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2005 学習心理学講義(-特論)

1 名前:有元典文@管理者 ★:2005/04/12 12:03 ID:???

講義録、質問、コメント等こちらに。

2 名前:M1 平岡なぎさ:2005/04/12 21:34 ID:SLYLzeyA

M1の平岡なぎさです。
今日は初授業お疲れ様でした。
色々な方々がいらっしゃって、これからどんな授業になるのか
とても楽しみです。

さて、最初の連絡ですが、本講義のテキストとなる
『仕事の中での学習―状況論的アプローチ』
 上野直樹 著  東京大学出版会
を生協で一括注文したいと思います。
今週の金曜日に発注したいと考えていますので、
今日の講義に参加された方の中で購入されない方がいらしゃいましたら、
木曜日までに必ずこの掲示板にその旨をご記入下さい。
お手数ですがよろしくお願いいたします。
周作さんについては了承済みです(^ー^)

133.34.73.109 , psy15.edhs.ynu.ac.jp ,


3 名前:武捨英理子:2005/04/12 22:39 ID:???

第1回講義録 4月12日(火)6限
学習心理学講義に向けて
・個々人へのアンケート:「私が考える学習とは?」→共通項目について検討
・エポケイ:自然的態度を一旦停止する事
学習の一般的定義:「比較的安定した行動の変容・個人の変容」とされている
はたして、学習とは自分が変わることなのか?変化したのは個人ではないのでは?
古くからいる人間が教えて、新人が学ぶという光景
→これは新人のみが変化するだけではないはず…
「学習」をエポケイしてみよう
・メンバー自己紹介
各々の興味分野、体験談、経歴などについて紹介
・今後の予定について
参考文献の紹介
1)「仕事の中での学習・状況論的アプローチ」上野直樹著 東京大学出版会
2)「状況に埋めこまれた学習」ジーンレイヴ、エティエンヌ・ウェンガー著
上記文献を輪読するにあたって
@担当制にし、一章ずつわりあてた上で担当者がレジュメを配布
A期間を決めて各々がすべて読み込んでから、皆でディスカッション
の2案が提示された。
今年度の予定として1)の文献を前期講義期間中の前半に@の方法で進めていく予定。
次週は有元先生がレクチャーして下さる。

以上です。何か不足点や訂正がありましたらご指摘頂きたいと思います。

172.205.57.109 , ACCD396D.ipt.aol.com ,


4 名前:のりふみ@管理者 ★:2005/04/13 13:01 ID:???

武捨さん講義録ごくろうさまです。
大辞林より、エポケー(ギリシアepoche)
[1]〔哲〕〔判断中止の意〕(1)古代ギリシアの懐疑派の主張する哲学態度。現象に対して一切の断定を留保し、そのまま受け止めること。
(2)フッサールの現象学の方法。純粋な事象そのものへ至るために、日常的・自然的態度を差し控えること。

5 名前:のりふみ@管理者 ★:2005/04/13 13:03 ID:???

心理学事典より、学習
個体発生過程において,経験により比較的永続的な行動変化がもたらされること,およびそれをもたらす操作,そしてその過程。「経験により」とするのはむしろ遺伝の制約を受ける「成熟」と区別するためであり,「比較的永続的な」とするのは一時的な疲労や酔い,動機づけによる変容(たとえば,満腹と空腹)と区別するためである。

6 名前:佐藤幸江:2005/04/16 08:18 ID:???

初めまして!さとうゆきえ(学校教育臨床分野M2)です。
前回欠席だったのですが、シラバスを見て、ぜひ受講してみたいと思っております。
ただ、有元先生の研究室の扉のイラストや貼ってあったレポートを見て、先生の講義
は、若者(?)が多いのかなあと、多少気遅れをしております。(^^)
現在、小学校で6年生を担任。どうぞ、よろしくお願いいたします。
222.150.70.218 , i222-150-70-218.s04.a014.ap.plala.or.jp ,


7 名前:佐藤幸江:2005/04/16 08:29 ID:???

前回、先生の講義と他のみなさんの自己紹介が聞けなかったことが、残念です。
2つ、教えてください。
○学習(心理学的には、動機づけの変容は学習とは言わない!?)とエポケーの
意味は分かりました。では、「学習をエポケーする」とは、どういうことなの
ですか?
○もう、発表分担はされたのですか?
よろしくお願いいたします。
222.150.70.218 , i222-150-70-218.s04.a014.ap.plala.or.jp ,


8 名前:平岡なぎさ:2005/04/16 12:14 ID:H+bg5Uyk

昨日、教科書を注文してきました。
18冊の一括注文なので、少々時間がかかるかもしれないとのことでした。
入荷しましたら、またこの掲示板に書き込みますので、よろしくお願いします☆
133.34.73.109 , psy15.edhs.ynu.ac.jp ,


9 名前:のりふみ(有元)@管理者 ★:2005/04/18 10:06 ID:???

>>8 なぎささんありがとう。

>>7 「学習をエポケーする」=学習に関するわれわれの素朴な思いなしを疑うことです。
個人の脳内の変化である、とか、熟練者が教え初心者が学ぶとか、…etc。
etcになってないですね。講義全体を通して伝えたい事柄です。発表分担表に
加わってください。詳しくは次回講義で。

10 名前:鷲田千夏:2005/04/18 21:22 ID:OXLbLzTY

はじめまして、こんばんは学校教育臨床分野M2ワシダチナツと申します
私も前回欠席しましたが、シラバスを読み可能ならば受講させて頂きたいと思いました
本学附属中に勤務しており、中1の担任をしています

210.136.161.13 , proxy163.docomo.ne.jp ,


11 名前:のりふみ@管理者 ★:2005/04/19 11:54 ID:???

>>10 鷲田さん、どうぞ。

12 名前:吉川 亮:2005/04/20 13:58 ID:???

2005/4/19講義録です。簡単なものですみません。

・生物は学習する、学習によって上達する存在であるという前提。
・生物そして人間には、自信の動きをコントロールする何か(動機、意志など)を持っている、という前提。
・心理学はそういった素朴な人間観に前提にしているのではないか。
・そういったものを一度エポケーしてみよう。
・ベル・ランカスター方式に代表される近代学校は、素朴心理学に立脚して、「記憶」を重視している。
・つまりポータブルな知識を伝達することを目的に学校があり、それを説明するために心理学がある、ということだ。
・学校以外の場面での心のありようを研究する学習心理学を構想したい。
・無意味つづりの記憶の実験やx桁の数字の記憶の実験からわかるように、人間の記憶の保持時間は短く、容量は小さい。
・だから人間は脳の外に記録することに努めてきたののではないか。
・にもかかわらず、学校は記憶に頼るということを強いてきた。
・心理学における社会文化アプローチとか状況論的アプローチとか、また文化心理学と呼ばれるものがある。
・この考え方は、@心を個体の中にあるものとは見ない。
        A社会の中でふるまう心のあり方を見る。
・この考えをもとに教育現場に提言をしていきたい。

以上が講義のエッセンス?です。
無意味つづりの記憶の実験、x桁数字の記憶の実験をみんなでやりました。


今後の予定
 上野直樹「仕事の中の学習」をテキストに発表
4/26   序章 瀧澤さんの班
5/10・17 1章 心理M1@班
5/24・31 2章 心理M1A班
6/7・14  3章 佐藤さんの班
6/21・28 4章 佐々木さんの班
7/5・12  5章 執行さんの班
7/19   別課題平林さんの班
以上です。

何か不足の店ありましたら、ご指摘ください。
講義を聴いての感想:「状況論的アプローチ」って「唯物論」?
133.34.73.131 , edu01.edhs.ynu.ac.jp ,


13 名前:のりふみ@管理者 ★:2005/04/20 15:50 ID:???

吉川さん、詳細にごくろうさま。
マルクスを源流にもつので唯物論でしょうね。
心理学は観念論ってこと?でも、精神や意識を脳というハードウェアに
還元してるから唯物論?どう思います?>吉川さん、All

14 名前:平岡なぎさ:2005/04/21 16:52 ID:lp0MIFl+

☆☆教科書が届きました☆☆

生協の本を注文するカウンターに届いていますので、
各自で取りに行ってください。
その際、「有元先生の講義の教科書」と店員さんに伝えてください。
価格は割引されて¥2,551です。
よろしくお願いします。
133.34.73.109 , psy15.edhs.ynu.ac.jp ,


15 名前:M1 平石聡子:2005/04/21 21:54 ID:lp0MIFl+

☆19日に新たに本の購入を希望された方へ★

本日生協の方に追加注文しました。
一週間ほどで届く予定とのことです。
追加の場合も上記と同様、一週間後に各自で生協のカウンターに
取りに行ってください。
よろしくお願い致します。

133.34.73.109 , psy15.edhs.ynu.ac.jp ,


16 名前:たき:2005/04/26 22:19 ID:pczvwXwM

「仕事の中での学習」序章についてみんなであれこれ言いあう会

・機能システムとして人を見てみよう。
・実在の認識が人によって違うが、人には共通の定式化があるから成り立つ。
 物理の話、ニュートンの話、子どもを教師としてみるとき、など。

○感想
新しい見方がまだ理解できない(自分だけ?)。
新しい見方をすることでしか得られない利点は何か?
133.34.73.111 , psy17.edhs.ynu.ac.jp ,


17 名前:のりふみ(有元)@管理者 ★:2005/04/27 10:19 ID:???


講義録ありがとう。

> 新しい見方をすることでしか得られない利点は何か?

1. 現実の再デザイン

現実がいかに成立しているかが描ければ、あたらしい現実をデザインする※契機になります。
「現実工学」のような構想が可能でしょう。
逆に現実がひとびとの「局所的な相互行為で達成されて」いることが描けなければ、
いつまでも永続的に現実は揺るぎなく固定的にそうした現実のまま。
※簡単な例では「ユニバーサルデザイン」と「ハンディキャップ」

2. アームチェア・パンクやアームチェア・アナーキスト

意味や価値を壊すのは若者のたのしみでしょう!?
簡単にいすに座ったまま現実が解体できるのはおもしろい。

18 名前:女ホリエモン:2005/05/03 21:52 ID:???

有元先生、
個人的な事で恐縮ですが、10日の講義欠席させて頂きます。
お手伝いをしている事例検討会の今年度初日とぶつかってしまいました。
”想定内”でしたが、「行くべきか?行かざるべきか?」ぐずぐず悩んで
おりました。だって、解らないながらも面白くなってきたところで、
欠席はつらい。17日は出席します。皆さん、置いてかないで〜、教えてねぇ。

210.20.186.218 , 210-20-186-218.rev.home.ne.jp ,


19 名前:のりふみ@管理者 ★:2005/05/04 05:06 ID:???

>>18 お、欠席通知なら普通メイルじゃね?さすがほりえもん、社会常識無いな(^_^;)
そんなことより内容へのコメントを投稿してよ。てかそもそも女ホリエモンって誰だよ…。

20 名前:女ホリエモン:2005/05/05 23:46 ID:???

有元先生、
こんばんは!非常識なM1堀です。無駄に齢を重ねています。恥ずかしい。
ごめんなさい。メールの送信を何度も試みたのですが、どうしても送れない
のです。
さて、すべてを関係論で捉える、というのは、コミュニティー心理学に通じ
ますか?10日の講義欠席は本当に残念です。
210.20.186.218 , 210-20-186-218.rev.home.ne.jp ,


21 名前:のりふみ(有元)@管理者 ★:2005/05/06 17:44 ID:???


>>20
> すべてを関係論で捉える、というのは、コミュニティー心理学に通じますか?

コミュニティ心理学は不勉強です。すいません。
「社会システムと個人の行動との両者を結びつける心理過程全般についての研究」を
しているとすると、「社会システム」や「個人」、「心理過程」が所与ってことでしょうか?
所与な実在を想定すると関係論的ではないかも。ここ分かんなかったら、また聞いてください。
いっぽう地域精神衛生のとりくみなどで、精神病の呼称変更したり、積極的に地域に
とけ込ます実践をすることは、「こわい」「きもちわるい」ヤマイの意味や価値を組み替えるので、
おおづかみには関係論的といえるのかも。コミュニティ心理学にお詳しいなら解説してください。

22 名前::2005/05/06 18:05 ID:TO8dW/4s

千です。前回の授業に関する理解、考えを書いて見ます。
まず、実在に関して〜
物質は意識によって反映でき、その反映でできたのが表象である。
物質は意識によって変化しない実在である。これは私が高校の時勉強した
唯物論の内容です。こうなると、確かに認知科学では変化しない頭の中での
システムを仮定し、外から記述しようとしたため、認知システムは実在であると
言えます。それに、状況的な立場から見る機能システムは、
外からの記述はできない、記述がシステムの一部分になってるという立場にたっています。
本では物質と意識の二元論に疑問を提出しているが、私はこう理解します。
物質があるかどうかは重要な問題点じゃないと思います。
われわれが立てあげた世界はつねに意識を経過した表象の世界なのであるからです。
なので記述できる機能システムもつねに意識を経過した表象なのではないかと。この表象は
記述(意識)される同時にその記述(意識)は表象に影響するなのではと。なので
実在とは言えないのではと思いました。
次は、私の疑問を書いて見ます。
機能システムは、人々、道具などを含み、人々は中からこのシステムを記述し、その
記述はまだ、システムの一部分になっていると言います。従来の個人だけを
研究対象としたとは大きく異なっています。では、この流動的なシステムで
個人また、個人の脳は何してる?という問題を考えたいです。
本で紹介してるバーテンダの例で以下のような疑問を持ちました。
熟練したバーテンダは、実物に基づいた記憶方略を用い、一方非熟練した人は言語的な
言語的な記憶方略を用いると言います。この例は、確かに機能システムは個人を
越えた広がりを持っているのを説明しています。だが、これで、熟練者の脳が非熟練者より
変化していないとか、脳の役割を否定することは難しいと思います。否定すれば、
まさに昔の認知科学での脳の記憶理論で判断することになるのではと思います。
記憶の量で脳を判断することになるのでは。
もしかしたら、こんな新しい観点の下での脳の働きは新しい概念を導入して、解釈すべきなのではと
思います。

133.34.73.109 , psy15.edhs.ynu.ac.jp ,


23 名前:有元典文@管理者 ★:2005/05/07 05:39 ID:???

>>22 千さんの議論にのります。掲示板が活用されうれしい。

前段の実在に関する社会構成主義的説明に同意します。
後半の疑問は、「行為主体=脳」という暗黙の前提から発するもの。
詭弁に聞こえるかもしれませんが。行為主体が個人の脳であることは
もののみかたのひとつに過ぎません。バーテンの例で言い換えれば、
カクテル作りの主体がバーテン個人の脳だという前提に基づいている。
つまり千さんの問い自体が、非社会構成主義的です。いっぺんにすべて
説明しようとすると本になるのでここまで。また引き続き問うてください。

24 名前::2005/05/10 14:13 ID:42D+a2rc

 自分のわがままな考えをあそのままぶつけることができてうれしいです。これからも
納得いくまで書き込んで見ます。
 そもそも私は構成主義がすきだし、その下で生きていこうと思いました。たが、
下のような考えは構成主義に関するまだ未熟な理解から発散してきたかもしれないかなと
思いながらも書き込んで見ます。
 1.私の発散の出発点は「お互いに作りあげている」という構成主義の考えの下で
それをもうちょっと開けてみることもできるのではと思いました。例えば、
機能システムは人々、環境などでお互いに作りあげていると見ています。離れたくても
離れられない関係であると見てます。だが、私は必要あれば離れられない関係のものでも
適当な方法を用いて別別に研究することができるのではと思いました。機能システムも
人の角度からあるいは環境の角度から。まるで、人の体と心臓のように。離れたらお互いに
意味ないが、必要あればどのぐらい一体かしてる関係でも離れて見なきゃと思いました。
殺して外に取り出した心臓じゃなくて無数の血管とやり取りしてる心臓を。
機能システムを全体の流れをどのぐらい詳しく記述してもそれは構成主義の証明と関係把握に
つながるが、そのシステムの中のある人に見せたとき、あの人は「じゃ、私は」と言うでしょう。
私は個人から出発するのも構成主義に反していないし、もっと発展させられるのではと思いました。
こうした上での構成主義は本当に「ある角度から見るとそんな風にもなるんだよ」と
言えると思います。ある角度から出発した論調を同意しながらもその角度にかかわる
論点にそれに関する議論はある理論の上の大理論としては非完成な理論だと思います。
例は認知系の記述とか。
2.そして、私が脳を取り上げた原因は、機能システムでの個人の体の動きに直接関わるのが
脳ではという考えて脳の役割を考えたいなと思いました。だぶん、脳は想像以下役割少ないかもとも
思います。
以上、千の妄想論です。
133.34.210.23 , pxysrvky01.ipcn.ynu.ac.jp ,


25 名前:ありもと@管理者 ★:2005/05/10 15:45 ID:???

>>24 千さんと往復書簡が続いてますね。私の理解の整理になりありがたい。理解は対話の中にある。

1.の「ある角度から出発した論調を同意しながらもその角度にかかわる
論点にそれに関する議論はある理論の上の大理論としては非完成な理論
だと思います。」に関して。
普遍性を尊ぶ自然科学ではそうです(杉万俊夫「社会構成主義と心理学」参照
http://www.users.kudpc.kyoto-u.ac.jp/~c54175/research/theoretical_study/T-012.htm)
しかし特定の誰かが誰かの為に行う人間科学としては、この「未完成さ」は逆に
重要です。「誰の為に誰が?」という問いを常に招くから。
★例:学習研究が明らかにしてきた認知系の記述とは何であったか。
「教育研究者」が「学校」の為に行ってきた研究の結果ではないのか。
教員の教えやすさの為に行ってきた研究の結果ではないのか。

2.については、従って脳の役割についての記述は、誰が誰のために何故行った研究か、
ということとの反映だと思います。この件、講義の中で取り上げてみましょう。
つまり社会構成主義のおさらいをしてみたい。

26 名前:たき:2005/05/10 20:32 ID:nfagNnno

>>25のリンク、カッコまでURLに含まれていて、
「ページがありません」になります。
カッコ消したら見ることが出来ますね。

http://www.users.kudpc.kyoto-u.ac.jp/~c54175/research/theoretical_study/T-012.htm

ぐっときた箇所
『心理学は、ミクロ社会学(人間科学)とマクロ生理学(自然科学)に
二極分解していくだろう(もう、そうなりつつある)。』

この部分に関しては、僕も理解できました。
この考え方ならば、「社会構成主義もひとつの立場にすぎない」と僕は解釈します。
「いろんな考え方でそれぞれがいろんな研究をしているね」というハッピーエンド?
133.34.73.152 , insei02.edhs.ynu.ac.jp ,


27 名前:ありもと@管理者 ★:2005/05/11 19:33 ID:???

>>26
「マクロ生理学」っていうのは悪口か嫌みだと思うんだけど…。
生理学の人間から見たら「行為」のたぐいは大づかみすぎで主観的で非科学的だと。
「ミクロ社会学」はエスノメソドロジーのことでしょう。これは人間行動の記述として
十分成果を挙げている。もはや実証主義的科学を標榜してきた心理学は
「看板」として程度の意味しかない、という死亡宣告に読みました(^_^;)
ハッピーエンドじゃなくてデッドエンド(どんづまり)だと…。どうすか?

28 名前:ひらばやし:2005/05/11 19:37 ID:pqVycYho

昨日の授業で議論にあげられていました“explain”と“account”について
今日、ネイティブ(米国人)に確認いたしましたので、情報共有させてください。

どちらも同じように「説明する」という意味ですが、
 explain・・・一般的な説明。例えば、辞書にあるような説明。定義のようなもの。
 account・・・個人的な視点が入った説明。explainよりも強い意味合いで使われる。
        執行さんの仰っていたように、accountした人物には、その内容の「説明責任」があると考えられる。
という違いがあるようです。

ご参考まで。 
210.160.34.138 , 210-160-034-138.jp.fiberbit.net ,


29 名前:たきざわ:2005/05/12 00:29 ID:7rmMAdKc

>>28 ひらばやしさん、わかりやすいです。
こういう言葉の理解、そして情報共有、大事ですよね。

>>27 死亡宣告・・・キャーッ!!
でも、何度読んでも両者が対立しているように読み取れないんですけど…。

>生理学の人間から見たら「行為」のたぐいは大づかみすぎで主観的で非科学的だと。
だったら、「マクロ生理学」の人間から見たら「ミクロ社会学」は
大づかみすぎで主観的で・・・となりますyo。

第3節の3.まで読み味わいました。杉万先生の考え方に同意できる部分もあります。
ただ、今のところ論理実証主義を完全に否定するような決定打が読み取れません。
133.34.73.111 , psy17.edhs.ynu.ac.jp ,


30 名前:たきざわ:2005/05/12 01:47 ID:7rmMAdKc

気合で杉万先生のページ、読破しました!
最後の統計のところ、すごく参考になりました。自戒します。

その他の部分でも、僕は従来の自分の立場(論理実証主義)のまま、
杉万先生の批判を受け取ることができるように思いました。
これは、「論理実証主義との違いを示しきれていない」、
もしくは、「論理実証主義を否定しきれていない」からではないでしょうか?

この部分がキーポイントのように思います↓
>人間をめぐる現象の理解には、自然科学と人間科学の両方が必要となる。
>問題は、人間科学の立場で考究されるべきことが、
>自然科学の立場で考究されるところにある。
>従来の心理学は、そのような例にことかかない。
この「そのような例」をぜひ知りたい。
「そのような例」は、本当に社会構成主義でしかクリアできないのでしょうか?

有元先生に、それから受講生の皆さんに本気でぶつかっている気分。
133.34.73.111 , psy17.edhs.ynu.ac.jp ,


31 名前:ありもと@管理者 ★:2005/05/12 08:03 ID:???

たっきーも千さんもガンバりますね。こりゃやりがいがあります。
俺の説得、脅迫、泣き落としに決して屈することなく自説を貫いてください。

>>30 みなさんにも是非読んで共有してもらいたいよね、杉万論文>たっきー?
再掲します。http://www.users.kudpc.kyoto-u.ac.jp/~c54175/research/theoretical_study/T-012.htm

> この「そのような例」をぜひ知りたい。

例を出すので議論してください。
有名なアトキンソンとシフリン(1968)の「記憶の二重貯蔵モデル」(短期/長期記憶を想定)。
これは「人間科学の立場で考究されるべきことが、自然科学の立場で考究され」ている例だと思います※1。
なぜなら「記憶」は脳の機能ではなく、人間の社会的(生態学的)な活動である(と私が信じ込んでいるからです)。彼らの実証の根拠は「自由再生における系列位置曲線の分析」という実験手法から得ています。
また二重貯蔵モデルにきれいに対応した大脳生理学的知見はないはずです※2。

※1 あっ!しかし人間科学と自然科学のどちらで考究される「べき」か、誰に定めることが出来るのか。
嗚呼、たっきー議論ありがとう。非常に重要なことに気付きました。

※2 霊長研「脳の世界」 http://www.pri.kyoto-u.ac.jp/brain/brain/
理化学研BSI http://www.brain.riken.go.jp/

32 名前:ありもと@管理者 ★:2005/05/12 08:09 ID:???

アリゼミ3年ゼミ(水3限)で上述の杉万論文の精読を始めました。興味のある方遠慮無くご参加ください。

33 名前:たきざわ:2005/05/12 16:03 ID:8e3K2816

>>31 杉万論文、おもしろいです。読んだら幸せになれます。

○※1について「どちらで研究されるべきか?誰に定めることが出来るのか?」

むむっ。重要なことですね、かなり!!
僕は「どちらでも研究されるべきだし、どちらで研究されるべきなのかは
研究の受益者にとって有益かで決まる」と思っています。
つまり、大事なことは「本当に求められているのか、
求めている人にどう還元できるのか?」ではないか!と。

ここで自分の研究を振り返ってみると…
誰かがそれを求めているように僕が勝手に思って研究していた気がします。
自戒せねば。求められているかどうか探求せねば。

○アトキンソンとシフリンの例
彼らの研究も、当時の人間からすると有益だったはずです。
「リハーサルすればしっかり覚えられるようになるんだね!」とか。
「リハーサルしないと長い時間覚えておくことはできないのね。」とか。
彼らの知見は短時間で大量に暗記を要求される場面で生かされてたのでは?

有元先生が僕と同じ立場に立って議論してくださっていることに感動。
133.34.73.141 , gkr05.edhs.ynu.ac.jp ,


34 名前:中野智之:2005/05/13 22:15 ID:3J/iXEPU

○5/10の議事録○
遅くなって申し訳ありません。
まず、掲示板上で中途半端になっていた議論の続きをしました。
吉川さん・・・唯物論と観念論
瀧澤さん・・・前回の授業での新しい見方の再確認
千さん・・・実在と社会構成主義について

そして、第一章「プランと状況的行為」についてを議論しました。
今回は、1「プランの位置づけに関する議論の背景」すら終わらず。。
終始、プランとリソースについての議論が展開されました。
さまざまな意見や例が出たのですが、最終的には、
プランは手順書であり、リソースは参照物であるということが、
みなさんの共通認識となったのではないかなと思いますが、どうでしょうか?
正直、あまりに色々な意見や例が出たので、その意見や例が何についてのものなのか、
個人的にわからなくなる場面もありました。
今回は、前回以上に耳からケムリが出ました。。

次回は、もう一度本を読み直し、自分がわかっていない部分をはっきりさせてきたいと思います。

133.34.73.97 , psy03.edhs.ynu.ac.jp ,


35 名前:のりふみ(有元)@管理者 ★:2005/05/14 06:56 ID:???

>>33

> 研究の受益者にとって有益かで決まる

誰か「受益者」か誰が決めますか?「有益」かは誰の目から明らかですか。お答えいただきたい。
講義で取り上げたアフロアメリカンのIQが低いとする研究は、差別の根拠として有益でしたよ。

> 彼らの研究も、当時の人間からすると有益だったはずです。

当時の人間に有益? 人類全体への貢献ですか? 普遍性に走るのは論理実証主義的自然科学の悪い癖だと思います。
これについてもご返答いただきたい。

> 「リハーサルすればしっかり覚えられるようになるんだね!」とか。

このことは↑、心理学を習う前から、子どもの時から分かってましたけど…。
また落語の与太郎は、大家さんの言いつけの買い物をリハーサルしながら歩くうちに
記憶が変容するのが笑いどころです。江戸時代にも分かってました。

36 名前:のりふみ(有元)@管理者 ★:2005/05/14 06:58 ID:???

>>34 中野さんありがとう。ねぇ、どこで耳から煙が出たのか、書いてもらいたいです。
是非とも。きみやみんなの勉強になるだけでなく、俺の勉強にもなります。
耳から煙が出たところを書いてみてください。

37 名前:たき:2005/05/14 22:43 ID:PagXQrww

>>35
> 誰か「受益者」か誰が決めますか?「有益」かは誰の目から明らかですか。
受益者は研究対象者かな・・・でも「有益」かは・・・。
 −本当に害はないのか?そして有益なのか?−
その全てを予め知っている人物はどこにもいないですね。
結局、有益かどうか、そして誰が受益者になるかということさえ、
後に明らかにされるしかないと今は思います。

> 当時の人間に有益? 人類全体への貢献ですか?
>>33では、「短時間で大量に暗記を要求される場面がある人」です。

> このことは↑、心理学を習う前から、子どもの時から分かってましたけど…。
確かに。でも、同じ記憶材料の中で短期記憶と考えられる部分、
長期記憶と考えられる部分を想定し、発表した人は彼等が初なはず。

なんか近づいてきた印象があります。もっと責めてください!
133.34.73.111 , psy17.edhs.ynu.ac.jp ,


38 名前:中野智之&平石聡子:2005/05/15 21:46 ID:ywGY9Y6k

>>36
>耳から煙が出たところを書いてみてください。
その原因を正直に書いてみます。
全体として、一つの話題に対する議論の時間が長いため、
話の論点が徐々に見えなくなり、何の話をしていたのか分からなくなるときがあります。
なので、一つの話題が一段落したら、それまでの議論をまとめる時間を設けていただきたいです。
そうすることで、自分自身の整理がつきますし、
みなさんと共通の理解を得ることができると思います。

上記のように、議論の中身が次第にわからなくため、
自分が具体的に何がわかっていないのかわかりません。。

理解力がないと言われればそれまでなのですが、
私たち(M1の一部)にとっては新しい視点(もしかしたら今までにもそのような見方をするときが
あったかもしれないけど、具体的に文章で読んだりするのは初めて)なので、
1つのことを理解するにも相当の時間がかかってしまっているのが事実です。
133.34.73.109 , psy15.edhs.ynu.ac.jp ,


39 名前:有元典文@管理者 ★:2005/05/17 11:21 ID:???

>>38 了解。整理する時間をとりましょう。しかし俺が整理しても
皆さんの理解にはならない。皆さんが整理してみて。疑問点はその場で
どんどん聞いてみて。やりとりしましょう。
結局、自分で腑に落ちる以外理解は得られない。俺にはどうやれば腑に落ちるかは
わからない。分かったら文部大臣になってる(^_^;)
パラダイムが違うのでわかりにくい。パラダイムの違いは頭で乗り越えがたい。
それは、新パラダイムのひとがどう語りどう振る舞うかをヒントに、身体で知ること。
だから俺には教え方が分からない。丁寧に説明しても、俺が丁寧だと思っているだけ。
「教授」という強い方略が使えないときに効果的な弱い方略は、千さんやたっきーの
ように「対話」しまくること。千さんとたっきーは新パラダイムを共感的/批判的に
わかり始めていると思う。理解力じゃなく対話があるからこそでは。
あと杉万論文は役立ちます。ひとつのことは複数の異なる記述で読んだ方がわかりやすい(ことがある)。

40 名前:有元典文@管理者 ★:2005/05/17 11:37 ID:???

>>37
> なんか近づいてきた印象があります。もっと責めてください!

いや、もうたっきーは理解したよ。

○自然科学は、意味や価値を中立的に記述する(-出来ると信仰している)。
○社会構成主義は、意味や価値を社会構成的に記述する(-したほうがフェアだと信仰している)。

「どんな手段で、どんな実践の中で、どんな共同体の、誰から見た、誰にとっての、「現実」なの?」
現実は揺るぎない、というパラダイムを超えれば、上の問いが了解できるわけです。
こっちに来いよ!

41 名前:たき:2005/05/17 15:06 ID:k8daBF+I

どちらもひとつの信仰に過ぎない・・・僕もそう思いました。
ただ、自分ではしっかり理解できている感覚がないです。
また腑に落ちない面があったら、質問させてくださいm(_ _)m

> こっちに来いよ!
あぁ甘いお誘い・・・うれしいっす
社会構成主義の実践的なところ、大事ですよね。
しかも、論理実証主義研究に比べて害が少ないかも!?と勝手に思います。
(僕が知っている研究例が少ないからかもしれませんが。)

しかし、今は自分がやってきたこと・出来ることをやりたいです(太)!
でも佐伯先生の本は読んで考えたい。わがままな自分。
133.34.73.152 , insei02.edhs.ynu.ac.jp ,


42 名前::2005/05/18 22:16 ID:OJielFmc

千です。わがままな論調も書き込みを認めてぐたさる先生がすきです。
先生がすきなので好きな人の理解を得られるのを目標としてる千です。
先生の話のようにー理解は対話の中に。
杉万先生の文章の感想を書いて見ます。
最初の何回目は頭が整理されてそういうことかという気持ちでした。だが、
まだ問題発生です。
本では自然科学は論理実証主義をメタ理論として発展して
来たと言います。万人によって妥当な事実を求めて発展してきたと言います。
研究方法では一次モードと二次モードの交替の中で行っているのは自然科学も
人文科学も似ているが、根本的な区別は自然科学はある事実に接近していると
するが、人文科学は新たな実践に入れるるとすると言います。
だが、自然科学の発展は実践無視?なぜ、だんだん研究と伴って万人によって
妥当な事実に接近しようとするの?と考えました。それはまさに実践のためなのでは。
空を飛ぶ鳥を神様の力で飛べると解釈する時、それに伴って可能になっている世界が
広がるし、それを空気の流動で産生される上昇力で飛べると解釈する時に、人類が
実践可能な世界はまだ違います。自然科学がこれでもっと事実に接近したねって言う
後ろにはまさにそれで新たな実践可能な世界があるからのではと思いました。
自然科学も人文科学もある意味で構成されているとみても、そんなに、研究の意志を
失うとかということはないのではと思いました。新しい解釈を求めて、それはそこで
もっと素晴らしい実践可能な世界が待っていると信じるのは両方ともなのでは。
本では自然科学者は研究者と研究対象を線を引いて影響しないようにして研究すると
言いますが、つねにその影響を念頭において研究するのでは。
相手の速度を測りたいのにつねに観察者の速度を念頭にすることと、
相手を研究したいのにつねに観察者を念頭におくのは研究思想の立場では通じるのでは
と思います。
222.158.252.247 , fntkngw007007.kngw.fnt.ftth2.ppp.infoweb.ne.jp ,


43 名前:たき:2005/05/19 13:32 ID:NW1P+9bs

>>42 千さんに賛同します。それから、空を飛ぶ鳥の例がロマンチックです。

−この掲示板を読んでいる人へ−
先生がこんなに真剣に議論してくれる場は他にないと思います。
ちょっとでも興味をもったら書き込んだらいいですよ。理解が深まりますよ。
あと、吉川さんのdeepな質問も聞いてみたい。
133.34.73.111 , psy17.edhs.ynu.ac.jp ,


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