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2005 学校教育総合研究

1 名前:有元典文@管理者 ★:2005/04/12 12:04 ID:???

講義録、質問、コメント等こちらに。

14 名前:ありもと@管理者 ★:2005/05/13 13:10 ID:???

>>13 芦澤さんお疲れ様です。みなさんのご意見とても面白かった。
川久保さんのライフスタイル論の<冷めた優しさ>は妙に気になる。
ストレートマスターはおとなしいなぁ。外の研究会であれじゃ壁の花。

> ところで、先生が「デザイン」ということばをどこの範囲までとらえているのか

今度出る森下覚との共著論文(認知科学会DEE部会)では、デザイン=「異なる秩序を対象に与えること」と
暫定的に定義しました。つまり大づかみに、意図的なものも無意図で創発的なものも、
そうとらえる意味があるなら「デザイン」ととらえます。

さてフリーターを巡ってネットサーフィンしました。
フリーター層の拡大はUFJの試算では2010年にピークを迎えるとのこと。
476万人だって。こいつらの消費は正社員の半分、納税額は五分の一
(収入のわりによく消費する消費の優等生?)、結果としてDGPを下げるらしい。
でも、フリーターを使いまくることで、企業のコスト削減になるから、そんなにGDPは落ちないとの説も。
講義内で述べた感想を繰り返すが、はやりの脱フリーター論/-教育はおかしくないですか。
構造的に400万人のフリーターを必要とする社会で、フリーターになるなということは、
おまえじゃなくて他の誰かがなればいい、という子供じみた自分勝手な対症療法。どうおもいます。


15 名前:服部 千代子:2005/05/17 09:41 ID:0xaD9VP6

有本先生書くのが遅れてごめんなさい。第4回講義録5月19日(木)
「読書するこころ」を育むというテ−マで講義したいと思います。宜しくおねがいします。
133.34.4.251 , center3.ipc.ynu.ac.jp ,


16 名前:のりふみ@管理者 ★:2005/05/17 11:00 ID:???

>>15 はい了解。有元

17 名前:川久保 学:2005/05/19 16:54 ID:3WUgUags

5月19日は「やる気のない高校生をやる気にさせるには」という題で発表させていただきます。
133.34.213.38 , pc-y0008.ipcn.ynu.ac.jp ,


18 名前:のりふみ@管理者 ★:2005/05/19 17:21 ID:???

>>17 楽しみです。

ところで、俺の書き込み、投げかけが無視されていて寂しい。

19 名前:野角咲絵:2005/05/19 22:09 ID:8WDRtZsg

ちょっと授業中、考えがうまくまとまらず発言できなかったので
掲示板に書き込ませてもらうことにしました。というか、私は
ああいう場の中で発言するのは正直あまり得意とはいえませんので
今後は積極的に、掲示板を活用させてもらいたいと思います。

前回のフリーター論議と今回の川久保さんの話を聞いていて
気になったのは、仕事に自己実現を求めすぎるのはどうなのだろうかと
いう点です。

自己実現を、その人にしか出来ないクリエイティブな仕事と捉えたとして
確かに、皆がそういう思いを持って仕事に就くことが出来ればそれほど
素晴らしいことはないと思います。しかし現実には、コンビニでの
レジ打ちだとか、ピザのデリバリーやら、誰にでも出来る仕事の求人の
ほうが圧倒的に多いわけで、結果的に不本意な思いでそうした職に
甘んじている人は多いことでしょう。

では、レジ打ちやデリバリーの仕事は社会にとって
不要なものなのでしょうか。決してそんなことはないでしょう。
講義の中で出たように、そうした人たちが社会を支えているという
側面を見逃すことはできません。

ならば、むしろレジ打ちやデリバリーの仕事が社会を支えているんだと
いうことの意義を前面に打ち出していくべきではないでしょうか。
というより、「その人にしか出来ない仕事」という発想そのものが
幻想ではないかとも思うのです。もし仮に、明日ブッシュ大統領が
亡くなったとして、世界が滅亡するかといえば当然そんなわけはなく
新しいアメリカ大統領が選出されるだけの話です。

自分にしかできない仕事を追い求めて、今ある自分を否定するのではなく、
どんな仕事も社会的には意味があるのだということを伝え、ありのままを
肯定的に捉えられる世の中に向かって欲しいと感じます。
218.221.88.57 , pdd5839.ykhmac00.ap.so-net.ne.jp ,


20 名前:服部千代子:2005/05/20 10:34 ID:XkriI8uQ

私は,社会が構造的にもフリ−タ−を必要としている。そのような、状況の
中で今,世論が職種の格差てき考えを抱くことがむしろ問題である。社会は、
需要と供給の上に,彼等の労働的価値を認識している。私達、消費者も安価
な品物に,家計も潤っているのである。彼等には、いまの自分に前向きに、
この仕事に自信と意味あることそして、誇りをもってほしい。
133.34.4.251 , center3.ipc.ynu.ac.jp ,


21 名前:服部千代子:2005/05/20 17:04 ID:f57K0ha6

第五回講義録「読書するこころ」を育む教育 私は、高校で司書教諭としての事例
をとうして述べたいと思います。1.授業では、ティ−ムティ−チン
グです。「ブックト−ク」をとうして資料の収集の仕方を読書にみち
びきます。2.利用指導では、図書館の使い方を学ぶ。3.読書授業
は、資料と内容に力をいれ検討します。4.図書部顧問として二つの
活動を述べると、1.研究発表と「文化フォ−ラム」です。フォ−ラ
ムは、13校との渉外校です。内容は読書会と討論会です。10人位
10班わかれ白熱した議論をします。このような、活動をとうして読
書するこころを育んでいます。
質疑応答有本先生よりご指摘1.人にしゃべるように話すこと。2.事例を出
す以上内容を具体的に説明すること。
・ティ−ムティ−チングの打ち合わせは、どのようにしているか
教科担当と、指導内容、資料の検討は。事前に必ずする。
授業時間は高校では、1校時どれくらいですか。日本50分、中国4
5分ロシア40分〜45分。学部1年生アリ−ナさん回答ありがとう。
有本先生より文化フォ−ラム良いですね。ありがとうございました。


133.34.213.142 , pc-z0053.ipcn.ynu.ac.jp ,


22 名前:中嶋尚子:2005/05/20 21:56 ID:9+R7OYB6

実はまだ自身の発表の日を決めておりませんでした。
6月23日、竹岡さんの後にお願いしたいと思いますが、いかがでしょうか。
7月7日を「Nursing day」なんぞにしようと、密かにもくろんでもみたのですが、
残念ながら学生の臨床実習の引率時期に入りますので、たぶん“ヘロリ”と
頭が回転しないように思います。
ちょっと戻ってしまいますが、
4月28日の武捨さんの発表への、先生のコメントから。
先生は「ご自分がわからなくなったらリハビリはしないという一筆でも
残しておこうかな?」と書き込んでおられます。
「どういう死を望むか」に対しては、尊厳死に見られるように、
治療選択が患者サイドに徐々に移ってきておりますが、
その他の治療に関してはそうでないように思います。
武捨さんの事例で、リハビリを始める前に選択肢を
提示する必要はなかったのかな?と思いました。
看護師、おそらく作業療法士も医師の指示で動くことが
多いと思いますが、私の関心がその意思決定にどう関わるか
ということなので、気になっておりました。
医療も看護も何か介入することが「善」であるかのような
暗黙の前提を感じることがあります。
唐突かもしれませんが、教育にも似たようなところはないか・・?
もっと成長しなければならない、そのままではいけないような雰囲気。
(自分も大いに学生に“かもし出している”だろうなあ・・・)。
自己実現に関していえば、誰が何をもってして実現できたとするのか
よくわかりませんし、職業の価値についても同様に思えてきます。
自己実現はマズローのニード論が発端でしたっけ?(勉強不足です。すいません)
Educationの語源は、引き出しを開けることだそうですが、
「能力開発」重視の結果とも言えるような気がします。
とりとめがなくなってすいません。かなり役不足ではありますが、
先生の寂しさに少しでも答えられたらいいなあ・・と思うのと、
昨日野暮用で欠席したお詫びでした。
最後に情報をください。先生がご紹介になった『教室の戦略』という本は
絶版になっており、本学図書館にも見当たらないのです。
探し方が悪いのかもしれませんが、手に入れば幸いです。
61.210.40.55 , ntkngw026055.kngw.nt.adsl.ppp.infoweb.ne.jp ,


23 名前:のりふみ(有元)@管理者 ★:2005/05/22 20:37 ID:???

>>19 詳しくはあとで川久保さんが講義録にかかれると思いますが、
川久保さんは教育で自己実現を果たす話をなさったというより、
学校を「自己実現風味」に仕上げるとみんなつい勉強に意味を見いだしちゃう、と
いう実践を紹介されたのだと思います。

>>20
> 彼等には、いまの自分に前向きに、
> この仕事に自信と意味あることそして、誇りをもってほしい。

低賃金労働に誇りまで感じて働いてくれれば、企業は大助かりですね。
私はあまのじゃくなので、金のためにいやいや働いたって良いと思いますけど。

川久保さん、もう少し説明された方がわかりやすいと思います。
講義録お願いします。


24 名前:のりふみ(有元)@管理者 ★:2005/05/22 20:37 ID:???

>>22
中嶋さん、発表日は次回忘れず相談してください。

> 医療も看護も何か介入することが「善」であるかのような
> 暗黙の前提を感じることがあります。
> 唐突かもしれませんが、教育にも似たようなところはないか・・?

ああ、良いことをおっしゃる。その問いはイバン・イリッチの
「脱学校の社会」に描かれています。
『教室の戦略』は持って行きます。鞄に入れました。いつでも部屋に来てください。

25 名前:服部千代子:2005/05/23 15:30 ID:APLKHuUI

有元先生  20の回答ありがとう。パソコンの打ち方がだどたどしく、行間
も乱雑で失礼しました。私しの考えは、単純に思うだけで、同じ仕事に向き合
ならば前向きに一生懸命に取り組む。そのことが自分の内面を奮い立たせるこ
とになる。次に講義録ですが、文字打ちができなく、先生始め皆さん迷惑かけ
ました。読んで戴きあいがとう。

133.34.213.141 , pc-z0052.ipcn.ynu.ac.jp ,


26 名前:川久保 学:2005/05/23 17:44 ID:ZbvA4Mvw

講義録〔概要〕

「やっても意味ないし」という言辞を、学校コード・社会的コードからの逸脱ではなく、
レリバンスを感じる学び・仕事への志向として聴き取ること。自己資本化
〔自己投資〜自己実現〕のシナリオに沿ったインセンティブをカリキュラムに埋め込むことで、
自己生成の物語を演出すること。キャリア教育のヒドゥンカリキュラム化。

質疑応答

問〔千さん〕進学校にあてはめるとどうなるのか。
答 進学校は受験がインセンティブなのですべて無用な話だったと思う。
問〔佐藤さん〕介護・看護分野を安易に利用しているのでは。
答 人の役に立っているという手ごたえがやりがい感につながるので
ボトム層の人気が高いのは確か。しかし資格ビジネスとみているのではなく
地域の介護・看護人材の育成という観点に一応立っている。
133.34.213.56 , pc-y0026.ipcn.ynu.ac.jp ,


27 名前:のりふみ(有元)@管理者 ★:2005/05/24 10:54 ID:???

川久保さん、ありがとう。>>19-25の展開にも一言頂きたいです。

28 名前:川久保 学:2005/05/26 17:11 ID:56/Tfq0+

今回お話したのはフリーターという生き方をなぜ「選択する」する
のかという話でした。彼らがフリーターの仕事になんらかの価値
〔例えば自己実現など〕を見出せるはずはありませんし、また見出
したとすればその時点で彼はもはやフリーターではないのです。
なぜなら、なんらかの価値を手に入れるために、「とりあえず」
不安定な現状に甘んじる「生き方」こそがフリーターなのですから。
実体概念ではなく、機能概念として語っているのです。
ですから社会的分業での「低賃金労働者」の意義といった話をした
つもりはありません。むしろその場合でしたら、彼らの消費性向を
(人的)流動資本として利用するという新自由主義的な不可視的「管理」
を自覚する方が先でしょう。低賃金労働に「やりがい」という価値を
付与しているのもそうした見えない管理の手法なのですから。
133.34.213.59 , pc-y0029.ipcn.ynu.ac.jp ,


29 名前:のりふみ(有元)@管理者 ★:2005/05/27 13:18 ID:???

>>28 なるほど。要するにだまされず(自覚的に)長いモノに巻かれろ、ですね。
私には現実的な若者への処世術の提言だと感じられます。
どこかで労働や勉強のロマンチシズムがちくちくしますが。

30 名前:竹岡健治:2005/05/27 22:13 ID:wPRAB0UQ

 一度は書き込みをした方がいいかなと思っていましたので、
思い切って書くことにしました。さて何を書こうかと迷いました。
皆さんの書き込みに関係することがいいのかなとも思いましたが、
書けそうにないので、無視することにしました。
 前置きが長くなりました。
 人と話(議論)をする時、言葉の意味の共通化が必要だという
ことを最近特に感じます。その言葉の一つに「学力」があります。
先日の授業のレジュメにもありました。この言葉ほど最近都合よく使わ
れている言葉はないように思います。
「学力低下」とよく識者たちが話します。これを聞いた時、思うのは
「貴方の言っている学力とは何ですか。どうやって測ったのですか。」
ということです。それがはっきりしてから、そのことが問題なのか、
或いはどうでもいいことなのか、もしくはいいことなのか、議論できる
ように思うのですが。ある人たちにとって、身につけさせたくない
「学力」もあるように思います。「学力」については、この辺でやめて
おきます。
 その他気になっている言葉等書いておきます。
「公教育」(受ける側と「国」側からの捉え方)
「子どものために」(かなり頻繁にそして安易に使われます)
「個性重視」「個性尊重」
「自由がある」(実際には、多くの人にはまだ飢える自由しかないのでは)

 まあいずれにしても、大学というところは面白いところですね。その幸せを
58歳にしてもう一度感じているところです。











210.147.207.183 , FLA1Abv183.kng.mesh.ad.jp ,


31 名前:のりふみ(有元)@管理者 ★:2005/05/30 12:24 ID:???

>>30 新しい話題の口火を切っていただくのも良いですが、
これまでの議論を引き受けて書いてもいただきたいです。
>>19-26 の流れは重要な議論を含むと思います。

32 名前:佐藤和子:2005/05/31 22:41 ID:/hp+FnfI

 遅くなりました。
5月26日講義録  概要                担当:佐藤和子
 「専門学校の教員として、学力について思うこと」として、看護師養成を目的とする教員として、
 学生の学習状況を見ていて思うことを、討論を通して述べていった。
○進路の一つとして専門学校として選ぶが、
  偏差値から見ると大学、短大、専門学校と振り分けられてくるのではないか。
○高校までの学力は・・学力の低下
  学力と何を示しているのか
  少なくとも今までの知識を引き出し意味あるものとして関連させ活用できることでは?
○職業教育と看護専門学校
     教育機関と職業技術の修得  中間的な立場? 看護師養成として
                                (意見から)
     学校で知識を使って実践するところまでしなくてはならない。
     教える側にも こうあるべきや課題はあるが
《質問や意見をもらいながら進め気になったところ》
 ◎学力、何を持って学力と見ているか。学力が見えていない。
 ◎教育がうまくいかないときに学力の所為にしている。
  何かの所為にしているだけ、したいだけ
  自分が出来ないと学生に求める。
      自分がわかるからーーない    ないと
 ◎理論と実践が結びつける。難しい
   実践に放り込めば実践家になる。
   再構成を繰り返すことで自分が苦手とするところを使う。
   環境と個人が相互に作用していく。
 ◎教育で人は変えられない。
   本人のためという言葉を借りて思うようにしたい医療や看護があった。
質問されながら、聞きながら考えましたが、
自分は何を見ているのかな。学力の所為にしているといわれると
そうかもしれないと思いつつ、でもーーとどこかで思う
 「何を見て学力低下としているのか。」「熟練者からみた出来ないとは」
   記述してみたらと   やってみますか・・・



61.214.168.212 , p084-dnb14yokoni.kanagawa.ocn.ne.jp ,


33 名前:野角咲絵:2005/05/31 22:52 ID:AZ/THM/k

>なんらかの価値を手に入れるために、「とりあえず」
>不安定な現状に甘んじる「生き方」こそがフリーターなのですから。

既に、川久保さんとはお話しましたが、一応掲示板上にも書いておきます。
>>19にも書きましたが、私が感じているのは、そもそも働くことに
「なんらかの価値」なんてものがあるのかということです。

これまでの世の中は、労働人口に見合うだけの働き口があったために
「学校を出たら働く」ことが当たり前であっただけで、
今、フリーターを選択する人が多いのは、単純に企業に属して
働かなくても、それなりの賃金を得ることができる環境が整っているから
でしょう。ならば、わざわざ窮屈な思いをしてまで、就社しなくても
いいじゃないかというのはむしろ当然の動きだと思います。

にも拘らず、旧来の価値観のままに組織での労働を美徳とし、
働くことには価値があるんだと声高に叫んで、フリーターという
生き方を「問題視」してしまうことが不思議なのです。

これまでの社会を維持していきたい人たちにとっては、不愉快
きわまりないのかもしれませんが、フリーターは生み出されるべくして
生み出された存在なのだと捉え、そんな現状を肯定的に見る視点が
もっとあってもいいと思うんですよね。
218.41.201.10 , p29c90a.ykhmac00.ap.so-net.ne.jp ,


34 名前:のりふみ(有元)@管理者 ★:2005/06/01 01:18 ID:???

>>32
> 「何を見て学力低下としているのか。」「熟練者からみた出来ないとは」
> 記述してみたらと   やってみますか・・・

この作業は非常に有意義だと思います。いろんな職種で、いろんな教育機関で、
いろんな局面で行ってみたい。「ヒヤリハット事例」集めのように
組織的にやってもいいかも。ご報告内容にたいへん刺激を受けました。

35 名前:のりふみ(有元)@管理者 ★:2005/06/01 01:27 ID:???

>>33

私には以前の書き込みと意見が一貫していないように思います。

>>19
> ならば、むしろレジ打ちやデリバリーの仕事が社会を支えているんだと
> いうことの意義を前面に打ち出していくべきではないでしょうか。

上の記述では、低賃金労働の意義を教えようと提案されている。
一方>>33では

> 私が感じているのは、そもそも働くことに
> 「なんらかの価値」なんてものがあるのかということです。

価値など無いとおっしゃっている。??

36 名前:野角咲絵:2005/06/01 08:32 ID:ABbAaR9Y

うーん、意見は一貫しているんですが、誤解をうみやすい表現だったかも
しれないですね。私は基本的に、「労働には価値がある」ということに
ついては否定的なスタンスです。

例えばの話ですが、労働による自己実現を訴えて、もし多くの人が、
自分に一番向いている仕事は教師だ!と思うようになったとしても、
学校の数なんて限られているわけで、なりたいと思った人全員がなれる
はずはありません。

しかし、教師になれなかった人からすると、せっかく自分に一番
向いている仕事だと思ったのに、なれないということは、自分は社会的に
無意味な存在なんだと自己否定に走ってしまうのではないかなと。

だったら、すごく逆説的なんですが、どんな労働であっても
社会を成り立たせているんだということを伝えるべきではないかと
感じるのです。

前回の書き込みは、低賃金労働の意義を訴えようということに
重点があったというわけではなく、どんな仕事であっても
需要があるからこそ成立しているはずなのに、そのことが置き去りにされて
どこか別のところには自分にしかできない仕事があるんだという考えが
強調されすぎていることへの違和感をお伝えしたいがためのものでした。
218.41.254.176 , p29feb0.ykhmac00.ap.so-net.ne.jp ,


37 名前:野角咲絵:2005/06/01 09:47 ID:ABbAaR9Y

もう少しだけ補足を。
一応、前回の書き込み(>>19)について改めて説明しておくと、
ポイントとしては、最初のほうに書いた「仕事に自己実現を求めすぎるのは
どうなのだろうか」ということにありました。

私の意見としては、「働くことに絶対の価値なんてなく、どんな仕事で
あっても、その人が死ねば必ず代わりの人間が配置されて世の中は
回っていく。それは、一国の大統領であっても、レジ打ちであっても同じ
こと。ならば、わざわざ少ないパイを奪い合うようにして現実から
目をそむけるのではなく、今やっている仕事だって社会の要請に
応じたものなんだということを理解して、自分をもっと肯定しても
いいんじゃないの?」という、かなりひねくれた前向き論なんです。

「本当の自分」を巡る議論に似たものがあるかもしれません。
218.41.254.176 , p29feb0.ykhmac00.ap.so-net.ne.jp ,


38 名前:のりふみ(有元)@管理者 ★:2005/06/02 16:16 ID:???

>>36-37 了解しました。

> どこか別のところには自分にしかできない仕事があるんだという考え

これが近代の罠ですよね。業績主義社会(メリトクラシー)の仕掛けた罠。
世襲制で運命が決まっていたときには思いもしなかったアイデンティティ
探しの旅にひとを誘う。で、理想に行き着けないのは自分の「努力」が
足りなかったからだと思わせる。

39 名前:藤澤 和子:2005/06/04 08:52 ID:pMr191TI

第7回講義録(6月2日):中学校選択英語授業(1)

私は、公立中学校の英語の授業のあり方(40人一斉授業)に疑問を
もち続けながら20年以上も現場で働いてきました。現在では少人
数制(一クラス20人程度)の導入や、能力別のクラス編成などの
試みが行われていますが、コンピューターを使うことで私はこの
事を解消しようとしました。つまりコンピューターを使うことで
、個別の学習をする場が提供でき、生徒一ひとりが自分のレベル
に合った学習が選らべ、学習意欲を維持する事ができるのではと
考えました。当時、コンピューターはどの教科でもその使い方の
研究をしていましたが、特に英語科には期待が(海外とのメール
交換などを含め)かけられていたように思います。でも、現実に
は通信速度が遅かったりしたため、インターネットサーフィンさ
え満足に行えない状況でした。そこで簡単にアクセスできるソフ
トを求めていましたが、値段が高く学校の予算では到底無理な状
況でした。また、学校で購入した英検ソフトも操作が単調で飽き
てしまう生徒も多く、何か別の形で取り組めるものはないかと考
えました。つまり、コンピューターを使った創作と英語学習が両
立できるような活動です。そんな折、国大の佐野先生のアクショ
ン・リサーチの呼びかけがあり私は早速参加しました。そこで田
中先生からいろいろなアドバイスを受ける事ができました。グリ
ーティングカードもその一つです。コンピューター操作も覚えら
れるし、英語の時節の挨拶状の書き方の勉強にもなるので取り入
れました。その他、コンピューターを使った活動として考えられ
るものも一通りやってみて生徒の反応を見ました。
210.233.192.86 , 086CTKP.ctktv.ne.jp ,


40 名前:藤澤 和子:2005/06/04 08:53 ID:pMr191TI

第7回講義録(6月2日):中学校選択英語授業(2)

選択英語は2002年から完全に実施されるようになりましたが
、私自身もコンピューターのことは分からないことが多かったので
、この記録は私のコンユーター学習の記録にもなりました。この後
の発展として新聞作り、ALTとのE-mail交換など行いましたが
まとめていません。私のように現場でいろいろ行き詰まりその
解決方法を見つけに大学院に来る教員もいると思います。先生の
おっしゃるとおり私も「大学院の授業は講義の場ではなく、教育
の問題に関する討論の場になって欲しい」と思いますが学力の
問題を除くとそれぞれのおかれている立場が違い問題の共有が
しにくいようにに思います。

ご指摘の件について
1. 英語の学習になっていないのではないか?:確かに文化面
では日本と海外を意識した画像の選択は行っていません。画像は
技術科で購入したが画像ソフトを使わせていただいたのでバリエ
ーションが限られていました。日本文化をもっと意識する画像の
選択をさせたら面白いかも知れません。また、英語の学習について
一人ひとりの伸び具合の調査は行っていません。彼らの変化を
どのようなものさしで測ればよいのか私が勉強しなければならない
ところです。学力の問題にも絡むと思いますが英語力を何を持って
測ればいいのか?私の課題です。それを探りに大学院まできました。
残念ながらまだ見つかっていません。一応、英文絵本の活動では
読解力もつくように期待し、E-mail 送信の活動では英作文の練習
になると考えました。
2. パワーポイントの文字の大きさについて:ご指摘の通り、
文字がはっきり見えないものもありましたが生徒の名前が
あからさまに見えるものは個人情報の保護の立場からわざと
ぼかしました。年間計画につきましては別紙で提示した方が
よかったと思います。

以上、報告いたします。
210.233.192.86 , 086CTKP.ctktv.ne.jp ,


41 名前:竹岡健治:2005/06/04 14:23 ID:qzReLXy2

 前回の書き込みに対して、一連の書き込みに関係するものが
望ましいとのことなので、今回は出来るだけそのことを気にか
けて書きたいと思います。
 川久保さんや野角さんに関連することになると思います。
 日本で学校教育が制度化されたのは、明治になってからです。
その目的は、簡単に言えば、「西欧列強の近代に追いつくために、
それを担う国民を育成すること」にあったことは異論はないでしょう。
従って、教育を受ける側の人間に立って学校教育が実施されたわけで
はありません。勿論、その努力をしようとした教員もいたであろうし、
また、学校教育が国家政策を積極的に担う人間ばかり育成したのでは
なく、同時に政府に対して批判的な人間の育成にも寄与したであろう
と考えられます。
 敗戦を契機に、「教育を受ける側の権利(学習権)」が前進したこ
とは、日本国憲法にも書かれている通りです。しかし、基本的には明治
当初の考えと大きくは変わっていないのではないでしょうか。その一つ
として、教育課程等に政財界の教育への提言が大きく影響されてきたこ
とからみても分かります。
 教育に携わっている教員は、単純化すると、「自分が担っていきたい
と思っていること」と「担わされていること」の二つを背負っています。
今、日本社会は格差社会になってきているといわれます。そうすると、
低位にある人間は不満を持ちやすくなります。これは政府にとっては困
ることになります。その防止(不満の甘受等)の一端を学校教育に担わせ
ようとします。実際に多くの教育政策か既にその考えで施行されている
と思います。学校教育が現在もこのような状況にあることは、頭の片隅
には置いて置く必要はあるのかなと思います。









220.144.228.204 , FLA1Abr204.kng.mesh.ad.jp ,


42 名前:竹岡健治:2005/06/04 15:13 ID:qzReLXy2

 次に、野角さんの書き込みにあった「労働に価値はある・ない」、「社会の要請
に応じて」に関連して、書いてみたいと思います。
 「労働に価値はあるか」という問に対して、「誰からみた価値ですか」という
ことがまず思い浮かびます。だから、あまり自分にとっては意味のある問では内容
に思います。私は「自分としては出来るだけ意味のある仕事(労働)をしたいものだ」
考えてきました。
 「社会の要請」についてですが、この言葉は「学力低下」のように非常によく
使われます。また、都合よく使われます。
 「社会」とは何でしょうか。日本では、「社会の要請」に応じてということで、
低賃金労働者が増加しています。被正規労働者としてのアルバイト・パ−ト・派遣労働者、
そして、外国人労働者等です。ここでいう「社会」は国民の意見を反映しているものとは言
えないのではないでしょうか。
 「社会の要請」に応じていう観点ではなく、「個別の要請」に応じて考えてみることも
いいかもしれません。例えば、「子どもの要請」「被介護者の要請」「患者の要請」
「外国人の要請」等々。

 長文になりそうだったので、二つに分けて書きました。的のはずれた内容になったり、
舌足らずになったかもしれません。






220.144.228.204 , FLA1Abr204.kng.mesh.ad.jp ,


43 名前:のりふみ(有元)@管理者 ★:2005/06/07 13:38 ID:???

>>40
講義録ごくろうさまです。

> それぞれのおかれている立場が違い問題の共有が
> しにくいようにに思います。

どうしてそう思われるのでしょうね?教えてもらえれば有り難い。
せっかくだから皆で問題の共有をしたほうが良いですから。

> 1. 英語の学習になっていないのではないか?:

ではなくて、英語を用いる実践や活動になっていないのでは、と
コメントしました。PCで英語のドリルをさせたいわけでなく、
PCという道具で「英語を利用する活動」を組まれたのですよね。
ならば「英語を利用する活動」をちゃんと設定すべきだと感じたのです。
英語でポストカードを作るのならば、それは誰が誰のために何の目的で
行う活動が設定すべき。日本人が日本人のために単なるデザインとして
英語を用いる活動にしてはもったいないと思いました。日本人が
外国人に売るために英語を用いたポストカードを作ることは
そう容易ではない。ずいぶん文化的、文法的な勉強が必要になるじゃないですか。
それは授業でありながら、豊かでかつホンモノの学習だと思います。

44 名前:のりふみ(有元)@管理者 ★:2005/06/07 14:09 ID:???

>>41
> 学校教育が国家政策を積極的に担う人間ばかり育成したのでは
> なく、同時に政府に対して批判的な人間の育成にも寄与したであろうと考えられます

なるほど!イリッチが「コンビビアリティの道具」のなかで、
道具には価値が設定されていないことの例として、<文字>は管理のためにも
使えるが、テロの相談にも使える、てなことを書いていましたが、
それを思い出しました。この視点から未来の学校のありさまを創案してみるのは
面白いですね。とても興味深い。ありがとうございます。

>>42
>「社会の要請」に応じていう観点ではなく、「個別の要請」に応じて考えてみることも
> いいかもしれません。例えば、「子どもの要請」「被介護者の要請」「患者の要請」

川久保さんのご報告で、「被介護者の要請」がホームヘルパーの需要を作り出し、
そこにフリーター予備軍(かもしれない)非進学校の高校生を向かわせる進路指導戦略が
示されました。このことこそ議論すべきでしょう(参照 >>19-23>>28-29)。


45 名前:中野智之:2005/06/07 16:06 ID:2RR6KWDc

講義録の書き込みが遅くなって申し訳ありませんでした。

6月2日 講義録
「適応指導教室における児童・生徒の学習」
○概要
・小・中学校の在学者数について
・小・中学校の長期欠席者数(特に不登校を理由とする児童生徒)について
・適応指導教室の目標・指導方針・基本プログラム・通室状況や卒業後の進路について

○発表後の討議
適応指導教室における現状を私ができる範囲で説明しました。
そこでは、児童生徒が私を「先生」と呼んでいること、
ほとんどの児童生徒が誰かとかかわりをもって遊べていること。
再登校の妨げとなっている最大の原因の1つが、学習の遅れであるということ。
また、芦澤さんの実体験のお話はとても興味深いものでした。
もしよろしければ、今度お話を聞かせてください。

先生からは、レジュメに載せた方がよい部分を載せていなかったり、
資料の出典の明記するなど形式的な部分の指摘をいただきました。
また、私の発表における口癖についての指摘もいただきました。
指摘をいただいたところを意識して、今後の発表につなげていきたいと思います。
133.34.73.109 , psy15.edhs.ynu.ac.jp ,


46 名前:のりふみ@管理者 ★:2005/06/07 17:41 ID:???

>>45 中野さん講義録ごくろうさま。実践の場にいるのは良いですね。興味深い話が聞けました。続報があればまた教えてください。

47 名前:中嶋尚子:2005/06/09 23:54 ID:W8wsgWwE

報告が遅れました。中嶋の発表は、6月23日竹岡さんの後に
なりました。よろしくお願いします。

さて、教育的ではないかもしれませんが、フリーターに関して思うことを
述べてみたいと思います。無責任かもしれませんが、私自身は
フリーターやニートいう選択肢もありかなと思います。ただ社会保障
という点では、その選択は大変リスクを伴うと思います。その前提には、
自分自身の健康と、親の健康と収入(親という部分は誰でもOKです)
という担保の上に成り立っていると思われるからです。何らかの形で
職業をもつことは、何かの担保を獲得することにもつながるからです。
みんなで助け合いというきれいごとを言うつもりはありませんが、
人間は誰でも病気になるし、老いる。働きたくても働けない時が
必ず来ます。その時期がいつ来るか、もちろんわからない。
フリーターやニートの人が道路で倒れていても、救急車を呼んでも、
お金を払えないから治療しません!とは言えません。
ではその医療費は誰が払うのでしょうか。病気の種類によっては
借金もありえます。まあ今に始まったことではないのですが、
医療費の踏み倒しもよくあります。昔の人はいいことを言いました。
「いつまでもあると思うな、親と金」
なので、その選択をしたからにはそのあたりも視野に入れてほしい
というのが本音です。もっともそういう自覚のある人は、
職に就くのかもしれませんが。
病気や老いについて、若いうちは頭ではわかっていても
なかなか実感がわかないかもしれません。身近で人が亡くなる
経過に立ち会う機会はめったになくなりましたし、若者が健康観とか、
病気になることとか、考える機会は少なくなっているようですし、
最近「デス・エデュケーション」が行われているようですが、
そのあたりはどんな感じなのでしょうか。
「死」を病院などの施設に囲ってしまったことも、
あるいは医療費削減のポリシーに乗っかるようにして、
「一億総健康時代」なんて世の流れも、
永遠に元気でいられるような幻想に拍車をかけている
ような気がして、極端かもしれませんが、看護師の端くれとして、
陰ながらフリーター問題の背景になっているようにも思えてくる
昨今でした。
219.117.78.69 , 69.net219117078.t-com.ne.jp ,


48 名前:のりふみ@管理者 ★:2005/06/16 17:50 ID:???

>>47 確かに看護師の視点というのは説得力がありますね。
渡米した友達が、倒れて救急車を呼ばれたら$200請求されて、
自分で呼んだんじゃなくて呼んだ奴の責任だ、誤報だみたいに
ゴネて払わなかったと。殺伐としてますね(^_^;)
でもそういう国ではきっと医療に金がかかることを身をもって知っているんでしょうね。
産油国のオマーンなんかは、教育も医療も全部ただなんだって聞いたことあります。

49 名前:平石聡子:2005/06/17 22:01 ID:5E13KK6Y

☆6月16日 議事録☆
「遊び場面で気になる児童が人とかかわっていく過程」
≪概要≫
○某市の放課後育成事業(以下、Hスクールと呼ぶ)について
○Aさん(Hスクールに参加の児童)の事例から読み取れること
  ・自分の属する社会のルールにうまく適応できない子が先生に注目される。
   →“気になる子”になっていく。
  ・ちょっとしたきっかけで仲間に入って、その仲間のやることを見よう見
   まねして、遊びなどを学んでいく。
  ・徐々にルールを読み取ることができるようになる。
  ・うまく振るまうことができている(=ルールを守ることができている)
   ということをフィードバックすることが重要。
  ・自然にルールを学んでいくことが困難である子どもの存在。

≪議論のまとめ≫
○学習環境のデザイン
  ・子どもの行動をビデオを撮り、それを客観的に捉えて先生同士で共有する。
  ・子どもの前で褒める。  など
○マニュアル化の難しさ
  ・Aさんのように変化させる環境・学習デザインは再現しにくい?
  ・「“私(発表者)”がその場にいた」ということがこのデザインを成立
   させている。
○Aさんの気付き
  ・Aさんの「現実に忠実に行動すればいいんだ」という気付き。
  ・それは「褒める」というフィードバックにより気付く。
☆愛のコンディショニング
  ・私とAさんの“愛の物語”
  ・条件付けの理論
  ・それとは対照的な「権力のコンディショニング」←川久保さんのお話

以上です。
多くの質問をしていただき、自分の研究を整理することができました。
修論につなげていきたいと思います。
また、多くの興味深いお話をお聞きすることができて、とても参考になりました。
中でも川久保さんの権力のお話は大変面白かったです。
みなさん、どうもありがとうございました。
133.34.73.109 , psy15.edhs.ynu.ac.jp ,


50 名前:のりふみ(有元)@管理者 ★:2005/06/18 12:22 ID:???

>>49 平石さん講義録ごくろうさま。面白かったです。
むしゃさんがコンディショニングを読み取っていたのが興味深かった(^_^;)
教育はその人だけのものという思いが強まる。
ちょうど良いときに良い場所に良い人がそろって達成される奇跡ぽい。

51 名前:平岡なぎさ:2005/06/18 13:46 ID:Dcvah0K+

6月16日の講義録です。
「教育番組の効果的な試聴方法について」
・卒論の実験結果は教示の違いによるものではないのか。
・“効果的”の基準を明らかにするべき。
 ↑教育番組の制作意図との関連?
・因子分析との絡みで、川久保さんからトートロジーであるというご指摘。
・専門用語はわかりやすく噛み砕いて説明すべき。

今回の発表では卒論についての報告に留まりましたが、
たくさんの示唆をいただきました。
特に議論の重要性について深く再認識しました。
これからは、もっと対話を大切にしていかねばならないと感じました。
みなさん、ありがとうございました。

133.34.73.109 , psy15.edhs.ynu.ac.jp ,


52 名前:のりふみ(有元)@管理者 ★:2005/06/19 07:14 ID:???

平岡さん講義録ごくろうさま。
>>51 そうそう。研究するっていうのは、つまるところ対話の繰り返し。
ゼミや研究会等でほかの人と対話することは重要。猛烈に重要です。
例えば俺のアイデアのほとんどは対話から得たもの。たとえばこういう掲示板も含む。

53 名前:竹岡健治:2005/06/24 10:57 ID:mqFxn/x2

6月23日の講義録です。
『中田市政・伯井教育長下における横浜市「教育行政」』
概要は
・傍聴等を通して、現在の横浜市教育行政の特徴を幾つか、説明。
 その際、前高秀市政下との比較も若干行った。
・「横浜市教育委員会」及び「横浜教育改革会議」での議論の様子についても
 触れた。

 今までの授業内容とは少し分野的に異質な面があったのか、発言しにくかったよう
のではと感じました。今後気づかれたことがあれば、お知らせ下さい。

 現在の横浜市の教育行政が、今後子どもたちにどう影響していくのか、私も見つめて
いきたいと思っています。子どもが豊かな教育を受けられることを希望しながら。

 大変短い講義録になってしまいました。以上です。





210.151.129.93 , FLA1Aci093.kng.mesh.ad.jp ,


54 名前:のりふみ@管理者 ★:2005/06/24 17:17 ID:???

はい、ごくろうさまでした。行政と実践家の実践の間の関係
という点では普遍的な問題だと思いました。お互い
あいつらなんにも分かってない、と思ってるんじゃないですか。
いずこもそうでしょう。

55 名前:野角咲絵:2005/07/04 06:55 ID:PVEOaiWI

【題】学校は子どもに何ができるのか〜健康学園の事例より〜

【内容】少人数制教育、自然体験、集団生活の意義が唱えられている昨今、
これら全てを満たしている健康学園という施設が存在する。
入園対象は、喘息・肥満・虚弱・偏食といった健康に課題のある小学校
3年生から6年生の児童。ただし、近年は不登校・いじめ・親のネグレクト
といった問題を抱える児童の入園が多く見られる。

こうした児童の多くは、健康学園在籍中に自信を取り戻し、見違えるように
成長する。だが、原籍校に戻ってきてから、不適応を起こすことが少なく
ない。ここには、少人数制の目の行き届いた環境が、逆に依存性を
生み出してしまうという皮肉がある。教育現場と現実との間が乖離して
しまってはいないか。

【意見・感想・質問】
・刑務所から出所しても、社会でうまくいかずに、舞い戻ってしまうという
 事例に似ている。
・今の時代に、健康学園という施設が存在する意義はどこにあるのか。
・健康学園の成り立ちは、隔離することが目的としてあり、現実との乖離は
 ある意味、当然だとも考えられる。
・学校と社会とを結ぶためのサポート産業の育成について考える必要がある。

【発表して感じたこと】
現役や元教師の方を前にして、学校教育を否定するような発表だったので、
もっと叩かれるかと思いきや、静まり返ってしまってどうしようかと思い
ました。でも、皆さんのご意見を聞くことが出来て、良かったです。

ところで、学校教育と現実とを結ぶものがビジネスにならないかと
いう話ですが、考えてみると、塾や予備校、専門学校は、似たような
働きをしているように思います。学校では勉強だけが全てではないと教え、
塾や予備校ではとにかく東大に入れば全てよしと
いう雰囲気があって、どちらとも誤りとはいいきれないし、かといって
正しいともいえません。結局のところ、両者が存在することで、
ある程度バランスが取れているのでしょうね。
218.41.255.72 , p29ff48.ykhmac00.ap.so-net.ne.jp ,


56 名前:のりふみ@管理者 ★:2005/07/05 16:09 ID:???

>>55 講義録ご苦労様。こういう特別な例は参考になります。
学校教育の特徴をよく備えている場合があるので。
今回の健康学園も、学校のうちとそととの連結の話として
解釈可能だと思います。

57 名前:雨宮由佳:2005/07/05 20:15 ID:nfjA8nW6

 掲示が大変遅くなりすみませんでした。
6月30日講義録 年金問題
 私は、20歳の頃から年金を払っていますが、親が「払いなさい」と言ったので
払っていましたが、その時私の認識は、とりあえず払っておけば老後にもらえる
ものでした。大学3年生の時、社会保障に関する授業を受け、最低でも継続25
年が必要で、間1ヶ月でも未払いがあってはいけないこと、40年で満額6.7
万円貰えること。第2号の会社員、第3号の第2号の妻以外全ての人である第1号
の自営業者やフリーターは3人に1人が年金を払っていないことなどを、初めて知
り、大変興味を持ちました。そして年金を払っていない友達にこれらの話や、公定
歩合が適応されるのは国民年金だけだよなどと説明すると、何もしらなかった友達
は大変驚いていました。
 私は年金に無知だと思っていましたが、先日の授業で学校現場では年金について
教えないこと、それは受給世代になる方々が学校で教える内容を決めているから、
自分達が不利益にならないようにするためだということを知りました。
 今消費税を5%上げても2兆円の削減にしかならない。市町村合併を進め全部の
市町村が10万人都市になれば、年間8〜12兆円の支出の削減になると言われ、
政策が取り組まれている中で、後世代に責任を転嫁するような、自分が不利益に
なりたくないといったことではいけないと思います。学校で年金制度について教え
第1号が年金を払う仕組みを構築すること。そして、受給世代も多少の痛みを我慢
する。これは年金制度改正に必要なことではないかと思いました。
 先見の明のある政策を期待します。
219.165.75.175 , p5175-adsao03yokonib2-acca.kanagawa.ocn.ne.jp ,


58 名前:のりふみ@管理者 ★:2005/07/06 14:58 ID:???

>>57 こういう実用的なことの教育についての議論は興味深いし大事なことだと思いました。

59 名前:のりふみ@管理者 ★:2005/07/08 11:07 ID:???

昨日7月7日をもって講義終了いたします。試験は行わず発表をもって単位を認定します。

 いま全部読み返してみました。面白いので皆さんにもお勧めします。
投げかけられっぱなしの話題もあります。そういうのは練習問題として、
各自考えをすすめてみると面白いでしょう。最後に感想とコメントを↓。


60 名前:のりふみ@管理者 ★:2005/07/08 11:08 ID:???

 「育児とは育自である」というイイ話を伺いましたが、教えることは
教わることだとよく感じます。先生という仕事は本当にありがたい。
この講義でも、あっ、たいして講義はしてないですが(^_^;)、それを感じました。
みなさんも発表してみて、掲示板に書いてみて、言葉が伝わらない
もどかしさを感じたかも知れません。人とアイディアを深く共有することは
世界で一番難しい。先生という仕事(どの仕事でも似たり寄ったりでしょうが)
は常にそのことをつきつけられる。でもこのことはとても有り難いことです。
 権力関係で押しつけたって、理解してもらえたとは思えない。満足できない。
言葉や場面や素材を洗練させるしかない。それは、つまるところ自分の考えを
磨かざるを得ないということ。人前での芸事と同じかな。アイディアを共有する
ことの難しさを、常に端的に突きつけられる修行の場だと感じます。
 みなさんは大学院生として、まさに自分のアイディアを人と共有する作業を
していかなければならない。それが研究者の使命ですから。先生や芸人が
自分のアイディアを磨いていかざるを得ない実践の構造をぜひ思い起こして。
それはつねに誰かとの「対話の関係」にあるということです。
 研究が誰かとの対話であることを決して忘れずに。ひとりぼっちの世界では
研究は出来ません。ひきこもらず、野(field)に出て、対話を。どんな科学も、
アームチェアでなされたことはないです。対話に励んでください。研究会、学会
などに出かけること。ライバルと友達、敵と味方がいるなかでアイディアは
みがかれます。
 皆さんの研究が社会に役立つ実り多いものとなるようお祈りしてます。ってか
いつでも相談に来てください。対話しましょう。半期ありがとうございました。

61 名前:書けませんよ。。。:停止

真・スレッドストッパー。。。( ̄ー ̄)ニヤリッ

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