要で、興味の対象であり続けることである。 
  学習者にとって、成果の重要性を推し量る術は、獲得したスキルが、どの様な社会の、どの様 
 な人たちに、どの様に認知され、どの位の評価を得るかであり、スキルを獲得しての参加、認知 
 されたい社会が学習者にとって、魅力的と定義され、その行為を通して、学習者の求める社会へ 
 の参加が可視化されることである。この場合の参加者にとっての魅力的な社会とは、鉛筆に「回 
 せ」とアフォードされる特殊な集団であり、一般的に見て、役に立たない事への学習に参加する 
 変わった価値観と、無意味なことへの意欲と、その行為達成に必要な、時間やエネルギーの浪費 
 を可能にする「鉛筆回し」達人集団の属する、年代、思考、状況、価値観を持つ社会的グループ 
 である。 
  大部分の人が「学習に値しないこと」と定義する行為の中にも、学習者本人が、達成後の社会 
 的評価に価値があると認めたとき、学習者は強力な学習への動機付けを持ち、スキル獲得へ猛然 
 と邁進するのである。学習者の学習動機は、教授者や他の人が定義する、価値あるものの中に存 
 在するのではなく、学習者本人とそれを取り巻く状況の中にある。 
 より良い学習環境とは、学習者の多種、多様な学習の動機付けを可能にする情報と状況を与え 
 ることである。 
 
219.17.44.25 , softbank219017044025.bbtec.net , 
 
 
- 52 名前:會津:2006/08/02 03:58 ID:paPrQ7y6
 
-  名無しさんは會津でした。 
 失礼致しました。
219.17.44.25 , softbank219017044025.bbtec.net , 
 
 
- 53 名前:有元@管理者 ★:2006/08/02 14:30 ID:???
 
-  お疲れ様でした!これで全員の課題を受け取りました。 
 みなさんのレポートはそれぞれ特長があって面白いので、 
 ぜひおたがい良く読んでみてください。 
  
 >>45 おおしまさん 
 > 「善い」という社会通念が用意されているかどうかが、学習者にとっては重要になってくる。 
  
 通信簿のスコアの高さを善さとする社会通念が成立するまで、 
 このシステムをこつこつ使ってきた人間の努力がスゴイと思いました。 
  
 >>46 まえはらさん 
 <1回目の「できた」>って良いことばですね。 
 ビギナーズラックなのか、良くその1回目の「できた」のせいで、 
 出来る気になって、楽しくなって、学習にハマることがあるような気がします。 
  
 >>47 石井さん 
 > 同じ目標を双方が持ち、双方の見る・聞く・失敗する経験をもとに 
  
 成功したり、失敗したり、達人がいたり、ビギナーがいたり、 
 そういう混成軍であることがそもそも学習環境だと思います。 
 社会生活がそもそも学習環境だということです。 
  
 >>48 紅林さん 
 <「できる」という段階>が社会的に変化、再設定されることは面白い! 
 重要なコトだと思います。 
  
 >>49 おいでさん 
 > いかなるゴールを学習させているかということ 
  
 このことは実は自覚的になるのが難しいですね。 
 学校的な学習は、このこと(ゴールの多義性)が、制度的に単純可されていると 
 いま、気付きました。 
  
 >>50 はやしさん 
 >生徒同士の教えあい(対話)を行える機会を設ける必要 
  
 おおむね普段の生活はそうなっていると思うのです。 
 でも学校はそう組織されてないように見えます。 
 学校は、学習するには一番向いていない場所じゃないかと思います。 
  
 >>51 會津さん 
 みんながやっていることは@自分もやるべき、&A自分にも出来るはず、 
 なものとして初学者やこどもの目に映るわけですね。 
 中学の先輩がみんな族で走ってれば、自分もやるべきだし、自分にも 
 出来るはずと認識するでしょう。この2点は学習において基本的だと思います。 
 学習とは、社会文化が前提になっていることをよく示すと思います。 
  
 以上 
 
- 54 名前:書けませんよ。。。:停止
 
- 真・スレッドストッパー。。。( ̄ー ̄)ニヤリッ
 
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