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2006 学習動機づけ論

7 名前:三輪なつみ:2006/10/18 21:39 ID:8ITK4ipI

2006年10月18日(水) 第3回
第3回目の講義は先週勉強した「機能システム」の続きです。
船が好きなチョビヒゲおじさん、ハッチンスの「fix cyxle(3分に1回行われる船の位置決め)の研究」を紹介してもらいました。

船乗りたちは、6人で船の位置決めをします。
その6人には測定係や読み取る係、プロットする係などそれぞれ役割があり、
6人で情報を変化させながら伝播し、3分という短時間で位置を決めているそうです。
このシステムから、「個人の頭の中の神秘を探らなくてもシステム内の情報の移動で認知過程が分かる」こと、
つまり、「船を動かしているのは個人ではなく全体のシステムの組み合わせである」
という当たり前だけど誰もつっこまなかった「現実」について、ハッチンスは指摘しました。

実際に船乗りがグループで行っている、「3分で1500ヤード進む船舶の速度は何ノット?」という問題に挑戦しましたが、
紙と鉛筆を使うだけでは5分もかかってしまい、とても3分ではできませんでした。
電卓を使うと少し楽になりましたが、やはり紙と鉛筆は必要です。
一歩進んで「ノモグラム(計算済みの表)」を使えば、2つの数値を打ち込むだけでできます。
さらに進んで船乗りが使っている「3ミニッツツール」を使えばもっと楽に答えが出ます。

紙と鉛筆→電卓→ノモグラム→3ミニッツツールと文明は進みました。
「文明の負荷」が高まる(文明が進歩する)ほど、「個人の負荷」は減っていきます。
逆に言えば、個人の負荷を減らすために、文明は進歩してきました。

しかし、この流れに逆らって個人の負荷を高める場所が世の中には存在します。
「学校」です。
なぜ大人になってもめったに使わない技能をたたきこむのでしょうか。
なぜ学校では「個人の負荷を分散している社会」に逆らっているのでしょうか。
今後の講義では、この点について話し合っていきます。
また、「できない子」がいるのは個人の問題か、社会の問題かという点についても考えていきます。

ちなみに私はマニュアルで免許を取りました。
「かっこいいから」という理由でしたが、AT車に乗ってもタコメーターの意味が何となく分かるのが嬉しいです。
原理を知ることは必要ないかもしれませんが、とても楽しいことだと思います。
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8 名前:ありもと@管理者 ★:2006/10/20 08:01 ID:???

>>7 三輪さん、なんだか楽しい講義録をありがとう。
おまけにうまくまとまっています。
タコメータの件は興味深い。AT車だとエンジン回転数の原理が
分かっていても特に操作のしようがないですよね。自動ですから。
じゃあ何故タコメータをつけるのか??Excelで計算すれば済むのに
四則演算を習うことと関係あるかな。ワープロしか使わないのに
書き順を習うことと関係あるかな。考えてみてください。
俺も考えてみます。

9 名前:ありもと@管理者 ★:2006/10/20 08:03 ID:???

ハッチンスの個人頁。随分渋いおっさんになってました。
http://hci.ucsd.edu/hutchins/

10 名前:柏原祥子:2006/10/26 02:24 ID:AuwsacJ+

2006年10月25日(水)第4回
今回は機能システムの続き「ハイブリッドな集合体」でした。
鋤という人工物はハイブリッド・コレクティブつまり集合体であるということをカロンは考えました。

鋤は土を掘りおこす道具ですが、これは農夫だから道具と言えるのです。
これが鍛冶屋にとっては作る対象となります。
つまり、「鋤」が自分が誰であるかに影響を与えています。
また、「鋤」があるかないかで、規模、計画性、知識、技能など鋤を取り囲む世界の
見え全てが大きく変わります。
窓ガラスでも同様に考えることができます。窓ガラスを見て、
「この成分はなんだろう?」と考える人は窓ガラスを作る人でしょう。
「汚れているな〜」という人は清掃の人でしょう。
つまり窓ガラスが何に見えるかで、「私が誰であるか」が決まるのです。

主体と対象の間には媒介となるものが存在しているのです。
△祭りの始まりです!

先週の続きでAT車とMT車についてもハイブリッドな関係を考えてみました。
MT車にはギアチェンジ、クラッチなどAT車にない特徴があります。
(私はAT限定なので半分知ったかですが。)
この2つの主体は誰か、活動の対象はどのようかみんなで話し合いました。
ATは主体性が反映されにくい。
MTは主体性が強く反映され、その意図が伝わりやすいという意見が出ました。
この意図というのも意図がわく/わかない、種類、自分に何ができるかなど道具によって決まるのです。
意図すらも道具に影響受けるのです。
なぜ手間のかかるMTを乗るのか?これは自分が誰であるか、何ができるかを表現しているのです。

今日のまとめとして「道具が誰であるかを決める」という言葉が降臨しました。

私も隣で運転する人がMT車を上手く乗り回していたらかっこいいと思います。
遅くなりました。よろしくお願いします。
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11 名前:会津 律治(M1):2006/10/29 00:00 ID:ZZP19ooY

こんにちは、会津です。
「タコメータは何ゆえ、AT車に付いてるとですか?」と本職(本田の職員・デザイナー)に
伺いましたところ、「メーター周辺はAT・MT区別なく作るので、スピードメータのみを作ると、
かえって生産ラインの関係で、コスト高になる。必要なくても高級感が出るので良いじゃない。」
という実も蓋も無い、お話でした。

エンジンが発動しているとき、内部を肉眼で直接見ることは出来ないが、アクセルを踏み込み、
タコメータの針がレッドゾーンに飛び込むとき、いきり立ったピストンが暴れまくるのを、
知覚できるような気がします。

何ゆえ、極限まで馬力を上げ、MTを酷使し、公道において使わない技能を用いて、
国家権力の及ばない(殺人可!)サーキットで競争するの?競争しない世界も選択可能なのに。
・・んっ!?・・負荷かけまくって、めったに使わない技能で競い合うって、・・「学校」・・
「学校」って「サーキット(無法地帯)」だったの・・!?

余談:サーキットにおいてAT車で早く走るには、小さいカーブ(ヘアピンコーナー等)は
2→1→Dとレッドゾーンぎり手前まで引っ張り、変速しながら加速する。カーブの手前では
逆に変速、この場合、AT車はMT車と化す(タコメータ無しでは不可、レッドゾーンに入ると、
リミッター効いてエンジン止まる)同じ馬力、動力性能なら、素人にはこの方法のATが
MTより早いかも・・!?・・道具の使途を超えた表現でした。

219.5.246.22 , softbank219005246022.bbtec.net ,


12 名前:ありもと@管理者 ★:2006/10/29 04:09 ID:???

>>10 柏原さん、ありがとう。
>ATは主体性が反映されにくい

この「主体性」(意図)までもが、道具のありさまによって半ば決定されますよね。
これが非常に俺にはおもしろいことです。心理学の前提であるはずの
人間の主体性や自己、つまりselfが、その場の道具や他者のありさまに
よって決定されるとは!鶏と卵、状況と主体、どっちが先?
だからハイブリッドなのです。わっかるかな?

13 名前:ありもと@管理者 ★:2006/10/29 04:15 ID:???

>>11 レーサー(?)会津さんコメントありがとう!
学校はともかく、塾や予備校、その先の受験はサーキットですね。
認知の極北、現実性とか関係なく極端な課題で脳をレッドゾーンまで
ブン回す。こないだ通ってる小学校の少人数算数で、立方体の中に
直方体が食い込んでて、その食い込み部分がもとの体積の3/10で、
じゃー全体の体積と表面積は?って問題に取り組んでました。
家に帰ってオトナのxy使ってやっと解けました…。サーキットです。

なぜオトナになって使わない認知を脳みそサーキットで鍛えるのでしょう?
分かる人!俺に教えてください。

14 名前:有元@管理者 ★:2006/11/01 10:15 ID:???

申し訳ない!会議が長引きますので、休講にさせて下さい。本当にごめんなさい!

15 名前:ありもと@管理者 ★:2006/11/02 06:04 ID:???

急で本当にごめんなさい。失礼しました。

16 名前:杉浦千春:2006/11/09 15:47 ID:n83CPbOY

遅れてすみませんでした!
11月8日の授業はカロンの社会技術的環境について勉強しました。
カロンは、車で東京から京都までいくという1つの行為でも、車をデザインする人、石油を精製する人、
高速道路を建設し維持する人、運転を教えてくれた人、交通ルールを作った人など様々な人、事柄に動員しているということを言いました。
そしてそれは、誰に可視するかということによっても見方が変わってきます。
社会技術的環境の中で主体性が変わってくるということです。
このように1つの行為を見る観点は多様であり、諸要素の動員のネットワークによって行為は成り立っていると考えられます。
しかし、行為者が実際に見えているのはそれらではなく、現実の活動の対象です。
これはヴィゴツキーの三角形で表すことができます。
次回は私たちの身近に発見できる三角形を発表しあいます!!
210.136.161.201 , proxy309.docomo.ne.jp ,


17 名前:ありもと@管理者 ★:2006/11/10 03:00 ID:???

杉浦さん、ありがとう。主体が社会技術的環境によってさだまってくる、
というのはとっても刺激的な考え方です。「人間は社会的動物である」っていう
世界史なんかでよく言うスローガンの、具体的な意味だと思います。
そしてこの言い方の、心理学との違いを意識してみるとおもしろいでしょう。

18 名前:浜口莉奈:2006/11/15 23:33 ID:6KZB9WIM

2006年11月15日(水) 第6回
今回は前回の授業を受けて、紅林さんの研究した焼肉屋さんの例を下に社会技術的環境を、
実際にビデオを見たりして分かりやすく紹介してもらいました。

焼肉屋さんではオーダーコールを使用していますが、
A店では番号表示が10秒で消え、B店では消すまで番号表示は消えません。
この人工物の性質の違いによって、A店では番号を暗記しなければいけなくなり、
頭の使い方が変わってきます。
また、焼肉屋さんで使われているハンディを考えてみても、
外にある機械で保管、拡張し、認知的な人工物を入れることで人とセットになっています。
機能システムとして私たちは生きているといえます。

また、オーダーコールを使うことで店員さんが忙しさとは無縁にボタンを押し、
客にとっての店員の意味が変わってきます。
A店、B店ではこれら人工物の違いで、店員にとっての課題・分業・プランニング・記憶が
変わってきます。

私が一番印象深かったのが、A店ではオーダーコールが10秒で消えてしまい、
確認し、記憶しなければならず不便であるが、
コミュニケーションが取れ、動きがよくなるので不便な方がよいということ。
不便なことが人のつながりをつくっています。

焼肉屋さんの人工物のように人の認知に影響を与えるものを考えましたが、
時間の都合で来週の発表となります。





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19 名前:ありもと@管理者 ★:2006/11/22 09:25 ID:???

>>18 浜口さん、ありがとう。

> 不便なことが人のつながりをつくっています。

感心しました!いいこと言いますねー。
こういう感想を書いてもらうと参考になります。

20 名前:有元@管理者 ★:2006/11/22 17:39 ID:???

たびたび申し訳ありません。11/29会議のため休講にさせて下さい。
会議ばっかでごめんなさい。これを休講掲示とします。
みんなで伝えあってください。

21 名前:安宅優美:2006/11/22 22:59 ID:AdccNuNQ

2006年11月22日(水)第7回
今日は、前回の焼肉屋さんのように人工物が人の知能に影響を与えている
例を考えました。
時計・・・・電車やテレビ番組、企業の納期に影響を与えます。
冷蔵庫・・・買い物に影響を与えます。
などの考えが出てきました。

そして、「状況的学習理論」に進みました。
まず、学習とは何か?
心理学では学習を「経験による比較的永続的な行動変化」と定義します。
つまり、経験や練習によって「できない」ことが「できる」ようになった
ことが学習というのです。
このように学習を「できない」から「できる」の変化として捉えると、
できるようになることを社会から要請されているのは新入社員や子ども
たちであり、「できるもの」から「できないもの」へ能力の伝達が試みられる
のは必然です。コップの水を移し変えるように、外にある知恵や技能を
個人の中に取り込み、変化するのです。
学習理論の歴史を振り返ると、約100年の間に初期記憶研究、行動主義、認知
主義と変遷が見られますが、どれも「できない固体ができるようになる」ものという
考えの異なるバージョンです。
状況的学習論は、ある角度からは個人の変化に見えるが本当にそれはそうなのか?
という考えです。
次回はこの状況的学習論を詳しく勉強していきます。

また、今日は、フリーハンドで10cm、20cmを書いて、実際に測定するという
実験をしました。10cmの方のみんなの結果を平均すると8.8cmでした。
私達は、ものの長さというルールを体の中に受けとめているみたいです!
222.15.100.187 , ZS100187.ppp.dion.ne.jp ,


22 名前:ありもと@管理者 ★:2006/11/26 20:21 ID:???

安宅さんごくろうさまです。
「出来ないこと」→「出来るようになる」という場面が社会的だ、
という話をしたいです。学習はいつでも目に見えるものじゃなくて、
目に見えるようにする工夫によって成り立つと。

23 名前:加藤大輔:2006/12/08 19:18 ID:dIPUtZdo

2006年12月06日の講義録です。
社会文化的アプローチとこころの社会的起源についてのお話でした。
社会文化的アプローチは、レジュメでは対象は「子供」になっていますが、もっと大きく「人」を対象にするようです。
こころの社会的起源は、ヴィゴツキーの心=社会・文化という見解が一般的なようです。

また、犬のマッサージから始まった話が印象に残りました。
犬のツボマッサージは、犬自身にはできませんが、人間がやることによって初めて認識可能となります。
同じ原理で、もし、人間の見えないものを見ることができる宇宙人1号が、人間を見ていたら。
宇宙人1号に見えないものを見ることができる宇宙人2号が、1号を見ていたら…。
もし宇宙人1号が僕達の心を読めるとかだと怖いですよね…。

最後に、目をつぶって、1分たったら手をあげるというものをビデオで撮影しながらやりました。
途中、いろいろアクシデントがありつつも、なぜ授業中にできた自由時間では皆静かになるのか?という疑問が生まれました。
確かに言われてみればそうですよね。
僕も先生に倣って、こういうふとした疑問を大切にしていきたいです。
来週ビデオを観るのが楽しみです。
210.153.84.215 , proxy135.docomo.ne.jp ,


24 名前:有元@管理者 ★:2006/12/11 12:46 ID:???

>>23 加藤さん、ありがとう。
興味を持った箇所をこうして書いてくれるとハゲみになります。
犬のマッサージ→人間のXの話は、自分でも不思議な感じがします。
もうちょっと思索してみます!

ビデオぐずぐずですいませんでした…。あのあと見たら見えたんですけど。
次回ご覧に入れます。

25 名前:ありもと@管理者 ★:2006/12/20 10:30 ID:???

12月13日の講義録を御願いします。

26 名前:赤石:2006/12/20 12:23 ID:z6hRQeso

遅くなって申し訳ありません!!
本当にうっかりしていました。

12月13日の講義録です。
私たちは「今だいたい1分くらい」と分かります。
(私たちのクラスでは失敗していましたが…。)
その感覚は人間が元々持っている能力のごとく内化していますが、
何分、何センチ、何グラムなどは人間が作り出した単位であり、
その単位がなければ私たちに「だいたい1分」の感覚はないでしょう。
こころは社会に起源を持つ、社会・文化とセットだというお話でした。
それから、現実を可視化する人工物(スピードメーターとか)や、
運命を変える人工物(闇の中でも懐中電灯ができたから移動できるとか)について考えました。
218.222.1.141 , wacc1s5.ezweb.ne.jp ,


27 名前:ありもと@管理者 ★:2006/12/27 10:08 ID:???

>>26 はい、ありがとう。
人間の運命や可能性が、人間の手によって変わっていくことを
面白いと思います。寝るしかなかった夜の闇を、光で切り開いたわけです。
いまある運命や可能性もまたあたらしいテクノロジーの配置で
つねに変わりつつある。そう考えると人間はすごい。

28 名前:ありもと@管理者 ★:2007/01/09 09:50 ID:???

本年もよろしくお願いします。
明日10日、申し訳ございませんが都合により休講いたします。
有元典文

29 名前:有元:2007/01/16 20:53 ID:YMQU43LY

申し訳ないですが、17日会議のため休講させてください。
210.136.161.23 , proxy173.docomo.ne.jp ,


30 名前:鈴木 圭:2007/01/24 14:34 ID:7G2tV2QQ

 遅くなってすみませんでした
。12月20日、8回目の講義の講
義録を書かせて頂きます。

 私たちは学校で頭の中に詰め
込んでする学習以外に、日本語
の使い方などほとんどの人々が
苦労せずに修得できる学習があ
ります。
 レイヴとウェンガーは、従来
で必要だとされていた教授行為
が必ずしも必要でなく、実践共
同体への参加が重要であるとし
ました。この、学習に必要な共
同体に「正統的」且つ「周辺的
」に参加するという要素を、「
正統的周辺参加」と言います。
 学校の学習は個々の知識を積
み重ねることで学習しています
が、むしろ「あの人みたいにな
りたい」という理想の姿を目指
す方が、動機として自然なので
はないでしょうか。学校を正統
的周辺参加の観点から構成仕直
すことは、難しいが挑戦しがい
のあることと言えるでしょう。


度々遅れてすみませんでした。
気を付けます。

218.222.1.141 , wacc1s5.ezweb.ne.jp ,


31 名前:高井 聡美:2007/01/26 03:27 ID:FQrO1tNE

2007年1月24日の講義録です。今年最初の授業です☆

まずは前回までのまとめとして、人間は環境から独立してはおらず、
人間と環境とは分かつことの出来ない関係であるという話から入りました。
人もものも、決してそれ自身だけでは存在せず、
まわりとの関係があって初めて存在し得るのです。

北海道では「家畜に名まえをつけてはいけない」というルールを
子どもの頃に教えられるというお話、興味深かったです。
確かに、名まえをつけることでその動物は“食べる対象”というよりか
“愛情をそそぐ対象”としての動物となってしまいます。
人間の行為が、その動物の意味を変えてしまうのですね。
家で飼う犬にしても、名まえをつけたり芸を教えたり服を着せたりすることで
“ペット”あるいは“家族”や“友達”としての犬の存在を人間が創り出しているわけで、
そうした人間の行為がそこにその犬を存在させているのです。

そこから、ネイチャー(本質、特質)という話にも発展しました。
全てのものがまわりとの関係によって創り上げられたものであるなら、
まわりの環境と切り離したときそのものは存在し得るのでしょうか。
哲学っぽくもある、おもしろくて難しい問題だと思いました。
また、この話を聞いて、「私(自分)」のネイチャーというものも
社会の中でこそ出来ているのだと感じました。
自分ひとりの中だけで自分を理解するのはきっと不可能で、
例えば私の場合は “大学生の自分”、“末っ子の自分”、
“「あほそうだね」とよくいわれる自分”というように、
社会的な役割や地位や他人の自分に対する反応などから
自分というものを理解し存在させているのだと感じました。
鏡映的自己というのも、この話に近いものですよね?

後半は、期末試験予想問題についてグループで討議をしました。
講義で習った事項を用いて実際の教室場面の現象を説明するというものでした。
私たちのグループは、「発達の最近接領域」を使って、
基礎問題から発展問題へ、個人からクラス全体へという算数の授業を考えたのですが、
普通すぎるというご指摘をいただきました。
確かに・・・。
みなさん、本試験ではナチュラルかつロマンチックな素敵な案を考えましょう!!


61.125.37.177 , z177.61-125-37.ppp.wakwak.ne.jp ,


32 名前:ありもと@管理者 ★:2007/01/28 08:16 ID:???

>>30 鈴木さん、>>31 高井さん、ごくろうさま。
正統的周辺参加のアイディアを味わってみてください。
ホンモノの活動で勉強する、という単純なアイディアです。
今までは、勉強用のニセモノの活動で勉強してたわけ。
理論を現場に活かすのはみなさんの世代です。
高井さん上手なまとめをありがとう。
ネイチャーの話深く理解してもらったようですね。
実利的な話や実践上の問題は仕事についてから考える。
ここは大学だからうんとロマンチックなことを夢想する場所です。

33 名前:書けませんよ。。。:停止

真・スレッドストッパー。。。( ̄ー ̄)ニヤリッ

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