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2010学習心理学講義(-特論)

1 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2010/04/13 16:33 ID:???

院 学習心理学講義(-特論)の連絡、講義録、コメント、質問、対話用。

2 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2010/04/13 16:34 ID:???

2009年度記録 http://cgi.arimoto.com/bbs/test/read.cgi/lecture/1239694836/
2007年度記録 http://cgi.arimoto.com/bbs/test/read.cgi/lecture/1176101510/
2005年度記録 http://cgi.arimoto.com/bbs/test/read.cgi/lecture/1113274990/


3 名前:なかつか:2010/04/13 19:52 ID:WJGqEKoQ

4月20日:布施(デザインドリアリティ1,2章)
27日:大西(デザインドリアリティ10章)
5月11日:渡辺(子どもの学び 教師の学び1,2章)
18日:平井(子どもの学び 教師の学び3章)
25日:臼田(子どもの学び 教師の学び4,6章)
6月 8日:松田(尚)(文化と実践 心の本質的社会性を問う1章)
阿部(文化と実践 心の本質的社会性を問う2章)
15日:新原(文化と実践 心の本質的社会性を問う5章)
22日:中塚(脱学校の社会1,2章)
滑川(脱学校の社会3章)
29日:北村(脱学校の社会6章)
7月 6日:松田(美)(共感1章)
:橋本(共感2章)
13日:竹内(共感3章)
133.34.73.112 , psy18.edhs.ynu.ac.jp ,


4 名前:WAT:2010/04/14 11:08 ID:qoPWgrQI

学習心理学講義レフレクションtopバッター
有元先生の授業に遅れて入った。
あたたかい笑顔が・・・先生の横の席・・・
すみませんから始まる自分・・・。
有元講義掲示板のプリントを手渡され、
何がなんだか分からずに先生の話しを聞いていた。
分かったこと:本を数冊出して、この中で輪読、
デジメはA4 1枚裏表まで徒の指摘、
(この本をすべて買うのが必須か・・・?)
そんなとき、全部のほんの一部をやれば、最先端のことが学べる。
買うのが大変か・・・。(ちょっとホットした・・・)
A4の紙がまわり所属氏名研究テーマ年次を
書いて回すことになって、私から書くことになった。
自分のテーマにあっているか時間がかかるけれど、
どの人もすごく、心理コースの人が中心に会話が進んだ。
学校現場の夜間主は2人これからの日程を決めていた。
  先生の記憶が名前を覚えること、特徴をつかむことに感動した・・・。スゴイ・・・。

210.227.76.23 , gw1.edu.city.yokohama.jp ,


5 名前:有元@かんりしゃ ★:2010/04/15 09:54 ID:???

>>4 渡辺さん、講義録ごくろうさま。
なるほどこれが振り返りですか。
もっとスゴイことを振り返らせたいと、授業者を発奮させる効果大(笑)

6 名前:なかつか:2010/04/21 13:08 ID:UQnALXHo

輪読を担当する日程、章に変更がありましたのでお知らせします

4月27日:大西(デザインド・リアリティ10章)

5月11日:渡辺(子どもの学び 教師の学び1,2章)
佐藤(子どもの学び 教師の学び1,2章)

5月18日:平井(子どもの学び 教師の学び3章)
作井(子どもの学び 教師の学び4章)

5月25日:山下(子どもの学び 教師の学び5章)
臼田(子どもの学び 教師の学び6章)

6月 8日:松田(尚)(文化と実践 心の本質的社会性を問う1章)
阿部(文化と実践 心の本質的社会性を問う2章)

6月15日:新原(文化と実践 心の本質的社会性を問う3章)

6月22日:尾出(脱学校の社会1,2章)
中塚(脱学校の社会1,2章)

6月29日:滑川(脱学校の社会3章)
北村(脱学校の社会6章)

7月 6日:橋本(共感1章)
松田(美)(共感2章)

7月13日:竹内(共感3章)
133.34.73.112 , psy18.edhs.ynu.ac.jp ,


7 名前:布施貴也:2010/04/23 14:28 ID:IlOWVRrU

第2回講義録 2010/4/20
100字要約:今までの心理学は人の行為遂行能力を「こころの中」に探してきた。
学校も、個人の一人ぼっちの能力に注目する。
だがそれらは、私達の社会的動物としてのやり方とは異なった、偏った認知の仕方ではないだろうか。

私達は人工物とセットで行為遂行する。
「記憶」の議論。ゴロを使うのは「生」の記憶?言葉を使う時点で人工物を使っている?
「生」の記憶があるのか。色んなモノに媒介されている。

Callon(2004)は、そもそも、人が何を求め、考え、感じるかは、
「社会・技術的設定(socio-technical configuration)」に依拠すると主張した。
ペットボトルがあるから、鞄に入れる。「水」自体の物理的な性質とは関係ない。

「システムズビュー」「パーソナルビュー」
人間はパーソナルビューを簡単なものにしてきた生きもの
カウンセリングのメタファー
お菓子がほしい→ギャーと叫ぶ→お菓子をもらう
お菓子がほしい→絵を示す、言葉を話す→お菓子をもらう
社会的に望ましいパーソナルビューに変えていく

主体性は、個人内(psychological)ではなく、個人間(social/cultural)に存在する
児童生徒の「本当の主体性」がないことは現場では分かっている?

連絡:来週から教室変更 1-404→1-416
133.34.73.112 , psy18.edhs.ynu.ac.jp ,


8 名前:有元@かんりしゃ ★:2010/05/05 08:16 ID:???

>>7 布施さん、講義録ごくろうさまです。

> 児童生徒の「本当の主体性」がないことは現場では分かっている?

分かっているみたいでしたね。
いや、むしろ分かっていないのか。
つまり「生(ナマ)の主体性」と「作り込まれた(designed)主体性」を
区別する視点を持っていないのではないでしょうか。
「もっと主体的になれ!!」みたいな矛盾した言説があり得る空間。
主体性に貴賤なし?


9 名前:佐藤夕花:2010/05/13 22:18 ID:esGUdq2Q

2010/5/11の授業について
「子どもの学び 教師の学び」
担当:序章、第一章(佐藤)、第二章(渡辺)

◎整理点
・ファミリアをストレンジにしなければいけないのはなぜか。
(ストレンジをファミリアにではなぜダメなのか)
・斎藤先生と子ども中心主義の考え方の違い
(教師はただのお手伝いではなく積極的に関わる)

◎面白かった議論点
@「知的なこと」は本当にいいこと?
A斎藤喜博が目指す教育とは何か。
・考え続けさせる授業(考えすぎるのもよくないのでは)
・目覚めさせる授業(気づきを重視する)

個人的には、毎回臨床心理コースと教育系の考え方の違いがでるのが楽しみです。
教師の積極的介入とはどういうことかを考えながら、これからの授業を進めていきましょう。

219.104.106.3 , eatkyo325003.adsl.ppp.infoweb.ne.jp ,


10 名前:有元@かんりしゃ ★:2010/05/18 17:55 ID:???

>>9 佐藤夕花さん

講義録ごくろうさま。
知的なこと、気づくことへの無批判な礼賛では
なかった点が非常に興味深かったです。

> 個人的には、毎回臨床心理コースと教育系の考え方の違いがでるのが楽しみです。

そして↑これも楽しみですね。
もっとみんなの意見を聞き出すようにします。

11 名前:作井浩美:2010/05/18 22:29 ID:G1j/YSLU

「子どもの学び 教師の学び」
担当:第3章(平井)、第4章(作井)

【講義での論点】
・一般的な知的能力とは存在するのか?
・実際に使えない知識を学校で教える意味はあるのか?
 (クレジットには使えるが)

一般的な知的能力がないとすると、学校教育では何をすればいいのか。
なんだか、この授業に出ていく中で、
学校教育にとって何が大事なのかが分からなくなってきました。
でも授業が進んでいく中で、また新たな発見・進展があっておもしろいです。、
最後にはぼんやりでもいいから何かつかむことができればいいなと思っています。
133.34.73.121 , psy27.edhs.ynu.ac.jp ,


12 名前:wat:2010/05/21 12:09 ID:6lFkhltM

5月11日授業振り返りシート
書き込み送れてすみません。
なかなかいろんな意見が出て本当に為になっているかこれからですけど・・・
2章店というテーマで佐久間先生が行った授業です。
それをまねして、数学で二項対立で授業をやったらあるクラスでは盛り上がり
つがうクラスでは流れがよくなかった。
どんなときに教員の介入は必要なのか?
またいろんな話が聞けたら授業に取り入れて報告したいと思います。
なかなか脳細胞がびびっています。
210.227.76.23 , gw1.edu.city.yokohama.jp ,


13 名前:有元@かんりしゃ ★:2010/05/22 11:18 ID:???

>>12 渡辺さん、振り返り拝読。
二項対立のような「道具」は議論を
活性化するターボですね。いつも使うか?
いつ使うか、いつ使うと効果的かという
実用上の問もありますね。

> なかなか脳細胞がびびっています。

私もびりびりしてます。多用な観点からの
多用な意見を期待。

14 名前:& ◆wJ5PxSz5Wk @かんりしゃ ★:2010/05/22 11:23 ID:???

>>11 作井さん、

> 一般的な知的能力とは存在するのか?
> 実際に使えない知識を学校で教える意味はあるのか?

教育についての基本的だが難しい問だと思います。

> 学校教育にとって何が大事なのかが分からなくなってきました。

教育に関わる研究・仕事をする以上、自分なりの答えを
探す必要がありますよね。問い続けるしかないことでしょう。
答えを出すことが大事なこともあるが、人々の中での
問い続けを絶やさないように工夫することが大事なことも
あると思います。

15 名前:平井拓斗:2010/05/23 16:57 ID:XFhN4lwE

書き込み遅くなってしまい申し訳ありません。

【講義での論点】
・教育が、子どもを対象とし、その内容が文化的なものである限りにおいて、
 その手段は(見かけはともかくとして)本質的には大人からの一方的な教授にならざるを得ない。
・「一般的な知」は存在するのか。「個別的な知識」が知のすべてならば、
 学校で教えている「知」とは何者か。必要なものか。また何を教えるべきか。
・「日常生活」の違い
  進歩主義:(自然に発達する)子どもが、常に囲まれていて、ファミリアで、身近だと感じる世界。
  イーガン:子どもが想像で作り出した、楽しむことのできる、ストレンジな世界。物語。

【考えたこと】
・@)学校の中で学ぶ知識が、社会的に有用であるべきか。
 A)社会的に有用な知識は、学校で学ぶべきであるか。

 一見すると似ているこれらの問いは、その論じる主体が異なるという意味で全く別の問題である。
 この問いについて考えていた際に、次のような新たな疑問が浮かんだ。

 B)学校で教えられる、学校でしか使えない知識は不毛か。

 このB)の問いへの回答は、@)とA)対する議論の両者に寄与すると考えたが、
 私の足りない「知」では悩むだけ悩んで不毛に終わりました。



133.34.73.121 , psy27.edhs.ynu.ac.jp ,


16 名前:平井拓斗:2010/05/23 17:08 ID:XFhN4lwE

【考えたこと2】
・※ここでは便宜的に、講義内で語られていた「個別的な知識を有用なものとして扱い、
  評価する社会」を、すべての属性を持つ「社会」から切り離して論じるため「実用社会」とした。

 ある文献の中で、「教育」のうち「教」は行わず、「育」のみ行うインディアンがいるとあった。
 生き方を教えることはせず、実用的な知識はすべて子どもが大人を見て学ぶ。
 たとえば、まだ火の熱さを知らない子どもに「熱いよ」と教えるのでなく、鈴を鳴らして気を逸らすという。
 狩りの仕方や、住居の立て方も、自分が生きるために「必要だから」、自ずから見て覚えようとする。

 これが成り立つのは、彼らの世界が非常にシンプルな実用社会としてのみ構成されているからである。
 生きるために、必要なことだけを、身近な大人を見ているだけで、学べる世界だ。
 比べて現在の日本は、「教」「育」を行おうとしているのであり、また世界は複雑である。

 だから、前回の議論のように
  C)実用社会における学校という世界の位置づけ
 を論じているだけでは不十分で、さらに
  D)学校における実用社会という世界の位置づけ
 を論じる必要がある。だがこれでもまだ不十分で、つまり
  E)世界は「学校」と「実用社会」のみから構成されているのではない
 ことを了解したうえで、議論はなされなければならない。

 ※インディアンのエピソードはあんまり関係ないですが何かの手がかりになるかと思い載せてみました。

・これを書いている、今まさに使ってる「知」はいつどこで学んで覚えたのだろうか。


【気づいたこと】
もしかしたら僕は議論中に別のことばかり考えているのかもしれません
133.34.73.121 , psy27.edhs.ynu.ac.jp ,


17 名前:平井拓斗:2010/05/23 17:17 ID:XFhN4lwE

連投すいません。加筆訂正。

【考えたこと2】9行目
誤:比べて現在の日本は、「教」「育」を行おうとしているのであり、また世界は複雑である。
正:比べて現在の日本は、「教」「育」を行おうとしているのであり、
  しかもそれは第3者機関である学校に委託されており、また社会は複雑である。
133.34.73.121 , psy27.edhs.ynu.ac.jp ,


18 名前:有元@かんりしゃ ★:2010/05/23 21:50 ID:???

>>15-17 平井拓斗さま、講義録拝読。

こんなに理論派だったのですね。

> もしかしたら僕は議論中に別のことばかり考えているのかもしれません。

是非考えてることを聴かせてもらいたい。
今度から拓斗に訊けタイムを作ります♪
さて、思いついたところに反応します。

@)学校の中で学ぶ知識が、社会的に有用であるべきか。


逆に言うと学校が社会的に無用なことを学ぶ場でいいのか?
こう問われると、そんなの学校じゃないだろう、という
ことになる。無用じゃダメで、有用性がないとダメという
社会通念がある。教育的ないいことしなきゃいけない、
という宿命がある。映画館や漫画喫茶にはない宿命。

教えないネイティブアメリカンの話しはおもしろい。
なんだか文化人類学の遠い国の話みたいだが、
実は学校の外の世界では、我々はたいていこうだ。
例えば仲間内でバンドやってて、誰かが「教え」たり
「評価」しだしたらどうなる?すごく居心地の悪い
ことになるだろう。教えたり、学んだり、なんて
普段は非常に特殊なことだと思う。

教育は近代の発明だった。暮らしの中でじんわりと
染みこむように覚えるその過程にターボを掛けて
速成栽培する。便利な発明なので、いろんなところに
学校が出来てきてしまった。社会の学校化。
そして学校みたいな教え・学びが当たり前になってきた。
むしろネイティブアメリカン流の学習が難しくなったかも。
本屋にあふれるマニュアルの類を見ると、そう思う。

19 名前:wat:2010/05/24 10:50 ID:73IkjDpY

25日の講義 生徒の父親のお通夜が18:00なので間に合わないと思います。
講義にでれなくて残念です。また、脳みそがビビット来る時間が・・・
すみません。
210.227.76.23 , gw1.edu.city.yokohama.jp ,


20 名前:山下:2010/05/27 23:10 ID:???

【授業の論点】
 第5章の宮崎の主張は、対話(対立)をつくるという教師の役割、授業の文脈作りをもっと強調すべきであるということ。
 教え込みの授業に対するアンチテーゼとしての対話の授業も、教師が授業を司るという意味にかわりはない。
 子どもたちが主体的に学び合う授業をどうつくりあげていくかは教師の手腕、特に教材解釈にかかっている…

【感想】
 教材解釈は教師の重要な仕事…あたりまえのことがなされない現代の学校事情の様々な問題がある。
 教師の役割というより、リソースとしての教師が問われている。学習のリソース、学級崩壊のリソース…
 教師は、子どもたち一人ひとりを理解することの困難さを知っている。教材解釈の前に児童理解が必要なのだ。
 “学級担任”という教師の仕事はもとより対話的である(はずなのだが…)。



111.99.26.54 , KD111099026054.ppp-bb.dion.ne.jp ,


21 名前:臼田瑛里:2010/05/31 01:01 ID:Qd+/22Ok

〜授業での論点〜
 教師の学びが子どもの学びの原型になるという意味で、
 教師は「原学習者」であるということについて。
 つまり、教師には、科学者や芸術家などの先人が探求し、創り出した文化を
 もう一度吟味し、改めて発見するという「追求」の部分が求められ、
 この教師の学び方が、そのまま子どもたちの学び方のお手本になる。

 先生は権威なのか?ということについて。
 無法と権威、子どもにとって本当に役立つのは?ということを考えると、
 やはり「子どもたちの学習機会を確保する」ことに。

〜感想〜
 既にわかったつもりになっている知識の意味を
 もう一度吟味し発見していくのが教師の学びなら、
 教師は、学び直しの過程を繰りかえす研究者のような存在だと感じました。

 普段、私たちはわかった気になっていていい部分と、
 もっと追求すべき部分とを無意識的に?選択していると思うんですが、
 そのふるいわけをするのも人によって異なっていて、
 その人自身に委ねられていますよね。当たり前なのかもしれないですが、
 なんだか不思議というか面白いです。

 先生が対話を強く編集しているということと関連して、
 カウンセラーも直面化や明確化によって対話を水路づけることがある点で
 やはり編集しているといえるという話が、個人的に印象深くて、
 その対話の編集は、編集する者の力量やセンスにかなり委ねられている
 のだろうと思いました。
115.162.180.182 , pa2b4b6.kngwnt01.ap.so-net.ne.jp ,


22 名前:有元@かんりしゃ ★:2010/06/05 14:24 ID:???



23 名前:有元@かんりしゃ ★:2010/06/05 14:25 ID:???

>>21 臼田瑛里さん、講義録拝読。

> 教師は、学び直しの過程を繰りかえす研究者のような存在だと感じました。

おもしろい。
自分にとっての技能は出来ればそこまで。
追求するか、その水準で良しとするかも自分次第。
ところが教員は、このことを自分ではなく、学習者に
とって適宜仕組んでやる仕事。
人より多く学び直すことになるでしょう。
自分にとって出来る、とは異なる水準で、「出来る」を
分析する必要がある。たしかに研究しているような
ものですね。

> その対話の編集は、編集する者の力量やセンスにかなり委ねられているのだろうと思いました。

センスや力量が足りない!とおもう授業も多いですよね。
だからといって森羅万象に通じた神しか授業が出来ない
のでは困る。神様しかカウンセリング出来なかったら、
業界は成立しないでしょう。
こうしたことの検討も教育研究のひとつの目的ですね。

24 名前:松田尚之:2010/06/15 19:45 ID:???

「文化と実践」第一章
・文化への制度アプローチ
文化をニッチ構造として考える。つまり、生態環境への適応戦略として
文化をとらえるということ。しかし、一方的な適応にとどまらず、文化的
信念と制度の共進化が行なわれている。(環境→行動、環境→行動の両方向がある)

<感想>
授業中にも述べたとおり、共進化の強調は良いにしても文化や社会が
変化、また発生するメカニズムについての視点が欠けていると思われた。
そもそものスタート地点が生態環境への適応戦略であり、それが強化されて
来たという考え方は未開な、また簡単素朴な社会や集団であるならば
適応可能な部分も多いだろう。しかし、現代において様々な変化がめまぐるしく
起こるような社会には多少時代遅れと言わざるを得ないのではないだろうか。
このような疑問に対して、第二章や第三章においてヒントが示されることを
期待したい。
133.34.73.112 , psy18.edhs.ynu.ac.jp ,


25 名前:有元@かんりしゃ ★:2010/06/21 14:25 ID:???

>>24 松田さん、講義録ごくろうさま。sageてますねwww
時代遅れ!といったね。いっちゃうんだね。
適応的な部分もあり、個別的なところもあるというところでしょうか。

26 名前:有元@かんりしゃ ★:2010/06/21 14:28 ID:???

---===## 休講のお知らせ ##===---
06月29日(火)は急な予定が入り休講いたします。

27 名前:阿部聡子:2010/06/22 15:34 ID:oQfq6Rxs

「文化と実践」第2章(6月8・15日)

<授業の論点>
・文化内の要素によって人の心の性質は構成され、
 その人々が文化資源を使われていく過程を経て、知識体系や世界観に
 反映されるという考え方が、文化心理学的アプローチ。
・「異なる社会・文化において人々の行動に差が生じる」
 ことを前提としている時点で、文化間でのステレオタイプが想定できるのでは?
・一方で、「男」・「女」・「国籍」など、ひとの認知を動かす何かは確かにある。
 →それが「文化」?

<感想>
・「文化」という言葉で片付けようとしている概念・内容があまりにも多いように感じ、
 混乱してしまった。文化の中で、長い間変わらない部分と、その時代の人間によって
 再構成されていく部分を分けるなど、もう少し構成要素を説明できればよいのに、と思った。
・毎週ゲストがいらっしゃったり、いろいろな分野の人の意見を聞くことが出来て、
 興味深いです。


133.34.73.121 , psy27.edhs.ynu.ac.jp ,


28 名前:新原将義:2010/07/01 12:15 ID:Z7OegU+A

「文化と実践」第3章(6月15・22日)

[要点]
・社会歴史的アプローチでは、人はmediatedな存在として描かれる。
・「大文字のディスコース」の定義は、文化の定義と一緒。
・普遍的な意味での「文化」の定義は必要ではなく、
 「社会的実践」と「人工物」の定義で事足りる。
 「文化」という言葉は「場の限定性」とセットで意味をなす。
 ex.「ジャズ文化」「盆栽文化」

[感想]
レジュメにも書いたが、文化は抽象的実体としてあるわけではないが
そうであるかのように見えてしまう「まとまり」が面白いと思う。
それを文化という言葉を用いて定義しようとすると、途端に面白さが色あせる。

133.34.73.121 , psy27.edhs.ynu.ac.jp ,


29 名前:尾出由佳:2010/07/05 01:28 ID:oOWhTLVU

『脱学校化の社会』イヴァン・イリッチ
序章・1章(6月22日)

【まとめ】
・価値の制度化批判
  →物質的な環境汚染、社会の分極化、人々の心理的不能化を招くから。
・社会の脱学校化
  →個人や共同社会が自身でやりぬく能力を伸ばす。
・すべての人に教育を与えるというのは、すべての人による教育を意味する。
  →学習に対する具体的な方策としては
   @技能(skill)自体は反復教授で習得、向上可能。
   A技能の探究的創造的使用には自由教育が必要(=学校からの解放)。
・求めるべきは、個々人にとっての人生の各瞬間を、
学習し、知識・技能・経験をわかち合い、世話し合う瞬間に変える
可能性を高めるような教育の「ネットワーク(webs)」

【コメント】
・議論のなかで、「誰がいい先生になれるだろうか?」「教えるにふさわしい人とは一体誰だろう?」
という問いが挙がり、いかに我々が学校化されているかを思った。
イリイチの論では、その問い自体を無効にしようとしている。
・イリイチ的な社会では、知見の蓄積、拡散、活用は可能なのだろうか。
記憶や記録の価値自体も問い直す必要があるのだろうか。
125.198.66.239 , FL1-125-198-66-239.kng.mesh.ad.jp ,


30 名前:中塚圭二郎:2010/07/05 10:19 ID:7irWBqz6

『脱学校化の社会』イヴァン・イリッチ
2章(6月22日)

(まとめ)
●学校は,(1)特定の年齢層を対象に,(2)履修カリキュラムにフルタイムで出席を求められる,(3)教師に関連のある過程,である
(1)に対する批判
・「子ども時代」は最近生まれたもので,学習する意欲のない年齢層に資金や人材を割くべきではない
・学校によって「子ども時代」が作られ,教師の権威を強化している
(2)に対する批判
・「学習は教授の結果である」ということが誤っているのに,公理のように扱われている
・学校から得るものは,知識技能ではなく,学校を卒業したという免状だけである
(3)
・教師は閉鎖された環境で,集中した権力を持っている
・学校はブラックボックス化しており外からではその非日常性が見えない

●学校制度という儀礼的なシステム自体がこのような歪みを持たせる原因である.
・専門家主義への批判.専門家でないとその職業を行ってはいけないのか,民間でも十分できることじゃないか.
・自分の面倒は自分で見る,当事者主権の考えにもつながる
・そもそも,同じ学年で同じ時に,すべての子どもが1つのことに動機があるのは不自然
→課題に沿って勉強すること自体が動機になっているようだ.

(感想)
・hidden curriculumの内容は,学校がなかった時代ではhiddennといわれるものではなかった.
 このようなことに気づけない自分も学校化されていたことを感じた.
・教師に権力は集中しているが,同時に仕事や責任も集中している.
学校はもっと民間と協力し,協力される関係を作った方が子どものためになるのではないかと思う.
116.65.45.248 , 116-65-45-248.rev.home.ne.jp ,


31 名前:有元@かんりしゃ ★:2010/07/06 16:45 ID:???

>>27 阿部さん、講義録拝読。

>「異なる社会・文化において人々の行動に差が生じる」ことを前提としている時点で、文化間でのステレオタイプが想定できるのでは?

> 一方で、「男」・「女」・「国籍」など、ひとの認知を動かす何かは確かにある。→それが「文化」?

↑この指摘は重要ですね。
つまり文化を変数として設定し、その認知への影響を
見てる時点で、もう対象の見方が方向付けられてる
訳ですよね。

32 名前:有元@かんりしゃ ★:2010/07/06 16:46 ID:???

>>28 新原さん、おつです。

> レジュメにも書いたが、文化は抽象的実体としてあるわけではないがそうであるかのように見えてしまう「まとまり」が面白いと思う。

この「まとまり」化が興味深いですね。
性差、職業差、県民性、理系文系等々、我々が
対象を見る際の癖なのかも知れませんね。

33 名前:有元@かんりしゃ ★:2010/07/06 16:47 ID:???

>>29 尾出さん、まとめごくろうさま。

>議論のなかで、「誰がいい先生になれるだろうか?」「教えるにふさわしい人とは一体誰だろう?」という問いが挙がり、いかに我々が学校化されているかを思った。

こうした問の無効化というのは本当にラジカルだ。
無効化された後のlearning webは、学習機会ではない
かもしれない。それは洗脳や布教、悪影響による
堕落も含むだろう。学習者を誰が守るか、という
価値の問題は、安定した(と思われる)社会には
必要だと思う。

34 名前:有元@かんりしゃ ★:2010/07/06 16:48 ID:???

>>30 中塚さん、おつかれです。

> 教師に権力は集中しているが,同時に仕事や責任も集中している.学校はもっと民間と協力し,協力される関係を作った方が子どものためになるのではないかと思う.

無批判に学校が受け入れられていると、
批判したくなるし、学校に批判の刃が向けられると、
なにくそと思うこの不思議w

35 名前:滑川宏美:2010/07/13 02:30 ID:xybqyjn2

『脱学校化の社会』イヴァン・イリーチ
3章「進歩の儀礼化」(7月6日)

<まとめ>
○世界新興宗教「学校」の持つ儀礼的ゲーム(神話)からの脱却=「脱神話化」(demythologizing)を通して、
  アメリカ式の産業的な学校教育のあり方を批判

  ・生活水準の低い国では義務教育を全うすることさえ困難であるにも関わらず
   教育機関の最終段階にある「大学」を出た者にしか改革の権利が認められない
   =格差が生じるが、学校教育制度に異議を唱えることができるのは学校教育の恩恵を受けた者(!)

  ・学校が持つ『神話』(矛盾しているが盲目的に受け入れられているもの)
    「制度化された価値についての神話」(学習そのものに制度は必要ない)
    「価値測定の神話」(人の成長は本来測定できるものではない)
    「価値を詰め込む神話」(カリキュラムをこなせば生徒は成長する?)
    「無限に進歩するという神話」(学校に行けば行くだけ生徒の価値が高まる?)
    「儀礼的ゲームと新しい世界的宗教」(学校=いくつかの段階を進級するような儀礼的ゲーム)
    「未来の王国―すべての人が期待をするようになる社会―」
     →しかし一方で「新しい疎外」を生む

  ・脱神話化
    改革を望む人がこれらの神話から開放されなければ真の学校改革はできない

<感想>
留学時代に大学卒業者のエリート意識は国によってだいぶ差があると感じていたので、ある程度の経済水準を保っている社会、
つまり義務教育段階の子どもの労働力に頼らなくても回るような社会でイリーチを理解するのは難しいのではないかと感じた。
イリーチが批判しているのは学校制度の云々ではなく、学校に行かなければ社会的に成功し得ないという暗黙のルールではないのだろうか。
116.83.159.96 , nttkyo016096.tkyo.nt.ngn.ppp.infoweb.ne.jp ,


36 名前:wat:2010/07/13 18:54 ID:???

すみません急に生徒指導が入って授業に参加できません。残念です。
210.227.76.23 , gw1.edu.city.yokohama.jp ,


37 名前:橋本隼人:2010/08/01 21:54 ID:Z7OegU+A

書き込み遅くなってしまい大変申し訳ありません。

「共感」佐伯胖 第1章(7月13日)
【要点】
・人に関わっている周りのもの・状況をとらえていく必要がある。
→状況や環境が人間の発達を支えている

・階段のように登っていくような「垂直的発達」ではなく、
様々な領域を渡って広がりをもつような「水平的発達」
→周囲の状況や環境によって、その人の発達の進行や能力が変わる

・どの側面が重要なのかを関係論的に捉え、「物語」の見方を変えていくことで、
場に応じた発達の理解が可能となる。

【感想】
発達や個人の性格特性は、状況に応じて変化していると改めて感じた。
その社会に適応できるかどうかは、個人の要因だけでなく、
環境の要因も重要であり、人が何を考え何を思っているのかを
状況論的に捉える視点も大切だと思った。
半期のの講義を通した状況論的な考え方を、
自分自身の臨床の中に取り入れられればと思う。
特に、その個人だけでなく、周りで何が起こっているのかを深く
考察していきたい。
133.34.73.121 , psy27.edhs.ynu.ac.jp ,


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