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2005 学習心理学講義(-特論)
- 1 名前:有元典文@管理者 ★:2005/04/12 12:03 ID:???
 
-  講義録、質問、コメント等こちらに。 
 
- 48 名前:あぼーん:あぼーん
 
- あぼーん
 
- 49 名前:中野智之:2005/05/20 17:04 ID:E/S1cg8c
 
-  ○5/17の講義録○ 
 まずは,前回のおさらいをしました. 
 その中で,有元先生が提示された「起承転結」の例がわかりやすかったと思います. 
 起承転結は,頭の中で考えていても,それを紙に書いて壁に貼っていても同じ. 
 つまり,リソースであるということでした. 
  
 その後,行為は即興的であるという考えを基本に,いくつかの例を見ていきました. 
 わかりやすい例が挙げてあるところは,ささっと読み飛ばすように進みました. 
  
 その後,「新宿に行く」などのようにゴールはあるのか?という質問がありました. 
 そこから,意図はあるのか?という話になり, 
 患者に対して,なぜ自分が治療を受けようとするのかという意図を聞いてみた武捨さんのお話や, 
 臨床場面では意図があるのかということを臨床コースの方に聞いてみたりしました. 
  
 今回もあまり進まなかったのですが,前回よりも授業の流れがわかりやすかったように思います. 
 次回からも,流れがわかりやすくなるように進めていきたいです. 
  
 以上で講義録は終わりです. 
  
 しかし,ゴールがあるのかどうか,自分自身がとても気になったので, 
 授業後に有元先生や他の方とそれについて話しました. 
 結論から言うと,ゴールはある. 
 ただ,それは社会的に切り取られたものであるということでした. 
 つまり,例えば「新宿に行く」というゴールは,他者に自分の行為を説明するために, 
 新宿に行っても続くであろう自分の行為を,ある部分で切り取ったものだということだと僕は理解しました. 
 先生,いかがでしょうか? 
 
133.34.73.110 , psy16.edhs.ynu.ac.jp , 
 
 
- 50 名前:のりふみ(有元)@管理者 ★:2005/05/22 20:52 ID:???
 
-  >>45 
 > でも、研究の「価値」に対してどう迫っていけばいいのか、そこが問題ですね。 
  
 できあがってきた「現実」に社会構成主義の毒を注いでみる? 
 携帯電話によって維持される「連絡しやすさ」が、子どもの悪への 
 「アクセスのしやすさ」を創発していることや、100マス計算が 
 「計算力」をあげることが、機械的計算力の希求につながったりとか。 
  
 >>47 
 > コミュニケーションによってできたパス(経路)の残滓ではないか。 
 > つまり、メディアだということです。 
  
 むう。宇宙ですな…。 
 
- 51 名前:のりふみ(有元)@管理者 ★:2005/05/22 20:55 ID:???
 
-  >>49 
 > 結論から言うと,ゴールはある. 
 > ただ,それは社会的に切り取られたものであるということでした. 
  
 行為にとっての「ゴール」も、我々の行為のリソースでしょう。 
 起承転結が私の筆を導くように、この仕事が終わったら焼酎呑んで寝よう!、 
 ってなゴールを設定することで、それを参照することで、仕事の配分とか 
 するわけです。 
 
- 52 名前:肉食:2005/05/24 00:34 ID:5zSliY7k
 
-  >>46 
 よしかわさん!うおお!台と糸ですかなるほど。 
  
 >>47 
 > つまり、社会的構成物とはコミュニケーションの堆積物であり、 
 > コミュニケーションによってできたパス(経路)の残滓ではないか。 
 > つまり、メディアだということです。 
 パスのざんし・・・。僕ごときにもピリリと響くお言葉です。 
 でもメディアだっていう捉え方はよくわからないです。 
  
 >>50 
 ふふふ。そうですねぇ。ふふふ。
133.34.73.152 , insei02.edhs.ynu.ac.jp , 
 
 
- 53 名前:たき:2005/05/24 00:35 ID:5zSliY7k
 
-  ・・・。 
 >>52は瀧澤の書き込みです。
133.34.73.152 , insei02.edhs.ynu.ac.jp , 
 
 
- 54 名前:のりふみ(有元)@管理者 ★:2005/05/24 10:52 ID:???
 
-  >>52-53 あ、心理で肉食といえば唯一人に特定可能(^_^;) 
 
- 55 名前:とくにゃん:2005/05/24 11:29 ID:ngJNlwdU
 
-  >>47 
 >つまり、社会的構成物とはコミュニケーションの堆積物であり、 
 >コミュニケーションによってできたパス(経路)の残滓ではないか。 
  
 軌跡。軌道、痕跡? 
 ていうか、そうだと思ってたけど違うんですか?
220.98.155.53 , p7053-air01hon32k.tokyo.ocn.ne.jp , 
 
 
- 56 名前:のりふみ(有元)@管理者 ★:2005/05/24 13:32 ID:???
 
-  >>54 残滓と痕跡って意味が違うよね。ところで、社会構築を叙述するのに 
 具体物(堆積物、残滓、経路)を用いる必要があるところが、社会構成主義の 
 困難ですね。古い言葉で新しい世界を描く困難。 
 
- 57 名前:平岡なぎさ:2005/05/27 00:13 ID:HJ2j6uH+
 
-  遅くなりましたが、5月24日の講義録です。 
  
 キーワードは「説明(account)」「境界(boundary)」「定式化」「リアリティ」 
 ↑認知科学へのアンチテーゼ 
  
 ・人間は目印を残すことで現実を作っている。 
 e.g)作業療法におけるスプーンを用いたリハビリテーション 
 →患者さんが実際にどの治療段階にあるのかが 
 作業療法士にとって可視的になる。 
 ☆現実は人間の活動との関係の中にある。 
  
 ・「やっと手にした秩序」=現実 
 エソノメソドロジーでは「進行中の奇跡」とも。 
 社会秩序というのは人々の相互行為の努力の賜物である。 
  
 やっと第1章が終わりました(^^ゞ 
 時間をかけた分、皆の理解は深まったと思います。 
 
202.239.148.14 , sbyvtr.comp.dion.ne.jp , 
 
 
- 58 名前:のりふみ(有元)@管理者 ★:2005/05/27 13:13 ID:???
 
-  >>57 なぎちゃん講義録ありがとう。アカウントやバウンダリーという概念を 
 各自の実践の中に見いだすようにすると理解が深まりますね。私はこの講義で深まりました。 
 
- 59 名前:吉川 亮:2005/05/28 21:06 ID:???
 
-  禅問答みたいな書き込みで議論を混乱させてしまいました。 
 私は社会科の教師として、一つの認識の枠組みが理解に与える影響みたいなことが 
 ずっと気になっていました。 
 枠組みをつくらないとすっきりわからないのだけれど、 
 その枠組みゆえにわからないことがある。 
 わかるための枠組みを構築することに努力しなければならないけど、 
 その枠組みに反省的であることが大切。 
 「でもそれじゃいつまでたっても、びくびくしながら考えなければならないじゃん。」 
 その通りなのだけれど、こわいのは一つの枠組みにしがみつこうとして、 
 無理矢理見えるもの見なくしてしまうことだと思う。 
 枠組みはいつも微調整するつもりで外部に開いておく。 
 実はそれが、自分の精神衛生上にも以外にいいことに最近気づきました。 
 それが枠組みづくりへの意欲の源泉なのではないでしょうか。 
 また禅問答になっちゃいましたかね。
61.214.39.180 , p2180-ipad02hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp , 
 
 
- 60 名前:のりふみ(有元)@管理者 ★:2005/05/30 12:19 ID:???
 
-  >>59 枠組み壊しと枠組み作りを繰り返すのが人生ですよね。 
 もちろん禅問答っぽいのですが、しかし研究者にとっては 
 重要で日常的な作業であるべきですよね。 
 
- 61 名前:たき:2005/05/30 21:32 ID:zTz/fd5+
 
-  >>59 枠を広げておくこと、大事なんですね。 
 僕もまだ実感できるレベルではないけど、そう思います。 
 
133.34.73.111 , psy17.edhs.ynu.ac.jp , 
 
 
- 62 名前:のりふみ(有元)@管理者 ★:2005/05/31 09:51 ID:???
 
-  >>61 枠は広げるというよりも、新たにかけ直すのだと思います。 
 「天動説の枠」を広げても、その枠の限界で見えないものは見えない。 
 「地動説の枠」という新たな枠{フレーム, 視点, パラダイム,etc…}が世界を変えた。 
 これなら実感できるでしょう。 
 
- 63 名前:有元典文@管理者 ★:2005/05/31 09:59 ID:???
 
-      ---===#  休  講  #===--- 
  
 5月31日講義、当日の連絡で本当に申し訳ありませんが、 
 私の都合で休講にさせてください。皆さん全員に連絡が 
 付くと良いのですが。一週空いてしまう分、どうぞこの 
 掲示板もご利用ください。疑問点コメント遠慮無くどうぞ。 
 みなで議論しましょう。本日はごめんなさい。 
 
- 64 名前:宮本・平石:2005/06/07 22:31 ID:2RR6KWDc
 
-  ☆6月7日の講義録☆ 
  
 皆さんの理解がだいぶ深まってきたようなので、 
 授業中“ピククン”ときたところを書きます。 
  
 ○ コンテキストが行為を招く 
  コンテキストがどう振る舞えばよいかのリソースになり得る。 
  また、その行為がコンテキストを作り上げている。 
  終わることがない。つまり循環する。その循環によってコンテキストが洗練されていく。 
  
 ○ インデキシカル 
  エスノメソドロジーのことば。 
  学校の中で、教師という立場と生徒という立場がいて、教師という立場が何か発することが質問となる。 
  
 ○ リフレクシビティ 
  学校にふさわしい振舞い方をし、また互いの役割を振る舞うことで学校が学校らしくなる。洗練されていく。 
  
 ○ スペンサー→ルリア→上野の流れ 
  スペンサー:文化によって程度の高低が存在する。スペンサーにのっとると、中央アジアの人々は三段論法もできないと評価される。 
  ルリア:クロスカルチャー。経験によって知っていることには三段論法が適用できる。 
  上野:知っているか知らないかの違い。no more 三段論法(みたいな) 
  
 ○ ルール 
  ルール全てを記述する困難さ。 
  ルール違反が目立つ。 
  ルールはどこに存在するのか。 
  
 以上です。 
 私は「ルール」について興味津々です。 
 木曜日の授業で、「児童はどうルールを獲得していくか」というような内容を 
 発表しようと思っていたので、身を乗り出して聞いていました。 
 来週の展開が楽しみです。(平石)
133.34.73.109 , psy15.edhs.ynu.ac.jp , 
 
 
- 65 名前:のりふみ@管理者 ★:2005/06/08 09:15 ID:???
 
-  >>64 講義録ごくろうさま。 
 WEB, 辞書から補足 
 ○インデキシカル ここの→「見出し的表現」の項参照(になるか分かんないけど) http://www.ipc.shizuoka.ac.jp/~lckabe/trans2.htm 
 ○スペンサー_Herbert Spencer(1820- 1903)イギリスの哲学者・社会学者。 
 進化論に基づいて社会の進化発展を説明、宇宙・生物・道徳・社会にわたる 
 総合的・有機的進歩の法則を主張した。主著「綜合哲学体系」 
 ○ルール:ルールの在処問題はあえてほったらかしました。 
 この件は心理学などの人間科学を学ぶ上で重要。なぜならそうした人間の科学は 
 おおむね法則定立的だから。その法則、ドコにあるの?と問い続けたい。 
 
- 66 名前:武捨英理子:2005/06/14 23:34 ID:2sXQBqto
 
-  6月14日(火)講義録です。 
 仕事の中での学習 第2章 道具とコンテキストのデザイン 
 【空間や道具と身体配置のデザイン】 
 位置の占め方と身体の向け方:相互行為を観察可能にする。対象を知覚するのは、 
 デザインされた環境のもとであり、そうやってデザインすることで、ある社会的 
 な身体配置な身体配置を相互に調整し、ある協同的な知覚のあり方を可能にしている。 
 例:教育現場での位置の占め方と身体の向け方 
 【さまざまな表現のデザイン】 
 さまざまなデザインが全体としてひとつのコンテキストを作る。 
 例:地図の種類とその活用 
 【海産物の冷凍冷蔵庫の仕事】 
 冷蔵庫における流通を組織化する活動は、様々な道具やリソースを用いて、対象 
 出来事・行為を一貫したものとして秩序立て、相互に理解可能なものにする実践の1つ。 
 その作業の当事者が行っている活動は、その活動自体を「説明可能(accountable)」に 
 する手続きと同じである。 
 【リストという認知的道具】 
 文章やコンピュータ・データベースを含めたさまざまなリストは、対象を脱文脈化するの 
 ではなく、それに新たなコンテキストを与えうるもの。相互に相互の観察を組織化するた 
 めのコンテキストを与えている。 
 例:マクドナルドのハンバーガー製造 
 スタッフ、客からも現在出来上がっているハンバーガー数が可視化できる。 
 →今、行うべき活動が共通して認識されるため、情報を収集して指示を与える工程は必要 
 なくなる。 
 【オープンな道具】 
 open tool:道具そのものがオープンな道具としての性格を持っているわけではない。 
 例にある海図の場合は皆から見える位置という全体的な空間配置に依存している。 
 【まとめ】 
 こういったコンテキストの見方などは今後、どのように活用していけるだろうか? 
 学級崩壊などを例に議論。批判的な見方も拡大して見直していけば、新しい知の 
 形態がつくれる? 
 この授業に参加することで、私にとっては新しい視点での物の見方を知りました。 
 今後の活用について、私も自分のフィールドに還元できるようにしていきたいと 
 思います。 
 以上です。何か不足点等ありましたらご指摘いただければと思います。 
 
218.231.177.44 , 218.231.177.44.eo.eaccess.ne.jp , 
 
 
- 67 名前:のりふみ@管理者 ★:2005/06/15 00:11 ID:???
 
-  >>66 講義録ありがとう。フィールドへの還元を意識していきたいです。 
 
- 68 名前:さとうゆきえ:2005/06/22 04:27 ID:???
 
-  6/21講義録 
 「第3章:コミュニティの相互的な構成」前半を学習。 
 発表者の鷲田さん、お疲れ様でした。 
  
 この章では「学習」とは「個人の知識や技能の習得ではなく、様々な 
 コンテキスト、あるいはコミュニティの相互的構成である」というこ 
 とが、繰り返し語られているということが確認されました。 
  
 以下、ネクタイ姿(!)の有元先生が指摘された重要ポイント 
  
 1、「学習とは個人の中に何かができあがるといったことではなく、 
 さまざまな相互構成の中に見て取れる何かである」の「何か」とは? 
 ・学習not=実態 実存 
  学習=実践 構成 
 ・後者は、「指導案の作成」などを通して見えてくるもので、人に 
 よって見え方が違う 
  
 2、ベッカー著『アウトサイダーズ』において、自分たちを一般の 
 “スクエアなやつ”から区別するような言い方が頻繁に使われてい 
 るが・・・。 
 ・自分たちと“スクエア”なコミュニティとの境界を組織し維持し 
 ていく過程は、そう言い続け感じ続けることで境界線ができる。 
 ・その「境界」は「誰が引くのか」「それは意識的なのか、無意識 
 的なのか」についてちょっと論議が起こったが、私には難しくてよ 
 く分からなかった。(どなたか補足があれば)有元先生からのこの 
 本の筋から外れるという指摘で論議は中断したが、考えていくと迷 
 路に入りそうな課題かと感じた。 
  
 3、“状況的学習”の観点として、「道具や知識の表現や構成とい 
 ったテクノロジーの問題を扱っている」などの部分は、“状況的学 
 習”についての大事な『宣言文』 
 ・例えば、出席簿などの記録は「教師」が扱うもので「教師が教師 
 である」ということを示しているとともに、その記録から「誰がど 
 のような理由で欠席することが多いか」ということを可視化するこ 
 とができる。 
  
 
60.42.129.127 , i60-42-129-127.s04.a014.ap.plala.or.jp , 
 
 
- 69 名前:さとうゆきえ:2005/06/22 04:30 ID:???
 
-  6/21講義録 
 長すぎて、エラーがでました。続きです。 
  
 4、故障やトラブルは、顧客・技術者・機械の三者関係の中に立ち 
 現れてくる」ということを、自分の身近な関係、例えば「生徒・先 
 生・教師が使うテクノロジー」とイメージすれば分かりやすくなる。 
 ・オーアーにおける「修理技術者」の書く“武勇伝的な物語”は、 
 そのコミュニティで利用活用されるが、ヴェンガ−における「保険 
 請求処理のための計算式」のような手順だけ書かれたマニュアルは 
 活用されない。 
 “武勇伝的な物語”の著名な著書に『ユカタン半島の産婆』(で間 
 違いないでしょうか?)がある。一読の価値あり。 
  
 5、以上。3章においては、様々な事例をあげながら、繰り返し 
 「状況的学習論」の観点がのべられている。次回は、後半部分。 
  
 蛇足 
 教室から見えた夕焼けが美しかったです。私は現場の教師で、今 
 現場は大変な忙しさです。そこから教室に来て、アカデミックな 
 場の論議になかなか入り込めないでいます。が、コミュニティに 
 居るだけで学習した「つもり」にならないよう、自分が「語る」 
 中で皆さんとコミュニティの相互構成をしていけるようにしなく 
 てはと感じました。                 END
60.42.129.127 , i60-42-129-127.s04.a014.ap.plala.or.jp , 
 
 
- 70 名前:のりふみ@管理者 ★:2005/06/22 11:51 ID:???
 
-  >>68-69 講義録ごくろうさま。本当に美しい夕日でした。 
 ユカタンの話は「助産の文化人類学」(ブリジット・ジョーダン)という本です。 
 佐藤さんもどんどん議論に混じってくださいな。現場の話とアカデミズムを 
 行き来するのが現職の良い学び方だと信じます。 
 
- 71 名前:さとうゆきえ:2005/06/28 09:46 ID:???
 
-  本日、ゼミで発表担当のさとうです。 
 これからカナダのモントリオールで開催されるED-MEDIAという 
 情報教育系の学会で発表するために、出発します。 
 http://www.aace.org/conf/edmedia/default.htm 
  
 >鷲田さん 
 発表の方ご迷惑をかけてしまいますが、よろしくお 
 願いいたします。レジメがうまく伝わるといいので 
 すが。。。(^^;) 
  
 >有元先生 
 発表するのは「学校連画」という新しい図画工作科 
 での試みです。子どもたちが主体的に関わりながら、 
 自分たちのコミュニティをつくり、変化させていく 
 ことができるという、おもしろい試みです。 
 http://www.d-project.jp/2004/renga/index.html 
  
 もし、よろしかったら、ご覧になってください。 
 
222.150.69.253 , i222-150-69-253.s04.a014.ap.plala.or.jp , 
 
 
- 72 名前:のりふみ(有元)@管理者 ★:2005/06/28 11:24 ID:???
 
-  >>71 学会ごくろうさまです。面白いプロジェクトですね。 
 みなさんも見てみてください。↑ 
 
- 73 名前:鷲田千夏:2005/06/29 18:58 ID:???
 
-  6/28講義録 
 第3章「コミュニティの相互的な構成」後半 P147〜 
 今回の授業のキーワードは“変化(変化可視化活動)” 
 であるとまとめられ、確認しました。 
  
 3.新しい技術と旧い技術の相互的構成 
 ○旧が新に教える→一般的な考え方 
  ・自転車の乗り方 
  ・学校の勉強 など 
 ○新が旧に教える 
  ・PCの操作の仕方 
  ・子どもから教わる(育児→“育自”) 
  ・子どもを見る視点を若い同僚から教わる など 
  
 <旧い技術と新しい技術の並置> 
 ミシン(新しい)と手縫い(旧い)とでは全く違う技術 
  ・時間的には旧い・新しい 
  ・機械(新しい)は誰が操作しても同じものができる 
  ・手縫い(旧い)は価値がある?! 
  ・みんながやっていた当たり前が今は当たり前ではない 
  
 <現在としての歴史> 
 “現在とは何か”が書かれているミードの文章を読み返す・・・ 
  「旧いものも、現在に生きている限りは新しいもの」 
   今の文脈の中に置き換えられる。 
  
 4.さまざまな相互的構成としての学習 
   徒弟制の批判ではなく、「学習」というものの見方の批判。 
     “できる”ようになる過程→相互行為の中 
  ・“できた”ように見えるから、「学習した」と思う。 
        →outputされることでしか判断されないことが多い 
  ・個人の成長の物語を停止(エポケイ)してみた 
     誰から見えるのか・課題が見えるのか・・・・? 
  ・個人的な成長(ソーシャルスキル)は、 
 頭の中(脳みそ)が大切なのか・外(からの目)が大切なのか・・・? 
  
  
 
133.34.80.34 , 133.34.80.34 , 
 
 
- 74 名前:鷲田千夏:2005/06/29 19:01 ID:???
 
-  続きです。 
  
 ・道具は成長を促すためにある 
 ・心理学→発達=“変化”・・・・「学習」 
   “変化”を抽出しようとしている 
   “変化”を描こうとしている 
  
 授業後のお話によると・・・ 
 心理学を越えようとしているのがわかる。 
 このテキストもいよいよここから!!というところにきたそうです。 
 私にはその違い・文脈の“変化”はまだ理解できていないのですが。 
 第1回の講義録の中にある 
  
 ・エポケイ:自然的態度を一旦停止する事 
 学習の一般的定義:「比較的安定した行動の変容・個人の変容」とされている 
 はたして、学習とは自分が変わることなのか?変化したのは個人ではないのでは? 
 古くからいる人間が教えて、新人が学ぶという光景 
 →これは新人のみが変化するだけではないはず… 
 「学習」をエポケイしてみよう 
  
 今回の内容と一致すると思いました。 
 発表者なのに遅刻&佐藤さんの思いを伝えきれなかったことを 
 深く反省しています。    以上です。 
  
 
133.34.80.34 , 133.34.80.34 , 
 
 
- 75 名前:のりふみ(有元)@管理者 ★:2005/06/29 20:06 ID:???
 
-  講義録ありがとうございます。「変化の可視化」ということに 
 大変興味が湧きました。なにか人間の生活に基本的なことなのかも、と思い始めた。 
 
- 76 名前:のりふみ(有元)@管理者 ★:2005/07/06 15:01 ID:???
 
-  講義内でアナウンスしたとおり、12日上野直樹氏が来てくださるかも知れません。お楽しみに。 
 
- 77 名前:たき:2005/07/06 18:03 ID:d6+xdvgY
 
-  いや本当に楽しみです! 
 ドキドキしすぎて顔を真っ赤にしながら 
 ガクガクブルブルふるえてしまいそう。
133.34.73.111 , psy17.edhs.ynu.ac.jp , 
 
 
- 78 名前:のりふみ(有元)@管理者 ★:2005/07/06 18:33 ID:???
 
-  >>77 さすがに掲示まではしませんが、軍曹とか授業を取っていないが興味のありそうな人に教えてあげて。良い機会なので疑問をぶつけたらよいです。よろしく 
 
- 79 名前:とくますかつゆき:2005/07/12 17:31 ID:gmUC7oEs
 
-  本日(07/12)6限は、7-211教室にて行います。
133.34.73.120 , psy26.edhs.ynu.ac.jp , 
 
 
- 80 名前:とくますかつゆき:2005/07/12 17:52 ID:gmUC7oEs
 
-  >>79 7-201教室に変更です。
133.34.73.120 , psy26.edhs.ynu.ac.jp , 
 
 
- 81 名前:鷲田千夏:2005/07/12 19:00 ID:???
 
-  こんばんは。たった今、三者面談が終わり 
 せっかくの機会でしたが今日の講義には参加できませんでした。 
 こんなかたちの連絡で大変申し訳ありません。 
 みなさんのご感想を楽しみにしています。 
 
133.34.80.34 , 133.34.80.34 , 
 
 
- 82 名前:せりがの&たきざわ:2005/07/13 20:33 ID:9i9QBYlA
 
-  7月12日の授業に参加して。 
  
 1.上野先生が「あなたが文科省大臣になったらどうするのですか?」という質問をされた 
    エピソードについてのお話を聞いた際に、教室中が笑いに包まれましたが、 
   正直、「いや、私もそう思ったんだけど…愚問だったか」と、笑えない 
   自分がいました。 
    なぜなら、「じゃあ教育はどうあればいいの?」という単純な疑問が沸いたからです。 
   そもそもこのような、教育云々について批判をするなら代替案を聞いてみたいと思うことそのものが 
   社会構成主義においては矛盾しているという意味で、愚問なのでしょうか。
133.34.73.111 , psy17.edhs.ynu.ac.jp , 
 
 
- 83 名前:せりがの&たきざわ:2005/07/13 20:37 ID:9i9QBYlA
 
-  2.心理科掲示板の方に、私は次のように書き込みました。(以下コピペ) 
  
   57 名前:せるげ:2005/06/14 19:50 ID:2NyV3aCg 
   授業参加しながらぐるぐる考えているのは… 
   「不適応」とか「問題児」なんていうのは、 
   学校という枠組みがあるから、そこへ「不適応」な子として生まれるのだなと。 
   で、「不適応」なのはその子の○○な部分でソーシャルスキルが 
   不足してる(こういう表現でいいのかな?)から 
   「適応」できるようになるためにSSTやろうっていうふうに、 
   問題の所在をその子に求めてその子をどうにかしようとトレーニングする。 
   でも、問題の所在を個人に求めるより、その子が所属する学級だとか 
   学年だとか、もっと大きく広げて学校だとか、いっそ学校システム、 
   教育システムに疑問を持つのも大事なんじゃ、と思う。 
   そういうことを、火曜6限の間はムラムラ考えてます。 
   でもなんかうまく言えないこの悔しさ。 
   けれど、たっきぃとちょっと語ったので記録として残しますよぅ。 (以上)
133.34.73.111 , psy17.edhs.ynu.ac.jp , 
 
 
- 84 名前:せりがの&たきざわ:2005/07/13 20:40 ID:9i9QBYlA
 
-  そしてこの書き込みに対してのレスが、以下の通りにありました。(以下コピペ) 
  
   58 名前:とくにゃん:2005/06/14 22:00 ID:CxBolt5c 
   SSTは個人の皮膚の内側に蓄積されるものとして、社会的スキルを 
   捉えている点が状況論や社会構成主義と大きく異なる、というか 
   全く反対。 
   子どもが、適応できないから、社会的スキルを身につけさせればいいと 
   考えるのは短絡的では? 
  
   59 名前:のりふみ@管理者 ★:2005/06/15 00:05 ID:??? 
   >>57-58 共感するが、同時に「犯罪者の犯罪性は社会的に構成される」、 
   みたいな、いわゆるずぶずぶの役立たずな相対主義に注意。「問題児」は「問題児」。 
  
   60 名前:とくにゃん:2005/06/15 08:53 ID:T0Xx3mQE 
   >>59 確かに、構成主義は、極端に走るとニヒリズムに陥りますね。 
   「もうどうにもなんねーや」みたいな。 
   今、ふと思ったのは、パラダイムをシフトするのは、極めて困難だということ。 
   飛躍しましたが…。 
  
 以上、長々とコピペしてすみません。  
133.34.73.111 , psy17.edhs.ynu.ac.jp , 
 
 
- 85 名前:せりがの&たきざわ:2005/07/13 20:46 ID:9i9QBYlA
 
-  そして本論ですが、 
 >ずぶずぶの役立たずな相対主義 
 と、役に立つ社会構成主義とはどのように異なるのでしょうか? 
 何回目かの授業の際に、先生が「これ(社会構成主義)って何の役に立つ?」 
 とふとおっしゃって以来、ずっと頭から離れません。 
 そのときに千さんが、「社会構成主義の視点を持っていれば、自己批判できるし 
 独りよがりな思想に陥らないから役に立つ」というようなことを言いましたし、 
 私もとても同意するのですが、では実際に教育の場に社会構成主義を持ち込むと 
 それこそ「ずぶずぶ」になってしまうんじゃないかと思います。
133.34.73.111 , psy17.edhs.ynu.ac.jp , 
 
 
- 86 名前:せりがの:2005/07/13 20:58 ID:9i9QBYlA
 
-  最後にせりがのの雑感です。 
 適応指導教室で仕事をしていると、子どもたち(主に中学生です)やその保護者に対して 
 「もう少し○○であれば…」とか「卒業してもうまくやっていくには…」とか 
 すっかり「子どもに変化を求める先生視点」になっている自分がいます。 
 そしてこの授業に参加していると、社会構成主義という視点の面白さに興奮しつつ、 
 「フレームがあるから不適応児が存在するの?」とか「フレームのかけ直しが求められるの?」とか 
 考えている自分がいます。 
 私はどちらの方にも乗っかりきれていません。ずっと行き来をし続けています。 
 現職の先生方はどう思われているか、ぜひご意見をうかがいたいです。
133.34.73.111 , psy17.edhs.ynu.ac.jp , 
 
 
- 87 名前:吉川 亮:2005/07/15 09:20 ID:???
 
-  火曜日は上野さんのサインをもらうことができ,とてもラッキーでした。 
 20年前,どんなつもりであの本(「視点」)を買ったのか,詳しいことは忘れてしまったけど, 
 こんなところでつながるとは思ってもみませんでした。 
 ただ私のような地理の教師にとっては,地図をつくったり使ったり,統計を処理したりして, 
 地域性や地域像,世界像を構成するのが主な仕事で,いわばインスクリプションの露店 
 みたいなものを毎回授業でやっています。 
 そのことに自覚的だった分,構築主義(社会的構成主義)の考え方にも馴染みやすかった 
 のではないでしょうか。
60.38.31.93 , p4093-ipad48hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp , 
 
 
- 88 名前:吉川 亮:2005/07/15 09:35 ID:???
 
-  それから,せりがのさんに。 
 研究の場面のすぐ手近にフィールドがあるというのは,意外にきついことでもありますね。 
 私は適応指導教室のことはよく知らないのでとぼけたことを言ってしまうかもしれないけれど, 
 私たちが電話で話しにくいことをメールで連絡するように,彼(彼女)らも学校でやりずらいことを 
 適応指導教室でやる,みたいなノリで基本的にはいいのはないでしょうか。 
 彼(彼女)らが暗黙のうちに引きずれているライフコースや環境に対する認識のフレームを, 
 自分からうまく作り直すか,社会の方が大きく変わらないと,いわゆる「回復」は難しいと思う。 
 大事なのは,それには時間がかかり,回復までの人生を過ごす居場所が必要だということです。
60.38.31.93 , p4093-ipad48hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp , 
 
 
- 89 名前:のりふみ@管理者 ★:2005/07/15 16:32 ID:???
 
-  >>82-85 
 せりがの&たきざわ第1の問「じゃあ教育はどうあればいいの?」 
  
 文部大臣云々は上野さんは忘れてたみたいですが、少年?の頃の 
 俺のこころにはつきささったんでしょう、良く憶えてます。いつも考えてます。 
 いつも考えてればいいんじゃないですか。詭弁みたいですか。 
 答えが分かることと、答えをいつも考えていることは、似ているようで 
 おおいに違いますよね。問い続けは、答えを得ることより重要な 
 プロセスだと思います。現場で考えて、それからみんなで机を囲んで 
 机上の空論する、悪くない。現場と理論の往還運動ってのは 
 具体と抽象というより、どこでだれと考えるかってことなのかも。 
  
 第2の問「実際に教育の場に社会構成主義を持ち込むとそれこそ「ずぶずぶ」」 
  
 がちがちの先、「ずぶずぶ」の泥沼の手前にもうちょっとだけ足場の堅いトコがあるんだよ。 
 現実の問題に対峙するにはがちがちとずぶずぶの間を飛び跳ねて回ることになる。 
 それこそ答えのない実践者としての問い続けの実践だと思われ。 
 がちがち君の目には「問題児」が見える、でもそれは一方でずぶずぶの社会的構成物。 
 ずぶずぶ君の目には「問題児の可視化のシステム」が見える、でもそれは一方でがちがちの現実。 
 容姿のマズさに悲嘆に暮れてる人に、そんなの社会的構成だと言えるか。 
 容姿のマズさが可視的にならない、新しいがちがちした現実をデザインしてやって 
 初めて人のやくにたったということだよね。それはゴマカシからマジのがちがちまでの 
 スペクトルの範囲にあるでしょう。そこをみんなでよってたかってデザインし合う運動が 
 「拡張的学習」だよん、たぶん。エンゲシュトロームの。そういう運動してみたい。みたくない? 
 
- 90 名前:たき:2005/07/15 18:08 ID:+/Ko82/o
 
-  この書き込みは瀧澤ソロです。 
  
 >>89の第1の問の返答に対して 
 @実践者や研究者で机上の空論をしたあとで、 
  それを教育システムに役立つ意見にチェンジできないのか? 
  
 僕が上野先生や有元先生に示してほしかったのは、そんな意見でした。 
 だから正直、「愚問ですね」の一言はショックだったのです。 
 おセンチな気持ちなんです・・・。 
  
  
 A再構成のアイディアを提案することは「問い続けること」にならないので、 
  あえてやらないのでしょうか? 
  
 「社会構成主義は長いターンの行動や、人の多様な視点を論じる上で 
 強力なアプローチである」と思い、僕は勉強してきました。 
 人を情報処理機器のように考える僕の考え方からは知りえない知見から、 
 教育システムの新案を提案することができると思っていました。 
  
 先生や受講生のみなさんのご意見をうかがいたいです。
133.34.73.111 , psy17.edhs.ynu.ac.jp , 
 
 
- 91 名前:のりふみ@管理者 ★:2005/07/15 23:06 ID:???
 
-  >>90 「教育システムに役立つ意見」の「役立つ」あたりが妖しいよね。 
 誰から見て、誰にとって、何のために?教育の特効薬を問うたので 
 愚問と断じたのでは。実践し続け、問い続けることしかないと、繰り返します。 
 「教育システムの新案を提案」し続けましょうよ。そこにまた問題が起きる。 
 そしたらまた問い直し。 
  つまり、みんなでデザインし続けることの重要性が、社会構成主義の 
 「役に立つ知見」では。#「特効薬は問い直し続けること」、というのは 
 そうとう新しい知見だと思うよ。普通の理論は「特効薬はこれだ」、 
 と言い切ってきたのだから。行動主義だって、CAIだって、仮説実験だって、 
 みみずだってかえるだって…。 
 
- 92 名前:たき@明け方はハイテンション:2005/07/16 05:00 ID:Fxndnelc
 
-  >>91 
 >誰から見て、誰にとって、何のために? 
 論点は再びここですか。>>31から>>40にかけて議論しましたね。 
 「ある個人から見て、より多数にとって、より多くの利益を得るために(怪)」 
 だと未だに思っています。 
 ただし、前述した通り、利益や幸福は簡単には判断がつかないものです。 
 よかれと思って授業を変化させても、害が生まれるかもしれない。 
 でも、変化を考えたり、変化を提案したりすることをやめてはいけないと思います。 
 それこそが、また問題が起きては問い直す過程ですよね。 
  
 そして同時に、政治的なシステムも問い直したい。 
 多くの学校、教室で利益を生み、害をなるべく生まないように。 
  
 こんな特効薬をうかがうことは愚問なのですかねぇ…。 
  
  
 >普通の理論は「特効薬はこれだ」、と言い切ってきたのだから。 
 同感です。でも、1人が言い切っても別の人が問い直してきました。 
 そう考えると… 
 行動主義etc.が言い切ってきた「教育の特効薬」と 
 社会構成主義者の「問い続けている最中の『教育システムの新案』」 
 はどう違うのでしょうか? 
 どちらの立場でも、 
 問い続ける中での通過点としての新案は提案できると思います。
133.34.73.111 , psy17.edhs.ynu.ac.jp , 
 
 
- 93 名前:のりふみ@管理者 ★:2005/07/17 12:23 ID:???
 
-  >>92 「教育の特効薬」の以前に、「学校教育」そのものが、若者を文化化する 
 特効薬だと思われている。で、そのことが全く疑われていない。 
 「学校教育」そのものは有用なシステムなんだけど、さまざまの弊害のせいで 
 十分に機能を発揮していない。特効薬をぶちこめばうまく機能するようになる。 
 「学校教育」をめぐる議論にはそういうのが多いと思わない? 
  
 最後の問に関しては、夏休みにいっぱつエンゲストロームの 
 「拡張による学習」輪読会しない?拡張的学習の目的とは 
 「行為者が自らの実践を分析し、デザインし直す際に、あたらしい 
 概念的なツールを利用できるようにして、活動の矛盾を目に見えるものとし、 
 その解消をもたらすこと(p.15)」であって、エンゲストロームは 
 発達とか学習を集団的なこわしと再つくりあげと定式化するわけ。 
 まあ、読 ん で み な い か ? 
 
- 94 名前:森&増田&佐々木:2005/07/17 23:24 ID:NTDdFDOg
 
-  遅ればせながら…7/12の講義録です。大変遅くなり申し訳ありません!! 
 ☆7月12日の講義録 
  この日の講義は『仕事の中での学習』の著者である上野直樹先生を 
 お招きしての講義でした。私のイメージとはちょっぴり違いましたが、 
 質問に対して誠実に答えてくださる、とても素敵な先生でした。 
 (&有本先生もステキ☆うぷっ   森より) 
  
 では、以下、授業の中で特に印象に残った点を取り上げ、 
 今回の講義録とさせていただきます。 
  
 @管理部門(官僚的可視化)も生産部門(フィールド的可視化)も 
   実践(仕事)の内容に違いはあるが、共に状況的実践を行っている。 
 (‘標準化とカスタマイズの議論’より) 
 A管理部門はさまざまなインスクリプションを作り出し、いろんな場所をリンク 
  させる作業を行っている。と同時に、他の各部門では、そのリンク点において、 
  そのインスクリプションと照らし合わせる(リソースとして用いる)ことによって、 
  自分の部門にあった文脈をつくっている(情報の再組織化、可視化の再構成)。 
  *管理部門はさまざまな部門がリンクするリンク点であってパノプチコンの 
   ような全体を把握できるようなセンターではない。 
 B社会システムやインスクリプションを作り出すことで実践(あるいは法則、 
  理論)が可視化される。 
  ex)統計システムが埋め込まれた学校という社会システムによって、学校で 
    の一側面である実践、現状が見えてくる。 
 Cマクロを可視化するのは実践である。 
  
 と、このような感じでまとめさせていただきます。 
 とても理解が浅く分からない所も分からないほど混沌としていたのですが、 
 上野先生や有本先生、千さんをはじめとする皆さんの対話(気づき)を通じて、 
 すこ〜しクリアーになったような気がします。 
 また今回、最後に千さんの気づき(‘実在論からの脱出’)を聞いていて、 
 『論駁し続ける過程の中で、我々は深い理解をしその意味を見出すことができる 
 んだよな〜』と、感動しました。千さん万歳…涙 
  
 まだまだ理解が浅いため、講義のなかで掴みきれなかった部分、間違った解釈が 
 あると思います。何か気づかれた方はどうぞ書き込みお願いします。 
 
210.139.237.217 , p8bedd9.kngwnt01.ap.so-net.ne.jp , 
 
 
- 95 名前:のりふみ@管理者 ★:2005/07/18 07:15 ID:???
 
-  >>94 講義録ありがとう。著者にきてもらう、というのは 
 よい教育実践かもしれないね。@おんなじ人間が書いていることが分かる、 
 A理論のよってたつところのメタ理論を聞きだせる、みたいな点で。 
 千さん、たっきーのこだわりはいつかお二人の研究に結実するでしょう。 
 教育研究は教育実践とセットで深まると思います。いろいろ実践してみて。 
 このスレ、頭から読み返したら面白かった。電車男みたく冊子にするか!? 
 
- 96 名前:たき:2005/07/19 12:49 ID:NW1P+9bs
 
-  >>93 
 確かに世の中を疑うこと、大事ですね。 
 学校教育に「これが特効薬だ」と言って押し付けるのもよくない。 
  
 イケメンのエンゲストローム氏の輪読会についてはまだ悩んでおります。 
  
 >>94 
 的確な議事録ぢゃないか。 
  
 >>95 
 いや実際に読み返したらわくわくしますねぇ。 
 「みんなの社会構成主義 −大学教員とその学生の対話から−」 
 単行本化してベストセラー!
133.34.73.111 , psy17.edhs.ynu.ac.jp , 
 
 
- 97 名前:せりがの:2005/07/21 17:46 ID:sYbgrlnk
 
-  書き込みっぱなしになってしまいレスが遅くなってごめんなさい。 
  
 >>87-88 吉川さん 
 なんだか…ぺこんぺこんにへコんでた気持ちがぷっくりしてきました。 
 ぐるぐる考えてていいんだな、と思えました、ご意見ありがとうございます。 
  
 >>89 有元先生 
 >いつも考えてればいいんじゃないですか。詭弁みたいですか。 
 いいえ、私は詭弁だとは思いません。いつも考え続けるための、思考の行き来をする場が、 
 社会構成主義というところなのだと私は思います。 
 ただ、あの授業の中で、そういう言葉が聞きたかった…!! 
 ので、笑いに流されてしまったことがぷちしょっく。 
 >そういう運動してみたい。みたくない? 
 みたい。みたいですとも。ぐるぐる考え続けることは得意ですよぅ。だから、 
 >「特効薬は問い直し続けること」、というのは そうとう新しい知見だと思うよ。 
 という言葉に、私はとてもシビれました。シビれまくり。 
 >「学校教育」をめぐる議論にはそういうのが多いと思わない? 
 思います。もちろんある程度の全体的な方向性は必要だと思う。 
 ただ、それを定めるときにものすごくタイトなものを作ってしまい、決め打ちしちゃう感が否めない。 
 その方向性に安住せず、常に疑い、マイナーチェンジする意欲を持ち続けるのが 
 「特効薬」なのだと思います。本当のゆとり教育とは、教育の方向性をタイトなものにせず 
 疑う余地、チェンジし続ける余裕を持ち続けることなのだと真剣に思う。 
 というわけで、 
 >まあ、読 ん で み な い か ? 
 参 加 キ ボ ン ヌ。 
  
 >>96 たき 
 >単行本化してベストセラー! 
 印税の割当は書き込み回数で決めよう。
133.34.73.152 , insei02.edhs.ynu.ac.jp , 
 
 
- 98 名前:のりふみ@管理者 ★:2005/07/23 00:38 ID:???
 
-  >>97 共感してもらえてうれしい。読み会企画イボンヌ。本がちょい高めなので、 
 ぴーこしますか。あと360頁とやや厚め。6章立てなので最低随行人数6名でいかが。 
 
- 99 名前:平林・増山・堀:2005/07/26 00:38 ID:T53x3fVY
 
-  7月19日の後半部分の講義録です。 
 状況のインターフェイス 上野直樹編 
 3章 社会的達成としての学習 by有元典文先生 
  
 1節 イントロダクション 
 1.人間は「学習的存在」であるという認識をもつ、という素朴理論の 
 もと「学習」を社会的達成として捉えなおしたいということを本章の 
 目的とする。 
 2.学習が社会的に達成される事態である理由は、それがあたりまえの 
 自然な 
 生体反応ではなく、 行為を行為可能にするための要請が個人の内部では 
 なく社会的にたち現れることだから =「課題」「学習者」の場面に 
 よる可変性。 単純な学習は力動性の中で顕在化する瞬間のスナップ 
 ショットとなる! 
 3.認知研究では、学習は文脈によって変わるが「知識」は自然発生的な 
 ものではなく、 社会構造の中で手ざわりのある実体となる。 
 4.認知の社会的成り立ちはフーコーの「試験」や「検査」という 
 客体化のための社会的技術(リソース)によってつくられ、維持されて 
 きた。しかし、それは管理者のための都合のいい道具であり、人間研究 
 に向いた分析や 人々の活動理解としては不十分。 
  
 2節	可視化される学習 
 1.社会的メカニズムとしての「学習」の成り立ちの定義(図3−1) 
 2.学習の可視化のためのリソース・・・学習感覚の条件(図3−2) 
 日常場面で学習が感じられるとすれば、条件に合わせてみると偶発的な 
 事態である 
 
210.20.186.218 , 210-20-186-218.rev.home.ne.jp , 
 
 
- 100 名前:平林・増山・堀:2005/07/26 00:41 ID:T53x3fVY
 
-  7/19講義録 −続きー 
  
 3節	学習をピックアップする社会構造 
 学習を可視化するためには、 
 @ある行動を他の行動と同じものとしてカテゴリー化していく 
 A同じカテゴリーに入れられた過去の行動と現在の行動を比較する 
 →つまり、学習は様々な行動を(リソースを使って)「カリキュラム 
 の段階性」という視点から捉えることにより、はじめて可視化される 
 →そのとき、「行為者」は学習曲線上に位置づけられた「学習者」と 
 なり、技術、技能、能力の過去と未来をもつ存在となる。 
  
 4節	学習の実体論 
 1.「学習の実体感」(「できた!」の記憶)も学習という事態を 
 顕在化させる、場面の組織化が前提となっている。 
 2.「課題」と「学習者」は相互決定される概念。場面の組織化に 
 より、何かがその人の課題になる。具体例やそれに対する議論が 
 されました。 
 3.初心者が存在するのではなく、ある人が、あることに対して、 
 その参加形式を変えることによって初心者となる、と説明。堀個人 
 としては、学習が相互作用によって顕在化するということの例と 
 理解しましたが・・・。 
 4.何かを「課題」と認め、それに「学習的」に取り組む為のもう 
 ひとつの条件=「学習可能性」の弁別。この弁別=見極めは文化 
 そのものである。学校をこの視点から再解釈してみよう。 
 無人島の例について、議論。 個人的には、考え続ける為の課題と 
 受け止めています。 
        以上です。ご意見、ご指摘よろしくお願いします。 
 
210.20.186.218 , 210-20-186-218.rev.home.ne.jp , 
 
 
- 101 名前:ほり:2005/07/26 01:34 ID:???
 
-   学習心理学が終講しました。 
  講義録の最後に入れ忘れたので、再び書き込みます。 
  
  「この日も、暮れ行く空がとてもきれいでした。」 
  
 
210.20.186.218 , 210-20-186-218.rev.home.ne.jp , 
 
 
- 102 名前:のりふみ@管理者 ★:2005/07/27 12:35 ID:???
 
-  >>99-101 ごくろうさまです。 
  
 とても為になる授業でした。 
 みなさんどうもありがとう。ここで始発した議論のいくつかを 
 受け継いでいきたいです。是非折を見て自主ゼミ等おこないましょう。 
 対話を続けましょう。 
 みなさんの研究が実り多いモノになるよう祈りつつ、終講。 
 
- 103 名前:執行(有元代理投稿)@管理者 ★:2005/08/02 19:35 ID:???
 
-  2005/7/19の講義録 
 第5章 実践に埋め込まれた発達・学習の可視化 
 1.個人や個人の変化は与えられたものか 
   社会ー道具的に組織化されて可視的になっている 
   つまり、何らかの格子、インスクリプションを用いることによって可視的 
 2.個人やその変化を可視化するテクノロジー 
   フーコー・・・可視化する格子あるいはインスクリプションに着目 
          18世紀 病院、学校における「帳簿」の使用 
          →マスの可視化 →逸脱した「個人」も可視化 
   マクロな社会を可視化(4章)← 表裏一体 →個人の可視化 
 3.個人を可視化する相互行為 
   Hood&McDermottのビデオ分析研究 
   アメリカの小学校での「2チーム対抗クイズショー」 
   Research Question:アダムはどのようにして「できない子」として社会的に組織化されているか 
   ・アダムの態度とアダムに順番を回さない(競争場面の組織化) 
   ・状況の中で「個人の能力」にスポットライト場面が社会的に組織化している。 
   ・ある、特定の相互行為においてはファイリング技術・インスクリプションによって個人や個人の発達レベルか可視化される。 
    → リソース 
   (因みにアダムは料理クラブでは有能であり、スポットライトがあたり可視的になる) 
 4.個人の持っている知識表象 
   例)ある専門性を持つ熟練者の知識の研究 
   インタビュー、実験的な方法 
    ・あらかじめ用意された質問体系も、実際はその都度、局所的にインタビューする 
     相手の答えに応じて作り出されている 
    ・ある知識の整理体系をリソースとしながら局所的に相互行為を組織化しつつ 
     知識を構成するという独特の場面が作られている 
   現場で道具や人々に囲まれながらのインタビュー方法 
    ・公式的インタビュー場面とは異なる 
    ・仕事場にあるリソース、熟練者の答えに応じながら質問は生み出され、 
     熟練者も、そのリソースを頼りに色々な関連事項を説明し始めるかもしれない 
  *知識表象は、熟練者トインタビュアーとの協同作業として相互行為的、道具的にその都度 
   作り出されているのである。 
  *知識表象の明確化 
   記述はある場面での社会ー道具的な知識の相互的構成の結果を模倣したもの 
  *プロダクション・システム、スクリプト、メンタル・モデル 
   → リソース、道具 
 5.知識の整理学の視点 
   ガニエの能力や知識の階層構造モデル = プラン・モデル、リソース 
   ・・・ある課題を学習するためには、その前提となる下位技能を獲得している必用がある 
   ↓ 
   アカウンタビリティーを世間に示す実践のためのリソース 
   つまり、知識、知能、技能の品質管理の道具 
  *知識表象モデルを使用する問題点 
   「ルールに支配される」コトと、「ルールを志向する」コトの混同 
 6.学習や発達を可視化することを埋め込んだ実践 
   個人や個人の変化・・・文化的な実践に埋め込まれている 
   → 学習や発達・・・統計やその記録、学習・発達理論を埋め込んだゲーム 
     例)野球というゲームの記述の仕方 
   *統計、記録、理論、分析 
   学習や発達を可視化し、焦点化する道具やその使用を含む、ある種実践の組織化のあり方 
   →可視化する格子と可視化された変化は不可分 
    道具や方法は1つではない・・・多視点間の葛藤がある 
  
 以上 
  既成の物の見方を打破し、違った視点で物事を見ることは大変有意義な事でした。 
  私にとって、とても刺激的でした。皆様、有り難うございました。 
  
 
- 104 名前:名無しさん@有元掲示板:2005/09/20 23:58 ID:DZqA+5rA
 
-  「拡張による学習」、輪読会話がありましたが 
 やはり夏休み中は人が集まりづらいのね、と 
 とりあえず1人で読んでみようと思い購入したのですが… 
  
 わわわ分からないです、何が書かれてるのですかあのご本には? 
  
 という状態です。ご本は今じゃ立派に、本棚を頭良さそうに見せる 
 置物となってしまっております。 
  
 夏休みのボヤキでした。
220.211.220.13 , pd3dc0d.ykhmac00.ap.so-net.ne.jp , 
 
 
- 105 名前:せりがの:2005/09/20 23:58 ID:DZqA+5rA
 
-  ごめんなさい、>>104はせりがのでした。
220.211.220.13 , pd3dc0d.ykhmac00.ap.so-net.ne.jp , 
 
 
- 106 名前:のりふみ@管理者 ★:2005/09/21 02:02 ID:???
 
-  >>104 みんなで読もうよ。いや、そんなに難しくないよ。魂が分かれば理解できるはず。 
 
- 107 名前:せりがの:2005/09/21 15:42 ID:k9+eCLQ2
 
-  魂、けっこう分かったつもりになっていました。 
 まだまだ修行が足りんようでしたorz。 
 実際に読むと「えぇとこういうことが言いたいの…カナ…?」みたいな。 
 読み会したいですね。
133.34.73.111 , psy17.edhs.ynu.ac.jp , 
 
 
- 108 名前:のりふみ@管理者 ★:2005/09/22 14:31 ID:???
 
-  しましょう。 
 
- 109 名前:書けませんよ。。。:停止
 
- 真・スレッドストッパー。。。( ̄ー ̄)ニヤリッ
 
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