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2005 学校教育総合研究

1 名前:有元典文@管理者 ★:2005/04/12 12:04 ID:???

講義録、質問、コメント等こちらに。

2 名前:M1 平石聡子:2005/04/14 22:20 ID:cWFUHfFg

第1回議事録 4月14日(木) 6限
○この授業について
・まずは一人ずつ自己紹介。
 「自分にとって学校教育とは何か」
・この授業で学ぶこと→学問のやり方
           科学的な意見のやり取りをしていこう。
           公共性や再現性を備えること。
○有元先生の研究について
・修論について→小学校5、6年生に算数の作問をさせる。
        意味の通じない問題を作ってしまう子が多い。
        現実感を呼び起こさないまま、機械的に計算だけをやって
        いるのでは?
        機械的ではなく、「活動者」になるべきなのではないか。
・社会文化的アプローチ→人は社会や文化とつながっている。
            人間と社会・文化は切り離して考えることはでき
            ない。
            (今までの心理学は、人の心(脳)とまわりの文化
            を切り離して行われてきた)。
・生態学的妥当性→心理学の研究でも、学校教育の研究でも、これを考慮しな
         ければならない。
○次回からの講義について
・来週は有元先生が講義してくださる。
・再来週から、1人ずつ自らのフィールドについての報告をしていく。
・報告していただいた議題について、皆でディスカッション。
・レジュメはA4・1枚で、発表は20分程度。

以上です。
 今日は興味深いお話をたくさん聞くことができて、有意義な時間となりました。
 有元先生の修論についてのお話に大変興味を持ちました。
 資料室で探して、読んでみたいと思います。

133.34.73.109 , psy15.edhs.ynu.ac.jp ,


3 名前:M1 平石聡子:2005/04/14 22:28 ID:cWFUHfFg

再来週からの発表の順番が決まりました。
以下の通りです。

4月28日→武捨さん・宮本さん
5月12日→芦澤さん
  19日→服部さん・川久保さん
  26日→佐藤さん
6月 2日→中野さん・藤沢さん
  9日→千さん
  16日→平岡さん・平石
  23日→竹岡さん
  30日→野角さん・(雨宮さん)
7月 7日→杉山さん

様々な職業の方がいらっしゃるので、とっても楽しみです!
さっそくですが、再来週の武捨さん、宮本さん、レジュメ作りがんばってください! 
133.34.73.109 , psy15.edhs.ynu.ac.jp ,


4 名前:のりふみ@管理者 ★:2005/04/15 11:38 ID:???

さとこさんありがとうございます!まとめ上手。講義への質問、コメント、要望常に募集中>all

5 名前:M1 中嶋尚子:2005/04/16 12:06 ID:ildJ9D3g

突然失礼します。
14日に都合で伺うことが出来ませんでした。
次回からお仲間に加えていただくことは可能でしょうか。
平石さんの講義録で内容がわかり安心しました。
この方法ですと、流動的出席の社会人にはとってもありがたいです。
220.219.98.84 , ntkngw120084.kngw.nt.adsl.ppp.infoweb.ne.jp ,


6 名前:のりふみ(有元)@管理者 ★:2005/04/18 10:21 ID:???

>>5 中嶋さん、どうぞ次回からご参加ください。質問等あればここ、もしくは
研究室(1研412)をおたずねください。

7 名前::2005/04/26 16:52 ID:MAs1wj4c

       第二回講義録  四月21日(木曜日6限)
 千と申します。講義録遅れました。第二回講義録を書かせていただきます。
 まずは、先生の修論の話でしたが、当時小学校5,6年生の算数の授業での問題
研究でした。実験で小学生達が相当ナンセンスが高いかけ算問題でも次々
解けてることから、学校で学生達は意味吟味しないまま問題を解けてると言う結論に
至りました。
 実は、こんな学校教育の捉え直しの流れは60年代から始まっており代表的な
人はジョン・ホルド(米)、イリイチなどがあげられ、彼らはいろんな実験を
通じて、学校は特別なゲームをやっている場であると主張していました。有名な
のはストリート・マースの日常で路上で物売りしてるブラジルの少年観察実験からの
学校に行かなくても計算するし、学校で習った計算は日常で使わないという結論に
至った話があります。
 最後に、先生は学校でこんな問題が存在するのは、学校という場の作り方にあると言い、
場の作りが頭の使い方を決めてるのではないかとおっしゃいました。
 先生は、「大学院の授業は講義の場ではなくて、みんなの教育の
問題に関する討論の場になってほしいです」とおっしゃい、次回からの授業が楽しみです。

                     以上、講義録でした。


133.34.73.109 , psy15.edhs.ynu.ac.jp ,


8 名前:のりふみ(有元)@管理者 ★:2005/04/27 10:21 ID:???

>>7 千さん、綺麗にまとめていただいてありがとう。
皆さん、補足や質問、コメントも是非こちらにどうぞ。

9 名前:武捨英理子:2005/04/29 00:01 ID:bPWABKWg

第3回講義録 4月28日(木)6限
発表担当 武捨
リハビリテーションにおける動機づけについて〜応用行動分析学の導入による効果〜
・応用行動分析学とは
 人は環境と相互作用と行うことで生活している。この、個人と環境との相互作用が「行動」
 行動は様々な環境条件によって変容していく。
・症例検討 脳卒中患者の行動障害に対する応用行動分析学的アプローチ
・発表後の討議
 個人内に生じるリハビリへの意欲・意思などは環境の相互作用により左右されるものと言え
 るのか、動機づけはこのような分析法で得られるのか、問題行動の出現は環境に依存すると
 判断できるのか、そもそもリハビリに対して動機づけが必要なのか、等々のご意見・ご指摘
 を頂いた。個人の行動に影響を与える環境条件を刺激と定義し、行動出現そのものを強化刺
 激や嫌悪刺激という枠組みの中で判断する方略に「人」をあてはめることへの抵抗感はつき
 まとう。しかし、問題行動を呈し人との係わり合いが低下している状態を、「症状だから仕
 方がない、リハビリ適応外だ」とこちら側の都合で切り捨ててしまうような事態を回避する
 為に、その行動がどういう環境状態で生じているのかを分析することは必要だと思われる。
 そういった方略を使用することで、理解不能な個人の状態を考え直すことができる。また
 関わっている自分自身の行動に対しての見直しが立てられるのではないだろうか。
 いろいろなご意見やご指摘を頂き、大変勉強になりました。今後もリハビリへの動機づけに
 対しての最良な方略を考えながら、日々患者様と接していきたいと思いました。何か不足点
 などありましたらご指摘頂ければと思います。

172.205.51.162 , ACCD33A2.ipt.aol.com ,


10 名前:のりふみ@管理者 ★:2005/04/30 21:22 ID:???

ご報告いただいたABCモデルは、徹底した行動主義に基づいている
(ように思えた)ので、「動機づけ」といったような「仲介変数」を
用いることが馴染まないように感じます。
辞書やネットでちょっとだけ勉強しましたが(例: http://www.reha-behavior.or.tv/ )
やはりスキナーが理論的始祖ですね。上掲サイトの掲示板を見ると実例がよく分かる。
思いつきですが、治療者が「三項随伴性理論で患者を見る」こと自体を
研究の対象にしたらおもしろいかも。さて、俺は「リハビリの意義が理解できない
意識状態になったらリハビリを拒否する」念書を今のうちに書いておこうかな(^_^;)

宮本さんも書き込みお願いします。また時間の都合で講義内にコメントし損ねた方も
こちらでぜひどうぞ。

11 名前:宮本千尋:2005/05/06 02:23 ID:a7ioV5H6

遅くなって申しわけありませんでした。

第3回講義録 4月28日(木)6限
発表担当 宮本
フォトショップの学習

自身の経験から、画像処理ソフトフォトショップの学習について取り上げる。
PCの学習は苦手意識や教授場面が少ないことなどによって中々成功しない。
その中で、私自身PCには苦手意識をもっていたが、コスプレという実践に身を置くうちに
自然と学習に関わる苦労、困難といったものを感じずにフォトショを使用できるようになっていた。
フォトショップの学習(技術・知識の獲得)には様々な制限がある。
PC使用者であること、フォトショップソフトを使用できる環境にあること、
一度きりでなく使用する機会が何度かあること。

それらをクリアして学習の成果を獲得することが出来たら、学習というものに広がりが出るのではないか?
と思っている。
自然な形での学習成果の獲得を可能にする学習方法の模索が今後の課題である。

先生より、それは「実践」に過ぎないのではないかという指摘を頂く。
実践の中に身をおくものとして、それに必要な技術は嫌でも身につけなければならないという指摘は正しいと納得する。
授業の中でフォトショを扱う「英語の選択授業」の話題。
選択という余剰のコマであることで可能になった授業携帯+評価
学校という場ではどうしても、評価と切り離すことができない。
学校そのものの構造を変えれば、実践による学習効果も期待できるようになるのではないだろうか。

219.117.95.190 , 190.net219117095.t-com.ne.jp ,


12 名前:のりふみ(有元)@管理者 ★:2005/05/06 17:32 ID:???

>>11 はい、講義録ありがとう。

普段の実践の中にはphotoshop使用も含まれていた。
その複雑な実践のダイナミズムの、特にphotoshop使用だけにスポットライトを当てると、
それはphotoshop使用技能の「学習」に見える。それで人間は教育を発明したんでしょう。
人為的にこうした「学習」を再現しようとして。しかし私は「学習に見える」と書いた。
それはある視角からだけ見える社会的錯覚かもよ。教育のせいで何かを「学習」したとしても、
それは別の理由でそうなったのかもよ。たとえば教育という実践に参加したから、とか。

13 名前:芦澤:2005/05/12 21:02 ID:8e3K2816

テーマ 「フリーターは雇用調整や賃金問題で解決されるが、NEET問題は
教育の問題である」本当?

  論主:@「教育=学校教育」と短絡的にとらえる企業側論理が気になる。
     A社会規範がゆるやかな昨今、家庭・学校・企業などの社会的環境が若者の
      就労をデザインしている。キャリア権の主体不全ではないか。

  有元先生:フリーターの職業をみると、大企業の陰謀、政府の政策がフリーターを
       生み出している。(ごもっとも!)
  竹岡さん:従来は企業組合がどう働いたらよいか、どう対処したらよいか
       社員に教えていえた。現在はそうした支援がなくなりつつある。
       だから、学校でこそ、「勤労観」などを教えるべきではないか。
  川久保さん:現職高校教員として、教員間でも年齢によって価値観が異なり、
        進路指導はむずかしい。確かに、進路指導ではなく、就職斡旋の出口指導だ。
        また、無謀な夢を与えるよりも、楽しく生きる価値観を確認する、
        ライフキャリア指導がいいのではないか。
  中野さん:高校時代に就職する仲間を「仕事に関係ない授業をうけていながら、
       よく就職できるなあ」と思っていた。
  宮本さん:どんな職業があるかもわからない・・

  感想:「学校教育現場での進路指導の実際について」は、川久保さんにお願いしてよか
      ったと思っています。ストレートマスターの皆さんの、直面している問題として
      ‘なまの声’をもっと聞いてみたかったなあ。
      ところで、先生が「デザイン」ということばをどこの範囲までとらえているのか、
      質問です。
133.34.73.141 , gkr05.edhs.ynu.ac.jp ,


14 名前:ありもと@管理者 ★:2005/05/13 13:10 ID:???

>>13 芦澤さんお疲れ様です。みなさんのご意見とても面白かった。
川久保さんのライフスタイル論の<冷めた優しさ>は妙に気になる。
ストレートマスターはおとなしいなぁ。外の研究会であれじゃ壁の花。

> ところで、先生が「デザイン」ということばをどこの範囲までとらえているのか

今度出る森下覚との共著論文(認知科学会DEE部会)では、デザイン=「異なる秩序を対象に与えること」と
暫定的に定義しました。つまり大づかみに、意図的なものも無意図で創発的なものも、
そうとらえる意味があるなら「デザイン」ととらえます。

さてフリーターを巡ってネットサーフィンしました。
フリーター層の拡大はUFJの試算では2010年にピークを迎えるとのこと。
476万人だって。こいつらの消費は正社員の半分、納税額は五分の一
(収入のわりによく消費する消費の優等生?)、結果としてDGPを下げるらしい。
でも、フリーターを使いまくることで、企業のコスト削減になるから、そんなにGDPは落ちないとの説も。
講義内で述べた感想を繰り返すが、はやりの脱フリーター論/-教育はおかしくないですか。
構造的に400万人のフリーターを必要とする社会で、フリーターになるなということは、
おまえじゃなくて他の誰かがなればいい、という子供じみた自分勝手な対症療法。どうおもいます。


15 名前:服部 千代子:2005/05/17 09:41 ID:0xaD9VP6

有本先生書くのが遅れてごめんなさい。第4回講義録5月19日(木)
「読書するこころ」を育むというテ−マで講義したいと思います。宜しくおねがいします。
133.34.4.251 , center3.ipc.ynu.ac.jp ,


16 名前:のりふみ@管理者 ★:2005/05/17 11:00 ID:???

>>15 はい了解。有元

17 名前:川久保 学:2005/05/19 16:54 ID:3WUgUags

5月19日は「やる気のない高校生をやる気にさせるには」という題で発表させていただきます。
133.34.213.38 , pc-y0008.ipcn.ynu.ac.jp ,


18 名前:のりふみ@管理者 ★:2005/05/19 17:21 ID:???

>>17 楽しみです。

ところで、俺の書き込み、投げかけが無視されていて寂しい。

19 名前:野角咲絵:2005/05/19 22:09 ID:8WDRtZsg

ちょっと授業中、考えがうまくまとまらず発言できなかったので
掲示板に書き込ませてもらうことにしました。というか、私は
ああいう場の中で発言するのは正直あまり得意とはいえませんので
今後は積極的に、掲示板を活用させてもらいたいと思います。

前回のフリーター論議と今回の川久保さんの話を聞いていて
気になったのは、仕事に自己実現を求めすぎるのはどうなのだろうかと
いう点です。

自己実現を、その人にしか出来ないクリエイティブな仕事と捉えたとして
確かに、皆がそういう思いを持って仕事に就くことが出来ればそれほど
素晴らしいことはないと思います。しかし現実には、コンビニでの
レジ打ちだとか、ピザのデリバリーやら、誰にでも出来る仕事の求人の
ほうが圧倒的に多いわけで、結果的に不本意な思いでそうした職に
甘んじている人は多いことでしょう。

では、レジ打ちやデリバリーの仕事は社会にとって
不要なものなのでしょうか。決してそんなことはないでしょう。
講義の中で出たように、そうした人たちが社会を支えているという
側面を見逃すことはできません。

ならば、むしろレジ打ちやデリバリーの仕事が社会を支えているんだと
いうことの意義を前面に打ち出していくべきではないでしょうか。
というより、「その人にしか出来ない仕事」という発想そのものが
幻想ではないかとも思うのです。もし仮に、明日ブッシュ大統領が
亡くなったとして、世界が滅亡するかといえば当然そんなわけはなく
新しいアメリカ大統領が選出されるだけの話です。

自分にしかできない仕事を追い求めて、今ある自分を否定するのではなく、
どんな仕事も社会的には意味があるのだということを伝え、ありのままを
肯定的に捉えられる世の中に向かって欲しいと感じます。
218.221.88.57 , pdd5839.ykhmac00.ap.so-net.ne.jp ,


20 名前:服部千代子:2005/05/20 10:34 ID:XkriI8uQ

私は,社会が構造的にもフリ−タ−を必要としている。そのような、状況の
中で今,世論が職種の格差てき考えを抱くことがむしろ問題である。社会は、
需要と供給の上に,彼等の労働的価値を認識している。私達、消費者も安価
な品物に,家計も潤っているのである。彼等には、いまの自分に前向きに、
この仕事に自信と意味あることそして、誇りをもってほしい。
133.34.4.251 , center3.ipc.ynu.ac.jp ,


21 名前:服部千代子:2005/05/20 17:04 ID:f57K0ha6

第五回講義録「読書するこころ」を育む教育 私は、高校で司書教諭としての事例
をとうして述べたいと思います。1.授業では、ティ−ムティ−チン
グです。「ブックト−ク」をとうして資料の収集の仕方を読書にみち
びきます。2.利用指導では、図書館の使い方を学ぶ。3.読書授業
は、資料と内容に力をいれ検討します。4.図書部顧問として二つの
活動を述べると、1.研究発表と「文化フォ−ラム」です。フォ−ラ
ムは、13校との渉外校です。内容は読書会と討論会です。10人位
10班わかれ白熱した議論をします。このような、活動をとうして読
書するこころを育んでいます。
質疑応答有本先生よりご指摘1.人にしゃべるように話すこと。2.事例を出
す以上内容を具体的に説明すること。
・ティ−ムティ−チングの打ち合わせは、どのようにしているか
教科担当と、指導内容、資料の検討は。事前に必ずする。
授業時間は高校では、1校時どれくらいですか。日本50分、中国4
5分ロシア40分〜45分。学部1年生アリ−ナさん回答ありがとう。
有本先生より文化フォ−ラム良いですね。ありがとうございました。


133.34.213.142 , pc-z0053.ipcn.ynu.ac.jp ,


22 名前:中嶋尚子:2005/05/20 21:56 ID:9+R7OYB6

実はまだ自身の発表の日を決めておりませんでした。
6月23日、竹岡さんの後にお願いしたいと思いますが、いかがでしょうか。
7月7日を「Nursing day」なんぞにしようと、密かにもくろんでもみたのですが、
残念ながら学生の臨床実習の引率時期に入りますので、たぶん“ヘロリ”と
頭が回転しないように思います。
ちょっと戻ってしまいますが、
4月28日の武捨さんの発表への、先生のコメントから。
先生は「ご自分がわからなくなったらリハビリはしないという一筆でも
残しておこうかな?」と書き込んでおられます。
「どういう死を望むか」に対しては、尊厳死に見られるように、
治療選択が患者サイドに徐々に移ってきておりますが、
その他の治療に関してはそうでないように思います。
武捨さんの事例で、リハビリを始める前に選択肢を
提示する必要はなかったのかな?と思いました。
看護師、おそらく作業療法士も医師の指示で動くことが
多いと思いますが、私の関心がその意思決定にどう関わるか
ということなので、気になっておりました。
医療も看護も何か介入することが「善」であるかのような
暗黙の前提を感じることがあります。
唐突かもしれませんが、教育にも似たようなところはないか・・?
もっと成長しなければならない、そのままではいけないような雰囲気。
(自分も大いに学生に“かもし出している”だろうなあ・・・)。
自己実現に関していえば、誰が何をもってして実現できたとするのか
よくわかりませんし、職業の価値についても同様に思えてきます。
自己実現はマズローのニード論が発端でしたっけ?(勉強不足です。すいません)
Educationの語源は、引き出しを開けることだそうですが、
「能力開発」重視の結果とも言えるような気がします。
とりとめがなくなってすいません。かなり役不足ではありますが、
先生の寂しさに少しでも答えられたらいいなあ・・と思うのと、
昨日野暮用で欠席したお詫びでした。
最後に情報をください。先生がご紹介になった『教室の戦略』という本は
絶版になっており、本学図書館にも見当たらないのです。
探し方が悪いのかもしれませんが、手に入れば幸いです。
61.210.40.55 , ntkngw026055.kngw.nt.adsl.ppp.infoweb.ne.jp ,


23 名前:のりふみ(有元)@管理者 ★:2005/05/22 20:37 ID:???

>>19 詳しくはあとで川久保さんが講義録にかかれると思いますが、
川久保さんは教育で自己実現を果たす話をなさったというより、
学校を「自己実現風味」に仕上げるとみんなつい勉強に意味を見いだしちゃう、と
いう実践を紹介されたのだと思います。

>>20
> 彼等には、いまの自分に前向きに、
> この仕事に自信と意味あることそして、誇りをもってほしい。

低賃金労働に誇りまで感じて働いてくれれば、企業は大助かりですね。
私はあまのじゃくなので、金のためにいやいや働いたって良いと思いますけど。

川久保さん、もう少し説明された方がわかりやすいと思います。
講義録お願いします。


24 名前:のりふみ(有元)@管理者 ★:2005/05/22 20:37 ID:???

>>22
中嶋さん、発表日は次回忘れず相談してください。

> 医療も看護も何か介入することが「善」であるかのような
> 暗黙の前提を感じることがあります。
> 唐突かもしれませんが、教育にも似たようなところはないか・・?

ああ、良いことをおっしゃる。その問いはイバン・イリッチの
「脱学校の社会」に描かれています。
『教室の戦略』は持って行きます。鞄に入れました。いつでも部屋に来てください。

25 名前:服部千代子:2005/05/23 15:30 ID:APLKHuUI

有元先生  20の回答ありがとう。パソコンの打ち方がだどたどしく、行間
も乱雑で失礼しました。私しの考えは、単純に思うだけで、同じ仕事に向き合
ならば前向きに一生懸命に取り組む。そのことが自分の内面を奮い立たせるこ
とになる。次に講義録ですが、文字打ちができなく、先生始め皆さん迷惑かけ
ました。読んで戴きあいがとう。

133.34.213.141 , pc-z0052.ipcn.ynu.ac.jp ,


26 名前:川久保 学:2005/05/23 17:44 ID:ZbvA4Mvw

講義録〔概要〕

「やっても意味ないし」という言辞を、学校コード・社会的コードからの逸脱ではなく、
レリバンスを感じる学び・仕事への志向として聴き取ること。自己資本化
〔自己投資〜自己実現〕のシナリオに沿ったインセンティブをカリキュラムに埋め込むことで、
自己生成の物語を演出すること。キャリア教育のヒドゥンカリキュラム化。

質疑応答

問〔千さん〕進学校にあてはめるとどうなるのか。
答 進学校は受験がインセンティブなのですべて無用な話だったと思う。
問〔佐藤さん〕介護・看護分野を安易に利用しているのでは。
答 人の役に立っているという手ごたえがやりがい感につながるので
ボトム層の人気が高いのは確か。しかし資格ビジネスとみているのではなく
地域の介護・看護人材の育成という観点に一応立っている。
133.34.213.56 , pc-y0026.ipcn.ynu.ac.jp ,


27 名前:のりふみ(有元)@管理者 ★:2005/05/24 10:54 ID:???

川久保さん、ありがとう。>>19-25の展開にも一言頂きたいです。

28 名前:川久保 学:2005/05/26 17:11 ID:56/Tfq0+

今回お話したのはフリーターという生き方をなぜ「選択する」する
のかという話でした。彼らがフリーターの仕事になんらかの価値
〔例えば自己実現など〕を見出せるはずはありませんし、また見出
したとすればその時点で彼はもはやフリーターではないのです。
なぜなら、なんらかの価値を手に入れるために、「とりあえず」
不安定な現状に甘んじる「生き方」こそがフリーターなのですから。
実体概念ではなく、機能概念として語っているのです。
ですから社会的分業での「低賃金労働者」の意義といった話をした
つもりはありません。むしろその場合でしたら、彼らの消費性向を
(人的)流動資本として利用するという新自由主義的な不可視的「管理」
を自覚する方が先でしょう。低賃金労働に「やりがい」という価値を
付与しているのもそうした見えない管理の手法なのですから。
133.34.213.59 , pc-y0029.ipcn.ynu.ac.jp ,


29 名前:のりふみ(有元)@管理者 ★:2005/05/27 13:18 ID:???

>>28 なるほど。要するにだまされず(自覚的に)長いモノに巻かれろ、ですね。
私には現実的な若者への処世術の提言だと感じられます。
どこかで労働や勉強のロマンチシズムがちくちくしますが。

30 名前:竹岡健治:2005/05/27 22:13 ID:wPRAB0UQ

 一度は書き込みをした方がいいかなと思っていましたので、
思い切って書くことにしました。さて何を書こうかと迷いました。
皆さんの書き込みに関係することがいいのかなとも思いましたが、
書けそうにないので、無視することにしました。
 前置きが長くなりました。
 人と話(議論)をする時、言葉の意味の共通化が必要だという
ことを最近特に感じます。その言葉の一つに「学力」があります。
先日の授業のレジュメにもありました。この言葉ほど最近都合よく使わ
れている言葉はないように思います。
「学力低下」とよく識者たちが話します。これを聞いた時、思うのは
「貴方の言っている学力とは何ですか。どうやって測ったのですか。」
ということです。それがはっきりしてから、そのことが問題なのか、
或いはどうでもいいことなのか、もしくはいいことなのか、議論できる
ように思うのですが。ある人たちにとって、身につけさせたくない
「学力」もあるように思います。「学力」については、この辺でやめて
おきます。
 その他気になっている言葉等書いておきます。
「公教育」(受ける側と「国」側からの捉え方)
「子どものために」(かなり頻繁にそして安易に使われます)
「個性重視」「個性尊重」
「自由がある」(実際には、多くの人にはまだ飢える自由しかないのでは)

 まあいずれにしても、大学というところは面白いところですね。その幸せを
58歳にしてもう一度感じているところです。











210.147.207.183 , FLA1Abv183.kng.mesh.ad.jp ,


31 名前:のりふみ(有元)@管理者 ★:2005/05/30 12:24 ID:???

>>30 新しい話題の口火を切っていただくのも良いですが、
これまでの議論を引き受けて書いてもいただきたいです。
>>19-26 の流れは重要な議論を含むと思います。

32 名前:佐藤和子:2005/05/31 22:41 ID:/hp+FnfI

 遅くなりました。
5月26日講義録  概要                担当:佐藤和子
 「専門学校の教員として、学力について思うこと」として、看護師養成を目的とする教員として、
 学生の学習状況を見ていて思うことを、討論を通して述べていった。
○進路の一つとして専門学校として選ぶが、
  偏差値から見ると大学、短大、専門学校と振り分けられてくるのではないか。
○高校までの学力は・・学力の低下
  学力と何を示しているのか
  少なくとも今までの知識を引き出し意味あるものとして関連させ活用できることでは?
○職業教育と看護専門学校
     教育機関と職業技術の修得  中間的な立場? 看護師養成として
                                (意見から)
     学校で知識を使って実践するところまでしなくてはならない。
     教える側にも こうあるべきや課題はあるが
《質問や意見をもらいながら進め気になったところ》
 ◎学力、何を持って学力と見ているか。学力が見えていない。
 ◎教育がうまくいかないときに学力の所為にしている。
  何かの所為にしているだけ、したいだけ
  自分が出来ないと学生に求める。
      自分がわかるからーーない    ないと
 ◎理論と実践が結びつける。難しい
   実践に放り込めば実践家になる。
   再構成を繰り返すことで自分が苦手とするところを使う。
   環境と個人が相互に作用していく。
 ◎教育で人は変えられない。
   本人のためという言葉を借りて思うようにしたい医療や看護があった。
質問されながら、聞きながら考えましたが、
自分は何を見ているのかな。学力の所為にしているといわれると
そうかもしれないと思いつつ、でもーーとどこかで思う
 「何を見て学力低下としているのか。」「熟練者からみた出来ないとは」
   記述してみたらと   やってみますか・・・



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