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2008生態学的学習論演習

1 名前:有元典文@管理者 ★:2008/04/08 09:54 ID:???

「生態学的学習論演習」に関するスレッドです。質問、コメント、議論歓迎。

2006年度はここ http://www.psy.edhs.ynu.ac.jp/bbs/test/read.cgi/arimoto/1144652417/

2004年度はここ http://www.psy.edhs.ynu.ac.jp/bbs/test/read.cgi/arimoto/1081824943/

10 名前:有元典文@管理者 ★:2008/06/03 09:18 ID:???

>>9 白石さんごくろうさま。
こういう生々しい学習の場面のことを心理学は十分にひろいあげてこなかった。
そのこと自体も興味深いことですけど。
心理的事象の内で、観察しやすく記述しやすいものを選んでいたのだろうか、と!

11 名前:有元典文@管理者 ★:2008/06/03 19:26 ID:???

ZPDの原典での表現です。

the distance between the actual developmental level as determined by
independent problem solving and the level of potential development
as determined through problem solving under adult guidance, or in
collaboration with more capable peers (Vygotsky, 1978, p. 86)

Wikiに項目が立っていました。
http://en.wikipedia.org/wiki/Zone_of_proximal_development

12 名前:酒井:2008/06/05 23:02 ID:6+kOKEv2

ヴィゴツキーの「発達を先導する学習」unity learning-leaning-development)
の構想は、「発達の最近接領域」(ZPD)の概念に具体化されており、その定義が、
上記に記されたものだと思います。
私は、この部分を「それは、1人で行う問題解決によって決定される現実の発達水準と、
大人の指導のもとで、あるいはより有能な仲間との協働によって行う問題解決を通して
決定される潜在的な発達水準との間の隔たりである」と、訳しました。
簡単に言うと、この概念が照らし出すのは、心理学の伝統的な枠組みである発達の段階論や、
測定論等の個人主義的な能力の発達ではなく、人間の発達を社会的・協働的な創造の課程とする
見方であるということでしょうか?
220.150.87.160 , 160.87.150.220.ap.yournet.ne.jp ,


13 名前:酒井:2008/06/05 23:08 ID:6+kOKEv2

上記の書きこみで誤字がありましたので、訂正します。
“人間の発達を社会的・協働的な創造の課程とする ・・・”の「課程」を、
「過程」に直して、読んでください。

220.150.87.160 , 160.87.150.220.ap.yournet.ne.jp ,


14 名前:有元典文@管理者 ★:2008/06/10 09:42 ID:???

>>12 まったくその通りです。

the actual developmental level as determined by
independent problem solving

という節は、発達レベルを操作的に定義しているとも言えると思います。
determineは「測定する」という動詞ですので、「発達レベルは個々の
問題解決によって測定されている」、と操作的に定義しているのではないでしょうか。
そして社会文化的に再定義しているのが

as determined through problem solving under adult guidance, or in
collaboration with more capable peers

のところ。

15 名前:中村 唯:2008/06/11 11:10 ID:bIWCXpHU

第5回(6/3)講義録
Practical Nursing(実践的看護技術)の論文について

2000年代前半(?)、フィンランドでは複雑な官僚主義、高齢者、慢性病者の増大から
健康・社会福祉サービスの在り方の見直しが必要とされる時期が到来し、健康・社会福祉教育では
これまでの垂直的な専門知識(狭い専門性)から水平的な専門知識(Practical Nursing)を身に着け
させる必要が出てきた。
そしてこの水平的な知識を作り出す教育・訓練とはどのようなものか?が問題となった。

基本的にこれは転移の問題であり、新しい諸状況に対応するために活動理論に
基づく拡張的学習(expansive learning)(Engestrom.1987)を取り上げる。

活動理論では、学習の単位を再定義し、従来心理学の対象とされてきた「個人」の学習ではなく
「集合的(collective)活動システムそのもの」の学習に焦点をあてるものである。
活動システムの学習が理解されて、初めて個人の学習は理解可能になる。よい学習の
過程は集合的活動によって達成される。つまり意味のある転移は集合的活動システムとのインタ
ラクションで生起する。ある状況から別の状況に転移するのは、知識と問題解決方法の協同的な造り上げであり、
共通の知識等を共有することにより組織双方が成長していくことを
開発的転移(developmental transfer)と呼ぶこととする。

Helsinki Institute of School and Health Careの3年間における教育期間のうち、
インターンシップ期間に注目し、開発的転移、水平的専門知識、ZPD、の3つの観点から詳述する。

@開発的転移
 転移は知識の持ち運びとして研究されてきたが、状況理論によれば、知識は状況に
 埋め込まれており、可搬知識(学校で教える知識は全部可搬的なはず…)の考え方は
批判される(Beach 1999,Lave 1988)。転移は集合的活動システム同士のインタラクションから
 生じ、知識の技能を移送するための積極的解釈と再構成に他ならない。

133.34.231.146 , pc-b016.ipcf.ynu.ac.jp ,


16 名前:AZU:2008/06/11 23:40 ID:uhM9eMuY

第6回(6/10)講義メモ

活動理論からみると、認知・学習の分析単位は、(個人ではなく)文化的人工物に媒介された集合的活動システムである。
媒介物(media)は、人と対象をつなぐものである。
  (例、医療装置(患者)、交通手段(新宿)、新聞(社会)、制度(社会)、巫者(カミ)など。)
こうみると、学習や学びには、社会・文化的世界がひろがっていくのがわかる。
(看護の)インターシップでは、学校での学びと仕事場での学びが混じる。
そこに、変革のモティベーションが起こる。
変革の糸口としての学校の可能性が見えてくるかもしれない。


203.136.104.84 , Air1Abq084.ngn.mesh.ad.jp ,


17 名前:原田:2008/06/22 14:35 ID:???

第7回 6/17講義録です。
水平的専門知識と越境
 新たな問題を解決するためには,実践者は自分の専門分野以外で新しい知識
 を得 る事が必要になります。そのとき、自分専門以外から知識や技術を探し
 て解決して行きます。その越境上の対象物とはその領域を超えた知識やた技術
 を活用します。組織と組織とのつながりの中で、共有して仕事をする集合学習
 です。現在は専門性が進んで分業化されているので、その専門知識や技術を
 コーディネターしていくことが必要。その人はプロデュサー、現場監督など。
 発達の最近接領域
 ヴィゴツキーの理論 日常生活で使用していたものが、時代の変化にともな
 って、矛盾を克服、組織や社会で解決する。ZPDの教育への貢献あは1.共同
 2.理論上の日常プラクティスの関係、3.プラクティスの進歩がる。
 結論:転移とは新たな理論的概念を解決し、日常の実践的な問題を2つ以上の活
 動を増加する水平的活動。最重要は組織と組織が共同チームを作り新しい活動が
 広がる。学校っこうとワークプレイスが共同的に作用するように「ラーンニングパート
 ナシップ」が大切である。学校と大学、看護学校と病院との連携など
 ビデオ鑑賞
 ヨット操作について 初心者が舵を握り、他の熟練者が3つの帆を操作して
 いく。舵の 操作で進行方向が決まるが、未熟の技術操作を他のメンバーが
 支えうまく進行していく。初心者が重要な役割を分担することで、ヨットの
 面白さを味わっていくことが大切。その面白さを味わうことで、もっとヨッ
 トの操作をうまくなろうとして学習が始まる。内的動機付けである。基本が
 大切であるが、まずは楽しさ・面白さがあるほうがより効果的であろう。
 ビデオをみて再認識しています。
218.140.5.46 , softbank218140005046.bbtec.net ,


18 名前:有元@管理者 ★:2008/06/23 22:34 ID:???

>>15 中村さん、講義録ありがとう。
もっと短くまとめて、感想も交えて書いていただけるとより良いです。

>>16 會津さん、ごくろうさま。
エンゲストロームらの考える拡張的学習は、個人ではなく組織の
学習をとらえようとします。学校が個人を変えるためだけでなく、
応用する現場を変革する原動力になるのならおもしろい。
そもそもそのために学校を始めたはずですし。

>>17 原田さん、ありがとうございます。
越境の概念は、行き詰まり意味が見えにくくなり批判ばかりされる学校に
存在意義を与えると、改めて思いました。何のために、学校的学びを
行っているのか。越境を組織的に引き起こすためとも言えると思います。

19 名前:白石綾子:2008/06/24 02:32 ID:???

ヴィゴツキーの理論 ZPD はずかしながら、先生の講義に出るまで具体的にわからなかった。
協同に学習する意味が、やっと心にはまった気がする。

210.234.23.231 , X023231.ppp.dion.ne.jp ,


20 名前:有元@管理者 ★:2008/06/24 12:22 ID:???

>>19 それはお役に立てて良かったです。私もみなさんと話しながら
理解していっています。学問は脳内で理解できることでなく、協同の中で
皆で理解を練り上げて、理解を交渉させていくんでしょう!
こうした感想、質問も掲示板にお寄せください。

21 名前:鈴木:2008/06/30 21:48 ID:V2bA0nYw

第8回講義録…というより感想です。
今回の講義では
「心理学での記憶の実験は、ヒトが何も道具の無い状態での記憶を測定する。
しかし、ヒトは日常で物事を記憶する際に様々な道具を用いている。もしくは
自分で記憶しないでいいように環境を作り上げている。心理学は記憶を
研究しているようでいて、記憶という存在を作り上げているのではないか。」
と有元先生とおっしゃられていました。
自分は「このことってマラソンにも当てはまるな」と講義中に考えていました。
当然のことながら42.195kmを「走って」目的地に移動することなんて日常では
ありえないわけで、マラソンはヒトの能力を追及しているようで、能力を
作り出しているだけなのかもしれないと思いました。
そう考えると、「能力」と言うモノはとてもあやふやで、世間で行われている
試験や競争は一体何の意味があるんだろうと自分の常識が揺らぐ感覚を味わいました。
133.34.73.97 , psy03.edhs.ynu.ac.jp ,


22 名前:有元@管理者 ★:2008/07/01 17:52 ID:???

>>21 おお、すばらしい常識のゆらぎですね。じゃんじゃん揺らがせましょう。
それが大学にいることの意味だと思います。今後も感想求む!

23 名前:鈴木 圭:2008/07/15 14:45 ID:xkqvb8AY

7/8の講義内容になります。

主体とは何か?
行為者のみでは主体として成り立たない

主体は外界と不可分である

一方、心理は外界に左右されない能力を推定し、研究している。
(例 無意味つづりによる記憶学習)
即ち、日常の当たり前に言及していない。
(心理学は非常事態心理学である)

心理学というグリッドから零れ落ちるものが存在している。

私たちが当たり前に感じているものは、実はヒトがよってたかって
人工物を創りだすことで可能にしてきたものである
(例 夜の読書←蛍光灯やそれにつながる人工物の存在)
そんな当たり前が研究されていないのでは?

133.34.73.104 , psy10.edhs.ynu.ac.jp ,


24 名前:AZUこと東:2008/07/16 09:53 ID:LDX/zeC2

この日の議論はスリリングでした。
近現代に生きる我々は、文字のある世界に生きている。
が、そうでない世界に住んでいる学習主体も多いはずです。
  エスキモーは雪に多様な表現をもっている。
  洪水の多いカンボジアの民も、実に多彩な川の名称をもっている。
  「木漏れ日」という表現は、四季のある日本ならではの表現で、英訳できない。
  東京多摩地区の稲城の人々は、お蚕を飼う作法を歌で伝承している。
  神話をもつ世界はなを、その様相が強いはずである。

人間の主体性とは、閉じた存在ではなく、自分以外のものからできていて、
  それが、文化であり、文明であり、無文字社会の文化の場合もある。
そういう人間を対象とした日常を捉えた心理学があるはずである。
学問をする者にとって、それはスリリングな話だ。
  状況論的学習論もそうだ。
  ヴィゴツキーは、「精神とは社会の相対である」と言ったそうだ。

  社会性の強いボノボ(ピグミーチンパンジー)のサイレントペタゴジー
  もそういう視点を1つの切り口にみていきたいと思う。





   
221.170.6.241 , Air1Abz241.ngn.mesh.ad.jp ,


25 名前:白石綾子:2008/07/24 06:10 ID:PHWOWWrE

30 名前:白石綾子:2008/07/21 23:25 ID:???

1、学習とは何か
学習と言えるか疑問の例
@パソコンのキーボードのファンクションキーの操作を教わり、
 作業が速くなった。
 繰り返し練習したのか、知識ではないか。
A仕事の依頼を安請け合いしないように、考えてから時には断るようにし
 た。経験は学習か
2、学習する瞬間を経験する(学習っぽい学習を経験する)
何かを学習する場を設定する。実験をする(5分間で出来ること)
実験内容
@巻き舌 A口笛 B指鳴らし Cえんぴつ回し

ビデオをみて振り返る
学習をどのようにしたのか
 生徒役・出来る人に聞く・真似る・繰り返す
    ・出来なかったら少しずつ変えて繰り返し行う
 教師役・教える人も言葉を選ぶことが難しい
感想
「発達の最近接領域」の範囲にある模倣は協同の中で学習が可能という。
 4回の実験は…既に課題の出来ている人は複数でき、出来ない人は複数
 出きていない。
 また、実験で出来る人は皆出来、出来ない人は複数出来ない。
 わたしは、出来なかった。どうしてなのか?不器用、どんくさい、と言わ
 れればそうなのだろうが、それだけでは学びにならない。
 模倣するコツがあるのか?コツを知っている人は短時間で、真似が出来、
 知らないと真似ができない。
 今までの経験で、「発達の最近接領域」の範囲にあった人は、今回の実験
 で教師役となり、この実験のように身近の細かな説明内容が「発達の最近
 接領域」の範囲にある人は模倣できたと、考えた。
 ところで、私事
  巻き舌が出来たのです。 すごく、嬉しい!?十年できなかったのです
121.2.134.67 , p028643.tokynt01.ap.so-net.ne.jp ,


26 名前:有元@管理者 ★:2008/07/24 06:22 ID:???

>>23-25 まとめてコメントします>鈴木さん、東さん、白石さん
講義のまとめにもあたると思います。
○主体と客体の不可分性:ユクスキュルの環世界、ヴィゴツキーの媒介理論、
がこのテーマで参考になります。
○精神は社会の総体:講義をノートにとろうとするとき、筆記具開発以後の
道具とセットになった「記憶」が使われている。社会の仕組みと精神は
往還している。
○学習は社会的構造:学習っぽい学習は社会的な仕組みがあって成り立つ。
日常ではまず最近接発達領域がつくられ、スキャフォールディングされ、
社会的に課題達成させてもらっている。

27 名前:有元@管理者 ★:2008/07/24 06:23 ID:???

最終課題
講義を通して学習とは個人内の変化である以上に社会的な事態であることを示した。
こうした学習の社会的性格を「スキャフォールディング※」という概念を用い、
身近な例を挙げながら説明してください。
※講義資料「座位の発達」参照のこと

28 名前:白石綾子:2008/08/01 11:34 ID:???

「スキャンフォールディング」
 他人の援助により学ぶことにより、あたかも自分で判断し行動しているよ
うになること
 ネットで調べると、語学習得場面に使われていることが多いようだった。
 今まで自分の中で模倣と考えていたことが、スキャンフォールディングの
概念に近いのかも知れず、再考が必要だ。

 ところで、スキャンフォールディングの例
 「1、2、3、4、5」が数えられること 幼児と周りの大人との関係

・指をおりながら
「1つ、2つ、3つ・・・」大人が言ってみせ、幼児と一緒にいう
・おもちゃやお菓子を数える
「1つ、2つ、3つ・・・」大人が言う
             次に、一緒にいう
 大人の質問「いくつある」
  幼児が数える。止まると、大人は援助し一緒に数える。
  数えおわると褒める。
 再び、違う場面で質問する。出来たら褒める。
・大人が遊ぶ時間がないときは、幼児番組をみせる
 番組のお姉さんやキャラクターを一緒に数え、褒められる
 「すごいね。よくできたね。」
・お風呂で、数えれれば、お風呂から出られる
 などなど、生活のあらゆる場面で、周りの大人から援助される
・数える数も増えながら同様のことを繰り返す。
・幼児は、質問されなくとも、物などがいくつあるか、数えられるように
なり、数を使いながら生活していく。
 
210.169.102.37 , V102037.ppp.dion.ne.jp ,


29 名前:岡崎ちひろ:2008/08/01 17:39 ID:g4Ylj6nE

私とスキャフォールディング

今、私は私の意志に従って自分の好きなように書いたり消したりしながら、文章を書いている。
本当に自分の意思か?本当に自由か?これは自律的なものか?

まず、PCが無ければ文章を書けない。掲載できない。
書く・掲載するを可能にする人工物があって初めて、こうして文章が書けている。
先生がこの掲示板を与えてくれて、どっかのおじさんがPCを与えてくれているから、
つまりスキャフォールディングをアレンジしてくれているから、書ける。

ん、ちょい待て待て。私の思考は自己制御のみでなされたものか?
例えば、授業がなければ、スキャフォールディングについて知らないし、考えない。
私の思考は、周囲の人・モノの中で、社会文化的に培われた思考。
私の知識・思考そのものもスキャフォールディングの上に成り立っている。

そうなると、私はスキャフォールディングまみれ。
自身の中に足場は深く浸透していて、自己なるものと足場は分離不可能である。
私は確かに自律的に文章を書いていると実感できるが、この自律性は社会的に達成されたものである。

寝るも、食べるも、みんなそう。 みつを
218.47.89.17 , i218-47-89-17.s02.a014.ap.plala.or.jp ,


30 名前:原田美枝子:2008/08/02 00:01 ID:???

私とスキャフォールディングとは、
スキャフォールディングとは学習者が他の援助をかりて今までできなったものができるようになる。
これは私の日々の実習指導そのものです。毎朝、ベットサイドに学生ともに観察に行きます。
観察に行く際、事前に学生が考えた観察項目とその根拠を確認しておきます。まず、ベットサイドいくと
学生は必要な観察をしながらバイタル測定をしていきます。学生がバイタル測定後、
不十分な観察方法を教員が具体的に追加質問と具体的な観察方法を学生の前で実施
しながら補足をしていきます。
そして、ナースステーションに帰り、学生の知識不足と不足測定方法の再度確認し
直します。
その後は、学生は日々繰り返し観察していきますが其の都度、不十分の部分を指摘
されながら確実に観察ができるようになります。それから、学生はバイタル測定は
学生自身が自信をもって測定できる一つの看護技術になります。
218.140.5.46 , softbank218140005046.bbtec.net ,


31 名前:東 宏乃:2008/08/07 13:37 ID:n9nM2M86

私とスキャホールディング(足場)
私は未熟児で生まれ、保育器の中で人工授乳によって育てられた。
親は放任主義のスパルタ教育で、私は野生児のように育った。
幼稚園と小学校低学年では、「体験」することが社会的発達の足場となった。
発語が増え、おはしが使えるようになった。
私にとってみれば、1つ1つのことを必死で「やってみて」できるようになることが重要だった。
「体験」とは何か。
状況論的学習論でも、発達の最近接領域論でも重要になってくる要素である。
その「体験」を補佐するのがスキャホールディング(足場)であると考える。
1人ではできなかったことが、外界との接点をもつことでできるようになる。
「挨拶」しかり「演算」しかりである。
学習とは、個人的な出来事ではなく、極めて、社会文化的な出来事であるといってよい。
鈴木大地選手が、ゴムひもで引っ張ってもらって速く泳ぐ感じをつかむ効果を研究した点もおもしろい。
つまり、スキャホールディングとは、
個人の自律性・主体性を社会的に達成されるものとみなす思想なのである。
有元は、スキャホールディングとは、
自己制御と他者制御の混交した生態学的な人間の姿を代表しているという。
 人という存在はおもしろい。
いかにして、ヒトは人間になるのであろうか?
人間の研究だけでわからないことは、チンパンジーとヒト、
人間との関係をみて解明していきたい。
その時に、スキャホールディングという思想もきっと役に立つ。




61.193.64.196 , Air1Aad196.ngn.mesh.ad.jp ,


32 名前:書けませんよ。。。:停止

真・スレッドストッパー。。。( ̄ー ̄)ニヤリッ

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