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2011学習心理学講義T
- 1 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2011/04/13 12:46 ID:???
- 火曜6限、院 学習心理学講義Tの連絡、講義録、コメント、質問、対話用。
- 2 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2011/04/13 12:48 ID:???
- 2010年度記録 http://cgi.arimoto.com/bbs/test/read.cgi/lecture/1271143982
2009年度記録 http://cgi.arimoto.com/bbs/test/read.cgi/lecture/1239694836/
2007年度記録 http://cgi.arimoto.com/bbs/test/read.cgi/lecture/1176101510/
2005年度記録 http://cgi.arimoto.com/bbs/test/read.cgi/lecture/1113274990/
- 3 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2011/04/13 12:51 ID:???
- 2011年04月12日(火)講義録
タブラ・ラサ(白紙)・遺棄児
学習-教育→人間らしさ
個体の身体のみは可能性にすぎない
人間らしさ=個体+社会文化
人間らしさの再生産
教授学習を種として必要としてる
人々の実践そのものが教科書
輪読資料
デザインド・リアリティ 有元・岡部 2008 北樹出版
状況に埋め込まれた学習 レイブ&ウェンガー 1993 産業図書
文化心理学 田島信元(編) 2008 朝倉書店
文化と実践 石黒・亀田(編) 2010 新曜社
日常生活の認知行動 ジーン・レイヴ 1995 新曜社
子供の心はつくられる ヴィゴツキー 2000 新読書社
- 4 名前:植松夕佳:2011/04/20 07:53 ID:6zcWzptg
- 2011年04月19日(火)講義録
私達の世界の見えは、人工物によってデザインされている
→具体的なモノ、概念、言葉など
プリクラは、具体的なモノが人間の心を形作っている良い例
人工物があるから人の心が作られる
プリクラ以外に可視化された人間関係
・年賀状
・名刺(あげたくない人にはあげない、いらないものは取っておかない)
・サミットの並び
133.34.73.121 , psy27.edhs.ynu.ac.jp ,
- 5 名前:布施貴也:2011/04/20 17:09 ID:6zcWzptg
- 2011年4月19日(火)講義録
状況的認知論では、人の行為遂行能力を<人と人工物のセット>としてとらえる。
一見膨大な量の記憶も、コーヒーショップのカップや
野球のスコアブックを使う事で可能になる。
このように、日々我々は「ヒト」としてのハードウェアの能力を超えた
行為を、当たり前のように行っている。
人は、人工物を参照することで、他の動物には見えない新しい世界を見始めた。
では、真に「人間的な」な能力とは?微分積分が教科書なしでできる事?
足し算や引き算等、身につけてほしい能力もある。
しかし学校では多くの場合、「顕微鏡を使わずに微生物を見ろ」
といった事をしてしまっているのではないだろうか。
133.34.73.121 , psy27.edhs.ynu.ac.jp ,
- 6 名前:嶋野礼子:2011/04/20 19:26 ID:tIq8DBkQ
- 質問ほか
昨日は布施さん植松さんの内容の濃い発表に圧倒されました。
帰宅してからの疑問です。
・P33「一方で学校では」で始まる2文の理解ができていなかったのですが
布施さんの「人工物を用いない〜」を聞けました。
これは4行目「道具・チームへの依存の高さ」の「道具」でしょうか。
すると「チーム」に対応するのはグループワークで能力を測る
といったことでしょうか。
・プリクラは「関係維持のテクノロジー」「こころの複雑さを成立させる
構成要素」である反面、
(携帯カメラも含めて)ことばが乏しくなっていく気がします。
植松さんの亀のお話から出た手振り身振りの会話のような、
どう伝えるか表現しようかと考える必要が少なくなります。
「こころの複雑さ」とことばのバランスはとれるでしょうか。
可視化された人間関係・・戸籍謄本類
記憶の工夫・・目印になるお店などで覚える道順
初対面の人の名前で有名人知人を連想する
授業中に発言できるように頑張ります。。。
116.65.24.56 , 116-65-24-56.rev.home.ne.jp ,
- 7 名前:近田英樹:2011/04/22 18:54 ID:dXL8MLIQ
- 感想
布施さん
私たちの周りで、人工物ではないものとはなんでしょう?
文字や言葉はもちろんのこと、たとえば
「彼女を思うと胸がドキドキする。
この状態を恋(LOVE)と名付けよう」
という風に概念ですら人工物といえます。
(つまり共通のルールを設けて
意味や状態を共有しようとしているわけですから)
定義の問題もありますが、人工物を用いない、
ネイキッドな状態が「人間的」だとして、
その能力を計る必要性はなんでしょう?
また、そのような状態を作ることが可能なのでしょうか?
植松さん
「人工物が主体性を変調させる」
携帯カメラの例のように新しいもの、ことの出現が
新たな概念を形成し欲求を作り上げる。ということですよね。
これを突き詰めると
「私たちは自己の欲求に従って能動的に動いているつもりが、
実は自己の外にある人工物によって概念が形成、欲求が喚起され、
受動的に動いている。つまり、自己の外の人工物によって
欲求、行動がデザインされている」ということでしょうか。
この講義は一昨年にも受講したのですが、
当時は教室にプロジェクターがなく、
誰もパソコンを用いて発表することはありませんでした。
今回の布施さんの発表は、教室の人工物によってデザインされた発表であり、
発表のための工夫もまた、それによってデザインされたものである。
と考えられるのかもしれません。
初回から非常に興味深く、面白い講義でした。
133.34.73.130 , okabe01.edhs.ynu.ac.jp ,
- 8 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2011/04/26 12:05 ID:???
- >>4 植松さん、>>5 布施さん、講義録ごくろうさま。
どちらの報告も「人間らしさ」が人間の外の具体的なモノ・コトで
生成・維持されているということでした。人間らしさが人間の外に
あること、個人の内奥にあるハズの精神が個人の外の社会的な
もので成立していることが、この考え方の面白いところです。
みなさんにもそのように考えてもらいたいです。
- 9 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2011/04/26 12:06 ID:???
- >>6 嶋野さん
ご質問ありがとう。
> P33「一方で学校では」で始まる2文の理解ができて
> いなかったのですが布施さんの「人工物を用いない〜」を聞けました。
なんか文章が変ですが、結局理解できたと言うことですかね?
おっしゃるとおり「人工物」と「道具」は同義です。
また「チーム」は学校で例えればおっしゃるとおり「グループワーク」に
近いと思います。ただし「グループワークで能力を測る」というと、
それは能力測定の文脈になるので、「負荷を分散する」という
テーマとはズレると思います。
> 「こころの複雑さ」とことばのバランスはとれるでしょうか。
難しい良い質問ですね。どうお考えですか。
逆に問えば、複雑なことばで伝えられる心は豊かでしょうか。
> 授業中に発言できるように頑張ります
是非。みなさんも。研究とはつまり対話ですから。
- 10 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2011/04/26 12:08 ID:???
- >>7 近田さん
> 定義の問題もありますが、人工物を用いない、
> ネイキッドな状態が「人間的」だとして、
> その能力を計る必要性はなんでしょう?
この点では私はネイキッドな状態は「人間的」ではない
可能性があるということを話しました。布施さんの解釈は
別かも知れません。
> 「自己の外の人工物によって欲求、行動がデザイン
> されている」ということでしょうか。
私はそういう側面に興味があります。
人間性の深みが実は具体的なモノでデザインされているなんて
面白いと思うのです。
- 11 名前:諏訪淳哉:2011/04/27 13:06 ID:ywHYDCDw
- 2011年4月26日(火)講義録
現実はデザインされている、普遍的な世界はない(環世界)
知覚・人工物・学習の観点から、デザインド・リアリティをみる
実践の動機は社会の中に埋め込まれている
では主体性はどこにあるのか?
授業後の友人との議論
・本能は主体性か?
・社会、文化は常に新しいものを生み出している。
これは社会によって作られた主体性の産物であるが、社会の成員は人間
である。だからこそ主体性を作り出している社会を構成しているのは
人間であり、これこそが二次的な?主体性なのでは...?
133.34.73.121 , psy27.edhs.ynu.ac.jp ,
- 12 名前:坂利明:2011/04/27 21:39 ID:CqM9zI66
- 2011年4月26日(火)講義録 その2
徒弟制の事例から正統的周辺参加の概念の理解に迫る。
非公式な徒弟制と公式な徒弟制
形態の違いはあるものの,実践共同体における参加のプロセスには類似性がある。
学習の重要な資源に容易にアクセスできたり,反対にアクセスを困難にさせてしまうケースもある。
共同体におけるメンバー間の「語り」の重要性
議論
学校の中でも徒弟的な学習の場面はあるのか。
理科の実験の組み立て方
部活動,ワークショップ,体験学習
学校教育における「仕上げ」とは何か。
118.1.86.132 , p3132-ipbf811hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp ,
- 13 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2011/05/04 08:39 ID:???
- >>11 諏訪さん講義録ごくろうさま
> 実践の動機は社会の中に埋め込まれている
> では主体性はどこにあるのか?
「主体性」という語義・語感からは離れた<集合的なもの>
として想定しているわけです。講義中のみなさんの発言では
やっぱり個人の主体性は大事、育てて行かなくては、と
いった理解が少なくなかったと思います。結局はそう見える。
世界に働きかけるのは個人だという風に行為者自身も思うし、
周りの人もそう解釈する。しかしそう見える背景には
人間の社会の集合的な営みがあると考えています。
例えば、よいレジュメつくってよい報告したい、という動機は
まったく個人のものですが、極めて社会的でしょう。
> 本能は主体性か?
「本能」って科学的な概念なのかな?女の子は人形が好き、
犬は散歩が好き、みたいなことは本能のように語られるけど
思い切り社会的ですよね(犬の例→野生の犬だったら?)。
>社会、文化は常に新しいものを生み出している。
これは社会によって作られた主体性の産物であるが、社会の成員は人間
である。だからこそ主体性を作り出している社会を構成しているのは
人間であり、これこそが二次的な?主体性なのでは...?
そういう無限ループになっていると思います。
- 14 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2011/05/04 08:45 ID:???
- >>12 坂さん、おつかれさまです。
> 学校の中でも徒弟的な学習の場面はあるのか。
その後の議論では例として部活動やワークショップがあげられましたが、
普段の授業も徒弟的だと思います。学校でのふるまい方
(手を挙げる、ノート取る、問われたら答える等)も、
周りを見ながら親方(先生)の導きによって徐々に身についていくから。
> 学校教育における「仕上げ」とは何か。
私は仕上げ無き実践が学校だと思います。
試合無き千本ノックみたいな感じ。
海に出ない船上実習みたいな感じ。
または仕上げ無き実践が仕上げであるような場所。
学校を文化と繋ぎたいと思います。
- 15 名前:嶋野礼子:2011/05/08 19:38 ID:00YHJQsU
- 有元先生
前回は朝から体調が悪くて欠席いたしました。
(この場をお借りしての報告で申し訳ありません)
質問にお返事頂いた内容についてです。
>>>>>
「こころの複雑さ」とことばのバランスはとれるでしょうか。
難しい良い質問ですね。どうお考えですか。
逆に問えば、複雑なことばで伝えられる心は豊かでしょうか。
>>>>>
日本語教育の授業の中で、
「ことば」とは何かを一言で表せば?という問いに
「思考の抜型」と答えた人がいて深く印象に残っています。
ことばの瞬発力が無い私は、深い思考をする訳ではなくても
伝えたいと思ったことが自分の気持ちや思考を表すことばになって
その場で出てこないことに少なからずストレスを感じます。
複雑なこころを持つ女子高生が仮に悩みを抱えたとすると、
それを表現する様々な”抜型”を持たなければ
複雑なこころはマッチングしない抜型を通過できず
伝わらずに苦しむのかなとそんな気がしました。
そして、
「こころの豊かさ」はシンプルなことばでも伝わると思います。
でも「こころ複雑さ」の中身については、
(伝えたいとした場合だけかもしれませんが)
やはり思考の抜型としての様々なことばが必要な気がします。
116.65.24.56 , 116-65-24-56.rev.home.ne.jp ,
- 16 名前:近田英樹:2011/05/10 02:44 ID:sS61UUEk
- 感想
主体性の話は毎回聞いていて面白いですね。
今まで自分が見聞きした話や今回の講義での議論から考えると、
@主体性は人の中にある。
A主体性は人の外(社会)にあり、自分たちの思考・行動は
社会のあらゆる人工物によって形作られている。
B社会のあらゆる人工物によって主体性は形成される(以下、二次主体性)が、
その中から取捨選択するのは自分の主体性(以下、一次主体性)である。
つまり、一次主体性と二次主体性が共存しており、
一次主体性は自分の主体性に他ならない。
C一次主体性と二次主体性は共存しているが、一次主体性の判断基準は、
社会のあらゆる人工物によって形成されたものの集合体であり、
厳密には一次主体性も人工物によって形成されたものである。
多少自分の言葉に変えましたが、これが一般的な意見でしょうか。
これらを総合して、私はこのように考えました。
人は生まれながらにその個人特有の、いわば主体性の核となるような性質
(以下、主体性核)を持っている。その後社会生活を営む中で、
あらゆる二次主体性に触れ、一次主体性は形成されていく。
しかし、主体性核が変化することはなく、一次主体性の中にも
主体性核は存在し続け、判断基準はこの主体性核と一次主体性の集合体
によって形成される。つまり、主体性とは、個人、社会の双方に混在し、
経験と進歩によって変化し続けるものである。
結局輻輳説みたいな話なんですが、いかがでしょうか?
133.34.73.130 , okabe01.edhs.ynu.ac.jp ,
- 17 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2011/05/11 12:14 ID:???
- >>15 嶋野さん
「思考の抜き型」とは面白いですね。
抜き型ってこれですか?
→ http://www.nikko-factory.co.jp/shop/img/bnk46.jpg
私の主体性の話しはまさにこれです。
こうした抜き型は職人のプラン(意図)に強く作用するでしょう。
職人の意図を作るのは、<職人+抜き型>ということになります。
職人だけでも、抜き型だけでも、何も出来ず、両方が
合わさったところに主体性が「立ち現れる」と考えるのです。
> やはり思考の抜型としての様々なことばが必要な気がします。
思考の抜き型のことをヴィゴツキーは心理的ツールと呼びます。
道具箱に何が入っているかで、何をしたくなるか、人の主体性は
作られます。「ありがとう」という言葉のない世界が仮にあったら
感謝という情動が湧かないかも知れないでしょう。
- 18 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2011/05/11 16:06 ID:???
- >>16 近田さま、感想をありがとう
これまででた意見が@〜Cに非常に良くまとまっていますね。
みなさんも是非この@〜Cを検討してみてください。
近田説の「主体性核」は「一次主体性」とどうちがうんでしょう。
「主体性核」をここでは行為者の行為に影響する身体的、
社会的諸要素とでも定義しましょう。背が高い、足が速い、
歌がうまい、手先が器用、家にグランドピアノがある、両親が
グルメである、日本人である、韓国人である…etc、こうした
諸要素はその行為者の意図やプランに強く影響する運命的な
要素と言えます。しかしだからといって、その人の行為を完全に
統御するものでもないです。「可能性」といって良いでしょう。
可能性としての「主体性核」または原主体性のような概念を
設定するのは良いと思います。
しかし「一次主体性」「二次主体性」というのは分けることが
出来ないと思います。人間である以上、人工物との共生が
前提となっているからです。誰か「異性を好きになる」ことを
「恋愛」や「結婚制度」等の男女間の社会的ルールという
人工物から独立に捉えることは出来ないと思います。
人工物に満ちた世界に人は生まれてくるということでしょう。
ただし:行為の認識の際は主体性を道具にします。
人の行為を、「あいつは何かの人工物に操作された操り人形だ」、
と認識することは稀でしょう。行為の背景には意図または主体性が
ある、と人は認識すると思います。
- 19 名前:須田拡成:2011/05/15 13:58 ID:VT4xQ7Ug
- 2011年5月10日 講義録
Situated leaning - Legitimate Peripheral Participation
状況に埋め込まれた学習―正統的周辺参加 ―序文―
1)要旨
人間の理解とコミュニケーションは状況に埋め込まれている。
学習を命題的知識の獲得と定義せず、特定のタイプの社会的共同参加と定義する。
人は正統的周辺参加(Legitimate Peripheral Participation LPP)という、
緩やかな条件のもとで実際に仕事の過程に従事することによって業務を遂行する技能を獲得していく。
本書は現象学的、相互作用的、実践中心的なアプローチが重要性を増す社会科学の発展に寄与するであろう。
緩やかな条件のもと 実際に仕事の過程に従事する 業務を遂行する技能を獲得(p7 l 11)
=周辺参加 =正統的 =学習
2)議論
QUESTION 状況に埋め込まれている学習とは → outcomeがある学習
QUESTION 我々のまわりに、正統的周辺参加型の学習は、どのようなものがありますか
数学、理科、社会等の具体的科目に関して議論
3)感想
難解な本でした。序文を理解するにあたり、全体を読み込んだのですが、
皮肉にもその序文に助けられるといういままでにない読書経験ができました。
現在研究中の英語教育と重なる部分も多く、ちょっと驚きました。
特に第10段落の「実際の業務から切り離された訓練プログラムでは、
学習状況を処理する能力がその技能を遂行する能力とは別なものになってしまう。」は、
いつも心に刻んで英語の授業を行いたいと思いました。
発表中、助けていただきありがとうございました。発言いただいた皆さんに感謝申し上げます。
4)付記 欠席された方もいらっしゃると思いますので
発表の際の、「輪読資料」と「序文の14段落のまとめ」のあるyahooブリーフケースのURLを貼り付けてみます。
うまくいくかな。
http://briefcase.yahoo.co.jp/bc/yokohamaizumigaasuke/lst?&.dir=/501d&.src=bc&.view=l
27.83.45.68 , KD027083045068.ppp-bb.dion.ne.jp ,
- 20 名前:山本美和:2011/05/15 20:01 ID:???
- 2011年5月10日 講義録
「子どもの心はつくられる」 ヴィゴツキー著
第4話 情動ー子どもの情動はどのようにつくられるか
<要約>
子どもの情動過程は、子どもの行動発達段階と一致する。(ビューラーの学説より)
110.134.245.113 , 110-134-245-113.rev.home.ne.jp ,
- 21 名前:山本美和:2011/05/15 20:29 ID:d/P+FA7Y
- 枠の広げ方が分からなくて・・・上の続きです。
●議論・・・第4話は、「情動とは何か」「情動についての学説の発展」が大部分を占めていたため、
「子どもの情動活動の形成」について意見交換をしていただきました。
内容としては、虐待を受けている子どもの例や、幼い時に両親と適切な関係ができていない子の例が上げていただきました。
先生からは、情動は人とそれ以外の物がセットになっていて一人ではできないところから、
「状況に埋め込まれている」といえるのではとのお話があり、興味深かったです。
●感想・・・ヴィゴツキーが講義した物を速記し、更に翻訳した本で、同じようなことが
何回か出てくるので分かりにくい所がありました。また、話の見出しの結論が最後に書かれていないところも分かりにくかったです。
これから、何回かこの本についての講義があるので、少しずつ慣れ、また理解も深まるのではと思っています。
110.134.245.113 , 110-134-245-113.rev.home.ne.jp ,
- 22 名前:近田英樹:2011/05/17 03:40 ID:mizsi2A2
- 有元先生
お返事ありがとうございます。
「主体性核」は人間の気質のようなものを想定しました。
たとえば「生まれつきの頑固者」や「稀代の女好き」のようなイメージです。
ここからは多分に持論が混じってしまうのですが、
人間は全くの「タブラ・ラサ」ではないのではないか、
という前提のもとの意見です。
一次主体性は「学習の結果」です。たとえば一見しただけでは
どこに持ち手がついているかわからない
芸術性の高いマグカップがあったとします。
どこが持ち手なのか説明されるまでは、
おそらく持ち手を持つことはないでしょう。
しかし、「ここが持ち手だ」と説明されれば、
ほとんどの人は次からは迷わずその持ち手といわれる部分を
持つようになるのではないでしょうか。
つまり持ち手の位置を「学習」した結果行動が変化したのです。
ですが、「主体性核」の場合は違います。
たとえば「頑固」な主体性核の場合。持ち手の位置を学習しても
「こんなわけのわからないものが持ち手であるものか」といって
持ち手を持たずに使い続けることがあるかもしれません。
つまり主体性核は「変化しないのです」。
では、「頑固」な主体性核を持つ人は持ち手を使うことはないのでしょうか?
そんなことはなく、たとえば
「熱伝導性が非常に優れているせいで持ち手を使わないと
あったかい飲み物が飲めない」とか、
「鋭利な突起物が多すぎて持ち手を使わないと痛くて持てない」
などの理由から「持ち手を使わない不便さ」を学習し、
最終的に持ち手を使うようになるのです。
続く…
133.34.73.130 , okabe01.edhs.ynu.ac.jp ,
- 23 名前:近田英樹:2011/05/17 03:41 ID:mizsi2A2
- 続き
これは、先ほどの一次主体性の状態とよく似ていますが、
内部で起こっていることは微妙に違います。
「頑固」な主体性核と「学習」した一次主体性がぶつかり合い、
結果的に一次主体性を優先したということです。
つまり主体性核が「折れた」状態です。
しかし、この結果、「頑固」な主体性核は
なくなってしまったわけではありません。
あくまでも、このケースは一次主体性を優先しただけなのです。
これ以外のケースでは、また同じようなぶつかり合いが起こり、
場合によっては主体性核が勝つ場合もあるかも知れません。
このように、「主体性核」は一次主体性と交わることはなく、
そのままの状態で常に人間の内部に存在しているのです。
そしてあらゆる場面で一次主体性とぶつかり合い、
その結果が「行動」、あるいは「思考」として表出するのです。
だいぶ壮大な話になってしまったうえ、根拠がないのですが、
以上が「主体性核」と「一次主体性」の違いです。
一次主体性と二次主体性の分断については、おっしゃるように難しいですね。
つまり、「結婚」というルールなくして
「結婚したい」という動機は生まれ得ないということですよね。
この論を考える際、人工物=物、という意識で考えていたので、
制度や感情など不可視の事柄については考えが甘かったです。
もうしばらく考察の必要ありですね。
133.34.73.130 , okabe01.edhs.ynu.ac.jp ,
- 24 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2011/05/17 12:51 ID:???
- >>19 須田さん、講義録拝読。
段落毎にまとめつつ読む方法は、切羽詰まったときの
最後の手段として重要ですね。
> 特に第10段落の「実際の業務から切り離された訓練プログラムでは、
学習状況を処理する能力がその技能を遂行する能力とは別なものに
なってしまう。」は、 いつも心に刻んで英語の授業を行いたいと思いました。
教授者ってこのことに無自覚、無頓着なことが多いと思いませんか。
実践の要素を総計したら実践に至ると思っていることが多い。
ノックとキャッチボールとランニングをみっちりやったら野球がうまくなるか?
なるわけがないのは誰でも分かるのに、人は教える立場になると
そのことを忘れる。実践の中で(=状況に埋め込まれて)
ノックとキャッチボールとランニングをみっちりやったら野球がうまくなる
かも知れない。要素だけみっちりやってもそっから実践は生まれないでしょう。
それは要素の練習に堕してしまい「その技能を遂行する能力とは別なもの」
に変質するのです。買い物実践のない百ます計算、歴史を巡る対話なき
年号暗記、文を味わうこともなく形式段落に印をつけること、などなど。
URLの段落毎のまとめが役立ちます。ありがとう。
時間があれば、じっくり検討したい重要なことばかりです。
みなさんお目通しあれ。
- 25 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2011/05/17 12:54 ID:???
- >>20-21 山本美和さん、講義録ごくろうさまです。
枠は広がらないのです。でも下まで無限に続いています。
一度メモ帳等に書いて、それからペーストすると良いですよ。
さて情動というのは、事実や知識に触れて、人のこころに起こるもの。
事実や知識は価値中立ですが、人のこころにわき起こる情動は
人間的なものです。人間的なものとしての情動は、機械的な
作業の中ではそれほどはわき起こらないでしょう(そうでもないかな、
でも労働の疎外ということもあります)。仲間と、社会的に
意義を感じられることに、現実に手を動かし頭を働かせて参加する、
そういう状況への埋め込まれの際に情動は働くのではないでしょうか。
そんな風に感じます。5章と併せて読むと分かりやすいですね。
- 26 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2011/05/17 12:58 ID:???
- >>22 近田さま、果敢に理論構築に挑戦するさまは素敵です。
新しい構成概念(主体性核)を作ると言うことは、それがないと
説明できない場合や、それを用いることでよりよく説明できる事象が
ある場合に意味があると思います。
「人間の気質のようなもの」を想定しているのならば、「気質」で
良いのでは?気質論というのは心理学でも歴史がながく、それこそ
ギリシア哲学からクレッチマーに至るまでの蓄積があります。
さて「「こんなわけのわからないものが持ち手であるものか」といって
持ち手を持たずに使い続け」ることは、「変わらない」のではなくて
「変えないように意思の力で努力してる」ように読めます。
私は頑なにオートマチック車に乗りませんが、それは趣味や
アイデンティティの反映であって、自己の内なる不変性の影響とは
言えないように思います。ただし:そういう運命的な要素が
あることは分かります。筋肉の付き方や身長、視力などは、もうどうにも
ならないので、結果としてその人の核を構成しているように見えるでしょう。
気質もそうですね。かっとなりやすいとか、気が長いとか。
でも人間は気質の乗り物じゃない。気質を逆に操縦すると思います。
運命を操縦するから人間なのであって、運命の乗り物になったら
動物みたいなものです(動物派の人に怒られますがw)。
人間というのはそういうものだと思います。
したがって主体性核または気質は、あるけどそれが何?という感じ。
臨床的、教育技術的に利用されているのかどうかは、分からないです。
続きを期待。
- 27 名前:齊川諒太:2011/05/18 11:56 ID:N1AtOdcw
- 2011年5月17日講義録
デザインド・リアリティ7章
●要約
私たちは、文化的対象を共有したなかで日常を送ることで、文化的対象を
実体化させ、維持・形成している。
文化的対象とは、実体化されるデザインのもとで可視化された活動の対象。
社会、文化によって形づけられたもの
Ex)肥満、クラ交易、童貞
●議論
・文化的対象ではないものはあるのか?
→源氏物語やハリウッド映画に共感できるのでは。
・童貞と処女の違いは?
→生物学的なものが背景にあるなかで、さらに文化の影響を受けている。
童貞=手術をしたことのない医者、殺したことのない兵隊
・他と比較することは重要か?
→多様化していく現代の社会では、個性を尊重している。
その場に応じたことができる(日本人らしさ)
⇒日本人というアイデンティティ?処世術?
ある意味、強制力がある。文化による無意識的なもの?
133.34.73.121 , psy27.edhs.ynu.ac.jp ,
- 28 名前:宮崎香子:2011/05/19 23:50 ID:IPy+MNjg
- 2011年5月17日講義録
子どもの心はつくられる ヴィゴツキーの心理学講義 第六話
●要約
意志の発達過程は他律論と自律論という二つの方向性で考えられてきた。
歴史的には自律論が肯定的に捉えられてきたが、
意志は状況や環境といった外的要因によって形成されるのではないだろうか。
●議論
・子どもの意志はどのようなところで感じられるか。
Ex)授業参観の子どもたちの積極性
→子どもたちの意志を環境から作ることが大切。
・現在の学校は子どもたちにとってどのような環境か。
効率や成果を重視?締め付け?
→人の集団なのだからこそ創造的な環境を目指すべきである。
180.0.44.163 , p15163-ipngn1601hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp ,
- 29 名前:須田拡成:2011/05/21 22:16 ID:6ifHCZA6
- 講義録へのコメントありがとうございます。
>実践の要素を総計したら実践に至ると思っていることが多い。
なるほどそのとおりだと思いました。
文法の大切だと思う要素も、
それらの要素だけを総計して授業すると、英語の授業は違った方向に流れていきます。
文法や日本語訳を、主に日本語を使って行う英語の授業は、
まさに、教室で黒板を使って水泳の仕方を教える=畳の上の水練です。
この講義を受けて考えていることのひとつに、
タスク中心の英語授業を行なうにあたって、
そのタスクをデザインする際に、ちゃんと状況に組み込まれたものを作ると言うことです。
お題目のような古色蒼然とした、手あかの付いた例文ではなく、
vividな、否。authenticな、うーんちょっと違う。naturalな、そうじゃなくて。
いい英単語が見つかりました。
何と言ってもこの単語 siutuatedな、状況を学習者に設定し、タスクを与えたいと思いました。(ひとりつっこみ)
学習心理学講義Tは
毎回、今まで深く考えたこともない問いが
様々な切り口で展開され、楽しみです。
錆びた頭を総動員していろいろ考えてます。
様々な切り口で展開され、楽しみです。
錆びた頭を総動員していろいろ考えてます。
27.83.45.68 , KD027083045068.ppp-bb.dion.ne.jp ,
- 30 名前:小川 基:2011/05/24 21:15 ID:OdtJzHMo
- 2011年5月17日講義録
文化心理学第6章 文化的認知論 ーブルーナー派のアプローチー
要約:
世界を知覚し、理解し、語るという心的過程が、人間の「生」を意味付ける。そしてその心的過程は
文化の影響を受けて形作られる。その意味で、「人の心は文化によってつくられる」とブルーナーは主張した。
議論:
・文化により人の心がつくられるだけではなく、人の心によって文化がつくられるという側面もあるのではないか。
→文化との相互作用の中で、新しい文化を人が生み出していく。
→現在の文化に疑問を持ち、新しいものを生み出そうとする情熱をもつ人によってなされる。
・新しい文化をつくりだす能力は、どこで育てられるのか。
→学校教育にはそれを担うのは難しいのではないか。日常生活の中で育まれるものなのかもしれない。
133.34.73.121 , psy27.edhs.ynu.ac.jp ,
- 31 名前:高橋知也:2011/05/24 21:56 ID:OdtJzHMo
- 2011年5月24日講義録
日常生活の認知行動第2章 実験室実験の歴史と学習の転移
要約:学習に関する実験室実験では、学習の転移を十分に説明できなかった。
これは学習の転移という概念がそれまで考えられてきたものと異なるものであることを示唆する。
それまで語られていた「学校教育の、日常生活への転移」
→リードらをはじめとする実験室実験では支持されなかった。
これは、学校教育が学習の転移に必ずしもつながらないことを示していると言える。
→転移という概念に深刻な誤りが含まれることを示唆。
<まとめ>
学習の転移
×学校教育で得た知識をそのまま他の物事に当てはめて活用する。
〇学校教育を通じて学んだ「問題解決の手がかり」を、社会において応用的に適用しようとする姿勢の表れ。
133.34.73.121 , psy27.edhs.ynu.ac.jp ,
- 32 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2011/05/26 08:21 ID:???
- >>27 齊川さん講義録ごくろうさま。
人間は身の回りの世界の意味や価値を、自分たちで造って維持している
という話しでした。童貞という価値が意味を持つコミュニティもあれば、
持たないコミュニティもある。世界はみなに平等ではなく、意味や価値の
種類や濃淡が違うと思うのです。男や女、子供や大人、医者や大工や
先生や魚屋、そういう幾種類もの世界観が一緒になっているのが、
世界の豊かさでしょう。同時に民族や国家間の紛争の元でもあるわけです。
- 33 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2011/05/26 08:22 ID:???
- >>28 宮崎さん、おつかれさま。
>意志は状況や環境といった外的要因によって形成されるのではないだろうか。
↑このことはヴィゴツキーの大きなテーマのひとつですね。かれは精神を社会の
写し(a copy of social)と考えていました。
>→人の集団なのだからこそ創造的な環境を目指すべきである。
最後にいったこと。学習環境のデザインによって、いろんな子供の主体性が
教室で構築されると思うのです。一人で記憶するだけ、とか、仲間と協働
するとか、自分の生活に活かすとか、社会のために考える、とかとか。
せっかく仕事でもなく趣味でもなく、ただ学習(成長)の為だけに組織された
集団なのだから、無駄にしちゃだめだ。先生と教育研究者は、せっかくの
この組織を有効活用するべきです。
- 34 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2011/05/26 08:23 ID:???
- >>29 須田さん、こういうご意見もらえることは授業者としてやりがいです。
>何と言ってもこの単語 siutuatedな、状況を学習者に設定し、
>タスクを与えたいと思いました。
科学用語で in situ という言葉がありますね。インシチュとかインサイチュと
読みますが、本来の場所で、という意味で使っています。
英語の本来の場所は文献や会議、相談、主張といった人間の対話です。
ことばは本来、人の間にある。学校で教えている知識技能の本来の場所、
in situ なセッティングで学習させる、というのは大事なことだと思います。
- 35 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2011/05/26 08:37 ID:???
- >>30 小川さん、講義録多謝
講義中に皆さんと議論し話したことに付け加えて再掲しておきます。
教育は文化の再生産だけでなく、新たに生み出す人間を育てなくては
ならない。いま教えていることを疑問に思い、将来再デザインする動機を
育てる。これは教育だけでなりたつことではない。
文化をつくるヒーローだけでなく文化のユーザーを育てることも大事。
ユーザーによって文化は選ばれる(携帯のTV電話機能、原発等)。
よりよく選択するユーザーが多くいる社会は、結果としてよいヒーローを
活躍させるのではないでしょうか。
- 36 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2011/05/26 08:38 ID:???
- >>31 高橋さん、ごくろうさま。
>学校教育が学習の転移に必ずしもつながらないことを示していると言える。
↑くりかえしますが、このことは学校にとって大問題です。
なぜなら学習転移は学校のレゾンデートルであり、その最大のメカニズム
だからです。領域Aでみにつけた知識技能が、別の領域Bにおいて
利用可能であること、もしこのことが成立しないのなら、学校は全て
無効と言うことになります。
ところが心理学実験では転移は限定的だったり無効だったりということが
示されています。どうする学校!?
学校は領域AじゃなくてそもそもBだと思ってれば良い、というのがひとつの
答えだと思います。わかりますかね、判じ物みたいですが。
頭の固い先生は自分たちが本来Bにも住んでいることを忘れちゃうんですよね。
- 37 名前:有元典文@かんりしゃ ★:2011/05/31 12:46 ID:???
- 2011/05/31(火)はヴィゴツキーの3章「思考」と文化心理学の9章、小生の執筆章です。
読んできて激しく議論しましょう。
- 38 名前:長嶋宏子:2011/06/01 08:08 ID:???
- 2011年5月31日 講義録
子どもの心はつくられる ヴィゴツキーの心理学講義 第三話
●要約
思考と言語の発達について、その過程は互いに一致しない。
子どもにおけることばの意味は発達し、発達段階で支配的な思考様式に
左右される。このような思考様式は、外部の現実(社会・文化)との
依存関係によって形成される。
●議論
1.ことばの意味が発達する具体例とはどんなことがあるか。
→子どもの一語の言葉、例えば「犬、犬!」は「犬がほえている」
という一塊の文章を表している。そこから、様々なコミュニケーション
を通して名詞の「犬」や動詞の「ほえる」という単語を獲得し、他の
場面にも応用できるようになっていく。また、社会・文化とのかかわり
を通して、一つの語句の意味自体が増えていく。
2.思考力とは?
学習したことがらを使って考えられること。また、様々なことがらに
関係づける力。答えがないものに向かって自ら考えられる力。
3.思考力をつけるような授業とは?
感想ではなく意見を言えるような取り組み。
現実に放り込む授業(模擬裁判、ディベートなど)
きっかけは教師でも、子ども自身で一生懸命に考えだしてしまう授業
202.178.91.148 , kcc-202-178-91-148.kamakuranet.ne.jp ,
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