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2005 学習心理学講義(-特論)

1 名前:有元典文@管理者 ★:2005/04/12 12:03 ID:???

講義録、質問、コメント等こちらに。

2 名前:M1 平岡なぎさ:2005/04/12 21:34 ID:SLYLzeyA

M1の平岡なぎさです。
今日は初授業お疲れ様でした。
色々な方々がいらっしゃって、これからどんな授業になるのか
とても楽しみです。

さて、最初の連絡ですが、本講義のテキストとなる
『仕事の中での学習―状況論的アプローチ』
 上野直樹 著  東京大学出版会
を生協で一括注文したいと思います。
今週の金曜日に発注したいと考えていますので、
今日の講義に参加された方の中で購入されない方がいらしゃいましたら、
木曜日までに必ずこの掲示板にその旨をご記入下さい。
お手数ですがよろしくお願いいたします。
周作さんについては了承済みです(^ー^)

133.34.73.109 , psy15.edhs.ynu.ac.jp ,


3 名前:武捨英理子:2005/04/12 22:39 ID:???

第1回講義録 4月12日(火)6限
学習心理学講義に向けて
・個々人へのアンケート:「私が考える学習とは?」→共通項目について検討
・エポケイ:自然的態度を一旦停止する事
学習の一般的定義:「比較的安定した行動の変容・個人の変容」とされている
はたして、学習とは自分が変わることなのか?変化したのは個人ではないのでは?
古くからいる人間が教えて、新人が学ぶという光景
→これは新人のみが変化するだけではないはず…
「学習」をエポケイしてみよう
・メンバー自己紹介
各々の興味分野、体験談、経歴などについて紹介
・今後の予定について
参考文献の紹介
1)「仕事の中での学習・状況論的アプローチ」上野直樹著 東京大学出版会
2)「状況に埋めこまれた学習」ジーンレイヴ、エティエンヌ・ウェンガー著
上記文献を輪読するにあたって
@担当制にし、一章ずつわりあてた上で担当者がレジュメを配布
A期間を決めて各々がすべて読み込んでから、皆でディスカッション
の2案が提示された。
今年度の予定として1)の文献を前期講義期間中の前半に@の方法で進めていく予定。
次週は有元先生がレクチャーして下さる。

以上です。何か不足点や訂正がありましたらご指摘頂きたいと思います。

172.205.57.109 , ACCD396D.ipt.aol.com ,


4 名前:のりふみ@管理者 ★:2005/04/13 13:01 ID:???

武捨さん講義録ごくろうさまです。
大辞林より、エポケー(ギリシアepoche)
[1]〔哲〕〔判断中止の意〕(1)古代ギリシアの懐疑派の主張する哲学態度。現象に対して一切の断定を留保し、そのまま受け止めること。
(2)フッサールの現象学の方法。純粋な事象そのものへ至るために、日常的・自然的態度を差し控えること。

5 名前:のりふみ@管理者 ★:2005/04/13 13:03 ID:???

心理学事典より、学習
個体発生過程において,経験により比較的永続的な行動変化がもたらされること,およびそれをもたらす操作,そしてその過程。「経験により」とするのはむしろ遺伝の制約を受ける「成熟」と区別するためであり,「比較的永続的な」とするのは一時的な疲労や酔い,動機づけによる変容(たとえば,満腹と空腹)と区別するためである。

6 名前:佐藤幸江:2005/04/16 08:18 ID:???

初めまして!さとうゆきえ(学校教育臨床分野M2)です。
前回欠席だったのですが、シラバスを見て、ぜひ受講してみたいと思っております。
ただ、有元先生の研究室の扉のイラストや貼ってあったレポートを見て、先生の講義
は、若者(?)が多いのかなあと、多少気遅れをしております。(^^)
現在、小学校で6年生を担任。どうぞ、よろしくお願いいたします。
222.150.70.218 , i222-150-70-218.s04.a014.ap.plala.or.jp ,


7 名前:佐藤幸江:2005/04/16 08:29 ID:???

前回、先生の講義と他のみなさんの自己紹介が聞けなかったことが、残念です。
2つ、教えてください。
○学習(心理学的には、動機づけの変容は学習とは言わない!?)とエポケーの
意味は分かりました。では、「学習をエポケーする」とは、どういうことなの
ですか?
○もう、発表分担はされたのですか?
よろしくお願いいたします。
222.150.70.218 , i222-150-70-218.s04.a014.ap.plala.or.jp ,


8 名前:平岡なぎさ:2005/04/16 12:14 ID:H+bg5Uyk

昨日、教科書を注文してきました。
18冊の一括注文なので、少々時間がかかるかもしれないとのことでした。
入荷しましたら、またこの掲示板に書き込みますので、よろしくお願いします☆
133.34.73.109 , psy15.edhs.ynu.ac.jp ,


9 名前:のりふみ(有元)@管理者 ★:2005/04/18 10:06 ID:???

>>8 なぎささんありがとう。

>>7 「学習をエポケーする」=学習に関するわれわれの素朴な思いなしを疑うことです。
個人の脳内の変化である、とか、熟練者が教え初心者が学ぶとか、…etc。
etcになってないですね。講義全体を通して伝えたい事柄です。発表分担表に
加わってください。詳しくは次回講義で。

10 名前:鷲田千夏:2005/04/18 21:22 ID:OXLbLzTY

はじめまして、こんばんは学校教育臨床分野M2ワシダチナツと申します
私も前回欠席しましたが、シラバスを読み可能ならば受講させて頂きたいと思いました
本学附属中に勤務しており、中1の担任をしています

210.136.161.13 , proxy163.docomo.ne.jp ,


11 名前:のりふみ@管理者 ★:2005/04/19 11:54 ID:???

>>10 鷲田さん、どうぞ。

12 名前:吉川 亮:2005/04/20 13:58 ID:???

2005/4/19講義録です。簡単なものですみません。

・生物は学習する、学習によって上達する存在であるという前提。
・生物そして人間には、自信の動きをコントロールする何か(動機、意志など)を持っている、という前提。
・心理学はそういった素朴な人間観に前提にしているのではないか。
・そういったものを一度エポケーしてみよう。
・ベル・ランカスター方式に代表される近代学校は、素朴心理学に立脚して、「記憶」を重視している。
・つまりポータブルな知識を伝達することを目的に学校があり、それを説明するために心理学がある、ということだ。
・学校以外の場面での心のありようを研究する学習心理学を構想したい。
・無意味つづりの記憶の実験やx桁の数字の記憶の実験からわかるように、人間の記憶の保持時間は短く、容量は小さい。
・だから人間は脳の外に記録することに努めてきたののではないか。
・にもかかわらず、学校は記憶に頼るということを強いてきた。
・心理学における社会文化アプローチとか状況論的アプローチとか、また文化心理学と呼ばれるものがある。
・この考え方は、@心を個体の中にあるものとは見ない。
        A社会の中でふるまう心のあり方を見る。
・この考えをもとに教育現場に提言をしていきたい。

以上が講義のエッセンス?です。
無意味つづりの記憶の実験、x桁数字の記憶の実験をみんなでやりました。


今後の予定
 上野直樹「仕事の中の学習」をテキストに発表
4/26   序章 瀧澤さんの班
5/10・17 1章 心理M1@班
5/24・31 2章 心理M1A班
6/7・14  3章 佐藤さんの班
6/21・28 4章 佐々木さんの班
7/5・12  5章 執行さんの班
7/19   別課題平林さんの班
以上です。

何か不足の店ありましたら、ご指摘ください。
講義を聴いての感想:「状況論的アプローチ」って「唯物論」?
133.34.73.131 , edu01.edhs.ynu.ac.jp ,


13 名前:のりふみ@管理者 ★:2005/04/20 15:50 ID:???

吉川さん、詳細にごくろうさま。
マルクスを源流にもつので唯物論でしょうね。
心理学は観念論ってこと?でも、精神や意識を脳というハードウェアに
還元してるから唯物論?どう思います?>吉川さん、All

14 名前:平岡なぎさ:2005/04/21 16:52 ID:lp0MIFl+

☆☆教科書が届きました☆☆

生協の本を注文するカウンターに届いていますので、
各自で取りに行ってください。
その際、「有元先生の講義の教科書」と店員さんに伝えてください。
価格は割引されて¥2,551です。
よろしくお願いします。
133.34.73.109 , psy15.edhs.ynu.ac.jp ,


15 名前:M1 平石聡子:2005/04/21 21:54 ID:lp0MIFl+

☆19日に新たに本の購入を希望された方へ★

本日生協の方に追加注文しました。
一週間ほどで届く予定とのことです。
追加の場合も上記と同様、一週間後に各自で生協のカウンターに
取りに行ってください。
よろしくお願い致します。

133.34.73.109 , psy15.edhs.ynu.ac.jp ,


16 名前:たき:2005/04/26 22:19 ID:pczvwXwM

「仕事の中での学習」序章についてみんなであれこれ言いあう会

・機能システムとして人を見てみよう。
・実在の認識が人によって違うが、人には共通の定式化があるから成り立つ。
 物理の話、ニュートンの話、子どもを教師としてみるとき、など。

○感想
新しい見方がまだ理解できない(自分だけ?)。
新しい見方をすることでしか得られない利点は何か?
133.34.73.111 , psy17.edhs.ynu.ac.jp ,


17 名前:のりふみ(有元)@管理者 ★:2005/04/27 10:19 ID:???


講義録ありがとう。

> 新しい見方をすることでしか得られない利点は何か?

1. 現実の再デザイン

現実がいかに成立しているかが描ければ、あたらしい現実をデザインする※契機になります。
「現実工学」のような構想が可能でしょう。
逆に現実がひとびとの「局所的な相互行為で達成されて」いることが描けなければ、
いつまでも永続的に現実は揺るぎなく固定的にそうした現実のまま。
※簡単な例では「ユニバーサルデザイン」と「ハンディキャップ」

2. アームチェア・パンクやアームチェア・アナーキスト

意味や価値を壊すのは若者のたのしみでしょう!?
簡単にいすに座ったまま現実が解体できるのはおもしろい。

18 名前:女ホリエモン:2005/05/03 21:52 ID:???

有元先生、
個人的な事で恐縮ですが、10日の講義欠席させて頂きます。
お手伝いをしている事例検討会の今年度初日とぶつかってしまいました。
”想定内”でしたが、「行くべきか?行かざるべきか?」ぐずぐず悩んで
おりました。だって、解らないながらも面白くなってきたところで、
欠席はつらい。17日は出席します。皆さん、置いてかないで〜、教えてねぇ。

210.20.186.218 , 210-20-186-218.rev.home.ne.jp ,


19 名前:のりふみ@管理者 ★:2005/05/04 05:06 ID:???

>>18 お、欠席通知なら普通メイルじゃね?さすがほりえもん、社会常識無いな(^_^;)
そんなことより内容へのコメントを投稿してよ。てかそもそも女ホリエモンって誰だよ…。

20 名前:女ホリエモン:2005/05/05 23:46 ID:???

有元先生、
こんばんは!非常識なM1堀です。無駄に齢を重ねています。恥ずかしい。
ごめんなさい。メールの送信を何度も試みたのですが、どうしても送れない
のです。
さて、すべてを関係論で捉える、というのは、コミュニティー心理学に通じ
ますか?10日の講義欠席は本当に残念です。
210.20.186.218 , 210-20-186-218.rev.home.ne.jp ,


21 名前:のりふみ(有元)@管理者 ★:2005/05/06 17:44 ID:???


>>20
> すべてを関係論で捉える、というのは、コミュニティー心理学に通じますか?

コミュニティ心理学は不勉強です。すいません。
「社会システムと個人の行動との両者を結びつける心理過程全般についての研究」を
しているとすると、「社会システム」や「個人」、「心理過程」が所与ってことでしょうか?
所与な実在を想定すると関係論的ではないかも。ここ分かんなかったら、また聞いてください。
いっぽう地域精神衛生のとりくみなどで、精神病の呼称変更したり、積極的に地域に
とけ込ます実践をすることは、「こわい」「きもちわるい」ヤマイの意味や価値を組み替えるので、
おおづかみには関係論的といえるのかも。コミュニティ心理学にお詳しいなら解説してください。

22 名前::2005/05/06 18:05 ID:TO8dW/4s

千です。前回の授業に関する理解、考えを書いて見ます。
まず、実在に関して〜
物質は意識によって反映でき、その反映でできたのが表象である。
物質は意識によって変化しない実在である。これは私が高校の時勉強した
唯物論の内容です。こうなると、確かに認知科学では変化しない頭の中での
システムを仮定し、外から記述しようとしたため、認知システムは実在であると
言えます。それに、状況的な立場から見る機能システムは、
外からの記述はできない、記述がシステムの一部分になってるという立場にたっています。
本では物質と意識の二元論に疑問を提出しているが、私はこう理解します。
物質があるかどうかは重要な問題点じゃないと思います。
われわれが立てあげた世界はつねに意識を経過した表象の世界なのであるからです。
なので記述できる機能システムもつねに意識を経過した表象なのではないかと。この表象は
記述(意識)される同時にその記述(意識)は表象に影響するなのではと。なので
実在とは言えないのではと思いました。
次は、私の疑問を書いて見ます。
機能システムは、人々、道具などを含み、人々は中からこのシステムを記述し、その
記述はまだ、システムの一部分になっていると言います。従来の個人だけを
研究対象としたとは大きく異なっています。では、この流動的なシステムで
個人また、個人の脳は何してる?という問題を考えたいです。
本で紹介してるバーテンダの例で以下のような疑問を持ちました。
熟練したバーテンダは、実物に基づいた記憶方略を用い、一方非熟練した人は言語的な
言語的な記憶方略を用いると言います。この例は、確かに機能システムは個人を
越えた広がりを持っているのを説明しています。だが、これで、熟練者の脳が非熟練者より
変化していないとか、脳の役割を否定することは難しいと思います。否定すれば、
まさに昔の認知科学での脳の記憶理論で判断することになるのではと思います。
記憶の量で脳を判断することになるのでは。
もしかしたら、こんな新しい観点の下での脳の働きは新しい概念を導入して、解釈すべきなのではと
思います。

133.34.73.109 , psy15.edhs.ynu.ac.jp ,


23 名前:有元典文@管理者 ★:2005/05/07 05:39 ID:???

>>22 千さんの議論にのります。掲示板が活用されうれしい。

前段の実在に関する社会構成主義的説明に同意します。
後半の疑問は、「行為主体=脳」という暗黙の前提から発するもの。
詭弁に聞こえるかもしれませんが。行為主体が個人の脳であることは
もののみかたのひとつに過ぎません。バーテンの例で言い換えれば、
カクテル作りの主体がバーテン個人の脳だという前提に基づいている。
つまり千さんの問い自体が、非社会構成主義的です。いっぺんにすべて
説明しようとすると本になるのでここまで。また引き続き問うてください。

24 名前::2005/05/10 14:13 ID:42D+a2rc

 自分のわがままな考えをあそのままぶつけることができてうれしいです。これからも
納得いくまで書き込んで見ます。
 そもそも私は構成主義がすきだし、その下で生きていこうと思いました。たが、
下のような考えは構成主義に関するまだ未熟な理解から発散してきたかもしれないかなと
思いながらも書き込んで見ます。
 1.私の発散の出発点は「お互いに作りあげている」という構成主義の考えの下で
それをもうちょっと開けてみることもできるのではと思いました。例えば、
機能システムは人々、環境などでお互いに作りあげていると見ています。離れたくても
離れられない関係であると見てます。だが、私は必要あれば離れられない関係のものでも
適当な方法を用いて別別に研究することができるのではと思いました。機能システムも
人の角度からあるいは環境の角度から。まるで、人の体と心臓のように。離れたらお互いに
意味ないが、必要あればどのぐらい一体かしてる関係でも離れて見なきゃと思いました。
殺して外に取り出した心臓じゃなくて無数の血管とやり取りしてる心臓を。
機能システムを全体の流れをどのぐらい詳しく記述してもそれは構成主義の証明と関係把握に
つながるが、そのシステムの中のある人に見せたとき、あの人は「じゃ、私は」と言うでしょう。
私は個人から出発するのも構成主義に反していないし、もっと発展させられるのではと思いました。
こうした上での構成主義は本当に「ある角度から見るとそんな風にもなるんだよ」と
言えると思います。ある角度から出発した論調を同意しながらもその角度にかかわる
論点にそれに関する議論はある理論の上の大理論としては非完成な理論だと思います。
例は認知系の記述とか。
2.そして、私が脳を取り上げた原因は、機能システムでの個人の体の動きに直接関わるのが
脳ではという考えて脳の役割を考えたいなと思いました。だぶん、脳は想像以下役割少ないかもとも
思います。
以上、千の妄想論です。
133.34.210.23 , pxysrvky01.ipcn.ynu.ac.jp ,


25 名前:ありもと@管理者 ★:2005/05/10 15:45 ID:???

>>24 千さんと往復書簡が続いてますね。私の理解の整理になりありがたい。理解は対話の中にある。

1.の「ある角度から出発した論調を同意しながらもその角度にかかわる
論点にそれに関する議論はある理論の上の大理論としては非完成な理論
だと思います。」に関して。
普遍性を尊ぶ自然科学ではそうです(杉万俊夫「社会構成主義と心理学」参照
http://www.users.kudpc.kyoto-u.ac.jp/~c54175/research/theoretical_study/T-012.htm)
しかし特定の誰かが誰かの為に行う人間科学としては、この「未完成さ」は逆に
重要です。「誰の為に誰が?」という問いを常に招くから。
★例:学習研究が明らかにしてきた認知系の記述とは何であったか。
「教育研究者」が「学校」の為に行ってきた研究の結果ではないのか。
教員の教えやすさの為に行ってきた研究の結果ではないのか。

2.については、従って脳の役割についての記述は、誰が誰のために何故行った研究か、
ということとの反映だと思います。この件、講義の中で取り上げてみましょう。
つまり社会構成主義のおさらいをしてみたい。

26 名前:たき:2005/05/10 20:32 ID:nfagNnno

>>25のリンク、カッコまでURLに含まれていて、
「ページがありません」になります。
カッコ消したら見ることが出来ますね。

http://www.users.kudpc.kyoto-u.ac.jp/~c54175/research/theoretical_study/T-012.htm

ぐっときた箇所
『心理学は、ミクロ社会学(人間科学)とマクロ生理学(自然科学)に
二極分解していくだろう(もう、そうなりつつある)。』

この部分に関しては、僕も理解できました。
この考え方ならば、「社会構成主義もひとつの立場にすぎない」と僕は解釈します。
「いろんな考え方でそれぞれがいろんな研究をしているね」というハッピーエンド?
133.34.73.152 , insei02.edhs.ynu.ac.jp ,


27 名前:ありもと@管理者 ★:2005/05/11 19:33 ID:???

>>26
「マクロ生理学」っていうのは悪口か嫌みだと思うんだけど…。
生理学の人間から見たら「行為」のたぐいは大づかみすぎで主観的で非科学的だと。
「ミクロ社会学」はエスノメソドロジーのことでしょう。これは人間行動の記述として
十分成果を挙げている。もはや実証主義的科学を標榜してきた心理学は
「看板」として程度の意味しかない、という死亡宣告に読みました(^_^;)
ハッピーエンドじゃなくてデッドエンド(どんづまり)だと…。どうすか?

28 名前:ひらばやし:2005/05/11 19:37 ID:pqVycYho

昨日の授業で議論にあげられていました“explain”と“account”について
今日、ネイティブ(米国人)に確認いたしましたので、情報共有させてください。

どちらも同じように「説明する」という意味ですが、
 explain・・・一般的な説明。例えば、辞書にあるような説明。定義のようなもの。
 account・・・個人的な視点が入った説明。explainよりも強い意味合いで使われる。
        執行さんの仰っていたように、accountした人物には、その内容の「説明責任」があると考えられる。
という違いがあるようです。

ご参考まで。 
210.160.34.138 , 210-160-034-138.jp.fiberbit.net ,


29 名前:たきざわ:2005/05/12 00:29 ID:7rmMAdKc

>>28 ひらばやしさん、わかりやすいです。
こういう言葉の理解、そして情報共有、大事ですよね。

>>27 死亡宣告・・・キャーッ!!
でも、何度読んでも両者が対立しているように読み取れないんですけど…。

>生理学の人間から見たら「行為」のたぐいは大づかみすぎで主観的で非科学的だと。
だったら、「マクロ生理学」の人間から見たら「ミクロ社会学」は
大づかみすぎで主観的で・・・となりますyo。

第3節の3.まで読み味わいました。杉万先生の考え方に同意できる部分もあります。
ただ、今のところ論理実証主義を完全に否定するような決定打が読み取れません。
133.34.73.111 , psy17.edhs.ynu.ac.jp ,


30 名前:たきざわ:2005/05/12 01:47 ID:7rmMAdKc

気合で杉万先生のページ、読破しました!
最後の統計のところ、すごく参考になりました。自戒します。

その他の部分でも、僕は従来の自分の立場(論理実証主義)のまま、
杉万先生の批判を受け取ることができるように思いました。
これは、「論理実証主義との違いを示しきれていない」、
もしくは、「論理実証主義を否定しきれていない」からではないでしょうか?

この部分がキーポイントのように思います↓
>人間をめぐる現象の理解には、自然科学と人間科学の両方が必要となる。
>問題は、人間科学の立場で考究されるべきことが、
>自然科学の立場で考究されるところにある。
>従来の心理学は、そのような例にことかかない。
この「そのような例」をぜひ知りたい。
「そのような例」は、本当に社会構成主義でしかクリアできないのでしょうか?

有元先生に、それから受講生の皆さんに本気でぶつかっている気分。
133.34.73.111 , psy17.edhs.ynu.ac.jp ,


31 名前:ありもと@管理者 ★:2005/05/12 08:03 ID:???

たっきーも千さんもガンバりますね。こりゃやりがいがあります。
俺の説得、脅迫、泣き落としに決して屈することなく自説を貫いてください。

>>30 みなさんにも是非読んで共有してもらいたいよね、杉万論文>たっきー?
再掲します。http://www.users.kudpc.kyoto-u.ac.jp/~c54175/research/theoretical_study/T-012.htm

> この「そのような例」をぜひ知りたい。

例を出すので議論してください。
有名なアトキンソンとシフリン(1968)の「記憶の二重貯蔵モデル」(短期/長期記憶を想定)。
これは「人間科学の立場で考究されるべきことが、自然科学の立場で考究され」ている例だと思います※1。
なぜなら「記憶」は脳の機能ではなく、人間の社会的(生態学的)な活動である(と私が信じ込んでいるからです)。彼らの実証の根拠は「自由再生における系列位置曲線の分析」という実験手法から得ています。
また二重貯蔵モデルにきれいに対応した大脳生理学的知見はないはずです※2。

※1 あっ!しかし人間科学と自然科学のどちらで考究される「べき」か、誰に定めることが出来るのか。
嗚呼、たっきー議論ありがとう。非常に重要なことに気付きました。

※2 霊長研「脳の世界」 http://www.pri.kyoto-u.ac.jp/brain/brain/
理化学研BSI http://www.brain.riken.go.jp/

32 名前:ありもと@管理者 ★:2005/05/12 08:09 ID:???

アリゼミ3年ゼミ(水3限)で上述の杉万論文の精読を始めました。興味のある方遠慮無くご参加ください。

33 名前:たきざわ:2005/05/12 16:03 ID:8e3K2816

>>31 杉万論文、おもしろいです。読んだら幸せになれます。

○※1について「どちらで研究されるべきか?誰に定めることが出来るのか?」

むむっ。重要なことですね、かなり!!
僕は「どちらでも研究されるべきだし、どちらで研究されるべきなのかは
研究の受益者にとって有益かで決まる」と思っています。
つまり、大事なことは「本当に求められているのか、
求めている人にどう還元できるのか?」ではないか!と。

ここで自分の研究を振り返ってみると…
誰かがそれを求めているように僕が勝手に思って研究していた気がします。
自戒せねば。求められているかどうか探求せねば。

○アトキンソンとシフリンの例
彼らの研究も、当時の人間からすると有益だったはずです。
「リハーサルすればしっかり覚えられるようになるんだね!」とか。
「リハーサルしないと長い時間覚えておくことはできないのね。」とか。
彼らの知見は短時間で大量に暗記を要求される場面で生かされてたのでは?

有元先生が僕と同じ立場に立って議論してくださっていることに感動。
133.34.73.141 , gkr05.edhs.ynu.ac.jp ,


34 名前:中野智之:2005/05/13 22:15 ID:3J/iXEPU

○5/10の議事録○
遅くなって申し訳ありません。
まず、掲示板上で中途半端になっていた議論の続きをしました。
吉川さん・・・唯物論と観念論
瀧澤さん・・・前回の授業での新しい見方の再確認
千さん・・・実在と社会構成主義について

そして、第一章「プランと状況的行為」についてを議論しました。
今回は、1「プランの位置づけに関する議論の背景」すら終わらず。。
終始、プランとリソースについての議論が展開されました。
さまざまな意見や例が出たのですが、最終的には、
プランは手順書であり、リソースは参照物であるということが、
みなさんの共通認識となったのではないかなと思いますが、どうでしょうか?
正直、あまりに色々な意見や例が出たので、その意見や例が何についてのものなのか、
個人的にわからなくなる場面もありました。
今回は、前回以上に耳からケムリが出ました。。

次回は、もう一度本を読み直し、自分がわかっていない部分をはっきりさせてきたいと思います。

133.34.73.97 , psy03.edhs.ynu.ac.jp ,


35 名前:のりふみ(有元)@管理者 ★:2005/05/14 06:56 ID:???

>>33

> 研究の受益者にとって有益かで決まる

誰か「受益者」か誰が決めますか?「有益」かは誰の目から明らかですか。お答えいただきたい。
講義で取り上げたアフロアメリカンのIQが低いとする研究は、差別の根拠として有益でしたよ。

> 彼らの研究も、当時の人間からすると有益だったはずです。

当時の人間に有益? 人類全体への貢献ですか? 普遍性に走るのは論理実証主義的自然科学の悪い癖だと思います。
これについてもご返答いただきたい。

> 「リハーサルすればしっかり覚えられるようになるんだね!」とか。

このことは↑、心理学を習う前から、子どもの時から分かってましたけど…。
また落語の与太郎は、大家さんの言いつけの買い物をリハーサルしながら歩くうちに
記憶が変容するのが笑いどころです。江戸時代にも分かってました。

36 名前:のりふみ(有元)@管理者 ★:2005/05/14 06:58 ID:???

>>34 中野さんありがとう。ねぇ、どこで耳から煙が出たのか、書いてもらいたいです。
是非とも。きみやみんなの勉強になるだけでなく、俺の勉強にもなります。
耳から煙が出たところを書いてみてください。

37 名前:たき:2005/05/14 22:43 ID:PagXQrww

>>35
> 誰か「受益者」か誰が決めますか?「有益」かは誰の目から明らかですか。
受益者は研究対象者かな・・・でも「有益」かは・・・。
 −本当に害はないのか?そして有益なのか?−
その全てを予め知っている人物はどこにもいないですね。
結局、有益かどうか、そして誰が受益者になるかということさえ、
後に明らかにされるしかないと今は思います。

> 当時の人間に有益? 人類全体への貢献ですか?
>>33では、「短時間で大量に暗記を要求される場面がある人」です。

> このことは↑、心理学を習う前から、子どもの時から分かってましたけど…。
確かに。でも、同じ記憶材料の中で短期記憶と考えられる部分、
長期記憶と考えられる部分を想定し、発表した人は彼等が初なはず。

なんか近づいてきた印象があります。もっと責めてください!
133.34.73.111 , psy17.edhs.ynu.ac.jp ,


38 名前:中野智之&平石聡子:2005/05/15 21:46 ID:ywGY9Y6k

>>36
>耳から煙が出たところを書いてみてください。
その原因を正直に書いてみます。
全体として、一つの話題に対する議論の時間が長いため、
話の論点が徐々に見えなくなり、何の話をしていたのか分からなくなるときがあります。
なので、一つの話題が一段落したら、それまでの議論をまとめる時間を設けていただきたいです。
そうすることで、自分自身の整理がつきますし、
みなさんと共通の理解を得ることができると思います。

上記のように、議論の中身が次第にわからなくため、
自分が具体的に何がわかっていないのかわかりません。。

理解力がないと言われればそれまでなのですが、
私たち(M1の一部)にとっては新しい視点(もしかしたら今までにもそのような見方をするときが
あったかもしれないけど、具体的に文章で読んだりするのは初めて)なので、
1つのことを理解するにも相当の時間がかかってしまっているのが事実です。
133.34.73.109 , psy15.edhs.ynu.ac.jp ,


39 名前:有元典文@管理者 ★:2005/05/17 11:21 ID:???

>>38 了解。整理する時間をとりましょう。しかし俺が整理しても
皆さんの理解にはならない。皆さんが整理してみて。疑問点はその場で
どんどん聞いてみて。やりとりしましょう。
結局、自分で腑に落ちる以外理解は得られない。俺にはどうやれば腑に落ちるかは
わからない。分かったら文部大臣になってる(^_^;)
パラダイムが違うのでわかりにくい。パラダイムの違いは頭で乗り越えがたい。
それは、新パラダイムのひとがどう語りどう振る舞うかをヒントに、身体で知ること。
だから俺には教え方が分からない。丁寧に説明しても、俺が丁寧だと思っているだけ。
「教授」という強い方略が使えないときに効果的な弱い方略は、千さんやたっきーの
ように「対話」しまくること。千さんとたっきーは新パラダイムを共感的/批判的に
わかり始めていると思う。理解力じゃなく対話があるからこそでは。
あと杉万論文は役立ちます。ひとつのことは複数の異なる記述で読んだ方がわかりやすい(ことがある)。

40 名前:有元典文@管理者 ★:2005/05/17 11:37 ID:???

>>37
> なんか近づいてきた印象があります。もっと責めてください!

いや、もうたっきーは理解したよ。

○自然科学は、意味や価値を中立的に記述する(-出来ると信仰している)。
○社会構成主義は、意味や価値を社会構成的に記述する(-したほうがフェアだと信仰している)。

「どんな手段で、どんな実践の中で、どんな共同体の、誰から見た、誰にとっての、「現実」なの?」
現実は揺るぎない、というパラダイムを超えれば、上の問いが了解できるわけです。
こっちに来いよ!

41 名前:たき:2005/05/17 15:06 ID:k8daBF+I

どちらもひとつの信仰に過ぎない・・・僕もそう思いました。
ただ、自分ではしっかり理解できている感覚がないです。
また腑に落ちない面があったら、質問させてくださいm(_ _)m

> こっちに来いよ!
あぁ甘いお誘い・・・うれしいっす
社会構成主義の実践的なところ、大事ですよね。
しかも、論理実証主義研究に比べて害が少ないかも!?と勝手に思います。
(僕が知っている研究例が少ないからかもしれませんが。)

しかし、今は自分がやってきたこと・出来ることをやりたいです(太)!
でも佐伯先生の本は読んで考えたい。わがままな自分。
133.34.73.152 , insei02.edhs.ynu.ac.jp ,


42 名前::2005/05/18 22:16 ID:OJielFmc

千です。わがままな論調も書き込みを認めてぐたさる先生がすきです。
先生がすきなので好きな人の理解を得られるのを目標としてる千です。
先生の話のようにー理解は対話の中に。
杉万先生の文章の感想を書いて見ます。
最初の何回目は頭が整理されてそういうことかという気持ちでした。だが、
まだ問題発生です。
本では自然科学は論理実証主義をメタ理論として発展して
来たと言います。万人によって妥当な事実を求めて発展してきたと言います。
研究方法では一次モードと二次モードの交替の中で行っているのは自然科学も
人文科学も似ているが、根本的な区別は自然科学はある事実に接近していると
するが、人文科学は新たな実践に入れるるとすると言います。
だが、自然科学の発展は実践無視?なぜ、だんだん研究と伴って万人によって
妥当な事実に接近しようとするの?と考えました。それはまさに実践のためなのでは。
空を飛ぶ鳥を神様の力で飛べると解釈する時、それに伴って可能になっている世界が
広がるし、それを空気の流動で産生される上昇力で飛べると解釈する時に、人類が
実践可能な世界はまだ違います。自然科学がこれでもっと事実に接近したねって言う
後ろにはまさにそれで新たな実践可能な世界があるからのではと思いました。
自然科学も人文科学もある意味で構成されているとみても、そんなに、研究の意志を
失うとかということはないのではと思いました。新しい解釈を求めて、それはそこで
もっと素晴らしい実践可能な世界が待っていると信じるのは両方ともなのでは。
本では自然科学者は研究者と研究対象を線を引いて影響しないようにして研究すると
言いますが、つねにその影響を念頭において研究するのでは。
相手の速度を測りたいのにつねに観察者の速度を念頭にすることと、
相手を研究したいのにつねに観察者を念頭におくのは研究思想の立場では通じるのでは
と思います。
222.158.252.247 , fntkngw007007.kngw.fnt.ftth2.ppp.infoweb.ne.jp ,


43 名前:たき:2005/05/19 13:32 ID:NW1P+9bs

>>42 千さんに賛同します。それから、空を飛ぶ鳥の例がロマンチックです。

−この掲示板を読んでいる人へ−
先生がこんなに真剣に議論してくれる場は他にないと思います。
ちょっとでも興味をもったら書き込んだらいいですよ。理解が深まりますよ。
あと、吉川さんのdeepな質問も聞いてみたい。
133.34.73.111 , psy17.edhs.ynu.ac.jp ,


44 名前:のりふみ@管理者 ★:2005/05/19 17:18 ID:???

>>42
千さん、あなたは最高に頭が良い。感服しました。まいった。
飛行機の例はシビれました。あなたは説得の神様だ。
科学の「ロマン主義」だと思いました。それは科学する人の動機としてとても正しい。
おかげさまでこの議論の行く末が少し見えてきました。まとめてみます。
自然科学は普遍性・一般性を主張する。
一方、社会構成主義は実践性を主張する。
そこへ、千さんは自然科学も実践だと主張する。だって人間は科学のおかげで空が飛べた。
まったく同意。
すると、実践には「価値」がつきまとう。研究の知見は価値中立的ではあり得ない。
良い実践、悪い実践という問題。
おしえこみ教育の基礎となる短期記憶研究は?原子爆弾の基礎となる核融合研究は?
クローン人間の基礎となるクローニング研究は?
研究の知見は価値中立的でしょうか。

こうなると研究の「価値」を問うことになる。
ではそれは誰にとっての。万人に共通の価値など無いのだから。
万人を利すると思われがちな医療にしても、拒否する理屈や権利はある
(例:植物状態になったときの安楽死、抗ガン剤治療の拒否等)。
こうした価値の問題は、研究者の素朴な視界と想定を越えている。
それは広く社会・歴史に問うべきこと。つまり研究するとは
社会の議論に投げ込まれるということだと思い至りました。
あたりまえですかね。いや、社会構成主義という毒が投げ込まれたから、
このことが分かってきたのではないですか。

45 名前:たき:2005/05/19 19:52 ID:NW1P+9bs

うんうん。この流れはハッピーエンドなんですかねぇ。
ところで、この掲示板を最初から読んで新たな疑問が。

僕は議論の中で「社会に投げ込まれるまで研究の害益はわからない」
と思ってましたけど、研究者の考えとしてそれは望ましいのでしょうか?
>>44の核融合研究、クローニング研究、短期記憶研究のように、
研究者がどれだけ無自覚でも社会の実践が変容される研究はある。
だからこそ、研究者は自分の研究によってもたらされる利益だけではなく、
害悪についても事前に周到すぎるほど予測することが必要なのでは?

つまり、研究の「価値」、「影響」を自覚することが肝要なのではないかと。
んっ、あぁ、でもこれは当たり前だ。
でも、研究の「価値」に対してどう迫っていけばいいのか、そこが問題ですね。
133.34.73.111 , psy17.edhs.ynu.ac.jp ,


46 名前:吉川 亮:2005/05/20 10:28 ID:???

タッキーからの要望なので、少し書きましょうか。Deepじゃないけど。
まずは、状況論的アプローチのわかりにくさについて。
こんなモデルを考えてみてはどうですか?
行動主義は糸で動かすあやつり人形のモデル。
それに対して状況論は、台の上においた人形を台を動かすモデル。
状況論は、台の上の人形(人間)が、
環境をリソースにどう動くか観察する。

もう1つ書きたいことがあるのですが、それはまたあとで。

133.34.73.131 , edu01.edhs.ynu.ac.jp ,


47 名前:吉川 亮:2005/05/20 10:45 ID:???

もう1つきになっていること。
それは、自己の物語にこだわりすぎると、
先に進めなくなる感じがするということです。

フーコーがどこかで、自己の確立が近代的支配関係の成立する基盤になる、
みたいなことをいっている。
つまり、自己を強く意識してしまうと、
近代的な思考様式の枠にとらわれてしまうということです。
学生の頃柄谷行人の本を読んで知ったことなのですが、
近代的な思考様式(これも社会的構成物なのですが)は一度成立すると、
その起源が覆い隠され、自明なものとして見えなくなってしまうのです。

もちろん、授業のときにいったように、他人に自己意識がある、意思があると
考えないと、われわれのコミュニケーションは成立しない。
(有元先生流にいえば、認知的実在を想定せざるをえない)
そして私流のとらえかたでいえば、このコミュニケーションこそが、われわれの間に
社会的構成物である思考様式(記号解釈のコードともいえます)をつくっているのでは
ないか。
つまり、社会的構成物とはコミュニケーションの堆積物であり、
コミュニケーションによってできたパス(経路)の残滓ではないか。
つまり、メディアだということです。
話が例によって、宇宙のかなたに開いてしまいました。
どう収拾したらわからないので、ひとまずおしまい。
千さん、どうですかね。


133.34.73.131 , edu01.edhs.ynu.ac.jp ,


48 名前:あぼーん:あぼーん

あぼーん

49 名前:中野智之:2005/05/20 17:04 ID:E/S1cg8c

○5/17の講義録○
まずは,前回のおさらいをしました.
その中で,有元先生が提示された「起承転結」の例がわかりやすかったと思います.
起承転結は,頭の中で考えていても,それを紙に書いて壁に貼っていても同じ.
つまり,リソースであるということでした.

その後,行為は即興的であるという考えを基本に,いくつかの例を見ていきました.
わかりやすい例が挙げてあるところは,ささっと読み飛ばすように進みました.

その後,「新宿に行く」などのようにゴールはあるのか?という質問がありました.
そこから,意図はあるのか?という話になり,
患者に対して,なぜ自分が治療を受けようとするのかという意図を聞いてみた武捨さんのお話や,
臨床場面では意図があるのかということを臨床コースの方に聞いてみたりしました.

今回もあまり進まなかったのですが,前回よりも授業の流れがわかりやすかったように思います.
次回からも,流れがわかりやすくなるように進めていきたいです.

以上で講義録は終わりです.

しかし,ゴールがあるのかどうか,自分自身がとても気になったので,
授業後に有元先生や他の方とそれについて話しました.
結論から言うと,ゴールはある.
ただ,それは社会的に切り取られたものであるということでした.
つまり,例えば「新宿に行く」というゴールは,他者に自分の行為を説明するために,
新宿に行っても続くであろう自分の行為を,ある部分で切り取ったものだということだと僕は理解しました.
先生,いかがでしょうか?

133.34.73.110 , psy16.edhs.ynu.ac.jp ,


50 名前:のりふみ(有元)@管理者 ★:2005/05/22 20:52 ID:???

>>45
> でも、研究の「価値」に対してどう迫っていけばいいのか、そこが問題ですね。

できあがってきた「現実」に社会構成主義の毒を注いでみる?
携帯電話によって維持される「連絡しやすさ」が、子どもの悪への
「アクセスのしやすさ」を創発していることや、100マス計算が
「計算力」をあげることが、機械的計算力の希求につながったりとか。

>>47
> コミュニケーションによってできたパス(経路)の残滓ではないか。
> つまり、メディアだということです。

むう。宇宙ですな…。

51 名前:のりふみ(有元)@管理者 ★:2005/05/22 20:55 ID:???

>>49
> 結論から言うと,ゴールはある.
> ただ,それは社会的に切り取られたものであるということでした.

行為にとっての「ゴール」も、我々の行為のリソースでしょう。
起承転結が私の筆を導くように、この仕事が終わったら焼酎呑んで寝よう!、
ってなゴールを設定することで、それを参照することで、仕事の配分とか
するわけです。

52 名前:肉食:2005/05/24 00:34 ID:5zSliY7k

>>46
よしかわさん!うおお!台と糸ですかなるほど。

>>47
> つまり、社会的構成物とはコミュニケーションの堆積物であり、
> コミュニケーションによってできたパス(経路)の残滓ではないか。
> つまり、メディアだということです。
パスのざんし・・・。僕ごときにもピリリと響くお言葉です。
でもメディアだっていう捉え方はよくわからないです。

>>50
ふふふ。そうですねぇ。ふふふ。
133.34.73.152 , insei02.edhs.ynu.ac.jp ,


53 名前:たき:2005/05/24 00:35 ID:5zSliY7k

・・・。
>>52は瀧澤の書き込みです。
133.34.73.152 , insei02.edhs.ynu.ac.jp ,


54 名前:のりふみ(有元)@管理者 ★:2005/05/24 10:52 ID:???

>>52-53 あ、心理で肉食といえば唯一人に特定可能(^_^;)

55 名前:とくにゃん:2005/05/24 11:29 ID:ngJNlwdU

>>47
>つまり、社会的構成物とはコミュニケーションの堆積物であり、
>コミュニケーションによってできたパス(経路)の残滓ではないか。

軌跡。軌道、痕跡?
ていうか、そうだと思ってたけど違うんですか?
220.98.155.53 , p7053-air01hon32k.tokyo.ocn.ne.jp ,


56 名前:のりふみ(有元)@管理者 ★:2005/05/24 13:32 ID:???

>>54 残滓と痕跡って意味が違うよね。ところで、社会構築を叙述するのに
具体物(堆積物、残滓、経路)を用いる必要があるところが、社会構成主義の
困難ですね。古い言葉で新しい世界を描く困難。

57 名前:平岡なぎさ:2005/05/27 00:13 ID:HJ2j6uH+

遅くなりましたが、5月24日の講義録です。

キーワードは「説明(account)」「境界(boundary)」「定式化」「リアリティ」
↑認知科学へのアンチテーゼ

・人間は目印を残すことで現実を作っている。
e.g)作業療法におけるスプーンを用いたリハビリテーション
→患者さんが実際にどの治療段階にあるのかが
作業療法士にとって可視的になる。
☆現実は人間の活動との関係の中にある。

・「やっと手にした秩序」=現実
エソノメソドロジーでは「進行中の奇跡」とも。
社会秩序というのは人々の相互行為の努力の賜物である。

やっと第1章が終わりました(^^ゞ
時間をかけた分、皆の理解は深まったと思います。

202.239.148.14 , sbyvtr.comp.dion.ne.jp ,


58 名前:のりふみ(有元)@管理者 ★:2005/05/27 13:13 ID:???

>>57 なぎちゃん講義録ありがとう。アカウントやバウンダリーという概念を
各自の実践の中に見いだすようにすると理解が深まりますね。私はこの講義で深まりました。

59 名前:吉川 亮:2005/05/28 21:06 ID:???

禅問答みたいな書き込みで議論を混乱させてしまいました。
私は社会科の教師として、一つの認識の枠組みが理解に与える影響みたいなことが
ずっと気になっていました。
枠組みをつくらないとすっきりわからないのだけれど、
その枠組みゆえにわからないことがある。
わかるための枠組みを構築することに努力しなければならないけど、
その枠組みに反省的であることが大切。
「でもそれじゃいつまでたっても、びくびくしながら考えなければならないじゃん。」
その通りなのだけれど、こわいのは一つの枠組みにしがみつこうとして、
無理矢理見えるもの見なくしてしまうことだと思う。
枠組みはいつも微調整するつもりで外部に開いておく。
実はそれが、自分の精神衛生上にも以外にいいことに最近気づきました。
それが枠組みづくりへの意欲の源泉なのではないでしょうか。
また禅問答になっちゃいましたかね。
61.214.39.180 , p2180-ipad02hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp ,


60 名前:のりふみ(有元)@管理者 ★:2005/05/30 12:19 ID:???

>>59 枠組み壊しと枠組み作りを繰り返すのが人生ですよね。
もちろん禅問答っぽいのですが、しかし研究者にとっては
重要で日常的な作業であるべきですよね。

61 名前:たき:2005/05/30 21:32 ID:zTz/fd5+

>>59 枠を広げておくこと、大事なんですね。
僕もまだ実感できるレベルではないけど、そう思います。

133.34.73.111 , psy17.edhs.ynu.ac.jp ,


62 名前:のりふみ(有元)@管理者 ★:2005/05/31 09:51 ID:???

>>61 枠は広げるというよりも、新たにかけ直すのだと思います。
「天動説の枠」を広げても、その枠の限界で見えないものは見えない。
「地動説の枠」という新たな枠{フレーム, 視点, パラダイム,etc…}が世界を変えた。
これなら実感できるでしょう。

63 名前:有元典文@管理者 ★:2005/05/31 09:59 ID:???

    ---===#  休  講  #===---

5月31日講義、当日の連絡で本当に申し訳ありませんが、
私の都合で休講にさせてください。皆さん全員に連絡が
付くと良いのですが。一週空いてしまう分、どうぞこの
掲示板もご利用ください。疑問点コメント遠慮無くどうぞ。
みなで議論しましょう。本日はごめんなさい。

64 名前:宮本・平石:2005/06/07 22:31 ID:2RR6KWDc

☆6月7日の講義録☆

皆さんの理解がだいぶ深まってきたようなので、
授業中“ピククン”ときたところを書きます。

○ コンテキストが行為を招く
 コンテキストがどう振る舞えばよいかのリソースになり得る。
 また、その行為がコンテキストを作り上げている。
 終わることがない。つまり循環する。その循環によってコンテキストが洗練されていく。

○ インデキシカル
 エスノメソドロジーのことば。
 学校の中で、教師という立場と生徒という立場がいて、教師という立場が何か発することが質問となる。

○ リフレクシビティ
 学校にふさわしい振舞い方をし、また互いの役割を振る舞うことで学校が学校らしくなる。洗練されていく。

○ スペンサー→ルリア→上野の流れ
 スペンサー:文化によって程度の高低が存在する。スペンサーにのっとると、中央アジアの人々は三段論法もできないと評価される。
 ルリア:クロスカルチャー。経験によって知っていることには三段論法が適用できる。
 上野:知っているか知らないかの違い。no more 三段論法(みたいな)

○ ルール
 ルール全てを記述する困難さ。
 ルール違反が目立つ。
 ルールはどこに存在するのか。

以上です。
私は「ルール」について興味津々です。
木曜日の授業で、「児童はどうルールを獲得していくか」というような内容を
発表しようと思っていたので、身を乗り出して聞いていました。
来週の展開が楽しみです。(平石)
133.34.73.109 , psy15.edhs.ynu.ac.jp ,


65 名前:のりふみ@管理者 ★:2005/06/08 09:15 ID:???

>>64 講義録ごくろうさま。
WEB, 辞書から補足
○インデキシカル ここの→「見出し的表現」の項参照(になるか分かんないけど) http://www.ipc.shizuoka.ac.jp/~lckabe/trans2.htm
○スペンサー_Herbert Spencer(1820- 1903)イギリスの哲学者・社会学者。
進化論に基づいて社会の進化発展を説明、宇宙・生物・道徳・社会にわたる
総合的・有機的進歩の法則を主張した。主著「綜合哲学体系」
○ルール:ルールの在処問題はあえてほったらかしました。
この件は心理学などの人間科学を学ぶ上で重要。なぜならそうした人間の科学は
おおむね法則定立的だから。その法則、ドコにあるの?と問い続けたい。

66 名前:武捨英理子:2005/06/14 23:34 ID:2sXQBqto

6月14日(火)講義録です。
仕事の中での学習 第2章 道具とコンテキストのデザイン
【空間や道具と身体配置のデザイン】
位置の占め方と身体の向け方:相互行為を観察可能にする。対象を知覚するのは、
デザインされた環境のもとであり、そうやってデザインすることで、ある社会的
な身体配置な身体配置を相互に調整し、ある協同的な知覚のあり方を可能にしている。
例:教育現場での位置の占め方と身体の向け方
【さまざまな表現のデザイン】
さまざまなデザインが全体としてひとつのコンテキストを作る。
例:地図の種類とその活用
【海産物の冷凍冷蔵庫の仕事】
冷蔵庫における流通を組織化する活動は、様々な道具やリソースを用いて、対象
出来事・行為を一貫したものとして秩序立て、相互に理解可能なものにする実践の1つ。
その作業の当事者が行っている活動は、その活動自体を「説明可能(accountable)」に
する手続きと同じである。
【リストという認知的道具】
文章やコンピュータ・データベースを含めたさまざまなリストは、対象を脱文脈化するの
ではなく、それに新たなコンテキストを与えうるもの。相互に相互の観察を組織化するた
めのコンテキストを与えている。
例:マクドナルドのハンバーガー製造
スタッフ、客からも現在出来上がっているハンバーガー数が可視化できる。
→今、行うべき活動が共通して認識されるため、情報を収集して指示を与える工程は必要
なくなる。
【オープンな道具】
open tool:道具そのものがオープンな道具としての性格を持っているわけではない。
例にある海図の場合は皆から見える位置という全体的な空間配置に依存している。
【まとめ】
こういったコンテキストの見方などは今後、どのように活用していけるだろうか?
学級崩壊などを例に議論。批判的な見方も拡大して見直していけば、新しい知の
形態がつくれる?
この授業に参加することで、私にとっては新しい視点での物の見方を知りました。
今後の活用について、私も自分のフィールドに還元できるようにしていきたいと
思います。
以上です。何か不足点等ありましたらご指摘いただければと思います。

218.231.177.44 , 218.231.177.44.eo.eaccess.ne.jp ,


67 名前:のりふみ@管理者 ★:2005/06/15 00:11 ID:???

>>66 講義録ありがとう。フィールドへの還元を意識していきたいです。

68 名前:さとうゆきえ:2005/06/22 04:27 ID:???

6/21講義録
「第3章:コミュニティの相互的な構成」前半を学習。
発表者の鷲田さん、お疲れ様でした。

この章では「学習」とは「個人の知識や技能の習得ではなく、様々な
コンテキスト、あるいはコミュニティの相互的構成である」というこ
とが、繰り返し語られているということが確認されました。

以下、ネクタイ姿(!)の有元先生が指摘された重要ポイント

1、「学習とは個人の中に何かができあがるといったことではなく、
さまざまな相互構成の中に見て取れる何かである」の「何か」とは?
・学習not=実態 実存
 学習=実践 構成
・後者は、「指導案の作成」などを通して見えてくるもので、人に
よって見え方が違う

2、ベッカー著『アウトサイダーズ』において、自分たちを一般の
“スクエアなやつ”から区別するような言い方が頻繁に使われてい
るが・・・。
・自分たちと“スクエア”なコミュニティとの境界を組織し維持し
ていく過程は、そう言い続け感じ続けることで境界線ができる。
・その「境界」は「誰が引くのか」「それは意識的なのか、無意識
的なのか」についてちょっと論議が起こったが、私には難しくてよ
く分からなかった。(どなたか補足があれば)有元先生からのこの
本の筋から外れるという指摘で論議は中断したが、考えていくと迷
路に入りそうな課題かと感じた。

3、“状況的学習”の観点として、「道具や知識の表現や構成とい
ったテクノロジーの問題を扱っている」などの部分は、“状況的学
習”についての大事な『宣言文』
・例えば、出席簿などの記録は「教師」が扱うもので「教師が教師
である」ということを示しているとともに、その記録から「誰がど
のような理由で欠席することが多いか」ということを可視化するこ
とができる。


60.42.129.127 , i60-42-129-127.s04.a014.ap.plala.or.jp ,


69 名前:さとうゆきえ:2005/06/22 04:30 ID:???

6/21講義録
長すぎて、エラーがでました。続きです。

4、故障やトラブルは、顧客・技術者・機械の三者関係の中に立ち
現れてくる」ということを、自分の身近な関係、例えば「生徒・先
生・教師が使うテクノロジー」とイメージすれば分かりやすくなる。
・オーアーにおける「修理技術者」の書く“武勇伝的な物語”は、
そのコミュニティで利用活用されるが、ヴェンガ−における「保険
請求処理のための計算式」のような手順だけ書かれたマニュアルは
活用されない。
“武勇伝的な物語”の著名な著書に『ユカタン半島の産婆』(で間
違いないでしょうか?)がある。一読の価値あり。

5、以上。3章においては、様々な事例をあげながら、繰り返し
「状況的学習論」の観点がのべられている。次回は、後半部分。

蛇足
教室から見えた夕焼けが美しかったです。私は現場の教師で、今
現場は大変な忙しさです。そこから教室に来て、アカデミックな
場の論議になかなか入り込めないでいます。が、コミュニティに
居るだけで学習した「つもり」にならないよう、自分が「語る」
中で皆さんとコミュニティの相互構成をしていけるようにしなく
てはと感じました。                 END
60.42.129.127 , i60-42-129-127.s04.a014.ap.plala.or.jp ,


70 名前:のりふみ@管理者 ★:2005/06/22 11:51 ID:???

>>68-69 講義録ごくろうさま。本当に美しい夕日でした。
ユカタンの話は「助産の文化人類学」(ブリジット・ジョーダン)という本です。
佐藤さんもどんどん議論に混じってくださいな。現場の話とアカデミズムを
行き来するのが現職の良い学び方だと信じます。

71 名前:さとうゆきえ:2005/06/28 09:46 ID:???

本日、ゼミで発表担当のさとうです。
これからカナダのモントリオールで開催されるED-MEDIAという
情報教育系の学会で発表するために、出発します。
http://www.aace.org/conf/edmedia/default.htm

>鷲田さん
発表の方ご迷惑をかけてしまいますが、よろしくお
願いいたします。レジメがうまく伝わるといいので
すが。。。(^^;)

>有元先生
発表するのは「学校連画」という新しい図画工作科
での試みです。子どもたちが主体的に関わりながら、
自分たちのコミュニティをつくり、変化させていく
ことができるという、おもしろい試みです。
http://www.d-project.jp/2004/renga/index.html

もし、よろしかったら、ご覧になってください。

222.150.69.253 , i222-150-69-253.s04.a014.ap.plala.or.jp ,


72 名前:のりふみ(有元)@管理者 ★:2005/06/28 11:24 ID:???

>>71 学会ごくろうさまです。面白いプロジェクトですね。
みなさんも見てみてください。↑

73 名前:鷲田千夏:2005/06/29 18:58 ID:???

6/28講義録
第3章「コミュニティの相互的な構成」後半 P147〜
今回の授業のキーワードは“変化(変化可視化活動)”
であるとまとめられ、確認しました。

3.新しい技術と旧い技術の相互的構成
○旧が新に教える→一般的な考え方
・自転車の乗り方
・学校の勉強 など
○新が旧に教える
・PCの操作の仕方
・子どもから教わる(育児→“育自”)
・子どもを見る視点を若い同僚から教わる など

<旧い技術と新しい技術の並置>
ミシン(新しい)と手縫い(旧い)とでは全く違う技術
・時間的には旧い・新しい
・機械(新しい)は誰が操作しても同じものができる
・手縫い(旧い)は価値がある?!
・みんながやっていた当たり前が今は当たり前ではない

<現在としての歴史>
“現在とは何か”が書かれているミードの文章を読み返す・・・
 「旧いものも、現在に生きている限りは新しいもの」
  今の文脈の中に置き換えられる。

4.さまざまな相互的構成としての学習
  徒弟制の批判ではなく、「学習」というものの見方の批判。
    “できる”ようになる過程→相互行為の中
 ・“できた”ように見えるから、「学習した」と思う。
       →outputされることでしか判断されないことが多い
 ・個人の成長の物語を停止(エポケイ)してみた
    誰から見えるのか・課題が見えるのか・・・・?
 ・個人的な成長(ソーシャルスキル)は、
頭の中(脳みそ)が大切なのか・外(からの目)が大切なのか・・・?



133.34.80.34 , 133.34.80.34 ,


74 名前:鷲田千夏:2005/06/29 19:01 ID:???

続きです。

・道具は成長を促すためにある
・心理学→発達=“変化”・・・・「学習」
  “変化”を抽出しようとしている
  “変化”を描こうとしている

授業後のお話によると・・・
心理学を越えようとしているのがわかる。
このテキストもいよいよここから!!というところにきたそうです。
私にはその違い・文脈の“変化”はまだ理解できていないのですが。
第1回の講義録の中にある

・エポケイ:自然的態度を一旦停止する事
学習の一般的定義:「比較的安定した行動の変容・個人の変容」とされている
はたして、学習とは自分が変わることなのか?変化したのは個人ではないのでは?
古くからいる人間が教えて、新人が学ぶという光景
→これは新人のみが変化するだけではないはず…
「学習」をエポケイしてみよう

今回の内容と一致すると思いました。
発表者なのに遅刻&佐藤さんの思いを伝えきれなかったことを
深く反省しています。    以上です。


133.34.80.34 , 133.34.80.34 ,


75 名前:のりふみ(有元)@管理者 ★:2005/06/29 20:06 ID:???

講義録ありがとうございます。「変化の可視化」ということに
大変興味が湧きました。なにか人間の生活に基本的なことなのかも、と思い始めた。

76 名前:のりふみ(有元)@管理者 ★:2005/07/06 15:01 ID:???

講義内でアナウンスしたとおり、12日上野直樹氏が来てくださるかも知れません。お楽しみに。

77 名前:たき:2005/07/06 18:03 ID:d6+xdvgY

いや本当に楽しみです!
ドキドキしすぎて顔を真っ赤にしながら
ガクガクブルブルふるえてしまいそう。
133.34.73.111 , psy17.edhs.ynu.ac.jp ,


78 名前:のりふみ(有元)@管理者 ★:2005/07/06 18:33 ID:???

>>77 さすがに掲示まではしませんが、軍曹とか授業を取っていないが興味のありそうな人に教えてあげて。良い機会なので疑問をぶつけたらよいです。よろしく

79 名前:とくますかつゆき:2005/07/12 17:31 ID:gmUC7oEs

本日(07/12)6限は、7-211教室にて行います。
133.34.73.120 , psy26.edhs.ynu.ac.jp ,


80 名前:とくますかつゆき:2005/07/12 17:52 ID:gmUC7oEs

>>79 7-201教室に変更です。
133.34.73.120 , psy26.edhs.ynu.ac.jp ,


81 名前:鷲田千夏:2005/07/12 19:00 ID:???

こんばんは。たった今、三者面談が終わり
せっかくの機会でしたが今日の講義には参加できませんでした。
こんなかたちの連絡で大変申し訳ありません。
みなさんのご感想を楽しみにしています。

133.34.80.34 , 133.34.80.34 ,


82 名前:せりがの&たきざわ:2005/07/13 20:33 ID:9i9QBYlA

7月12日の授業に参加して。

1.上野先生が「あなたが文科省大臣になったらどうするのですか?」という質問をされた
エピソードについてのお話を聞いた際に、教室中が笑いに包まれましたが、
  正直、「いや、私もそう思ったんだけど…愚問だったか」と、笑えない
  自分がいました。
なぜなら、「じゃあ教育はどうあればいいの?」という単純な疑問が沸いたからです。
  そもそもこのような、教育云々について批判をするなら代替案を聞いてみたいと思うことそのものが
  社会構成主義においては矛盾しているという意味で、愚問なのでしょうか。
133.34.73.111 , psy17.edhs.ynu.ac.jp ,


83 名前:せりがの&たきざわ:2005/07/13 20:37 ID:9i9QBYlA

2.心理科掲示板の方に、私は次のように書き込みました。(以下コピペ)

  57 名前:せるげ:2005/06/14 19:50 ID:2NyV3aCg
  授業参加しながらぐるぐる考えているのは…
  「不適応」とか「問題児」なんていうのは、
  学校という枠組みがあるから、そこへ「不適応」な子として生まれるのだなと。
  で、「不適応」なのはその子の○○な部分でソーシャルスキルが
  不足してる(こういう表現でいいのかな?)から
  「適応」できるようになるためにSSTやろうっていうふうに、
  問題の所在をその子に求めてその子をどうにかしようとトレーニングする。
  でも、問題の所在を個人に求めるより、その子が所属する学級だとか
  学年だとか、もっと大きく広げて学校だとか、いっそ学校システム、
  教育システムに疑問を持つのも大事なんじゃ、と思う。
  そういうことを、火曜6限の間はムラムラ考えてます。
  でもなんかうまく言えないこの悔しさ。
  けれど、たっきぃとちょっと語ったので記録として残しますよぅ。 (以上)
133.34.73.111 , psy17.edhs.ynu.ac.jp ,


84 名前:せりがの&たきざわ:2005/07/13 20:40 ID:9i9QBYlA

そしてこの書き込みに対してのレスが、以下の通りにありました。(以下コピペ)

  58 名前:とくにゃん:2005/06/14 22:00 ID:CxBolt5c
  SSTは個人の皮膚の内側に蓄積されるものとして、社会的スキルを
  捉えている点が状況論や社会構成主義と大きく異なる、というか
  全く反対。
  子どもが、適応できないから、社会的スキルを身につけさせればいいと
  考えるのは短絡的では?

  59 名前:のりふみ@管理者 ★:2005/06/15 00:05 ID:???
  >>57-58 共感するが、同時に「犯罪者の犯罪性は社会的に構成される」、
  みたいな、いわゆるずぶずぶの役立たずな相対主義に注意。「問題児」は「問題児」。

  60 名前:とくにゃん:2005/06/15 08:53 ID:T0Xx3mQE
  >>59 確かに、構成主義は、極端に走るとニヒリズムに陥りますね。
  「もうどうにもなんねーや」みたいな。
  今、ふと思ったのは、パラダイムをシフトするのは、極めて困難だということ。
  飛躍しましたが…。

以上、長々とコピペしてすみません。  
133.34.73.111 , psy17.edhs.ynu.ac.jp ,


85 名前:せりがの&たきざわ:2005/07/13 20:46 ID:9i9QBYlA

そして本論ですが、
>ずぶずぶの役立たずな相対主義
と、役に立つ社会構成主義とはどのように異なるのでしょうか?
何回目かの授業の際に、先生が「これ(社会構成主義)って何の役に立つ?」
とふとおっしゃって以来、ずっと頭から離れません。
そのときに千さんが、「社会構成主義の視点を持っていれば、自己批判できるし
独りよがりな思想に陥らないから役に立つ」というようなことを言いましたし、
私もとても同意するのですが、では実際に教育の場に社会構成主義を持ち込むと
それこそ「ずぶずぶ」になってしまうんじゃないかと思います。
133.34.73.111 , psy17.edhs.ynu.ac.jp ,


86 名前:せりがの:2005/07/13 20:58 ID:9i9QBYlA

最後にせりがのの雑感です。
適応指導教室で仕事をしていると、子どもたち(主に中学生です)やその保護者に対して
「もう少し○○であれば…」とか「卒業してもうまくやっていくには…」とか
すっかり「子どもに変化を求める先生視点」になっている自分がいます。
そしてこの授業に参加していると、社会構成主義という視点の面白さに興奮しつつ、
「フレームがあるから不適応児が存在するの?」とか「フレームのかけ直しが求められるの?」とか
考えている自分がいます。
私はどちらの方にも乗っかりきれていません。ずっと行き来をし続けています。
現職の先生方はどう思われているか、ぜひご意見をうかがいたいです。
133.34.73.111 , psy17.edhs.ynu.ac.jp ,


87 名前:吉川 亮:2005/07/15 09:20 ID:???

火曜日は上野さんのサインをもらうことができ,とてもラッキーでした。
20年前,どんなつもりであの本(「視点」)を買ったのか,詳しいことは忘れてしまったけど,
こんなところでつながるとは思ってもみませんでした。
ただ私のような地理の教師にとっては,地図をつくったり使ったり,統計を処理したりして,
地域性や地域像,世界像を構成するのが主な仕事で,いわばインスクリプションの露店
みたいなものを毎回授業でやっています。
そのことに自覚的だった分,構築主義(社会的構成主義)の考え方にも馴染みやすかった
のではないでしょうか。
60.38.31.93 , p4093-ipad48hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp ,


88 名前:吉川 亮:2005/07/15 09:35 ID:???

それから,せりがのさんに。
研究の場面のすぐ手近にフィールドがあるというのは,意外にきついことでもありますね。
私は適応指導教室のことはよく知らないのでとぼけたことを言ってしまうかもしれないけれど,
私たちが電話で話しにくいことをメールで連絡するように,彼(彼女)らも学校でやりずらいことを
適応指導教室でやる,みたいなノリで基本的にはいいのはないでしょうか。
彼(彼女)らが暗黙のうちに引きずれているライフコースや環境に対する認識のフレームを,
自分からうまく作り直すか,社会の方が大きく変わらないと,いわゆる「回復」は難しいと思う。
大事なのは,それには時間がかかり,回復までの人生を過ごす居場所が必要だということです。
60.38.31.93 , p4093-ipad48hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp ,


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