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2009教育の心理学
- 1 名前:有元@かんりしゃ ★:2009/10/16 19:01 ID:???
 
-  後期月曜2限教育の心理学講義録及び対話用 
 
- 7 名前:有元@かんりしゃ ★:2009/10/26 21:54 ID:???
 
-  本日の投影資料 
 参加としての学習 
 必要とすべき課題を、苦労なくほとんど誰もが身につけられる教授方法があれば、それは教育の夢である。しかし、その夢は、私たちのふだんの暮らしや仕事の中での学びでは、当たり前に達成されていることが多い。“デザインド・リアリティ”より 
 コスプレ写真等 
 コスプレは個人の独創ではなく文化的実践 
 R:誰でもコスプレができるようになって、マナーの悪い若いやつが増えてきて、そういうのは問題ですね。いきなり来て(写真を)撮って行ったり、普通に街中をコスプレして歩いたりとか。そういうのはほんとやめて欲しい。 
 [R、27歳、女性、社会人] 
 T:とられたはダメですね。とにかく注目を浴びたくって、そういう格好をする人がいるんですけど、露出すればカメコが集まるのは当たり前なので。 
 [T、21歳、女性、大学生] 
 日本人らしさ、性差、コスプレ…etc。経験によって、できなかったことができるようになることを学習と呼ぶならば、これらも学習 
 学校の学習との違い: 
 驚くほど多くの人がほぼ間違いなく習得すること、 
 ほとんどの場合それらしい苦労を伴わないこと 
 佐藤(1985)は、暴走族のエスノグラフィーを行っている。暴走族の暴走は、単に無秩序に車やバイクを走らせる行為ではなくなかった。ある暴走族の暴走には、車が先頭で、単車は全て車の後ろを走るという隊列が存在した。この隊列には、暴走中の単車と車の事故を軽減させることや、車がパトカーから逃げやすくする等、独自の意味が存在していたという。佐藤は、暴走族の文化が独自の価値観や秩序に従った実践によって構成されていることを示している。(森下, 印刷中,「ワードマップ 社会・文化・活動の心理学) 
 
- 8 名前:大和信治(有元代理投稿)@かんりしゃ ★:2009/10/29 17:07 ID:???
 
-  ◆10/26 第2回講義録 
 ●配布物 
  ワークシート1「実践を伝えること」 
 ●本時目的:参加としての学習 
 ●私たちは日常生活に必要なことは、学校の外での学びにおいて、それらしい苦 
 労なくほとんど誰もが身につけられる。 
 ex)日本語、振る舞い方 
 ●学校外での学習の一例としてのコスプレ 
 ・学校での勉強よりもはるかに熱心に学ぶ。 
 ・単なる独創ではなく、文化を共有し、ある秩序、理想を志向している。 
 ・独自の価値観や秩序に従った実践によって構成されている規則的で合理的なも 
 の。 
 ・社会から負の評価を受けないように、独自のルールを決めて、伝統を守ってい 
 る。 
  
 ●WORK1:映像を見て、「暴走族」と「走り屋」を特徴付ける要素を探す 
 ・服装、体の使い方、隊列、エンジン音、etc. 
 →これらは、彼らのアイデンティティを示すものであり、五感で認識できる。 
 ・彼らもまた、独自の秩序や理想を目指して暴走したり、走ったりしている。 
  
 ●WORK2:自分の中で生まれつきの要素と社会文化的な要素を挙げる 
 ・生まれつき:DNA、血液型、性別 
 ・社会文化的デザイン:服装、髪型、アクセサリー、におい 
  
 ☆結論 
 私たちは、生まれつきの体に、ある秩序や理想を志向するために、性差による所 
 作、服装などの文化的な記号を身につけて生きている。 
 ex)男らしさ、かわいらしさ、学生らしさ 
  
 以上 
  
 ○感想○ 
 日常生活に必要なことは、学校の外で身に付けられるなら、なぜ苦労して公式や 
 漢字を暗記させる必要があるのか。 
 コスプレや暴走族のきっかけは、何かへの「憧れ」だと思う。学校での勉強が子 
 どもの憧れへのステップだと伝えられれば、熱心に勉強するだろうか。 
 しかし、勉強は本当に憧れへのステップだろうか。また、勉強することは「憧れ」 
 そのものではないのではないか。 
 学校の存在意義がわからなくなってしまいます。 
 
- 9 名前:有元@かんりしゃ ★:2009/11/02 11:57 ID:???
 
-  >>8 大和さん、講義録ごくろうさまです。 
 大事な感想をありがとう。 
  
 > 日常生活に必要なことは、学校の外で身に付けられるなら、なぜ苦労して公式や漢字を暗記させる必要があるのか。 
 答えはこれから捜していくことです。さしあたり私は文化の再生産の為だと思っています。 
  
 > コスプレや暴走族のきっかけは、何かへの「憧れ」だと思う。学校での勉強が子どもの憧れへのステップだと伝えられれば、熱心に勉強するだろうか。しかし、勉強は本当に憧れへのステップだろうか。また、勉強することは「憧れ」そのものではないのではないか。学校の存在意義がわからなくなってしまいます。 
  
 野球少年は野球技術を勉強したくて野球してるのではなくて、あの選手のあんな活躍にあこがれているのです。理科少年だって理科の知識をぱんぱんに身に付けたいのではなくて、あんな発明をしてあんな檜舞台で講演したいのにちがいない。学校では手段と目的の転倒が起きてしまう気がします。ストレートにあこがれに向き合えたら良いのに。 
 
- 10 名前:大木美穂(有元代理投稿)@かんりしゃ ★:2009/11/04 13:18 ID:???
 
-  ◆11/2 第三回講義録 
 ●配布物 
 ワークシート02 
 ●授業内容 
 〈前回のまとめ〉 
 ・サブカルチャーにおける学び 
 暴走族もコスプレも、一つのものを思考し何かを目指したコミュニティである。 
 →ある社会的秩序(social order)を志向している点において異常なことではない。 
 彼らのやっていることの中にルールがあり、コミュニティが成立している。 
 →誰から教えられることもなく一生懸命学んでいる。 
 〈学校における学び〉 
 ・なぜ学校で教えるのか? 
 →再生産のため。文化が途絶えないように。 
 しかし、「勉強しなきゃ」だけで、先が見えていない。 
 ex.)将来どう役立てていくのか。今学んでいることを使う産業は何なのか。 
  
 →手段が目的化してしまっている。教育が陥りやすい罠である。 
  
 〈教科書の範囲〉p.1-20 
 ・教科書のねらい 
 人間の実践(practice)に焦点をあて、人間が集合的(collective)な存在であることに注目し、何のために学校があり、教育をするのか考えていく。 
 ・主体性とは 
 頁番号、メモ、文字、音楽、時の流れなど 
 →人間の主体性が集合的であるという例。共通の理解を助けるものであり、これらは人間が作り人間が名前をつけた。 
  
 〈本日のまとめ〉 
 私たち人間が何かをする全ての瞬間の背景に歴史的な技術の洗練が隠されており、このように集合的な存在(アンサンブル)であることが人間の基本的条件である。 
  
 〈宿題〉worksheet:WORK1 
 「私たちの行為は万事が人工物との不可分な一体化を前提としている」ことの例を挙げてくる。 
  
 ●感想 
 人間が集合的な存在であるという例から、私たちいかにが無意識のうちに相対性な世界で生きているか考えさせられました。 
 また言葉も音楽も常に変動していることに目を向けると、かつて誰かが編み出した言葉という手段を使う自分が、同時にその言葉というものを少しずつ変化させ作り出しているのだなと思います。 
 言葉もなく、フィルターなしに見る動物にとっての世界がどんなものなのか、私もすごく気になりました。 
 
- 11 名前:有元@かんりしゃ ★:2009/11/08 11:06 ID:???
 
-  >>10 大木美穂さん、講義録ごくろうさまです。 
  
 > 感想 
 > 人間が集合的な存在であるという例から、私たちいかにが無意識のうちに相対性な世界で生きているか考えさせられました。 
  
 「相対的な世界」という表現で、現実の世界が揺るぎなく絶対的ではなく、人工的に作られた記号やコトバ、道具といったものによって変化し得る、ということをまとめてもらいました。単純な例で言えば、「満塁」というコトバ(概念)を用いるかしないかで野球の理解はまるでちがう。 
  
 > また言葉も音楽も常に変動していることに目を向けると、かつて誰かが編み出した言葉という手段を使う自分が、同時にその言葉というものを少しずつ変化させ作り出しているのだなと思います。 
  
 「やばい」というコトバが褒めコトバになったり、"bad"や"awful"が良い意味の形容詞になったり、「微妙」というのが悪い意味になったり、時代によって表現は変化し続けています。意味やルールは我々の、人々の使用の中で決まっていくのであって、辞書や文法書はその後を追っかけてるわけですね。 
  
 >言葉もなく、フィルターなしに見る動物にとっての世界がどんなものなのか、私もすごく気になりました。 
  
 このこと、つまり「相対的な世界」を追求することは知的におもしろいです。絶対だとおもった世界がぐらっとするからです。相対的な世界を知るひとつの局面は、初心者や子供の見る世界です。初心者にとって道具や楽器やチームや課題がよそよそしく使いづらく、自分のモノになっていない状態。その状態はフィルターなしに見る世界だと思います。もうひとつは異邦人の見る世界。講義でも話しましたが、よその土地や外国に行ったときのあの街のよそよそしさは、一方でそこに住む住民にとってはまったく経験されることのないこと。こうして世界にはさまざまな相貌があることを知るのは面白い。自分にとっての当たり前が誰か(初心者、子供や異邦人)にはよそよそしい。教育というのはこうしたよそよそしさを減少させ、学習者を仲間に引き入れていくことではないでしょうか。 
 
- 12 名前:本田智大(有元代理投稿)@かんりしゃ ☆:2009/11/11 22:02 ID:aFvThUrc
 
-  ◆11/9 第四回議事録 
 ●配布物 
  ワークシート03 
 ●本時の目的 
  人間の主体性はどのように生まれるのか。 
 ●授業内容 
  1、前時の復習 
  2、社会文化的サイボーグ(教科書p19,20) 
   ・人間の特徴として道具(歴史的文化や蓄積)に頼り道具とセットにして初めて主体性が生まれる。 
   ・この道具達によって主体性が生まれるという視点から、サイボーグである。 
   ・アーティストですら大学で修練していたという過去とのつながりからオリジナルではないのだ。 
  3、人工物と一緒に(教科書p21,22) 
   ・人間にはSTM(短期記憶)とLTM(長期記憶)がある。 
   ・STMは30秒程度しか記憶しておらず、個数も5〜9個である。 
   ・first in→first out 初めに言われたことを初めに言う。 
   ・機械的なことはシステムに任せて人間は人間の得意なことをしている。 
       それは自らの作りだしたものを最大限に利用することである。 
   ・学校はパーキンプラスをパーキンソロにしようとし続けており、時代に逆行し人間の本質に背いている。 
  4、社会文化的珈琲メイカーズ(教科書p21〜24) 
   ・記憶の工夫「3、人工物と一緒に」の一例(某珈琲店のオーダーシステム)
119.83.143.188 , 188.net119083143.t-com.ne.jp , 
 
 
- 13 名前:本田智大(有元代理投稿)@かんりしゃ ☆:2009/11/11 22:04 ID:aFvThUrc
 
-  続き 
 ●宿題 
  ワークシート03 
 「ワーク1:あなたのバイト、部活、サークル、家庭でのこうした「認知的負荷の低減」の例を具体的に挙げてください。」 
 ●まとめ 
  ・人間の行為は万事が人工物との不可分な一体化を前提としており、その中で主体性が生まれている。 
  ・人工物を最大限利用することで人は主体性の幅を広げている。 
 ●感想 
   人間は社会文化的サイボーグという視点は考えもしなかったことで私にとってとても興味深かった。 
  彼らも人間も本質的には「子孫を残す」という点で変わりはしないのに、なぜここに相違が生まれるのか。 
  なぜ人間は音楽を愛するのか、スポーツで競うのか、人生を楽しむのか… 
  考えてみればこうした疑問はいくつもでてくる。人に理性があり、思考があるが故の産物なのか。 
  「便利な世の中になった。」という言葉も、人間がああしたいこうしたいという欲が前提にあるからこその思考か。 
  子孫を残すのにテレビはいらない。 
  話がそれてしまったがこうした考えが膨らむばかりである。歳を重ねるごとにサイボーグになっていく気がした。 
   講義の中でオリジナルなどなくコラージュの繰り返しである。とありましたが、では、オリジナルとはなんなのでしょうか? 
  もはや、コラージュがオリジナルとして認識できるのではないでしょうか? 
   私は記憶の工夫としてチェックボックスにチェックをし、記憶を外在化させるという方法に人間の素晴らしさを感じますが、 
  逆に人間本来の能力の衰退でもあるのでしょうか? 
119.83.143.188 , 188.net119083143.t-com.ne.jp , 
 
 
- 14 名前:有元:2009/11/16 09:40 ID:???
 
-  >>12-13 本田智大さま、講義録ありがとう。 
  
 >なぜ人間は音楽を愛するのか、スポーツで競うのか、人生を楽しむのか… 
  
 もちろん人間のハードウェア(脳や直立歩行、器用な手など)に由来することでもあるでしょう。 
 それ以上に、生まれたときから音楽があり、スポーツがあることも理由ではないでしょうか。 
 なぜ女子中学生は男子に狂おしくチョコをあげたくなるのか、考えてみてください。 
 ハードウェアでは説明できないでしょう。 
  
 >歳を重ねるごとにサイボーグになっていく気がした。 
  
 同感です。明日世界が滅びたら、過去の遺物を探し利用するしか出来ない。 
 きっとライターなしに火もおこせないでしょう。だから、この現代の知恵を 
 保存するためにも教育はあるのではないでしょうか。 
  
 >講義の中でオリジナルなどなくコラージュの繰り返しである。とありましたが、 
 では、オリジナルとはなんなのでしょうか? 
  
 それいつも悩んでいることです。作品の中と言うより、受け手の側にあると 
 いうのが今の考え方のようです。便器をひっくり返して泉と題した現代美術が 
 ありますが、このオリジナリティは作品の中にあるのでしょうか。 
  
 >私は記憶の工夫としてチェックボックスにチェックをし、記憶を外在化させる 
 という方法に人間の素晴らしさを感じますが、逆に人間本来の能力の衰退でも 
 あるのでしょうか? 
  
 そもそも人間本来の能力ってなんだったのでしょうか。 
 毛のない弱い猿?チンパンジーは握力200Kgだというし。 
 「人間」であることとは社会文化とセットであることだ、と考えてみる。 
 「人間」ということばにそうした含意があると。 
 コトバをつかい、意図を伝え、文字をつくり、過去を記録する、 
 そうした社会文化的サイボーグを人間と呼ぶのでは。
133.34.73.112 , psy18.edhs.ynu.ac.jp , 
 
 
- 15 名前:武田 士称:2009/11/18 16:38 ID:VHyBXvl+
 
-  ◆11月16日 第五回講義録 
 ●配布物 
 ワークシート04 
 ●本日の目的 
 道具とセットの主体性 
 ●授業内容 
 1.(つづき)社会文化的珈琲メイカーズ p.25〜 
 実験1「オーダーされたドリンク名を10個、順番どおりに答えてください」 
 正解出来ない→店員は一般人と同じレベル 
 実験2「カップを見て、オーダーされたドリンク名を10個順番どおりに答えてください」 
 全員正解する→当たり前→では学校や心理学の現場ではどうして出来ないことをやらせるのか? 
  
 2.道具とセットの主体性 p.29〜 
 心理学は120年から130年前に興った。 
 物理学の真似をして実験で集めたデータを用いて、物理的、科学的に人間を見ようとした。 
 その過程で誕生した記憶しにくいデータ 
 「無意味つづり」(×魚の名前○レニケ、ワム…連想価による) 
 ただし「ワム」のように「無意味つづり」が意味を持ってしまう場合もある。 
 こうした誕生した「無意味つづり」より人間の記憶能力のみを見たい。 
 人間は記憶能力が弱い(記憶術)。 
 心理学では、その道具と離れた。 
  
 「人間は機械的なものではない」 
 →もっと人間的に心理学→ヴィゴツキー・ソビエト心理学 
 社会主義の影響を受けて、マルクスの影響を受けて 
 「主体性を他のものとセットに」 
 →記憶の場合ならば、実際の場面での記憶能力を見なければならないのではないか 
  
 無意味つづり的な学校の教育(記憶しろ、テストにでるよ…) 
 内からの理想的なものではなく、外からの現実的なもの 
 学校でやることは人間の苦手なことである。 
 趣味の動機づけが出来ていることとは違う。 
 子供の生活と結びつけなければならない。 
 勉強がゲームのように好きな子供もいれば、嫌になる子供もいる。 
 学校での勉強が、ゲームのように好きな子どもに合わせるべきではないのではないか
133.34.73.110 , psy16.edhs.ynu.ac.jp , 
 
 
- 16 名前:武田 士将:2009/11/18 16:40 ID:VHyBXvl+
 
-  つづき 
 ヴィゴツキーは反射学、精神分析が嫌い。 
 →そんなに単純じゃない 
 ヴィゴツキーの一番オリジナルなところ 
 S(刺激)→R(反応)ではなく、S(刺激)→X(記号)→R(反応) 
 記号を入れることで人間らしくなる 
 記号:数、言葉、東西南北… 
 こうした「媒介」というものが非常に大切 
 目が…、耳が…、フランス行ったら…、アメリカ行ったら…と想像すると重要だと気付く。 
  
 「人間は社会的動物である」 
 新宿に遊びに行こう→電車→OK 
 新宿に遊びに行こう→徒歩→NG 
 こうしたことを想定するとデザインされていることが理解できる。 
 人間は地理的な距離を超える。 
 電車が「新宿」という意味を与える。 
 道路・地図・案内標識は大発明 
 砂漠・ジャングルを考えると… 
 媒介に熟知しないと使えない? 
  
 ●宿題 
 WORK1:教科書p.30-31の「媒介」の身近な具体例を挙げてください。 
  
 ★結論:私たちの主体性は道具とセットなのではないか。 
  
 感想 
  確かに人間は記憶能力が弱いですが、どうして非常に記憶能力が高い人もいるのだろうか、と疑問に思いました。 
 私は、いい国(1192)作ろう鎌倉幕府のように工夫して記憶できる人が高いのではないのかと思いました。 
 こうした語呂合わせなどのの工夫は、オーダーされたドリンク名をカップに記入するような工夫に何か近いものを感じました。 
  
  学校の教育の現場では、いかに子供の動機を高めるかが大切だと感じます。 
 学校での勉強は人間の苦手なことである以上、なにかしら動機を高めるための工夫が必要なのでは、 
 ただ教科書をなぞる様な授業では、学校での勉強が好きな子供しか動機は生まれないのではと考えました。 
 ではどうした工夫をすべきなのか、これから考えていきたいです。 
  
  ソビエト心理学と聞いて少し抵抗感がありましたが、非常に納得出来ました。 
 私は、「ソビエト」という媒介の持つ影響のために、少し抵抗感を感じたのでは、と思いました。 
  
 以上です。ありがとうございました。
133.34.73.110 , psy16.edhs.ynu.ac.jp , 
 
 
- 17 名前:有元:2009/11/30 10:07 ID:???
 
-  >>15 武田士称さん、ごくろうさま。また感想をありがとう。以下に反応します。 
  
 >こうした語呂合わせなどのの工夫は、オーダーされたドリンク名を 
 カップに記入するような工夫に何か近いものを感じました。 
  
 「内部であっても外部記憶」という点で同じでしょうね。 
 九九表やアルファベット順など、「内部だけど外部」はたくさんあるので 
 探してみてください、ご自分の頭の中を。 
  
 >学校の教育の現場では、いかに子供の動機を高めるかが大切だと感じます。 
  
 もちろんそうですが、その前にするべきこともありますよね。 
 それは、何を、どのように教えるか、という、子供ではなくて大人の側の 
 仕事です。 
 「何を」も、「どのように」も共に猛烈に大事で、そのことを自分で自信を 
 もって選択できるようになってもらいたいです。 
  
 >ソビエト心理学と聞いて少し抵抗感がありましたが、非常に納得出来ました。 
  
 ロシア心理学といわないのも、ソビエトで勃興したことを重要だと考えて 
 いるからでしょう。ロシアの地理的な条件だけでは説明できないことだと思います。
133.34.73.112 , psy18.edhs.ynu.ac.jp , 
 
 
- 18 名前:渡邊はるか:2009/12/03 18:30 ID:???
 
-  ◆11月30日 第6回講義録 
 ●配布物 ワークシート05 
 ●授業内容 
 ■身近な「媒介」を考える 
 ex・時間…私たちは「時間」という媒介によって規律を保たされている。 
  時間の観念や単位がなかった頃は、同じ1時間でも 
  長くなったり凝縮されたりしていたかも知れない。 
  →外部から文化を備え付けられている! 
  ・生徒への評価 
  「頭のいい子」「騒がしい子」などの評価は、その生徒の素質だけでなく 
   その日の課題内容やメンバー構成などが影響している。 
  →他の要因とセットになっている! 
  ・異なる形の犬を「イヌ」と認識できることも、媒介(イヌという記号)のおかげ。 
  ・各媒介(記号)の定義は完璧ではなく、曖昧で相対的、皆が使っている媒介(記号)だから成立する。 
   皆の共通のモノサシ。 
  
 ⇒共通の媒介物を通して世界は成り立っている! 
  
 ■「記憶の外部化」「内部でも外部記憶」 
  ・「記憶の外部化」…メモなど 
  ・「内部でも外部記憶」…語呂。英和辞書を引く際思い出すABCの歌。 
   頭の中にリストがあり、内部で考えても外部記憶に近い。 
  
 ■記憶術 
  ・記憶の達人と言われる人達も、「記憶の内部だけど外部化」をしている 
  exトランプカードで物語をつくる、忘却曲線に合わせてひたすら繰り返し復習する。 
  ・学校の勉強や記憶コンテストの共通点 
  →日常生活に必要ない、日常に根ざしていないこと。だから無理やり覚える。 
   友達の名前や生活品の名前などは、自然と覚えられるもの。 
  
 ■教材も媒介も何もない中で、どう子供に教えるか。 
  …言葉?数の概念? 
   現在の教育システムもたかが100年程度の歴史しかない。 
   学習指導要領とて、実験で検証して決められたわけではない。 
  cfベル・ランカスターシステム(通常の日本の授業形態) 
   ⇔欧米の教育形態。半円型の机で話し合いながらの授業。 
  →改変、改善の余地は十分にある。 
  
 (つづく)
114.48.112.133 , EM114-48-112-133.pool.e-mobile.ne.jp , 
 
 
- 19 名前:渡邊はるか:2009/12/03 18:31 ID:???
 
-  ●WORK1,リンゴ/本 を全く知らない人に説明してください(100字以内) 
  
 ●まとめ 媒介物の教育への応用 
 ■モノは媒介とセットで性質が決まる 
  ex液体…水+ペットボトル=portable(持ち運び可能)な水 
   道具のない昔や、無人島においては、水は持ち運びできず取り扱いづらいもの 
   液体のイメージは液体だけで決まらない。道具もセット。 
 ■媒介の教育の必要性 
  私たちは 自分→媒介→対象(セカイ) という風に生きている。 
  媒介(コトバ、社会的文化など)は遺伝しない。 
 ⇒そこを教えるのが教育! 
  
  ヒトとして生きていくために必要な「媒介」を教え 
  子供を「社会文化的サイボーグ」に育てることが、教育である。 
  
 ●感想 
 ここ何回かで話されている「人間は社会文化的サイボーグである」という視点について 
 大変考えさせられた。 
 身の回りの「媒介」(道具)について考えれば考えるほど、人間は外部の道具とセットで 
 それなしには人間としていられないのだなと思う。りんごを説明するワークや、 
 ペットボトルが水に可搬性を与えたという話もとても興味深かった。 
 また、少し違うかも知れないが、それを逆手に取った一例として広告があげられるのではないかと思った。 
 (たとえば商品の広告に有名女優を起用し、その女優の美しいというイメージを 
 広告を通し商品に付ける、など) 
 こうした媒介を教育の場で生徒に興味を持ってもらいながら教えることについて 
 よく考えていきたいと思う。
114.48.112.133 , EM114-48-112-133.pool.e-mobile.ne.jp , 
 
 
- 20 名前:有元:2009/12/05 03:28 ID:???
 
-  --== 12月7日(月)は用務で休講いたします ==--
120.74.178.79 , p4ab24f.tokynt01.ap.so-net.ne.jp , 
 
 
- 21 名前:有元:2009/12/12 08:20 ID:???
 
-   
  
 >>18 渡邊はるかさん、講義録ごくろうさま。 
  
 > また、少し違うかも知れないが、それを逆手に取った一例として 
 > 広告があげられるのではないかと思った。 (たとえば商品の広告に 
 > 有名女優を起用し、その女優の美しいというイメージを広告を通し 
 > 商品に付ける、など) 
  
 原理、メカニズムを伝える式の広告は、おっしゃるような 
 媒介と世界の見えの変化ということを目指しているかも 
 しれませんね。「○○プロフェンが風邪のウィルスの働きを 
 妨害」とか「カビの根っこまで届いて根こそぎ退治」とか。 
 理科の授業の目指す頭の中のモデルの植え付けをしている 
 のでしょう。疑似科学のもとにもなりそうです!注意がいりますね。
120.74.178.79 , p4ab24f.tokynt01.ap.so-net.ne.jp , 
 
 
- 22 名前:廣田友里(有元代理投稿):2009/12/15 17:30 ID:???
 
-  ◆12月14日 第7回講義録 
 ●配布物 ワークシート06 
  ●授業内容 
 1、前時のつづき 
 ・ペットボトルに水(液体)を入れて持ち歩く。 
 液体の可搬性に関わることは、液体だけの性質ではなく、 
 持ち運ぶ容器やどう使用するかという関わりの中で、私たちに経験される性質である。 
 ・液体をどう扱うか、どんな性質として捉えるかは、私たちの問題でも、液体の問題でもなく、 
 私と液体と容器などを含む多くの要素の入り交じった社会文化的な集合体の問題なのである。 
 □WORK1:「人が何を求め、考え、感じるかは、社会技術的環境に依拠する(P.37)」身近な例を挙げてください。 
 ⇒私たちが主体のものでも、常に周りの環境に左右されて物事を考えている。 
 ・缶切りは缶詰よりもだいぶ後に開発された。 
 それまでは、ナイフ等を使って開けていた。 
 食べ物を保存するには有効だが、食べる(開ける)のには一苦労。 
 2、可能なスナップショットの交渉としての現実 
 ・私たちがこの世界に生まれたときには、既に色々な物事に名前、意味、価値がつけられていた。 
 ・ある実践(サークル、コミュニティ)に参加することは、 
 世界のとある側面を「活動の対象」と知覚すること。対象化。 
 □WORK2:「レギンス」とは何か、定義してください(cf.「直線」「栄養素」)。 
 ・物が対象として浮かび上がる(知覚できる)のは、 
 今まで生きてきた中で、それを何かと学び、それを知っている世界に住んでいるから。 
 例えば、友達の筆箱を見て「○○ちゃんの筆箱」と認知できる。 
 黒板を見て「緑色の壁」と思うのではなく、 
 「授業等で使用する、チョークを使って文字を書ける板」と理解できる。 
 逆に、初めて行く国や初めてのスポーツでは、対象物が浮かび上がらない。 
 ⇒教育はそれを知覚できるよう教えるものだ!!! 
 ・子供は大人(熟練者)の世界では初心者である。 
 従って大人は、自分と同じ世界の見方、捉え方をするよう招く。 
 世界を遊泳できるように。(遊泳:うまく世間を渡ってゆくこと) 
 Up to you!!君次第だ!! 
 [続く]
210.174.56.132 , pae3884.mobiea02.ap.so-net.ne.jp , 
 
 
- 23 名前:廣田友里(有元代理投稿):2009/12/15 17:31 ID:???
 
-  [続き] 
 ●まとめ 
 人間は、物を作り出すことよりも、元々あるものの意味や価値を学ぶ方が断然多い。 
 従って、教育を諦めてはいけない。 
 ●感想 
 今日のWORKはどちらも興味深くて、すごく楽しかったです。 
 WORK1では、「私たちが主体のものでも、常に周りの環境に左右されて物事を考えている。」 
 と先生がおっしゃった事をまとめましたが、本当にその通りだなぁと思いました。 
 私は、周りの環境があることが当たり前で、それに対して何の疑問も持ちませんでした。 
 もしも、今住んでいる世界が社会技術的環境でなくなったら、私たちは生きていけるのでしょうか。 
 そんな世界を生き抜くには、吉川晃司さんの様に無人島でも暮らしていける、生きる為の知恵が必要ですよね。(笑) 
 そのためにも、教育は必要だと思います。 
 またWORK2では、「レギンス」の定義について考えました。 
 知っている人は知っているが、知らない人はまったく知らない。 
 これは学校で習う方程式や歴史上の人物とは違い、 
 雑誌でたまたま見たなど、きっかけがないと知る機会がないと思います。 
 「レギンス」を知らなくても「この人、遅れてるな…」くらいにしか思われないけど 
 政治などの知識がないと「少しは関心を持ちなさい」といわれることがあると思います。 
 では、何を知っていれば常識人と言われるのでしょうか。 
 私は、自分の好きなことには異常に詳しいオタクみたいな人、結構好きなんですけどね。(笑)
210.174.56.132 , pae3884.mobiea02.ap.so-net.ne.jp , 
 
 
- 24 名前:有元:2009/12/15 17:36 ID:???
 
-  講義でお話しした缶切りのこと、wikiで調べてみました。 
 1804年 瓶詰め発明(ナポレオンによる懸賞にこたえ) 
 1810年 缶詰を発明(長期間保存・携行が容易:瓶は危険) 
 1858年 缶切り発明 
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BC%B6%E5%88%87%E3%82%8A 
 なんと!!缶詰開発から缶切り発明まで48年間も時差があるとは!
210.174.56.132 , pae3884.mobiea02.ap.so-net.ne.jp , 
 
 
- 25 名前:有元:2009/12/20 13:30 ID:???
 
-  >>22-23 廣田友里さん、講義録&感想ありがとう。 
  
 > もしも、今住んでいる世界が社会技術的環境でなくなったら、私たちは生きていけるのでしょうか。 
 吉川晃司って最近は無人島暮らしタレントなんですか…、知らなかった。 
 「社会技術的環境」というのは技術に満ちた文明状態のことを指すのではない 
 のです。人間を包み込む環境の内、社会に由来する技術的な側面を指します。 
 だから無人島の私たちにも、未だ社会的な技術が残っているでしょう。 
 言語や算数、毒キノコの知識などなど。いまの文明が潰(つい)えて、 
 赤ん坊だけがこの世に育つようなことがあったら、そのときは本当に 
 社会技術的環境を失って、人間がただの獣に戻るときです。あんまり 
 丈夫な生き物ではないので、文明なしにはほとんど生き延びるチャンスは 
 ないでしょう。 
  
 > 何を知っていれば常識人と言われるのでしょうか。 
  
 逆に知らないと非常識と言われるものはリストアップできそうですね。 
 私も偏った知識しかないので、よく学生にせせら笑われています…。
120.74.178.79 , p4ab24f.tokynt01.ap.so-net.ne.jp , 
 
 
- 26 名前:有元:2009/12/20 13:38 ID:???
 
-  ほんとだ、無人島にいますね(笑) Youtubeで見てみました。 
 http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=hvNN_ulUMiQ 
 さすが水球あがり、イイ素潜り!焼き魚がうまそうです。 
 無人島に行くならモリですね。
120.74.178.79 , p4ab24f.tokynt01.ap.so-net.ne.jp , 
 
 
- 27 名前:橋本奈々絵:2009/12/23 01:45 ID:Z6c24SLc
 
-  ◆12月21日 第8回講義録 
 ●配布物 ワークシート07 
 ●授業内容 
 □U章(前回のワークシート06の続き) 
  ○人工物が横溢(おういつ)するフィールドへ向かう(焼き肉店を例に) 
 (p41〜) 
   ・焼き肉店の現実も人工物とセットで現れる。「オーダーコール」、「ハン 
 ディ」という装置(人工物)が現実の意味を決める。 
  ○社会文化的オーダー記憶(p42〜) 
   ・自立主体的に働く道具背景。 
    *オーダーコールA:ボタン音への反応→10秒以内の確認と暗記→他 
 店員の対応の有無の確認→客への対応 
             ⇒誰かが対応したかどうかが他店員にはわからない。 
    *オーダーコールB:ボタンを消した人がその客の担当となる。 
             ⇒店員の対応の有無を可視的にする働きがある。 
  ○焼き肉屋店員のパーソナルビュー=行為者の目から見える世界(一人称) 
   ・システムズビュー:外側からの全体的な機能を観察する視点。つ 
 まり、システム全体でどんな行為をしているかということ。 
             ex)風呂を入れる。 
               書く。 
               (目的地まで)移動する。 
   ・パーソナルビュー:行為者からの一人称の視点での仕事内容。つまり外見で 
 は同じ行為に見えていても、どんな人工物を媒介にする 
 かによって行為者の見方は変わってくる。 
             ex)(目的地まで)移動する。 
               →人工物(媒介) 飛行機、自転車、車、新幹線… 
               紙に書く。 
              →人工物(媒介) パソコン、鉛筆、タイプライター… 
 つづく 
 
121.2.61.165 , p023da5.kngwnt01.ap.so-net.ne.jp , 
 
 
- 28 名前:橋本奈々絵:2009/12/23 01:47 ID:Z6c24SLc
 
-  □WORK3:教科書p46‐47の「パーソナルビュー」の身近な具体例 
      ex)・名古屋の実家に帰るのに、歩いてかえるか、電車で帰るか。 
         →歩くのと、電車に乗って帰るのでは、同じ「帰る」とうい 
 う行為であるけれども行為者にとってその見方は違ってくる。 
        ・コミュニケーションをとる時、メールを使うか、手紙にするか。 
     ☆授業デザインを考えることもパーソナルビューの身近な事例。 
      →同じ授業であっても、小テスト(人工物・媒介)があるとなったら 
 受講者の授業に対する見方が変わる。 
 □WORK0:投稿してください。「本学に通う動機を140字以内で教え 
 てください。」 
  ⇒人工物:Twitter 
 ○つづき〜p49 
 ・人工物と主体性の強い関連が人間の特徴。 
 □WORK1「利用可能な人工物ひとつで、わたしたちの内なる「意図」 
 や「計画」、「欲望」は変わってくる」ことの身近な事例 
  ex)人工物「バレンタイン」→欲望「好きな子にチョコをあげたい」 
 □まとめ・感想 
   現実の捉え方は、人工物によって変化する。その具体例が焼き肉 
 店であった。その道具を使う人によって感じ方が違うし、一見同 
 じく見える行為が万人にとって同じく感じるわけではない。この 
 人工物を利用して、教育者として授業デザインを考えていきたい。 
 Twitterを人工物とした授業形式は今までしたことがなかったの 
 でとても楽しかったです。 
 
121.2.61.165 , p023da5.kngwnt01.ap.so-net.ne.jp , 
 
 
- 29 名前:有元典文:2009/12/23 07:00 ID:???
 
-  09/12/21の講義で表示したTwitterのログ(記録)は以下で見られます。 
 https://twitter.com/EduPsych
120.74.178.79 , p4ab24f.tokynt01.ap.so-net.ne.jp , 
 
 
- 30 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2010/01/11 22:41 ID:???
 
-  直前で申し訳ないです。明日12日火曜日は用務が入っており休講いたします。 
 
- 31 名前:有元典文:2010/01/17 17:28 ID:???
 
-  >>27 橋本さん、講義録ありがとう。 
  
 > 人工物を利用して、教育者として授業デザインを考えていきたい。 
  
 本時の展開を子供のパーソナルビューから見てみる、というのは 
 ベテランなら行うことですよね。その際、どんな教材、プラン 
 (授業の人工物)が、どんなパーソナルビューを児童生徒に与えるか、 
 自覚的でありたい。プロなのだから、授業の持つ機能を自覚した上で 
 授業作りをしていきたいものです。
133.34.73.112 , psy18.edhs.ynu.ac.jp , 
 
 
- 32 名前:小林卓馬:2010/01/25 18:41 ID:QGLnF0gk
 
-  ◆1月25日 第10回講義録 
  
 ●配布物 ワークシート09 
  
 ●授業内容 
  
 □[章 運命を再デザインする(P.179〜) 
  ○道具や精度やチームといった人工物と不可分な一体となり、複雑さを手なずけ、 
   その場に新しい秩序を生み出すこと 
   →人間の可能性:運命的なことはデザインで変わり得る 
   ・例 人間は暗闇を歩けない動物だったが、光源などを持って歩くことで、 
      暗闇を歩くことができるようになった。 
      →人工的夜行性動物(artificial nocturnal animal)になった。 
       つまり暗闇を歩けないという運命が「再デザイン」されたということ。 
    ・自分たち手で運命を改変できるのが人間の特徴 
    →人間は人工物を使って、文化に媒介された世界を生きてきた。しかし、 
     生まれつきのカラダから遠くまできてしまって後戻りはできなくなっ 
     てしまった。 
  
 □\章 ふりかえりguided tour(p.182) 
  ○ユクスキュルの環世界 
   ・例「マダニ」の世界 
    マダニには視覚・聴覚がないが嗅覚、触角、温度に対する感覚はすぐれている。 
    →動物によって見えている世界が違う:「環世界」 
   ・人間にもその特定の分野を専門的に行っている人の世界がある。 
    例 教室の窓から外を眺める場合、ガラス屋さんが見ると単に景色を 
      見るだけではなく、窓ガラスの種類が見えるなど。 
   ・世界の多様性 
   →人間には普遍的世界はない 
    ☆その人の知識によって見える世界は変わってくる。 
    ・人間に知識を与えるのが教育の本義である。 
 下につづく 
 
124.100.83.224 , p4224-ipbf605hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp , 
 
 
- 33 名前:小林卓馬:2010/01/25 19:20 ID:QGLnF0gk
 
-   ・現実とは観察の実践 
  →見る要素と見ない要素の複雑な文化的パターンである「星座」に 
   例えられる。 
   現実のあるバージョンを見てとることは、数多あるさまざまの要素の選択と 
   無視の実践に他ならない。人間は現実をデザインすることで、こうした観察 
   の制御、特定の要素の対象化をしているともいえる。(p.186) 
 →ユニバーサルなユニバース(普遍的な世界)はない。メンバーに共有された 
  コミュニティがある。 
  
 □WORK1:性差の可視性または不可視性を具体的な人工物でデザインしてみてください。 
  
 回答 
 ・ネトゲ(不可視) 
 ・ジャージ(可視) 
 ・口調を統一(不可視) 
 ・さらし(不可視) 
 など 
  
 □WORK2:かけっこの授業のデザイン 
      @足の速さが目立つ授業(可視的) 
      A足の速さが目立たない授業(不可視的) 
      に分けてデザインしてください 
  
 回答 
 ・順位をつける@ 
 ・タイムを計る@ 
 ・7秒間走A 
 ・タイムが近い者同士走るA 
 ・スタート位置をずらすA 
 ・障害物競走A 
 など 
  
 □感想 
 ユクスキュルの環世界という考えはなかなか面白いものだと思いました。 
 例えば、何の変哲もないスーパーの駐車場でも車やバイクが好きな人に 
 とっては駐車場が車の展覧会に見えている違いありません。そう思うと、 
 人間という動物はほかの動物と比べて、個々によっていろいろな世界を 
 持っていて多様性のある面白い種族だなと思います。 
  
  
 
124.100.83.224 , p4224-ipbf605hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp , 
 
 
- 34 名前:有元典文:2010/02/01 07:54 ID:???
 
-  >>35 小林さん、講義録ごくろうさま 
  
 > ユクスキュルの環世界という考えはなかなか面白いものだと思いました。 
 例えば、何の変哲もないスーパーの駐車場でも車やバイクが好きな人に 
 とっては駐車場が車の展覧会に見えている違いありません。そう思うと、 
 人間という動物はほかの動物と比べて、個々によっていろいろな世界を 
 持っていて多様性のある面白い種族だなと思います。 
  
 駐車場が展覧会とはおもしろい発想ですね。自動車好きの環世界。 
 さらにでっかく、文明化された人類に共有された環世界というのはどうでしょう。 
 それをこそ学校教育は与えようとしているはずです。 
 学校で学んだツールをもって世界を眺めることで、世界から有用な意味や価値を引き出せたら 
 すばらしいと思いませんか。シートベルトをしない運転が危険なものだと、小学校で学ぶ 
 物理の初歩から分かるはずだし分かってほしい。算数の理解があれば、ギャンブルで 
 破産しない道を選べるはずだし、そういうために教えているはず。経験から学ぶのは 
 もちろん大事だが、先人の経験の結晶である学問から学ぶのも大事。それこそ人間らしさなのだから。
133.34.73.112 , psy18.edhs.ynu.ac.jp , 
 
 
- 35 名前:有元典文:2010/02/01 13:35 ID:???
 
-  イントロのパワポ、および11枚のレジュメを以下にpdf形式で置きました。ご活用ください。 
 http://cid-8dfb1c2ab91aa860.skydrive.live.com/browse.aspx/EduPsy2009 
133.34.73.112 , psy18.edhs.ynu.ac.jp , 
 
 
- 36 名前:新原将義:2010/02/01 21:34 ID:Mxa18mns
 
-  2月1日第11回講義録 
  
 ○配布物・・・レジュメI、J 
  
 ○文化に相対的な現実 
 魚のダシの旨みやディストーション音の快の知覚は後天的 
 ナチュラリゼーションは、自然を過大視し、人のデザイン力を過小に見積もっている 
  
 ○学習ツアー 
 獲得形質は遺伝しない→人間の最大の制約 
 今の我々の環世界は遺伝せず、放っておけば消えていく 
 教育とは、我々の世代の環世界を伝える、「人間」の再生産 
  
 ○ヒーローと悪漢 
 我々の何気ない日常が、現実をつくり、また変えていく 
 何かを学ぶということは、「そこの人」になるかどうか 
 メンバーになれば、先輩から多大なことを自然に学んで「そこの人」になっていく 
 →学校とは「誰」になる場?? 
 実践に参加するような形態の授業があってもいいのでは 
  
 ○こころのありか 
 人は自分で自分の行動を決めているのではなく、 
 「何かに従って」行動しているに過ぎない 
 しかし「自分の意思で」行動していると思っている 
 行為の衝動は必然性に起因する→「世界コントロール」説 
 逆に、人間は「主体性の塊」であるという大前提にたっているのが心理学 
 人の主体性は、人が周りの世界に作りこんだもの=「デザインされた現実」とのセットなのでは 
 外にあるものに自分をコントロールさせ、自由意思を減らすことで負担を軽減しているのでは 
 我々の日々そのものがスキャホールドされている 
 一人ぼっちの主体性の力ではなく、 
 何かとセットで発揮される能力を教えたほうがいいのでは? 
  
 ○感想 
 自分の意思がどこにあるのかについて考えさせられた。 
 ここにいる私という意思が、ただの必然性の結果でしかないのだとしたら、 
 私とは一体何者なのだろうか。 
 人は、何かに従って生きているということが分かっていたとしても、 
 自分の意思で今ここにいると主張しなければ、不安でやっていけないのかもしれない。 
 しかし現実をデザインすることが自分の主体性なのだとしたら、 
 その不安は解消するように思う。 
 現実をデザインすることで、ここに存在する自分。 
 世界と不可分な自分。 
 そういったものを教えることは、ひとりぼっちの能力を教えることよりも、 
 はるかにロマンチックなことのように思えます。 
 
123.220.71.134 , p2134-ipbf1808hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp , 
 
 
- 37 名前:書けませんよ。。。:停止
 
- 真・スレッドストッパー。。。( ̄ー ̄)ニヤリッ
 
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